「日本怪死人列伝」② 権力者は情け容赦なく命を奪う
今日は令和3年9月17日。
前記事に引き続き、
「日本怪死人列伝」(安部譲二著/産経新聞社)
より引用していきます。
第3章の「下山事件」
下山定則国鉄総裁が怪死した事件。
下山総裁は自殺したことになっています。
下山事件は他殺であることは、後日の研究でも明白なのに、なぜか
結論が出されないで今日に至る。
ここに私は日本の怪死事件の底流を見るのだ。
権力者は情け容赦なく、非道に、そして無残に日本人の命を奪って、
少しも悩み苦しんだ様子もなく、誇らしげに巨きな勲章を胸に付け
る。
奴らは人間ではない。
地獄があってくれ。そこで未来永劫苦しんでのたうち回れ・・・と、
無神論者の私は空しく願うのだ。
(82p)
日航墜落事件の真相がわかってくると、
この事件にも共通のものを感じます。
下山事件があったのは、昭和24年7月。
72年前の事件です。
それなのに結論が出ていない。
もう白状するような人も生きていないのか。
日航墜落事件はそうなってほしくない。
第5章「尾崎豊」
尾崎豊の死後、新アルバムは売れに売れ、フィルムコンサートは大
成功を収めて、繁美夫人は数億と言われる金を得てアメリカに去り、
実父と実兄は本を出版すると、数千万円と言われる印税を得たとい
う。
哀れな26歳のカリスマは、何を得たのだろう。
覚醒剤をやって幸せになった者は、私の知る限りひとりもいない。
(129p)
尾崎豊の最期を安部譲二さんの推論で読みました。
まさか自分が死ぬとは思っていなかったでしょう。
覚醒剤が死の壁をあっけなく超えさせてしまった。
第8章「村井秀夫」
オウム真理教の教祖、麻原彰晃コト、松本智津夫の裁判が最高裁で
確定するには、まだたっぷり20年はかかる。
こんな馬鹿げた遅さは、文明先進国とは言わず世界のどこの国でも
ない。
矢鱈と時間のかかる日本の裁判の話を外国人にしても、なかなか信
じてもらえないのだ。
裁判所の無能と怠慢が、どうして日本では改められないのか・・・。
昭和12年生まれで橋本龍太郎や森喜朗と同い歳の私は、いかにダ
イエットに励み大酒を慎んでも、とても松本智津夫の裁判の結果を
見定めるわけには行かないと思う。
私に出来ることは、村井秀夫の死因を推論することだけだ。
(177p)
この本が出版されたのは、2002年の4月です。
安部譲二さんは19年前にこんな予想をしました。
しかし、松本智津夫の死刑執行は2018年7月6日のことでした。
※ここでも道草 オウム真理教7人の死刑執行(2018年7月7日投稿)
安部譲二さんは、裁判結果を知ることができました。
その安部譲二さんが亡くなったのは、
2019年9月2日のことでした。
もうすでにこの世にいない作家の本を読みました。
第9章「帝銀事件」
帝銀事件というと平沢貞道画伯の名前を思い出します。
若い時に中学校勤務で冤罪を教える時に、
この帝銀事件を扱った覚えがあります。
う~ん、調べただけかもしれない。
平沢画伯が獄死したのは昭和62年の5月。
西暦で1987年。
私が中学校に勤め始めたのは、1990年。
まだ新しい出来事だったのです。
安部譲二さんの推論は、平沢画伯は共犯者としていて、
納得がいきます。
殺害の実行犯ではないので、死刑はやはり冤罪。
95歳まで獄舎にいる罪ではありませんでした。
つづく
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