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2018年8月22日 (水)

「8月15日のプレーボール」その2.それはまさに青天の霹靂でした

 

今日は8月22日。

  

前投稿に引き続き、

8月1日放映の「歴史秘話ヒストリア 8月15日のプレーボール

高校野球 戦火の中の青春」の聞き書きをしていきます。

  

ナレーター:そうした人気に陰りが見え始めたのが、

  1937年、日中戦争の頃でした。

  戦時体制が日増しに強化されるたびに、

  野球への風当たりが強くなっていったのです。

  1941年夏。新聞に掲載された野球への批判記事です。

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  野球は、体育的な効果が乏しい。

  しかも、莫大な費用がかかる。

  全体主義の立場から、最も排すべし。

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  野球は戦争の役に立たない、遊びだとして、

  厳しく糾弾されるようになったと言います。

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中村哲也教授:野球だったり、球技なんかは

  特にそうだったですけど、遊びが起源ですよね。

  直接役に立たなものはやめてしまえ。

  戦争の役に立つかどうか、戦争に利用できるかどうかの基準で

  物事が選別される。

ナレーター:日々強まる逆風の中でも、球児たちは猛練習を続けました。

  卒業を間近に控えた(阿部)正にとって、この年は最後の夏。

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  甲子園大会に出場することが、心の支えでした。

  大会直前、正たちは突然、校長室に呼び出されます。

  

再現ドラマ

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校長:みんな、練習、ご苦労。

選手たち:はい。

校長:明日からの大会だが、中止が決まった。

選手たち:え!?

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ナレーター:それはまさに、青天の霹靂でした。

  当時、内閣府が出した通達です。

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  この夏は、鉄道輸送がひっ迫するために、

  大会は一切延期にする。

  当時、鉄道輸送に強い影響力をもっていたのが、

  軍部でした。

  前線の拡大で、全国から兵士や物資を集める必要があったのです。

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  軍への協力が当たり前のこととされていた社会。

  正たちは、夢の舞台、甲子園への夢を諦めざるを得ませんでした。

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ナレーター:この年の12月。

  日本軍は真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲。

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  太平洋戦争が始まります。

  戦いが厳しさを増す中、戦火の影は、教育現場にも

  忍び寄ってきました。

  

再現ドラマ

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将校:(野球部員が練習しているグランド)

  おい、お前ら、今すぐ(野球の練習を)やめろ!

  まだ米国の野球をやっていたのか!

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ナレーター:怒鳴りこんできたのは、

  当時、学校に配属されていた陸軍の将校でした。

  将校の次の一言に、正たちは衝撃を受けます。

将校:道具があるから、いつまでも野球をやるんだよなあ。

  だったらいっそのこと、道具は・・・・燃やせ。

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ナレーター:野球部は廃部を命じられます。

  正たちは、野球を続けることすら、否定されてしまったのです。

  生き甲斐を奪われた正。

  1943年1月。そのもとに召集令状が届きます。

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  正は陸軍の歩兵連隊に配属され、戦場に向かうことになりました。

  出征前、正は野球部時代の仲間に、

  秘めた思いをうち明けました。

    

つづく

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