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2021年9月12日 (日)

「圧力隔壁説をくつがえす」③ 日航安全啓発センターの役割

    

今日は令和3年9月12日。

    

前記事に引き続き、

「日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす」

(青山透子著/河出書房新社)

より引用していきます。

    

35年目の夏に521人の死者たちへの誓いとして、令和となった

今を生きる私たちは、日本航空の犯した罪とその理由を考えなけれ

ばならない。

誰もが陥る罠、それは嘘をつき続ければいつの間にか本当らしく思

えてくるということだ。特に日航123便墜落事件後に入社した社

員が九割を超えるこの会社では、いつのまにか、嘘が真となりつつ

ある。

六〇(ろくまる)と社内でいう昭和60年(1985年)入社の社

員は、あと数年で定年退職のため、今や(あの日)を皮膚感覚で知

る人間はほんのわずかである。そのうちどんどん風化していくのは

目に見えている。

(136p)

   

今までに何度も書いてきましたが、

1985年は私の新任の年でした。

その年に起きた大事故について、

退職の年に真相を知ったことを運命的に思います。

(青山透子さんもこの種の偶然を運命的に考えます。共感)

上記の文章には続きがあります。

   

(あの日)をいつまでも忘れないという思いと風化防止を願って、

日航安全啓発センターは、2006年4月24日に設立された。

ここのパンフレットによれば、

「この事故で亡くなられた皆様の苦しみやご無念、残されたご遺族

の悲しみは計り知れないものがあります。私たちはこの事故の悲惨

さ、航空安全に対する社会的信頼の失墜を省みて、二度とこうした

事故を起こしてはならないと堅く心に誓いました」とある。

事故の概要として、

「ドンという音と共に飛行の継続に重大な影響を及ぼす異常事態が

発生しました。機体後部圧力隔壁が破損して、客室内与圧空気が機

体尾部に噴出し、APU(補助動力装置)及び機体後部を脱落させ、

垂直尾翼の相当部分を破壊し、それに伴い動翼を動かす油圧装置が

すべて不作動となってしまった。(中略)本事故の原因は、同機が

事故の7年前(1978年)、大阪空港着陸時に起こした尾部接触事故

の修理に際し、ボーイング社により行われた後部圧力隔壁の上下接

続作業の不具合にあり(中略)捜索、救助活動は事故後ただちに開

始されたが、人里離れた山中でもあり、墜落場所の確定も遅れ救難

隊の現場到着は翌朝となった」

という内容を、読みにくいほど薄い白色の文字で記している。

さて、今まで得た情報と知識を踏まえてこの文章を読めば、誰でも

日航安全啓発センターの本当の役割が見えてくるだろう。

(136~137p) 

   

青山透子さんと小田周二さんの本を読んだ後だと、

日航安全啓発センターがしようとしていることは

「騙し」です。

真犯人を隠すためにやっていると思います。 

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