テレビで勉強「比企能員の乱」
今日は12月9日。
昨日は腰痛のため多くの時間、横になっていました。
しかし今朝になっても治らず・・・どころかさらに痛い。
靴下を履くのも難儀でした。
本当は9時からサークルに行く予定でしたが、不参加を伝えました。
明日は出勤なので、安静にしていようと思います。
昨日横になりながら見た番組について書いてみます。
2012年9月10日放映「BS歴史館 鎌倉ミステリー 北条一族の陰謀 史上最強のナンバー2」
番組を見て新しく知ったことを書きます。
大河ドラマ「平清盛」で、源頼朝が挙兵したところが放映されましたが、
頼朝挙兵に大きく関わった北条氏の話でした。
鎌倉幕府が始まっても、北条氏が揺るぎない有力一族だったわけではなく、
北条氏はどうなるかわからない存在だったようです。
弱さを自覚した北条氏は、陰謀などによって他の有力一族を一つ一つ潰していきます。
中心は北条時政でした。
「北条氏が滅ぼしたライバル」として上の画面のような武将が挙げられています。
梶原景時といえば、石橋山の戦いで、源頼朝や北条時政が潜んでいたのを救った武将。
それなのにやられてしまうのですね。
大河ドラマ「義経」(義経役は滝沢秀明)で、中尾彬さんが演じた梶原景時が印象に残っています)
畠山重忠は武勇の誉れ高く、その清廉潔白な人柄で「坂東武士の鑑」と称された人。
怪力の人で、一の谷の戦いで義経に従い、
鵯越の逆落としでは、馬を損ねてはいけないと馬を担いで下りたという逸話のある人。
それなのに、それだからこそやられてしまったのでしょう。
番組では特に比企能員(ひきよしかず)について詳しく扱っていました。
比企一族が有力になったのは、
2代将軍頼家に比企能員の娘が嫁いだためです。
こんなルールがあるそうです↓
外戚とは、母方の親族のこと。
頼家の子が将軍になれば、比企一族が北条氏にとって変わる可能性がありました。
娘が頼朝に嫁いだおかげで有力になった北条一族。
外戚から離れたら、また普通の一族に戻ってしまう、そんな弱い一族でした。
そこで北条時政は、頼家の力を奪い、実質弟の実朝が政治を行う体制にしてしまいます。
さらに謀反の疑いがあるとして比企一族を滅ぼします。頼家は暗殺されてしまいます。
時政は、孫である頼家を殺してしまったのです。
逆に比企能員も北条時政排除をくわだてていましたが、時政に敗れました。
鎌倉時代初期の危ない北条氏の立場がよくわかった話でした。(つづく)
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