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2021年9月

2021年9月19日 (日)

番画〈405〉〈406〉:大河ドラマの事前勉強「鎌倉殿と北条義時」

     

今日は令和3年9月19日。

      

番画です。

   

〈405〉「ウルトラQ 25 悪魔ッ子」

  (2021年9月13日放映)

  

〇特撮によってもう一人の少女を映し出す手法。

 55年前だとドキドキして見ただろうな。

    

  

〈406〉「にっぽん!歴史鑑定 鎌倉殿と北条義時」

  (2021年9月13日放映)

  

〇来年の大河ドラマのタイトルは「鎌倉殿の13人」

 どういう意味だろうなと思っていた。

 それがわかるかなと思ってこの番組を見た。

〇北条義時を中心に権力争いでいろいろな人たちが入り乱れる

 ストーリーのようだ。

〇北条時政の次男だった北条義時。

〇伊豆では伊東氏勢力を広げ、北条氏も飲み込まれそうだった。

〇時政の娘政子が、源頼朝と仲良くなった。

 時政はチャンスだと考えた。

〇頼朝の挙兵 石橋山の戦い。頼朝敗れる。

 時政の長男宗時が戦死。義時の運命が変わる。

〇頼朝は本拠地を鎌倉に移す。

 頼朝に信頼される義時。

〇御家人のランク分け

 門様(もんよう)・・・頼朝と血の繋がった源氏一門

 家子(いえのこ)・・・頼朝によって選抜された側近

 侍・・・血縁のない一般的な御家人

〇義時は家子であった。

〇1192年 頼朝 征夷大将軍となる 御家人の棟梁 

 鎌倉殿と呼ばれるようになる。

 鎌倉の将軍のことを「鎌倉殿」と言うようだ。

〇頼朝の死後、息子の頼家が後を継ぐ。

 まだ若かった。そこで有力御家人13人の合議制で政治が行われる。

 合議制で頼家に上申し、頼家が決定をする形。

 これが大河ドラマの「13人」に当たるようだ。

〇義時はこの13人の1人。家子だったから選ばれた。

 その他、北条時政、比企能員(ひきよしかず)、三浦義澄、

 安達盛長、梶原景時らが13人のメンバーに入る。

〇13人の合議制はじきに崩壊する。

 三浦、安達が病死。梶原失脚。

〇頼家が比企氏を重用したことに恐れを感じた時政が、

 比企能員を殺し、比企氏を滅ぼした。

 ※ここでも道草 テレビで勉強「比企能員の乱」(2012年12月9日投稿)

 比企氏を攻めた時に、義時が頼家の子供一幡を殺したと言われている。

〇頼家は出家 その後暗殺される。

 この暗殺は時政の企てと言われている。

〇畠山重忠が謀叛を企てているとのことで、討伐するように

 時政から義時に命じられる。

 重忠と義時は仲が良かった。謀叛するとは思えなかった。

 しかし時政の命で討伐する。

 その後、義時と時政の関係は悪化。

 3代将軍実朝の暗殺を時政が企てているとして、

 義時は、時政と牧の方を追放する。

 時政の娘婿の平賀朝雅(ともまさ)を殺害。

〇2代目執権になった義時。

 13人に入っていた和田義盛を排除するために和田合戦。

〇実朝の暗殺 頼家の子、公暁の仕業

〇承久の乱 後鳥羽上皇との戦い 

 上皇からは義時追討の宣旨(せんじ)が出された。

 上皇に勝利。上皇は隠岐に遠島。関係した公卿は処刑。

〇承久の乱の3年後に義時は62歳で亡くなる。

   

およその流れである。

これを来年は大河ドラマでじっくりと勉強ができる。

2021年9月18日 (土)

「日本怪死人列伝」③ 19年前、安部譲二さんは充分迫っていた

       

今日は令和3年9月18日。

    

前記事に引き続き、

「日本怪死人列伝」(安部譲二著/産経新聞社)

より引用していきます。

    

第12章「御巣鷹山の五百二十人」

   

「おやッ、あれ、あれは何だ」

副操縦士の佐々木祐は、機長に昇格する為の訓練で、二席並んでい

る操縦席の左側に坐っていたのだが、隣の高浜機長が、腰を浮かし

て右を見ながら緊張した声で言ったから、つられて右前方を見据え

る。

その見たことのないものは、かなりの速さでこちらの方に接近して

来た。

距離は迫っていて、二千メートルはない。

「このままだと、ぶつかってしまう」

席から立って、機長の背後に来ていた福田博が、低いけど厳しい声

で呟く。

機長は左手を伸ばして、切ったばかりのベルトサインを点灯した。

「あーッ」

操縦席の三人は、同時に叫んだ。

ドーンッと、衝撃音が響いて来る。

機体のどこかに、あの飛行物体が当たったのだ。

離陸してから十二分後の、十八時二十四分三十四秒で、これから長

く過酷な三十二分間の飛行が始まる。

(274~275p)

   

青山透子さんや小田周二さんの本では、

操縦席の様子をここまでリアルに書いていません。

安部譲二さんは、公開された部分のボイスレコーダーの声や音から

この状況を想像したのだろうか。

操縦席の3人は、飛行物体に気づいていたのか。

福田機関士が「オレンジエアー」と発し、

オレンジ色の飛行物体に気づいていたと書いてあったのは、

どの本だったっけな。

  

  

つまり墜落した場所が特定できなかったのはおかしい。

おかしいというような生易しいことではなくて、翌日の朝方まで本

当の墜落地点をマスコミや遺族に教えなかったのは、限りなく怪し

いのだ。

とにかく全長が七十・五、全幅五十九・六、全高十九・三メートル

で機体重量が二百五十トンもある世界最大のジェット旅客機が、五

百二十四人もの人を乗せて墜落したのだから、その大音響を耳にし

た者もいたし、煙と炎を目撃した村人もいた。

一般人ばかりではなく、自衛隊のヘリの搭乗員まで現場を確認して

いた。それなのに、なぜか日本航空は現場を翌日の朝まで特定でき

なかった。

(282p)

   

先にも書いたが、この本が出版されたのは2002年。

その時点で、安部さんは、強く怪しんでいました。

さらにNHKについても書いています。

  

自衛隊と日本航空は、政府とNHKをはじめとするテレビ局の協力

の下に、翌十三日の昼近くまで事態を曖昧にし続けたのだ。

しかしNHKがこの時、テレビやラジオで流したニュースには、慄

然とする。

長野県は目撃者の証言から、LAL123便の墜落現場は県内では

ないと、この頃すでに公表していたのにも拘らず、NHKテレビは

テロップで十九時二十五分頃と二十時に「長野県北相木村の御座山

北斜面」と報じ続けたのだ。

この積極的な誤報は、現場をミスリードしてマスコミと遺族をおび

き寄せ、時間を稼ぐことだったと私は考える。

私が考えたことには裏付けがあって、現場にマスコミや民間人が来

ない間に、日本航空と自衛隊が密かに何やらやっていたという証言

がある。

(285p)

  

安部譲二さんは真相に迫っていました。

日本航空と自衛隊は密かに行動していたのです。

自衛隊は乗客乗員の抹殺。

そして日本航空は証拠隠滅。

   

 

私のような一介の作家でも、集めた資料と取材で、JAL123便

の事故が伝えられていることとは違うことを知るのに、日本のマス

コミは調べようともしないのに腹が立つ。

事故調もボーイング社も、防衛庁も日本航空も、すべて怪しい。

自衛隊の無人標的機がJAL123便に衝突して、垂直尾翼と油圧

系統を破壊すると、御巣鷹山に墜落したという事実を、皆総掛かり

で隠している。

自分では決して調べたりしない日本のマスコミは、これでも騙し通

せるのだが、私はこんなことでは騙せない。

機密費でも不倫でも、隠しごとには無理があるから、目の利く者が

いれば必ず露見する。

JAL123便、JA8119は、事故で墜落したのではない。

無残に撃墜されたのだ。

事故調は起こりもしなかった圧力隔壁の破壊を、でっち上げた。

取材資料を熟読した私は、それを確信して背筋に冷たいものが流れ

る。

この事件の真相が明らかにされていたら、自衛隊は国民の批判を浴

びて大変なことになり、日本政府は崩壊していたのに違いない。

日本政府に頼まれて、非常識な早さで自社の修理ミスを自白したボ

ーイング社は、充分な見返りを得た。

事件から十六年、日本の空はボーイング社の旅客機だけで、ダグラ

ス社の旅客機は、もう飛んでいない。

毎年八月十二日になると、新聞もテレビも、老いた遺族が御巣鷹山

の現場に登って、亡くなった方を追悼するシーンを、ただセンチメ

ンタルに報じる。

この事件の真実を追求するマスコミは、日本にはない。

なぜないのか。

それが残念ながら、日本の民度なのだ。

(293~294p)

   

新任の年の事故であって、

36年経って私もやっとこの事故には疑惑があることを知りました。

そして本「永遠に許されざる者」(小田周二著)を読んで、

真相はもうわかっていると思いました。

   

この後、どういう動きをしたら事は前進するのだろうか。

なぜだろう。社会科教師だからか。

この事故を放っておけなくなっています。

この事故を放っておいて、

授業で社会科を生徒に教える資格がないように思えます。

今を生きている人の義務で、真相を究明しなければと思います。

2021年9月17日 (金)

「日本怪死人列伝」② 権力者は情け容赦なく命を奪う

   

今日は令和3年9月17日。

   

前記事に引き続き、

「日本怪死人列伝」(安部譲二著/産経新聞社)

より引用していきます。

    

第3章の「下山事件」

下山定則国鉄総裁が怪死した事件。

下山総裁は自殺したことになっています。

   

下山事件は他殺であることは、後日の研究でも明白なのに、なぜか

結論が出されないで今日に至る。

ここに私は日本の怪死事件の底流を見るのだ。

権力者は情け容赦なく、非道に、そして無残に日本人の命を奪って、

少しも悩み苦しんだ様子もなく、誇らしげに巨きな勲章を胸に付け

る。

奴らは人間ではない。

地獄があってくれ。そこで未来永劫苦しんでのたうち回れ・・・と、

無神論者の私は空しく願うのだ。

(82p) 

   

日航墜落事件の真相がわかってくると、

この事件にも共通のものを感じます。

下山事件があったのは、昭和24年7月。

72年前の事件です。

それなのに結論が出ていない。

もう白状するような人も生きていないのか。

日航墜落事件はそうなってほしくない。

   

  

第5章「尾崎豊」

 

尾崎豊の死後、新アルバムは売れに売れ、フィルムコンサートは大

成功を収めて、繁美夫人は数億と言われる金を得てアメリカに去り、

実父と実兄は本を出版すると、数千万円と言われる印税を得たとい

う。

哀れな26歳のカリスマは、何を得たのだろう。

覚醒剤をやって幸せになった者は、私の知る限りひとりもいない。

(129p)  

  

尾崎豊の最期を安部譲二さんの推論で読みました。

まさか自分が死ぬとは思っていなかったでしょう。

覚醒剤が死の壁をあっけなく超えさせてしまった。

  

  

第8章「村井秀夫」

  

オウム真理教の教祖、麻原彰晃コト、松本智津夫の裁判が最高裁で

確定するには、まだたっぷり20年はかかる。

こんな馬鹿げた遅さは、文明先進国とは言わず世界のどこの国でも

ない。

矢鱈と時間のかかる日本の裁判の話を外国人にしても、なかなか信

じてもらえないのだ。

裁判所の無能と怠慢が、どうして日本では改められないのか・・・。

昭和12年生まれで橋本龍太郎や森喜朗と同い歳の私は、いかにダ

イエットに励み大酒を慎んでも、とても松本智津夫の裁判の結果を

見定めるわけには行かないと思う。

私に出来ることは、村井秀夫の死因を推論することだけだ。

(177p)

   

この本が出版されたのは、2002年の4月です。

安部譲二さんは19年前にこんな予想をしました。

しかし、松本智津夫の死刑執行は2018年7月6日のことでした。

ここでも道草 オウム真理教7人の死刑執行(2018年7月7日投稿)

安部譲二さんは、裁判結果を知ることができました。

その安部譲二さんが亡くなったのは、

2019年9月2日のことでした。

もうすでにこの世にいない作家の本を読みました。

  

  

第9章「帝銀事件」

  

帝銀事件というと平沢貞道画伯の名前を思い出します。

若い時に中学校勤務で冤罪を教える時に、

この帝銀事件を扱った覚えがあります。

う~ん、調べただけかもしれない。

平沢画伯が獄死したのは昭和62年の5月。

西暦で1987年。

私が中学校に勤め始めたのは、1990年。

まだ新しい出来事だったのです。

 

安部譲二さんの推論は、平沢画伯は共犯者としていて、

納得がいきます。

殺害の実行犯ではないので、死刑はやはり冤罪。

95歳まで獄舎にいる罪ではありませんでした。

   

  

つづく

   

2021年9月16日 (木)

「日本怪死人列伝」① 3章ずつ4日間で読破

     

今日は令和3年9月16日。

   

この本を読みました。

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「日本怪死人列伝」(安部譲二著/産経新聞社) 

    

面白い本でした。

読みだしたのが平日の月曜日だったので、

本ばかり読んでいるわけにはいきません。

面白い本でしたが、自分を制御しました。

全12章の本でしたが、毎日3章だけ読むことにしました。

月・火・水・木と4日間で読み切りました。

   

人間は永遠には生きられないのだが、戦争に限らず当人の望まない

非業の死を迎えられた方たちを思う時、私の心は重く、暗くなって

しまうのだ。

特に戦後の日本では、マスコミによって伝えられた人間の死に対し

て、特に死因や死に至った状況に、どうにも納得の行き兼ねること

が、数えあげれば無数にあって、私の顔を青ざめさせる。

私は多くの悼(いた)ましく、被害者の死因が疑わしく釈然としな

い事件の中から、12を選んで、その状況を検証することにした。

その12の事件はいずれも、マスコミが事実として伝えたことや、

推定したことと、真実はかなりな部分、違っていると私は確信して

いる。

(6~7p)

  

読み終えた後に、この「はじめに」の文章をよむと納得します。

書いた通りのことを安部譲二さんは書いています。

  

  

死人に口なしだが、証拠は残る。

直接の証拠、有無を言わせない証拠ではなくても、裁判をするので

はないから私は構わない。

傍証で充分なのだ。

傍証を積み重ねることで、事件の本当の姿が見えてくる。

私は検事でも判事でもない一介の作家だ。

判決を出すつもりは毛頭ない。

自分自身の心証を得て、読者に共感していただければ、それで満足

なのだ。

(8~9p) 

   

共感しながら12章を読みました。

  

その12章を書き並べて、この記事を終えたい。

 

1.朝日新聞阪神支局襲撃事件

2.新井将敬

3.下山事件

  

4.永野一男 豊田商事会長

5.尾崎豊

6.田宮二郎

  

7.力道山

8.村井秀夫 オウム真理教幹部

9.帝銀事件

  

10.元大鳴戸親方

11.ロッキード事件 田中総理運転手 笠原政則

12.御巣鷹山の五百二十人  

2021年9月15日 (水)

番画〈400〉〈404〉:フィッシャーズ2本 発想を良くする「LIFE!」 20年前の9.11 日曜晩は大河ドラマ

     

今日は令和3年9月15日。

   

番画です。

    

〈400〉フィッシャーズ

【大爆笑】中身と前が分からない「段ボール鬼ごっこ」がクッソ怖くて楽しかったwww
YouTube: 【大爆笑】中身と前が分からない「段ボール鬼ごっこ」がクッソ怖くて楽しかったwww

 

〇フィッシャーズが段ボールを被って鬼ごっこをする動画。

 パンツいっちょで、段ボールに入っている模様。

 暑そうだ。でも楽しそう。

  

  

〈401〉フィッシャーズ

ビンゴカード1000枚の中から1発ビンゴ出るまで終われま1000
YouTube: ビンゴカード1000枚の中から1発ビンゴ出るまで終われま1000


〇また予想もしないような企画です。

 よくもまあ浮かびますね、企画が。

 いつまでも終わらないかなと思ったら、突然できた。

  

   

〈402〉「LIFE! 秋」(2021年9月10日放映)

  

〇このお笑い番組は参考になる。

 凝り固まっている発想を壊してくれる。

 現在美化委員会で再び動画づくりをしている。

 この番組のおかげで脚本が書けた。

   

 

〈403〉「ニュース地球まるわかり」

  (2021年9月12日放映)

 

〇特集:米同時多発テロ事件から20年。

 教えている生徒たちは、当然生まれていない時の事件。

 20年経ったけど、20年前にこのような事件があって、

 それがきっかけでアフガニスタンやイラクとアメリカが

 戦争したことなど、伝えるべきだと思った。

 戦争に出向いた兵士が、帰国後にたくさん自殺をしている現状。

 戦争に行った者しかわからないことがある。

 それが少し知ることができたのは、最近読んだ本とも関連して

 印象に残った。

 時間がある時に、そのことについてはまとめたい。

  

  

〈404〉大河ドラマ「青天を衝け 26 篤太夫、再会する」

  (2021年9月12日放映)

  

〇パリから帰国した渋沢栄一が、静岡にいる徳川慶喜と再会した。

 この後、渋沢栄一の人生は多種多様になる。

 しっかりと見ておきたい。

〇オリンピックとパラリンピックが済んで、

 日曜日の晩は大河ドラマをじっくり見る生活がまた始まった。

  

 

2021年9月12日 (日)

「圧力隔壁説をくつがえす」③ 日航安全啓発センターの役割

    

今日は令和3年9月12日。

    

前記事に引き続き、

「日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす」

(青山透子著/河出書房新社)

より引用していきます。

    

35年目の夏に521人の死者たちへの誓いとして、令和となった

今を生きる私たちは、日本航空の犯した罪とその理由を考えなけれ

ばならない。

誰もが陥る罠、それは嘘をつき続ければいつの間にか本当らしく思

えてくるということだ。特に日航123便墜落事件後に入社した社

員が九割を超えるこの会社では、いつのまにか、嘘が真となりつつ

ある。

六〇(ろくまる)と社内でいう昭和60年(1985年)入社の社

員は、あと数年で定年退職のため、今や(あの日)を皮膚感覚で知

る人間はほんのわずかである。そのうちどんどん風化していくのは

目に見えている。

(136p)

   

今までに何度も書いてきましたが、

1985年は私の新任の年でした。

その年に起きた大事故について、

退職の年に真相を知ったことを運命的に思います。

(青山透子さんもこの種の偶然を運命的に考えます。共感)

上記の文章には続きがあります。

   

(あの日)をいつまでも忘れないという思いと風化防止を願って、

日航安全啓発センターは、2006年4月24日に設立された。

ここのパンフレットによれば、

「この事故で亡くなられた皆様の苦しみやご無念、残されたご遺族

の悲しみは計り知れないものがあります。私たちはこの事故の悲惨

さ、航空安全に対する社会的信頼の失墜を省みて、二度とこうした

事故を起こしてはならないと堅く心に誓いました」とある。

事故の概要として、

「ドンという音と共に飛行の継続に重大な影響を及ぼす異常事態が

発生しました。機体後部圧力隔壁が破損して、客室内与圧空気が機

体尾部に噴出し、APU(補助動力装置)及び機体後部を脱落させ、

垂直尾翼の相当部分を破壊し、それに伴い動翼を動かす油圧装置が

すべて不作動となってしまった。(中略)本事故の原因は、同機が

事故の7年前(1978年)、大阪空港着陸時に起こした尾部接触事故

の修理に際し、ボーイング社により行われた後部圧力隔壁の上下接

続作業の不具合にあり(中略)捜索、救助活動は事故後ただちに開

始されたが、人里離れた山中でもあり、墜落場所の確定も遅れ救難

隊の現場到着は翌朝となった」

という内容を、読みにくいほど薄い白色の文字で記している。

さて、今まで得た情報と知識を踏まえてこの文章を読めば、誰でも

日航安全啓発センターの本当の役割が見えてくるだろう。

(136~137p) 

   

青山透子さんと小田周二さんの本を読んだ後だと、

日航安全啓発センターがしようとしていることは

「騙し」です。

真犯人を隠すためにやっていると思います。 

「圧力隔壁説をくつがえす」② 「異常外力」が垂直尾翼に加わっていた

      

今日は令和3年9月12日。

    

前記事に引き続き、

「日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす」

(青山透子著/河出書房新社)

より引用していきます。

  

  

今になって、事件を決定づける「異常外力」について記された一枚

が、膨大な書類の間からこっそり出てきたのである。

(72p)

  

専門家が語る公文書の不可思議な特性として、膨大な資料の中に時

折気付かないうちに追加されることもあるとのことだったが、実際

に外務省の公文書で私はそれを体験した。

(73p)

   

部分的に引用しているので、流れがわかりにくいと思います。

事故調査報告書の別冊に垂直尾翼の中央付近に、

異常外力が加わったことを示す資料があったということです。

ちょうどこの本の表紙で使われた図です。

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報告書は公開されましたが、別冊は公開されなかった模様。

    

この『別冊』に話を戻すと、これが最初に出された1987年時の

報告書とともに同時に公開されていれば、事件の原因が明瞭になっ

たはずであり、圧力隔壁破壊は、誰もがおかしいと納得できたはず

である。逆にいえば、意図的に隠された公文書となる。

(74p)

  

あらゆるデータが示しているこの異常外力の存在は否定できないの

である。しかも、垂直尾翼先端ではなく、黒い丸印が示す通り、尾

翼中央の胴体部分に近いところであり、ここに外からの力が加わっ

た、という事実は消せない。だから『別冊』で、その存在を書かざ

るをえなかった。

(77p)

   

外力によって穴の空いた垂直尾翼が、なぜ内圧で吹き飛ぶのか。子

供でもすぐわかることを35年間も騙してきたのである。

こういう「目眩まし手法」で報告書を書き、素人である国民を欺く

専門家がいたとして、そこにいかなる政治的判断があろうとも、こ

れでは、521人の死の証明にはあまりにお粗末であり、たとえ権

威ある研究者であっても政府側に阿(おもね)った発言をして許さ

れるはずがない。

(88p)

   

重要なことは「情報を持ち、隠すことができれば、無知を意図的に

支配できる」という見本が、この日航123便であってはならない

ということだ。これを悪しき事例とするのではなく、私たちが騙さ

れないようにすることこそが未来への義務である。

(100p)

  

  

「異常外力」の説明はなされないままきています。

それでも「圧力隔壁破壊」が墜落の原因だとしています。

おかしいことです。

「圧力隔壁説をくつがえす」① 事故を「事件」と書いていた外務省職員

     

今日は令和3年9月12日。

   

青山透子さんの5冊目の本を読みました。

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「日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす」

(青山透子著/河出書房新社)

  

ブログに引用して文章を嚙みしめていきたい。

  

2019年11月。

私は、墜落から2日後に「日航機墜落事件」と書かれた公文書を発

見した。

発信元は外務省である。

それはまだ事故調査委員会の調査すら始まっていない日であり、当

然のことながら、当事者の日本航空も米国ボーイング社も、全く何

が起きたのかもわかっていないときに「事件」と書かれていたこと

になる。

そしてこの「事件」は、あまりに幼稚な方法によって故意的に「事

故」とすり替えられていった。後から思えば「あれはおかしい」と

思うことは多々あったはずである。

それにもかかわらず、あっという間に事故と信じ込み、騙された私

たちはどの段階で真実を見失っていったのか・・・・。

(8~9p)

   

冒頭に書かれた文章です。

外務省が「事件」と書いたのは、レーガン大統領から中曽根首相への

書簡です。

「日航機墜落事件に関するレーガン大統領発中曽根総理あて 

見舞の書簡 8/14(略)」

(16p)

手書きで書かれていました。

墜落事故があってからたった2日。

「事件」と書いた外務省の人も、すでに何が起こったのか知っていた

可能性が高かったと青山さんは推理します。

  

さて、「事件と書いたのが単純ミスではないか」という疑問があれば、

それに答えるのが次の証拠文書である。(図4)※図は省略

外務省の日米要人間書簡の電信案では、それ以降もFAXの件名で、「

事件」と書いてある。

件名 JAL墜落事件ーーーレーガン大統領よりの見舞電に対する総理

よりの謝電ーーー。

この文章の内容自体は墜落事故へのお見舞いのお礼であるが、タイト

ルとしてのこの言葉を使用していることに注目しなければならない。

件名では明らかに二度も事件と記されている。日付は、昭和60年8月

22日である。

つまり、墜落から10日が過ぎてもなお、間違いなく「事件」と記され

ており、先ほどの14日の手紙の手書き同様で単なるミスではない。

世間では事故と報道されていても、外務省職員の間では、ずっと事件

という認識が続いていた、ということになる。

(22p)

外務省職員も知っていた。

墜落事故の真相を知っていた人はさらにいることがわかりました。

それなのになぜ真相が露わにされないのだろう。

   

  

今ならば衛星やレーダー、一般人による動画録画によって、政府の

偽りの発表を見破ることは可能だろう。誰もが携帯電話を持ち、誰

もが簡単に即席のスクープ記者になれることは、ネット社会の大き

な成果である。これらがあったからこそ、イラン政府が誤射を認め

て犠牲者への追悼と謝罪に至ったのだ。

(10p)

   

同感です。

1985年はまだみんなが携帯電話を持っている時代では

ありませんでした。

そして人間の記憶はたいしたことないなと思ったのは、

イラン政府の誤射のことをすっかり忘れていたことです。


YouTube: イラン「誤って撃墜」認める

2020年1月8日のことでした。

番画〈399〉:歴史探偵 独眼竜政宗

    

今日は令和3年9月12日。

   

番画です。

   

〈399〉「歴史探偵 独眼竜政宗 伊達男の真相を追え!」

  (2021年7月7日放映)

  

〇大河ドラマで渡辺謙さんが伊達政宗を演じたのは1987年。

〇本当に格好がいい武将だったのか?

〇仙台市博物館へ

 政宗が実際に身につけていた甲冑 前立ては大きな三日月

 実際に身につけていた陣羽織

〇眼帯は政宗はつけていなかった。

 テレビ・映画の世界から眼帯がつけられるようになった。

〇肖像画も両目が描かれている。

 政宗の遺言 親からもらったものを失ったのでは申し訳ない。

       両目があるように描くように。

〇仙台市博物館には、政宗の頭骨のレプリカがある。

 1974年 政宗が眠る瑞鳳殿発掘。

 この頭骨を元に最新の技巧で復顏師による復顏が行われた。

 目は切れ長。がっしりした顎。

 右目は病のために見えていなかった。

 右目にはじん帯の跡がなく、ほとんど動かさなかった。

〇サン・ファン館

〇政宗が建造させたサン・ファン・バウティスタ号(復元)がある。

〇政宗は使節をヨーロッパに派遣した。

 慶長遣欧使節。太平洋→メキシコ→ヨーロッパ。

 スペイン国王やローマ教皇に接見する。

 海外との交易を目指したが、キリスト教の布教が約束できず決裂。

 

〇岩沼市の地層から、政宗の時代に津波があったことが証明された。

 1611年 大津波  政宗は復興に努める

 田んぼが塩水に漬かってしまう→塩田開発→後の仙台藩の特産品になる。

 新田開発→後に江戸の町で食べるお米の3分の1は仙台藩の米。

 遣欧使節派遣 1613年  これも復興の一環として実施したのでは。

  

  

復顏した顔は凛々しくてよかった。

この顔を見せるだけでも、この番組を見せる価値はあると思います。

2021年9月11日 (土)

「日航123便 墜落の波紋」③ 全国学校図書館協議会選定図書に選ばれていた

      

今日は令和3年9月11日。

    

前々記事に続いて

「日航123便 墜落の波紋 そして法廷へ」

(青山透子著/河出書房新社)

より引用していきます。

   

もう一か所引用したいです。

   

多くの読者は、本という媒体を通じてこれらの事実と向き合い、自

らの意思を持って深く共感して考え、その真意を理解してくれてい

る人たちである。特に『墜落の新事実』が、全国学校図書館協議会

定図書となったこともあり、全国の高校生や大学生が読んでくれ

骨太の感想文が届くこともある。A県立高校のリベラルアーツク

ブでは、1年間もかけてこの問題を取り上げ、文化祭で発表した

のことだった。彼らの真剣なまなざしや熱意が伝わってくる資料

写真がたくさん出版社に送られてきた。

(81~82p)

   

ビックリです。

全国学校図書館協議会選定図書に選ばれていたのですね。

政府や自衛隊の罪を追及する本が選ばれていたことに驚きです。

  

私はこの夏に青山透子さんのことを初めて知りましたが、

若者のそれなりの人たちは読んでいるのでしょう。

文化祭でも発表するくらいなのだから、

現時点でも強い関心を持っている人もいることでしょう。

  

近年で何か大きな変化があるのではないでしょうか。

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