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2018年8月

2018年8月24日 (金)

「8月15日のプレーボール」その6.芦屋中/ポール・ラッシュ中佐が贈った記念ボール

 

今日は8月24日。

  

前投稿に引き続き、

8月1日放映の「歴史秘話ヒストリア 8月15日のプレーボール

高校野球 戦火の中の青春」より。

 

浪華商業、松本市立中、和歌山中に引き続き、

次の学校はここ↓

Rimg0152_2  

兵庫県立芦屋高校と思われます。

(番組最後の資料提供のテロップより)

この高校については、次のサイトがいい。

あしかび会事務局だよりNHK「歴史秘話ヒストリア 8月15日のプレーボール」に芦高野球部創部の頃の写真が登場(8月1日) 

当時は芦屋中学校

この写真が使われることを、報じています。

番組だと左端の部員の顔が、

「歴史秘話ヒストリア」のマークで消えていて、

ちょっと悲しいです。

上記サイトによると、「翠球」(兵庫県立芦屋高等学校野球部五十年史)

56ページに掲載されている1946年(昭和21年)に撮影された写真だそうです。

左端の部員さんの顔を、この本で見てみたいですね。

機会があれば・・・・、でもそんな機会はないかな?

さらに、このサイトにリンクがあったのがここ↓

あしかび会事務局だより 「芦屋の奇跡」野球部全国大会初出場と記念ボール(昭和21年8月)

記念ボールとは?

引用します。

  

太平洋戦争終戦から1年後の1946年(昭和21年)8月15日、

甲子園球場が進駐軍に接収されていたため、

阪急西宮球場(現在の阪急西宮ガーデンズの場所にあった。)

で開催された戦後初の第28回全国中等学校優勝野球大会の

出場校(19校)の主将にGHQ(連合国軍総司令部)の

ポール・ラッシュ中佐から記念のボールが贈られた。

初出場の兵庫県代表芦屋中学の橋本修三主将に贈られたボールが、

このほど朝日新聞(2015年7月29日付夕刊・東京本社発行)に

掲載された次の写真のボールです。

(写真は省略) 

 

上記サイトに、1946年8月16日の朝日新聞の記事の

写真がありました。その記事の中に、

ポール・ラッシュ中佐から記念ボールが球児に

贈られる写真がありました。

部分だけ載せます。

Doc20160316174604_001_2  

このポール・ラッシュ中佐。

山梨県北杜市に「ポール・ラッシュ記念館」があります。

私は、今回初めて知った人ですが、

戦後の日本に影響を与えた人なのでしょうか?

またいつか調べてみたいです。

 

芦屋中のお話はここまでにして・・・・・

  

 

この同じ紙面に、成田中(千葉県)VS京都二中の試合のことが、

書かれていました。その部分だけ転載します。

Doc20160316174604_001_3  

記事の文章を一部引用します。

  

成田には第六回二死後両石原の二安打で

好機をつかむかと見えたが、

石原(照)の本塁滑り込みの失敗で

寸前に憤死したのは、(中略)惜しまれる。

  

「歴史秘話ヒストリア」では、まさにこの場面を

再現ドラマで紹介していました。

次の投稿で書きます。 

「8月15日のプレーボール」その5.松本市立中/和歌山中

 

今日は8月24日。

  

前投稿に引き続き、

8月1日放映の「歴史秘話ヒストリア 8月15日のプレーボール

高校野球 戦火の中の青春」より。

 

1945年の秋に、

1946年の8月に、全国中等学校優勝野球大会が

6年ぶりに行われるという知らせがありました。

その知らせを受けて、浪華商業野球部復活した話を前投稿で書きました。

番組のその続きを、聞き書きします。

 

 

ナレーター:この頃、全国各地でも野球チームが

  次々に活動を再開していました。

  白球を追うことで、失われた青春を取り戻そうとしたのです。

 

この場面で紹介されたチームの写真を3枚。

 

Rimg0150

長野の「MMM」

どこの高校だろう? 調べました。

長野県立松本美須々ケ丘高校のようです。

(番組最後の資料提供のテロップより)

1946年春創部。

 

なぜ、松本美須ケ丘高校なのに、Mが3つ?

「松本」のM、「美須々ケ丘」のMで2つなのでは?

この疑問が気になったので調べました。

この資料がよかった。

松本美須々ケ丘高校 野球部創部70周年記念号 2015年10月発行

そこに答えがありました。

  

当時、美須々ケ丘高校は、松本市立中学校という名前でした。

(松本市立中学校)Matsumoto Municipal Middle Schoolの

M3つなのだそうです。

スッキリしました。

この記念号は読みごたえのあるものでした。

番組中に出てきた写真の出所もわかりました。

Rimg0164  

この写真、印象に残っていました。

記念号に載っていました。

Photo_2  

全国中等学校優勝野球大会でのシーンでした。

写っていたのは、松本市立中学校(美須々ケ丘高校)でした。

日付までわかってしまった!

この記念号に感謝。

  

  

では2校目。

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和歌山県立桐蔭高校と思われます。 

(番組最後の資料提供のテロップより)

当時の校名は和歌山中学校

 

桐蔭高校と言うと、今年100回記念大会で優勝した

大坂桐蔭高校(1988年~)を思い出しますが、

和歌山県立桐蔭高校の方が先輩のようです。

Wikipediaによると「桐蔭」という名前は、

和歌山県立桐蔭高校初代会長の命名によるようです。

引用します。 

  

校名

1948年5月10日の開校に際し、

初代校長・松野三郎の命名によるもので、

有名な漢詩である「少年易老学難成 一寸光陰不可軽

未覚池塘春草夢 階前梧葉已秋声」(少年老い易く、学成り難し。

一寸の光陰軽んずべからず。未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢。

階前の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声。)から、

「桐のようにすくすくと真っすぐに育て」という願いと

「寸刻を惜しんで勉強をせよ」という意味が込められている。

 

「梧」は「青桐」のこと。

今まで「アオギリ」について書いたことがありました。

ここでも道草 一葉落ちて天下の秋を知る(2011年11月3日投稿)

ここでも道草 「アオギリ」も葉っぱがキリに似ている(2016年8月27日投稿)

 

この漢詩の意訳を別のサイトから引用。

関西吟詩文化協会 漢詩紹介

 

詩の意味

若者はアッという間に年をとってしまい、

学問はなかなか完成しにくい。

だから、少しの時間でも軽軽しく過ごしてはならない。

池の堤の若草の上でまどろんだ春の日の夢がまだ覚めないうちに、

階段の前の青桐(あおぎり)の葉には、もう秋風の音が聞かれるように、

月日は速やかに過ぎ去ってしまうものである。

 

鑑賞

今も昔も人生は短く学問の道は遠い

前半二句は今でも親や教師が口にしそうな

若者向きの学問のすすめです。

後半二句の具体的な比喩(ひゆ)が説得力をもっています。

若さをむさぼり楽しんでいるうちに秋風が吹いてきて

人生は終わりに近づくのですよと諭(さと)しています。

いわゆる勧学(かんがく)の詩として最も親しまれています。

  

 

脱線して、いい勉強ができました。 

3校目は、次の投稿で。

  

つづく。

    

「8月15日のプレーボール」その4.浪華商業野球部の復活

 

今日は8月24日。

  

前投稿に引き続き、

8月1日放映の「歴史秘話ヒストリア 8月15日のプレーボール

高校野球 戦火の中の青春」より。

  

戦争で中断していた高校野球大会。

その復活の知らせは、1945年秋に届きました。

 

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1946年の8月に、全国中等学校優勝野球大会が

6年ぶりに行われるという知らせです。

(終戦直後の知らせ。素早いです)

この知らせを聞いて、戦争で野球部が廃部になった学校で、

野球部が復活したり、野球部がなかった高校でも、

野球部が創設され始めました。

 

番組では、最初、浪華商業のことが紹介されていました。

※「浪華」を何と読むのだろうと思って、調べました。

 「なにわ」でした。

元野球部員が、他のメンバーを集める時の台詞です。

 

話聞いてくれ、後輩諸君。

バット振って、カーン当てて、ダー!走ったら、

ごっつ気持ちええと思わんか。

  

元野球部員の熱のこもった呼びかけで、

素人同然の学生までが集まったそうです。

全部で14人での再スタートだったそうです。

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当時の新入部員の手記には次のように綴られていたそうです。

 

何か体ごとぶつかるものが欲しい!

という思いに駆り立てられました。

「これだ!これなんだ!」

待ちに待ったものが

現れた思いがしました。

(三村脩さんの手記より)

  

敗戦直後のうちひしがれた学生にとって、

うれしい知らせだったようです。

ただ、野球部ができたけど、道具がない。

番組では、お母さんが嫁入り道具の琴を闇市で売って、

その闇市でグローブを手に入れて子どもに渡した話が紹介されました。

当時はグローブはなかなか手に入らない、そして高価なものでした。

当時貴重だった米一升と、野球ボール1個の値段が

一緒だったそうです。

  

浪華商業も同じです。

当時のメンバーだった人へのインタビュー記事を読みました。

戦争体験者インタビュー 島田雄三さん 山本英夫さん

Photo 左:島田さん  右:山本さん 

一部引用します。

  

(戦争で)淡路にあった浪商の校舎は消失。

戦後は東淡路小学校の校舎を間借りして、授業が再開した。

野球部は4年生(昭和20年)の後半ごろに再開。

同級生や後輩はみんな疎開先から戻ってきて、

部員は30名ほどだった。

都島の高倉にあった鐘紡のグランドを借りて練習をしたり、

プロ野球で活躍する先輩が練習道具をもってきてくれるなど

浪商OBの協力が大きかったそうだ。

最初は14人のスタートでしたが。

30名ほどになったのですね。

  

 

他の学校の野球部については、

次の投稿で。

 

 

2018年8月22日 (水)

「8月15日のプレーボール」その3.屋根裏に野球道具を隠したのは・・・

今日は8月22日。

  

前投稿に引き続き、

8月1日放映の「歴史秘話ヒストリア 8月15日のプレーボール

高校野球 戦火の中の青春」の聞き書きをしていきます。

 

再現ドラマ

阿部正:戦争が終わったら、その時は、みんなで野球部復活させよう。

  そして、今度こそ、後輩たちを甲子園に連れて行こう。

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映像

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ナレーター:1945年8月。終戦。

  平和を取り戻したとはいえ、野球部が再開する見込みは

  全く立っていませんでした。

  そんな時、生徒たちの前に、戦場から帰ってきた

  野球部のOBが姿を現します。

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再現ドラマ

OB:お前たち、ついてこい。

ナレーター:連れていかれたのは、校舎の屋根裏部屋でした。

現役:おおおお。

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ナレーター:実はここに野球道具を隠し人物こそが、阿部正でした。

  3年前、将校から野球を否定された日の夜のことです。

(ノックの音)

先生:どうぞ。

阿部:失礼します。

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先生:おお、正か。遅くにどうした?

阿部:先生、お願いがありまして。

  野球道具を燃やせと言われました。

  先生、道具、隠しませんか。

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先生:でも、お前。

阿部:ずっと大事に使ってきた道具が、燃やされるなんて、

  見ていられません。

  戦争が終われば、きっとまた野球ができる時代が来ます。

ナレーター:正が隠し場所に選んだのが、人がふだん出入りしない屋根裏。

  自分に何があっても、野球を復活させる手立てを講じ、

  夢を守り抜こうとしたのです。

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ナレーター:こうして、名門一関中野球部は、復活します。

  正に憧れ、野球部に入部した田村泰延さん。

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  同じ投手の道を歩んだ田村さんにとって、

  正は、唯一無二のヒーローだったと言えます。

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田村:命懸けていた。

  それだけ、野球に対して情熱がやっぱりあったじゃないですかね。

  ありがたいですね。こういう先輩をもったことがですね。

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ナレーター:伝説のエースピッチャー、阿部正。

  戦火によって、青春も命も奪われた正の思いは、

  今も東北の大地でしっかりと受け継がれています。

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「ぞれぞれの街にいた、沢村さん」の一人である、

安部正さんのことを書き留めることができました。

ちなみに、阿部正さんの母校の一関中は、

戦後1946年大会に復活した全国高校野球に出場しています。

田村さんも投げています。

  

  

この番組からまだ引用したものあり。

  

つづく

      

 

「8月15日のプレーボール」その2.それはまさに青天の霹靂でした

 

今日は8月22日。

  

前投稿に引き続き、

8月1日放映の「歴史秘話ヒストリア 8月15日のプレーボール

高校野球 戦火の中の青春」の聞き書きをしていきます。

  

ナレーター:そうした人気に陰りが見え始めたのが、

  1937年、日中戦争の頃でした。

  戦時体制が日増しに強化されるたびに、

  野球への風当たりが強くなっていったのです。

  1941年夏。新聞に掲載された野球への批判記事です。

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  野球は、体育的な効果が乏しい。

  しかも、莫大な費用がかかる。

  全体主義の立場から、最も排すべし。

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  野球は戦争の役に立たない、遊びだとして、

  厳しく糾弾されるようになったと言います。

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中村哲也教授:野球だったり、球技なんかは

  特にそうだったですけど、遊びが起源ですよね。

  直接役に立たなものはやめてしまえ。

  戦争の役に立つかどうか、戦争に利用できるかどうかの基準で

  物事が選別される。

ナレーター:日々強まる逆風の中でも、球児たちは猛練習を続けました。

  卒業を間近に控えた(阿部)正にとって、この年は最後の夏。

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  甲子園大会に出場することが、心の支えでした。

  大会直前、正たちは突然、校長室に呼び出されます。

  

再現ドラマ

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校長:みんな、練習、ご苦労。

選手たち:はい。

校長:明日からの大会だが、中止が決まった。

選手たち:え!?

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ナレーター:それはまさに、青天の霹靂でした。

  当時、内閣府が出した通達です。

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  この夏は、鉄道輸送がひっ迫するために、

  大会は一切延期にする。

  当時、鉄道輸送に強い影響力をもっていたのが、

  軍部でした。

  前線の拡大で、全国から兵士や物資を集める必要があったのです。

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  軍への協力が当たり前のこととされていた社会。

  正たちは、夢の舞台、甲子園への夢を諦めざるを得ませんでした。

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ナレーター:この年の12月。

  日本軍は真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲。

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  太平洋戦争が始まります。

  戦いが厳しさを増す中、戦火の影は、教育現場にも

  忍び寄ってきました。

  

再現ドラマ

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将校:(野球部員が練習しているグランド)

  おい、お前ら、今すぐ(野球の練習を)やめろ!

  まだ米国の野球をやっていたのか!

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ナレーター:怒鳴りこんできたのは、

  当時、学校に配属されていた陸軍の将校でした。

  将校の次の一言に、正たちは衝撃を受けます。

将校:道具があるから、いつまでも野球をやるんだよなあ。

  だったらいっそのこと、道具は・・・・燃やせ。

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ナレーター:野球部は廃部を命じられます。

  正たちは、野球を続けることすら、否定されてしまったのです。

  生き甲斐を奪われた正。

  1943年1月。そのもとに召集令状が届きます。

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  正は陸軍の歩兵連隊に配属され、戦場に向かうことになりました。

  出征前、正は野球部時代の仲間に、

  秘めた思いをうち明けました。

    

つづく

「8月15日のプレーボール」その1.東北一の投手阿部正

 今日は8月22日。

  

昨日は28年目の「秋味」発売日。

昼にコンビニに行った時には、

まだ発売していませんでした。

午後6時過ぎにスーパーに行ってみたら、

販売はしていましたが、冷えてない!

再びコンビニに行ったら、

冷蔵庫に「秋味」がありました。

愛知県の片隅で、発売予定日に

ちゃんと「秋味」があることを確認。

もちろん購入。

日本の物流、小売り業のすごさを思う。

私みたいな、発売日に飲みたいという願いを叶えてくれます。

昨日は、午後から部活動で練習試合。

バスケの審判を何回かやって、たくさんの汗をかいた後だけに、

気持ちよく飲めました。

  

  

それではテレビ番組の読み物化にしばらく挑戦します。

8月1日放映の「歴史秘話ヒストリア 8月15日のプレーボール

高校野球 戦火の中の青春」の聞き書きをしていきます。

昨日の投稿で書いたように、

「ぞれぞれの街にいた、沢村さん」の一人である、

安部正さんのお話です。

  

 

ナレーター:1945年、戦争が終わって間もない頃、

  岩手県の学校の屋根裏です。

  思いがけない発見がありました。

  そこにあったのは、大量の野球道具。

  戦時中、野球道具はすべて処分されたはずでした。

  だれが、何のために道具を隠したのか。

  戦争の時代に翻弄され、若くして命を奪われた

  伝説のエースの悲劇です。

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ナレーター:1941年、夏。

  岩手県一関中学校野球部です。

  (現在の一関第一高校)

  この高校に、東北一の名をほしいままにした球児がいました。

  エースピッチャーの阿部正。

  当時最終学年の5年生でした。

  決め球は剛速球のストレート。

  新聞の見出しになるほどの怪腕投手でした。

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  正のピッチングを実際に目撃した人がいます。

  田村泰延さん(86)。

  地元の子どもにとって、正はあこがれの存在だったと言います。

田村:試合をやれば、いつも勝っていました。

  そういうすごいピッチング。

  子どもたちが、5・6人ね、(阿部正に)ついて歩いているですよ。

  スターにくっついて歩くような姿でしたね。

 

再現ドラマ場面

阿部正:俺たちの代で、甲子園行くぞ!

チームメイト:オー!

 

ナレーター:キャプテンとしてチームを引っ張っていた正。

  目指していたのは、甲子園野球大会への出場でした。 

  

ナレーター:甲子園は、戦前から若者たちの青春の舞台。

  スタンドは、試合を一目見たいという超満員の野球ファンで 

  埋め尽くされました。

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  不運にも席を取れなかった人たちが陣取ったのは、

  スコアーボードの裏!

  トイレの屋根から、木の上まで。

  ありとあらゆる場所にファンが登り、試合を見ようとしたのです。

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  各地の公園に出現したのは、試合速報の掲示板。

  今でいうところのパブリックビューイングです。

  当時の人々が、どれだけ野球に夢中になっていたかがわかります。 

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この掲示板にはビックリ。

これを見て、当時の人たちは一喜一憂していたのですね。

人びとの顔がとてもいい。

でも、今の人たちでは物足りない情報だと思うだろうなあ。

  

  

つづく

     

2018年8月21日 (火)

それぞれの街に、それぞれの沢村さんがいた

今日は8月21日。

  

出勤前のもう1本。

 

8月9日放映の「英雄たちの選択」(NHKBSプレミアム)では、

何と、沢村栄治さんが扱われました。

  

選択は、職業野球から誘われた時に、

高校を中退して職業野球に行くか、

職業野球に行かず、高校を卒業して慶応大学に行くかでした。

沢村さんは職業野球を選びます。

その結果、戦争に3回も出征し、命を落とします。

職業野球を選択する際に、

「一生面倒を見る」といったジャイアンツ(巨人軍)の約束は

出るのかなと見ていましたが、出ませんでした。

※参考:ここでも道草 沢村栄治1.黒鉄ヒロシさんのコメント(2012年4月26日投稿)

 

ゲストの永井良和さんの発言が印象に残りました。

Rimg0157

聞き書きです。

  

永井:沢村さんというのは、いまやもう伝説で、

  賞にも名前を残していますけど、

  沢村さんが偉大な選手だっというだけでなく、

  そういう沢村さんのような境遇、

  そして運命に巻き込まれた若者たちが、

  当時たくさんいたということ、

  それぞれの街に、それぞれの沢村さんがいたということをですね、

  思い出してほしいなと思います。

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  特に夏の甲子園、大会ではですね、あのお、

  慰霊のためのサイレンが鳴らされて、その間、

  試合がストップするんですけど、

  野球を止める力がある、

  野球を止める何かがあるんだということをですね、

  その場に居合わせた人、放送を見ている人たちに、

  もう一回考え直してほしいなと思います。


YouTube: 2018.8/15終戦記念 黙祷

 

「ぞれぞれの街にいた、沢村さん」の一人が、

8月1日放映の「歴史秘話ヒストリア」で紹介されていました。

その記事は、今晩書くことにします。

 

「野球を止める力」とは何か。

1分間の黙祷を体験すると同時に、

1分間、やっていることを止める理由を、

毎回思い出したい。忘れちゃいけない。

永井さんの言葉は、ちょっと自分の中で

形式的になりかけていた黙祷を見直させてくれました。

  

  

さあ出勤。

「小忠実」の読み方/金足農業、秋田県勢で103年ぶりの決勝進出

 

今日は8月21日。

  

昨晩放映の「ネプリーグ」(東海テレビ)で、

また新しい漢字を覚えました。

「こまめに日記を書いている」の

「こまめ」です。

今まで、「こまめ」を漢字で書こうとしませんでしたが、

あえて書こうとしたなら、「細目」かな?

「細かい(こまかい)」と意味が似ていると判断して、

「細」を使いたくなります。

でもこれは違っていました。

  

正しいのは「小忠実

  

え~! 驚きです。

「あの人は”まめ”だなあ」と言うときの「まめ」も「忠実」と書きます。

 

「忠実」=「まめ」

ちょっと違う気がします。

無難に「小まめ」と書けばいいかなと思います。

漢字で書くならです。

今日も小まめにブログをうっていくぞ。

 

  

高校野球が面白い。

金足農業高校が快進撃。

今日は大阪桐蔭高校との決勝戦。

残念ながら、仕事で、生中継で見ることができません。

第100回大会にふさわしい盛り上がりでいいです。

ニュースで、金足農業高校の決勝進出は、

秋田県勢として103年ぶりのことだと報じられていました。

何と、第1回大会(1915年)の決勝で

秋田県の秋田中が京都二中と戦っています。

1-2で秋田中は負けて、京都二中が初代優勝校に輝いています。

100回大会で、103年ぶり。

このズレは、高校野球が戦時中に中止になったことが原因です。

1941~1945年の5回です。

(正確には1941年は予選の一部と、全国大会が中止。

この年の27回大会は、全国大会はなかったけど、カウント数には入っています)

  

10回ごとに、年数と優勝校を書いていきます。

 

〇第1回(1915年/大正4年) 京都二中

〇第10回(1924年/大正14年) 広島商

〇第20回(1934年/昭和9年) 呉港中

 

ここまでは、西暦の最後の数字が「4」の年です。

 

〇第30回(1948年/昭和23年) 小倉

〇第40回(1958年/昭和33年) 柳井

〇第50回(1968年/昭和43年) 興国

〇第60回(1978年/昭和53年) PL学園

〇第70回(1988年/昭和63年) 広島商業

〇第80回(1998年/平成10年) 横浜

 松坂投手を擁した横浜高校!

〇第90回(2008年/平成20年) 大阪桐蔭

〇第100回(2018年/平成30年) 大阪桐蔭VS.金足農業

  

西暦最後の数字が「8」の年がずっと続いています。

戦争で中止になることなく、

継続して行われている証拠がここにもあります。

これからも永遠に?末尾が「8」であってほしいです。    


最後に、8月18日に金足農業高校が、

対近江で見事に決めた2ランスクイズの写真を並べます。

8月19日放映の「サンデーモーニング」(CBCテレビ)の

写真です。

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別角度から・・・

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動画で・・・

印象的なシーンの写真。特に1枚目は素晴らしい!

よくぞ撮った!  興奮しちゃいます。

Photo

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↑近江の林優樹投手。

まだ2年生。

きっと来年も目にする投手。

この動画からも写真。

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Photo_4  

9回裏、フォアボールでノーアウト満塁のピンチを迎えたシーン。

キャッチャーの有馬諒選手。林投手との楽しいやり取り。

彼も2年生。

ちなみにファーストに投げた背番号15番の三塁手見市智哉選手も

2年生。

今年、こんな体験をした2年生。

来年の近江は注目です。

2018年8月20日 (月)

テレビは「その昔」も「今」も、すべての入口です!

今日は8月20日。

  

明日は「秋味」発売日。

Photo KIRIN HP

 

今晩はもう寝ようと思ったけど、

Yahoo!ニュースで気になった文章があったので、

ここに書き留めたくなりました。

その文章があったニュースはこれです↓

yahoo!ニュース テレビは特定の話題に集中しすぎていないか?データで示す「集中砲火傾向」

  

テレビ番組のニュースやワイドショーが、

2016年以降、特定のネタに多くの時間を割き、

掘り下げて放送している。

それはどの局もそうだし、時間帯も朝から晩まで

特定ネタで放送する傾向がある。

舛添要一さんに始まり、最近の山根明会長まで、

集中砲火的に攻撃することが多い。

 

そんな状況を示した後に、次のような文章がありました。

引用します。

いちばん良くないのは、「集中砲火」が当たり前になり、

個人を徹底的に攻撃する空気が蔓延してしまった。

舛添氏は確かに印象が悪かった。

日大アメフト部の内田元部長は良くない点があったのだろう。

だがあそこまで時間を費やして

「攻撃」するべき存在だっただろうか。

(中略)

私的処刑すれすれのことを、テレビが、

そしてそれを見る視聴者がやってしまっている気がする。  

 

多様性を放棄したテレビ

  

この傾向でもっとも打撃を受けているのは、

他ならぬテレビ局ではないかと私は思う。

テレビはその昔、すべての入口だった。

映画も科学も海外のことも、すべて最初にテレビで興味を持った。

だがいまテレビはそんな多様性を忘れ、

叩くべき対象を探していつもイライラしているだけの、

ささくれだった存在に陥っているのではないか。

日大アメフト部の話題を取り上げると視聴率が上がるのだから、

視聴者の要望に添っているのだ。

そんな反論も聞こえてきそうだ。

だが20%30%を取るならともかく、

7%を8%にするために誰かを攻撃する時、

もっと多くの人びとが辟易してそうだ。

1%視聴率が上がったことで、それよりずっと

多くの数字を失っているのかもしれない。

私もそのひとりだ。山根会長の顔が出てくるとチャンネルを変えている。

場合によってはテレビを消してしまう。

 

太字のところです!

もう一度、ここにコピーします。

 

テレビはその昔、すべての入口だった。

映画も科学も海外のことも、すべて最初にテレビで興味を持った。

  

違う!「その昔」ではないと思っています。

現在でも、テレビは「入口」なのです。

私が授業で示したいのは、このことです。

ワイドショーは、多様性を失ったかもしれませんが、

でも、それ以外の番組は、まだまだ多様性があると思います。

「思います」なんて、遠慮していてはいけませんね。

毎週「ザ・テレビジョン」や「TVガイド」で、

たくさんの番組の中から、録画する番組をチェックしている

長年の体験から、自信をもって言えます。

テレビ番組はまだまだ多様性があります!

そしてテレビを見たことが「入口」になって、

興味関心をもち、その後発展していく可能性は高いです。

  

  

ブログでも繰り返し書いてきたこと。

珍しく、私の中でブレていないこと。

今晩、また確認しました。

寝ます。

 

 

2018年8月19日 (日)

ヒマワリの種のどこから根が出てくるのか?

今日は8月19日。

  

7月24日放映の「ふしぎエンドレス 3年生」(Eテレ)より。

NHK for school ふしぎエンドレス 3年生 タネのふしぎ

  

ヒマワリの種を小学生が観察して、

気がついたこと、不思議に思ったことを

発表する内容でした。

 

ひまわりの種を上から見ると・・・

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Rimg0109  

凹みがあります。

今度は下から見ると・・・

Rimg0106

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やっぱり凹みがあります。

 

この凹みはなぜ?

小学生は、種が花とつながっていた名残と

予想していた子がいました。

Photo_7  

根が出てくる場所だと予想している子もいました。

Rimg0111  

私も、上の図のように根が出ると思いました。

番組の最後で、実際に根が出て、発芽する様子が

動画で示されました。

 

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Rimg0120  

種のとがった方から根が出ていました。

予想がはずれました。  

土の中では、このような現象が起こっていたのですね。

下のような種の殻を新芽が持ち上げる理由が、

この動画を見てわかりました。

勤務校で撮った写真です。

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