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2019年9月

2019年9月20日 (金)

「がんになって良かった」その4/努力してきたから言える言葉

 

今日は令和元年9月20日。

  

前投稿に引き続き、9月16日に放映された

ひとモノガタリ ”がんになって良かった”と

言いたい ~京大生のSNS闘病記~」の

読み物化をしていきます。

  

〇山口雄也さんのブログを読んだのをきっかけに、

 山口さんから勇気をもらった人がいた。

 椎名健さん。22歳。

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〇昨年、白血病を診断され、大学院を休学。

 治療の副作用で苦しみ、指1本も動かせない時もあった。

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〇そんな時に目にした「がんになって良かった」

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 椎名さんの語り。

椎名:がんになって良かったと思ったことは、

  本当になかったです。

  また楽しい生活が戻ってくるから、

  今は辛抱だっていう、そのことしか思ってなくて。

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ここに、山口さんの「未来のために生きるのではなく、

今を生きる」の意味を解く言葉があると思いました。

「未来のために生きる」というのは、

「明るい未来を信じて今は辛抱する」ということなのでしょう。

でもそれだと、今の生活が充実しない。

今やりたいことに取り組むことで、今は充実する。

「今を生きる」はそういうことだと思いました。

椎名さんの言葉がきっかけで、理解が進みました。

 

  

〇なぜ山口さんが「がんになって良かった」と書いたのか、

 椎名さんは、山口さんのブログを読みあさります。

 そして、大学院入試のために勉強をしていることなどを

 知ります。椎名さんの言葉です。

椎名:がんになって良かったという言葉は、

  彼が努力してきたから言えるんだなと思って。

  この日々を無為にしてしまったら、もったいないというか、 

  できることをやっていって、最終的にはがんになったことが、

  自分の人生にとってプラスだったって言えるような

  闘病生活をにしたいなと思うようになってきました。

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〇椎名さんはブログにも次のように書きました。

椎名:僕も彼のように、今を大切に生きたい。

  「がんになってよかった」と言える日を信じて。

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椎名さんが言うように、山口さんはきっと大学院入試の勉強だけでなく、

日々努力してきたひとなのでしょう。

1日1日を大事にしてきた人だから「癌になって良かった」と

書いたと思います。

椎名さんのおかげで、ここでも理解が進みました。

  

  

〇椎名さんのことを知って、山口さんがこう言っています。

山口:自分の書いたものが、誰かの力、支えになっているっていう、

  それだけですごくうれしいことですし、

  僕も逆に応援されているというか

  支え合えているというか。

  そういう時に、1人じゃないなって思います。

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〇さらに山口さんはこんな話もしました。

山口:失うものがある中で、やっぱり得るものは多くて、

  こういう経験をしなければ、

  一生知らなかったであろう人々、世界に触れることが

  できたので、それはすごいギフトなんだろうなって

  思っています。 

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若者たちのやり取りが勉強になります。

この番組で、応援し共感しあうことで、

一方的ではなく、支え合っていることが

幾度となく感じることができました。

  

つづく

 

 

  

「がんになって良かった」その3/SNSでつながった知らないだれかに励まされて移植手術を受ける

  

今日は令和元年9月20日。

  

前投稿に引き続き、9月16日に放映された

ひとモノガタリ ”がんになって良かった”と

言いたい ~京大生のSNS闘病記~」の

読み物化をしていきます。

  

〇4月から始めた山口雄也さんの取材。

 5月下旬に山口さんは深刻な事態となる。

 白血病のためにすでに昨年骨髄移植を行っているが、

 白血病の再発の可能性が出てきたのである。

 再発したら、治すすべはない。

 山口さん、父親、母親が主治医から説明を受ける。

 再発を防ぐ唯一の治療法「造血幹細胞移植」を行うかどうか。

 これは「ハプロ移植」?であり、副作用が長期にわたるものである。

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〇説明を受けた翌日、山口さんは同意書にサインをする。

 ブログに次のように記した。

山口:移植を選択しなければ、来夏には死んでいるのだ、きっと。

  しかし、移植を選択したとしても、生き延びる保証は

  どこにもない。

  それでも僕は「がんになって良かった」と

  言い続けられるのだろうか。

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〇不安にかられる山口さん。どのような副作用にみまわれるのか。

 副作用として死につながる可能性もあるのだ。

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〇山口さんのSNSに大きな変化が起こる。

 多くの人からの応援のメッセージであふれたのである。

 きっかけは、池江璃花子選手のSNSに

 山口さんが送ったメッセージ。☟

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〇移植に臨む不安を少しでもだれかと共有したい一心の

 メッセージであった。

  

〇この山口さんのメッセージを見た人たちから、

 山口さんのもとにたくさんの応援のツィートが来た。

 手術当日の朝までツィートは続いた。

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山口:ぜんぜん想像してなかったです・

  どこにいるか 男か女か 

  何歳なのか分からないですけど、

  言葉一つで、心がスッて

  感情が変えられるもの

  それが各方面から飛んでくるわけですよ。

  すごいいいなと思って。

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〇SNSでつながった知らないだれかに励まされて、

 山口さんは移植手術を受けた。山口さんはブログにこう記した。☟

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〇山口さんは大学院入学試験に向けた勉強をスタートさせる。

 試験のために外出できるかどうかもわからないけど、

 あきらめていなかった。ブログにこう記した。

山口:未来のために生きるのではなく、今を生きる。

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やはりここに、応援と共感の言葉に素直に喜ぶ山口さんがいます。

青田さんもそうでした。

若者の素直な反応がいいなと思います。

年取ると、きっといろいろなしがらみがあって、

素直じゃなくなる可能性あり。

応援されたって・・・・共感してもらっても・・・・・なんて、

ひねくれるかも。

この番組を見て、応援と共感の言葉は大事なんだ。

その言葉は相手を支え、そして自分も支え、支え合うことができると

思うようになりました。

 

  

山口さんの言葉。

「がんになって良かった」

「未来のために生きるのではなく、今を生きる」

この言葉をよく理解している人が、次に番組に登場しました。

次の記事で書きます。

 

つづく

「がんになって良かった」その2/前向きにとらえようとして出た言葉

  

今日は令和元年9月20日。

  

前投稿に引き続き、9月16日に放映された

ひとモノガタリ ”がんになって良かった”と

言いたい ~京大生のSNS闘病記~」の

読み物化をしていきます。

  

〇山口さんは次のように思った。

山口:がんになってしまった以上、

  がんでない自分はもう存在しない。

  だから僕はがんになってしまった以上は

  がんである自分を肯定して、

  がんっていうものも肯定して生きている。

  生き延びることができるのであれば、

  病になるのは必ずしも悪いことだけじゃない。

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〇がんになったことを前向きにとらえようとして、

 思わず出てきたのが、「癌になって良かった」であった。

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〇この発信に対して、さまざまな意見が届いた。

 その中でチヨちゃんから「がんになって良かったなんて、

 間違っても押しつけないでほしい」という声が届く。

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〇取材陣は、チヨちゃんこと青田チヨ子さんのもとに向かう。

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〇青田さんは、2018年に白血病を診断される。

 「押し付けないで」は、入退院を繰り返す中で出てきた言葉。

 青田さんは次のように言う。

青田:がんになって出会えた人もたくさんいますし、

  みなさんに優しい気持ちをいただいたのはあるんですけれど、

  失うものが私はあまりに多かったので、

  がんになって良かったとは私は言えない。

〇青田さんは、勤めていた会社をやめ、友人と出かける機会も

 めっきり減った。最もつらかったのは医者から「妊娠は難しい」

 と言われたこと。

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〇青田さんは、SNSでマンガを発信している。

 「ある日、ガン患者になりました」

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〇フツーでいいのにそれができないことを残念がる青田さん。

〇自分のために書き始めたマンガであったが、励ましの言葉が

 次々に届くようになる。

 青田さんは今、その声が聞きたくてマンガを描き続けていると言う。

青田:「大丈夫だった?」「お疲れ」とか言ってもらったり、

 「痛いよね」とかあるだけで気持ちが楽になります。

 辛い思いを励ましてほしいという気持ちもありますし、

 みんなに伝えたい気持ちがあります。

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〇青田さんにとって、SNSは一方的な発信ではなく、

 病気と闘う勇気をもらう場へと変わっていました。

   

 

「かわいそう」と思われることに対しては、小林麻央さんも、

山口雄也さんも、そう思われたくないと思っています。

肯定的に生きたいという思いから「がんになって良かった」が

出たことはよくわかりました。

実はこの言葉について、他の角度から分析した人がいました。

それも納得です。あとで書きます。

  

青田さんに限らずですが、応援の言葉、共感の言葉に対しては、

すごく素直に喜んでいます。

傍から、どう声掛けしていいのか迷いますが、

彼らの素直な喜びを見ると、こちらも素直に応援したり、

共感していいんだと思いました。

後で、山口さんの発言の中にもありますが、

応援の言葉、共感の言葉を伝え合うことが、

支え合うことになっていくのだと思います。

応援の言葉、共感の言葉は、巡り巡って自分に戻ってくるのです。

そんなことも実感できた番組でした。

  

つづく

 

                                                                      

  

「がんになって良かった」その1/小林麻央さんの言葉に励まされて発信

今日は令和元年9月20日。

 

ほぼ毎日テレビ番組を録画していて、

片っ端から見たいと思いつつも、

いいテレビ番組に出合うと、見っぱなしにしておきたくない、

書き留めておきたいと思います。

また、テレビ番組の読み物化をします。

読み物化する時に、聞き書きしたり、

テレビ画面を写真に撮ったりして、

テレビ番組を2~3回見直すことで、再発見もあります。

それもうれしいことです。

  

9月16日放映の「ひとモノガタリ ”がんになって良かった”と

言いたい ~京大生のSNS闘病記~

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〇今年の1月、「がんになって良かった」とい発信した京大生が

 が話題になった。☟

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〇なぜこの言葉を発信したのか、本当なら隠しておきたい病気のことを

 不特定多数の人たちになぜ発信するのか知りたくて、

 取材を申し込んだ。

〇「癌になって良かった」と発信したのは、

 京都大学4年生山口雄也君(21)

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〇運動神経の良かった山口君は、人気者であった。

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〇京都大学に現役で合格。公務員の父親の影響を受けて、将来は

 都市計画の仕事に就きたいと考えていた。

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〇2016年、胚細胞腫瘍と診断される。数十万人に一人が患う病。

 珍しいがんであった。

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〇2017年に切除手術。山口さんの胸には大きな手術跡が残る。

 ところが、2018年に今度は白血病を診断される。

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〇1回目のがんよりも、2回目のがんの方が辛かったと山口さん。

 心が折れ、こんな苦しい思いをするなら、生き続ける必要が

 ないのではないかと思った。

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〇そんな山口さんが、自分の病気のことをブログやSNSで

 発信しはじめた。

 そのきっかけは、小林麻央さんの言葉だった。 

 その言葉を聞き書き。

小林:「若く、こどももいるのにかわいそう」と思われたくない。

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小林:私の人生は

  愛する人に出会い。

  2人の宝物を授かり、

  家族に愛され、愛した

  色どり豊かな人生です。

  だから与えられた時間を

  病気の色だけに支配されることはやめました。

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〇小林麻央さんの言葉に励まされて、山口さんはブログを始めた。

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〇闘病生活を、ユーモアをまじえて発信し始めた。

 

 

実際に、このブログに行ってみよう。

或る闘病記

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山口雄也さん twitter

 

つづく

   

 

2019年9月19日 (木)

「週刊ザテレビジョン」が20冊もありました!/お薦め番組3つ

今日は令和元年9月19日。

  

昨日は水曜日。

「週刊ザテレビジョン」の発売日でした。

今回は、少し遠い本屋まで行ってみました。

そしたら、ビックリの冊数の「週刊ザテレビジョン」が

店頭にありました。20冊! 数えちゃいました。

 

お薦め番組はいくつかあります。

 

9月22日(日)午後8時~

大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~36 

前畑がんばれ」

 

「前畑がんばれ」の河西アナウンサー実況が有名な、

1936年8月11日ベルリンオリンピック、

前畑秀子選手の200m平泳ぎ、

金メダルのシーンがよみがえります。

それだけでなく、1940年開催が決定している

オリンピック東京大会の危機が描かれます。

1937年7月に北京郊外の盧溝橋で、

日本軍と中国軍の衝突が起き、

後に言う日中戦争が始まってしまいます。

オリンピックに戦争が暗い影を落とします。

今なら、次のサイトで、見ごたえある

予告映像(2分)を見ることができます。

大河ドラマHP

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ドラマを見ることで、歴史の復習ができます。

  

  

 

9月26日(木)午後1時~

映画「ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場」(1986年)

  

クリント・イーストウッド監督・主演の映画です。

1983年に起こったアメリカ軍の「グレナダ侵攻」という

出来事を学ぶきっかけになる映画だと思っています。

  

   

  

9月26日(木)午後10時~

カンブリア宮殿「学校の当たり前を改革!

麹町中学校校長 工藤勇一」

 

「週刊ザテレビジョン 2019 No.39」

(KADOKAWA)の写真 ☟

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工藤校長先生の本を読み、以前記事にしたことがありました。

ここでも道草 「学校の『当たり前』をやめた。」その1/教師は今も時代の最先端でありたい(2019年2月10日投稿)・・・・その6まであります。

実際に話をする工藤校長先生を見てみたいです。

2019年9月16日 (月)

通算6500本目の投稿/9月30日までの「かき氷街道」

  

今日は令和元年9月16日。

  

宣伝に加担します。

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いいアイデアだと思いました。

「街道」がつくネーミングが私にはとても魅力的でした。

街道を自動車で走っていて、

かき氷のシロップの香りを感じました。

(あくまでも個人の感想です)

今日、この企画を知りました。(今頃?)

「いづみ」で食べてきました。

9月30日までに、もう1回この街道を走り、

かき氷を食べてきたいです。

  

皆さんもいかがですか?

今晩「しめじとホタテの炒めもの」はどうですか?

 

今日は令和元年9月16日。

  

今日、奥さんと一緒にスーパーへ。

ホタテを見た時に、

8月20日放映の「教えてもらう前と後」のことを

思い出しました。

  

このような内容でした。しめじの話の中にホタテが出てきました。

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☝ しめじには快眠をサポートするオルニチンという栄養素が

 含まれているそうです。その量はしじみの5倍だそうです。☟

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ここで2択クイズ。☟

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どちらが効果的な調理方法でしょう?

  

  

  

 

 

正解はBの「しめじとホタテの炒めもの」でした。

ホタテにも快眠にいい栄養素があるそうです。

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きのこの栄養は水に溶けやすいのだそうです。

鍋にした場合、スープまで飲まないと栄養を

十分にとったとは言えないそうです。

  

 

 

 

今晩のおかずの一つは、さっそく「しめじとホタテの炒めもの」となりました。

 

 

 

ヤクルトスワローズの「スワローズ」の”いわれ”

今日は令和元年9月16日。

  

7月18日放映の「ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!

鉄道編」を見たら 、プロ野球のヤクルトスワローズがなぜ

「スワローズ」なのかが、意図せずにわかってしまいました。

  

そこに関係するところを読み物化したいです。

 

〇日本では、列車に愛称がついていることが多い。

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〇列車に愛称がつくようになったのは昭和の初めのこと。

〇昭和4年に、日本は世界恐慌のあおりを受けて大不況。

 鉄道業も経営不振となる。

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〇鉄道関係者はその対策を考え、列車に愛称をつけることになる。

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〇さっそく愛称募集を実施。新橋~下関間を走る特急列車の愛称。

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〇結果は、①富士 ②燕 ③櫻

 特急列車の愛称は「富士」「櫻」となり、「燕(つばめ)」は

 昭和5年に開通した当時最高速度を誇った列車の愛称をなった。

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〇「つばめ」は大人気となり、「つばめ」を見たいがために、

 ホームにも人があふれた。

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〇雑誌のグラビアページにも「つばめ」が載るようになった。

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〇列車に愛称をつけるアイデアは、うまくいき、

 鉄道の人気は高まった。

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〇「つばめ」は戦争で廃止となる。戦後になって復活する。

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〇「つばめ」で働く女性は「つばめガール」と呼ばれた。

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〇「つばめ」人気は再び高まった。

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〇ヤクルトスワローズの前身、国鉄スワローズが創立したのは、

 昭和25年。「つばめ」の復活と同じ。

 列車の愛称として親しまれてきた「つばめ」を表す

 「スワローズ」がチーム名につく。

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〇列車に愛称をつけることは今も継続して行われている。

 

  

以上です。

来年、スワローズは球団創立70年。

スワローズのいわれは覚えておきたいです。

2019年9月15日 (日)

「石狩川」読破/春の初めの石狩平野

今日は令和元年9月15日。

  

 

石狩平野」(船山馨著/河出書房)に引き続き、

同じ北海道の開拓の物語である

石狩川」(本庄陸男著/新日本出版社)を読破しました。

二冊とも400pを超える本。

職を休んだことで、このような贅沢をさせてもらっています。

仕事をしている時には、本の読破をあきらめていました。

いいなと思う本でも、拾い読みでした。

読みたい本があり、見たいテレビ番組がありました。

仕事をしている時は、本よりもテレビ番組を取りました。

 

教師としては、もっと社会科教師としては、

今回の様に本をしっかりと読み、

北海道の開拓のことを勉強してから教えたなら、

深みが違ってきたと思います。

職を休んだりとか、退職してから勉強するのではなく、

仕事をしていても勉強できるような職業になってほしいと

こうなってみて思います。

  

  

「石狩川」から引用します。

こういう文章を読むと、本ならでは、テレビ番組では

味わえない表現だと思いました。

  

昔の石狩平野の春の初めの情景です。

  

春はうす緑の海から南の風を送って来た。

そして、日ごとにまぶしくなる太陽が原野の雪をおしつけた、

その明るい光りはしんしんと音立てながら降っている。

すると、あれほど積もっていた雪、

光りの重さに耐えきれないのだ。

少しずつ薄くなり、しかし、それだけまた密目も詰めて来た。

地上の凹凸が雪の表面にうかがわれた。

なお照りつける陽光に、ついに敗れて、じゅン、と、悲鳴をあげた。

白い雪の結晶が突然水に変った。

それは、その下にある雪にぷすッと浸みこんだ。

誘われてそのあたりが透明に溶けた。

上からは絶え間なしに陽が降っていた。

原野の雪は湿っぽくなり、どこからか生気のない

どんよりした色になって来た。

  

だが、夜になるや否や、どっと寒気が戻って来た。

晴れた星の夜は、殊にきびしかった。

ちかちかと青びかりしている酷(むご)いような冷たさであった。

濡れていた曠野(こうや)の雪はあわてて凍結した。

かちかちに固く凍えた。

深夜にはぴンぴンひび割れた。

雪の原野は巨大な一枚の氷盤に化していた。

 

その早朝、彼らは氷盤となった固雪(かたゆき)の上に立っていた。

(423~424p)

  

雪山での体験もベースに、この文章を読むと

想像力が働くことがよくわかります。

それが楽しいんだよなあ。

本ならではの表現なのかなと思いました。  

 

「あとがき」より引用。

 

一先(ひとま)ず作者はこれを『石狩川』の初編として上梓し、

つづいて、これら移住士族のその後の過程を書き進める予定である。

(431p)

  

著者の本庄陸男は、「石狩川」を1939年5月に

単行本として刊行しました。

しかし、2カ月後の7月23日に肺結核のため

34歳の若さで亡くなっています。

「石狩川」はまだまだ二部、三部と書き続ける構想が

あったそうですが、叶わなかったのです。 

  

作中のお殿様、伊達邦夷のモデルは、伊達邦直

主人公の家老の阿賀妻謙のモデルは、吾妻謙。 

以前、記事に書いた伊達邦成は、邦直の実弟。

ここでも道草 北海道開拓と「てんさい」(2019年8月20日投稿)

兄弟で開拓を頑張ったということがわかりました。

武士だった人々が、北海道に移住し、

廃藩置県、西南戦争などの歴史の波を乗り越えて、

いかに開拓をしていったのか。

この本を読んで、ますます北海道開拓に興味をもちました。

  

巻末の解説で、津上忠さんが次のように書いていました。

  

それにしても、同じ北海道という風土のせいだろうか、

最近の「海霧のある原野」(窪田精)の原点が、

わたしにはこの「石狩川」にあるような気がしてならない。

1978年7月29日

   

こんなことを書かれると、

「海霧のある原野」が読みたくなりました。

20190911報告 鳳来寺山

  

今日は令和元年9月15日。

  

鳳来寺山の登ってきました。

鳳来寺山を甘く見てました。

その1 辛かった!こんなにしんどい山だったけ。

その2 こんなに景色のいい山だったんだ。

  

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☝ 駐車場から鳳来寺山。最も高いところの少し奥が頂上。

 

登山口までの道 ☟ 硯屋さんが暖簾をかけていました。 

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いよいよ登山口 ☟

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☝ この石段は見とれる景色でした。

鳳来寺山は、この石段が続きます。

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☟ しめ縄がしてあるのが傘スギ。

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景色を楽しめたのは、ここぐらいまででした。

この日はだんだん蒸し暑くなり、

汗だくになって登りました。

こんな日に山に登るなんてとんでもないと、

世間の人は思うだろうなあという日になってきました。

 

もう止めようかと何度も思いつつ、

石段をどっこいしょ、どっこいしょと登りました。

得意の登り方、100歩数えて顔をあげて小休憩の

くり返しをしました。

 

☟ ちょっとホッとした場所。平です。 

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でもまだ登ります。☟

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☝ 1316段とあります。

1425段で、鳳来寺本堂にたどり着きました。☟

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まだここは頂上ではありません。

もうここで登るのを止めようと、本気で思いました。

  

でも、大休止しているうちに、何も焦って帰る必要もないのだから、

ゆっくり登ろうと決めて、動き始めました。

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☟ 尾根道にたどり着いてほっと1枚。☟

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☟ 手前に登山道。向こうに岩場。見ごたえのある景色。

ここまで登ってきたから見ることができた景色。

やぱっり登って来てよかったと思いました。

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あともう一息。

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☟ 奥の院

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☟ 奥の院の近くから、下を見下ろせる場所があります。

ここで、駐車場にある自分の自動車を確認するのを

以前にもやったなと思い出しました。

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☝ 黄色矢印が私の自動車。あそこからここまで歩いてきました。

 

そしていよいよ頂上へ。

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標高684m。2時間かかりました。

ヘトヘトでした。

ここでパラパラと雨が降り始めました。

パラパラですんだので良かったのですが、

湿度はまた上がった感じでした。

滝のような汗という表現がありますが、

下山の時、その表現を思い出しながら汗をかいてました。

身体全体で汗をかいていました。

ベンチで休めば、ベンチにお尻の跡が残りました。

ベンチの写真も撮りましたが、

そんな写真なんて見たくないですよね。

 

石が積んであるところがあり、シルエットがよかったです。☟

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普通に撮ったら、こうです。☟

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岩場もよかったけど、瓦が気になりました。☟

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☟ 葵の御紋。さすが徳川家ゆかりの場所です。

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☟ 波の模様の瓦。何か理由がある模様なんですよね、きっと。

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9月に入ってこれで2回目の登山。

予想より辛い登山でしたが、

あきらめずに頂上まで行けてよかったです。

終わってしまえば、いい汗をかいたと思います。

涼しくなったら、また鳳来寺山に来たいです。

 

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