沢村栄治1.黒鉄ヒロシさんのコメント
今日は4月26日。
4月1日の「サンデースクランブル」で勉強したこと。
この番組の最後は、黒鉄ヒロシさんの「千思万考」のコーナー。
毎回、歴史上の人物が紹介され、黒鉄ヒロシさんの思いが語られます。
この日は「沢村栄治」でした。
沢村栄治さんは、沢村賞の「沢村」です。
1917年、三重県出身。
京都商業に進学して、豪速球で有名になりました。
京都商業を中退して、職業野球へ。
1934年、17歳で、来日したアメリカメジャーリーガーとの試合に出ます。
ベーブ・ルース、ルー・ゲーリックといった強打者のいるチームを相手に、
沢村栄治さんは好投し、大リーガーを驚かせました。
アメリカメジャーリーガーとの対戦後に誕生した巨人軍と沢村さんは契約。
プロ野球での活躍が始まります。
しかし、戦争に2度召集され、体を壊し、
力を出せなくなります。
3度目の召集で、戦死。
黒鉄さんはこう言いました。
日本プロ野球ができる時の大人の都合とかエゴなんかに巻き込まれて
悲劇の人生を送ってしまったという、非常に無残な話です。
(メジャーリーグとの戦いの前に)学生とプロが戦ってはいけないという法律が、
文部省から出るんです。
彼(沢村)は、京都商業だったのですが、
慶応大学に進学が決まっていたんです。
でも(京都商業を)中退して・・・
高校中退ですから、中学卒業になっちゃうんですよね。
(中略)
ジャイアンツ(巨人軍)は、(沢村が入団する時に)一生面倒を見ると言っていた。
(中略)
3回の召集令状っていうのは、異様に思えますけど、・・・・
(中略)
日本の場合は、システムとして中卒は(前線に送り出されます。)
高校卒の資格をジャイアンツは取らせると(沢村さんに)言ったにもかかわらず、
(とらせることをしなかった)。
非常に暗闇の中、不条理のね・・・・・
沢村に声をかけてあげたい。
プロ野球好きの人は、沢村の歴史をなぞるべきだと思います。
黒鉄さんのコメントは説明不足でした。
短い時間では、沢村さんの身に起こったことは話せないと判断したのでしょう。
中途半端な語りでした。そうならざるを得なかったのでしょう。
だからラストに言っています。
「プロ野球好きの人は、沢村の歴史をなぞるべきだと思います」
そうします。
さっそく行動に移しました。(次の投稿へ)
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