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2019年9月15日 (日)

「石狩川」読破/春の初めの石狩平野

今日は令和元年9月15日。

  

 

石狩平野」(船山馨著/河出書房)に引き続き、

同じ北海道の開拓の物語である

石狩川」(本庄陸男著/新日本出版社)を読破しました。

二冊とも400pを超える本。

職を休んだことで、このような贅沢をさせてもらっています。

仕事をしている時には、本の読破をあきらめていました。

いいなと思う本でも、拾い読みでした。

読みたい本があり、見たいテレビ番組がありました。

仕事をしている時は、本よりもテレビ番組を取りました。

 

教師としては、もっと社会科教師としては、

今回の様に本をしっかりと読み、

北海道の開拓のことを勉強してから教えたなら、

深みが違ってきたと思います。

職を休んだりとか、退職してから勉強するのではなく、

仕事をしていても勉強できるような職業になってほしいと

こうなってみて思います。

  

  

「石狩川」から引用します。

こういう文章を読むと、本ならでは、テレビ番組では

味わえない表現だと思いました。

  

昔の石狩平野の春の初めの情景です。

  

春はうす緑の海から南の風を送って来た。

そして、日ごとにまぶしくなる太陽が原野の雪をおしつけた、

その明るい光りはしんしんと音立てながら降っている。

すると、あれほど積もっていた雪、

光りの重さに耐えきれないのだ。

少しずつ薄くなり、しかし、それだけまた密目も詰めて来た。

地上の凹凸が雪の表面にうかがわれた。

なお照りつける陽光に、ついに敗れて、じゅン、と、悲鳴をあげた。

白い雪の結晶が突然水に変った。

それは、その下にある雪にぷすッと浸みこんだ。

誘われてそのあたりが透明に溶けた。

上からは絶え間なしに陽が降っていた。

原野の雪は湿っぽくなり、どこからか生気のない

どんよりした色になって来た。

  

だが、夜になるや否や、どっと寒気が戻って来た。

晴れた星の夜は、殊にきびしかった。

ちかちかと青びかりしている酷(むご)いような冷たさであった。

濡れていた曠野(こうや)の雪はあわてて凍結した。

かちかちに固く凍えた。

深夜にはぴンぴンひび割れた。

雪の原野は巨大な一枚の氷盤に化していた。

 

その早朝、彼らは氷盤となった固雪(かたゆき)の上に立っていた。

(423~424p)

  

雪山での体験もベースに、この文章を読むと

想像力が働くことがよくわかります。

それが楽しいんだよなあ。

本ならではの表現なのかなと思いました。  

 

「あとがき」より引用。

 

一先(ひとま)ず作者はこれを『石狩川』の初編として上梓し、

つづいて、これら移住士族のその後の過程を書き進める予定である。

(431p)

  

著者の本庄陸男は、「石狩川」を1939年5月に

単行本として刊行しました。

しかし、2カ月後の7月23日に肺結核のため

34歳の若さで亡くなっています。

「石狩川」はまだまだ二部、三部と書き続ける構想が

あったそうですが、叶わなかったのです。 

  

作中のお殿様、伊達邦夷のモデルは、伊達邦直

主人公の家老の阿賀妻謙のモデルは、吾妻謙。 

以前、記事に書いた伊達邦成は、邦直の実弟。

ここでも道草 北海道開拓と「てんさい」(2019年8月20日投稿)

兄弟で開拓を頑張ったということがわかりました。

武士だった人々が、北海道に移住し、

廃藩置県、西南戦争などの歴史の波を乗り越えて、

いかに開拓をしていったのか。

この本を読んで、ますます北海道開拓に興味をもちました。

  

巻末の解説で、津上忠さんが次のように書いていました。

  

それにしても、同じ北海道という風土のせいだろうか、

最近の「海霧のある原野」(窪田精)の原点が、

わたしにはこの「石狩川」にあるような気がしてならない。

1978年7月29日

   

こんなことを書かれると、

「海霧のある原野」が読みたくなりました。

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