「8月15日のプレーボール」その1.東北一の投手阿部正
今日は8月22日。
昨日は28年目の「秋味」発売日。
昼にコンビニに行った時には、
まだ発売していませんでした。
午後6時過ぎにスーパーに行ってみたら、
販売はしていましたが、冷えてない!
再びコンビニに行ったら、
冷蔵庫に「秋味」がありました。
愛知県の片隅で、発売予定日に
ちゃんと「秋味」があることを確認。
もちろん購入。
日本の物流、小売り業のすごさを思う。
私みたいな、発売日に飲みたいという願いを叶えてくれます。
昨日は、午後から部活動で練習試合。
バスケの審判を何回かやって、たくさんの汗をかいた後だけに、
気持ちよく飲めました。
それではテレビ番組の読み物化にしばらく挑戦します。
8月1日放映の「歴史秘話ヒストリア 8月15日のプレーボール
高校野球 戦火の中の青春」の聞き書きをしていきます。
昨日の投稿で書いたように、
「ぞれぞれの街にいた、沢村さん」の一人である、
安部正さんのお話です。
ナレーター:1945年、戦争が終わって間もない頃、
岩手県の学校の屋根裏です。
思いがけない発見がありました。
そこにあったのは、大量の野球道具。
戦時中、野球道具はすべて処分されたはずでした。
だれが、何のために道具を隠したのか。
戦争の時代に翻弄され、若くして命を奪われた
伝説のエースの悲劇です。
ナレーター:1941年、夏。
岩手県一関中学校野球部です。
(現在の一関第一高校)
この高校に、東北一の名をほしいままにした球児がいました。
エースピッチャーの阿部正。
当時最終学年の5年生でした。
決め球は剛速球のストレート。
新聞の見出しになるほどの怪腕投手でした。
正のピッチングを実際に目撃した人がいます。
田村泰延さん(86)。
地元の子どもにとって、正はあこがれの存在だったと言います。
田村:試合をやれば、いつも勝っていました。
そういうすごいピッチング。
子どもたちが、5・6人ね、(阿部正に)ついて歩いているですよ。
スターにくっついて歩くような姿でしたね。
再現ドラマ場面
阿部正:俺たちの代で、甲子園行くぞ!
チームメイト:オー!
ナレーター:キャプテンとしてチームを引っ張っていた正。
目指していたのは、甲子園野球大会への出場でした。
ナレーター:甲子園は、戦前から若者たちの青春の舞台。
スタンドは、試合を一目見たいという超満員の野球ファンで
埋め尽くされました。
不運にも席を取れなかった人たちが陣取ったのは、
スコアーボードの裏!
トイレの屋根から、木の上まで。
ありとあらゆる場所にファンが登り、試合を見ようとしたのです。
各地の公園に出現したのは、試合速報の掲示板。
今でいうところのパブリックビューイングです。
当時の人々が、どれだけ野球に夢中になっていたかがわかります。
この掲示板にはビックリ。
これを見て、当時の人たちは一喜一憂していたのですね。
人びとの顔がとてもいい。
でも、今の人たちでは物足りない情報だと思うだろうなあ。
つづく
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