北海道開拓と「てんさい」
今日は令和元年8月20日。
前投稿に続いて、2015年1月29日放映の
「英雄たちの選択もうひとつの明治維新
~敗者 伊達家北海道開拓の苦闘」より。
前投稿に書いた通り、「てんさい」のことを中心に
読み物化をして
今回の英雄は伊達邦成(くにしげ)。
☟ 若い頃。
幕末に戊辰戦争が起きたとき、
邦成は仙台藩亘理(わたり)伊達家の
15代当主であり家臣団1300人と
その家族を抱えていました。
邦成は、北海道の開拓を決断し、新政府に請願。
新政府から支配を命じられた場所は、
「胆振(いぶり)国有珠郡(現 北海道伊達市)」でした。
明治2年のことです。
新政府は同じ年、北海道を分割して、諸藩や士族に
統治を命じています。
邦成は新技術を積極的に導入しました。
ここから聞き書きです。
ナレーター:伊達市には、邦成たちの新たな挑戦を物語る
ものが保存されている。
当時、実際に使用された西洋式の農機具である。
☝ 「カルチベータ」とありました。
意味を調べたら、「耕運機」でした。
ナレーター:邦成たちは、開拓使を通して、最新の農機具を調達し、
抜本的な農業改革に取り組んだ。
特に普及が進んだのが、馬を使い、人力の4倍の効率で
畑を耕すことができたプラウ。
☝ 「プラウ」については、mimi_hokkaidoさんは
次のように書いていました。
「種まきや苗植え付けに備えて最初に土壌を耕起する鉄製農具」
ナレーター:有珠郡のプラウ保有台数は、他の地域を圧倒し、
北海道の農業改革に大きな影響を与えていった。
新技術の導入によって、有珠郡の特産物となったのは、
砂糖の原料となるテンサイだった。
当時、砂糖は多くを海外からの輸入に依存しており、
国内での生産が求められていた。
政府は有珠郡に、日本初となる官営の製糖所を設立。
邦成たちは、国力増強に大きな役割を果たしたのである。
以上です。
中学校の社会科のテストで、「北海道でとれる作物で、
砂糖の原料になるものは?」と問われたら、
「テンサイ」で〇。うっかりサトウキビと書いたら✖。
それだけで終わってしまうこと多し。
教えることがたくさんだからです。
テンサイが実際にどのような作物であるのか?
テンサイの砂糖と、サトウキビの砂糖では違いがあるのか?
今回知ったことですが、伊達邦成ら開拓民が願いを込めて
つくり始めた作物であることなど、教えていません。
「テンサイ」にもこのような歴史があるのだと、
この番組で最も印象に残ったので、読み物化しました。
次は、「歴史秘話ヒストリア」を見ます。
砂糖の違いについては、このサイトが参考になりました。☟
コメント