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2017年2月

2017年2月12日 (日)

山中城址は国道1号線沿いにあった/ケツメイシ「テイクオフ」

 

今日は2月12日。

  

前投稿のつづきで、横浜往復の時のこと。

  

国道1号線で箱根を越える時、「山中城址」という看板を見ました。

むむ、これはもしかしたあ、

あの北条氏が豊臣軍を迎えて戦ったお城?

  

帰宅して調べたら、やっぱりそうでした。

  

このような箱根のすぐ近くにあったのですね。

次は、ここに行くことを予定に入れて出かけたい。

参考サイト:山中城跡公園 三島市観光協会

     :戦国武将列伝Ω 山中城訪問記【山中城の戦い】北条氏の見事な山城

さあいつのことになるやら。

  

  

  

往復で聴いた「KETSUNOPOLIS10」に中から

「テイクオフ」の歌詞を少し引用。

  

びびってる訳じゃねぇ

止めた訳じゃねぇ

自問自答 繰り返すRun away

そんな日々にサヨナラ

飛び立てるはずさ今なら

 

何かを「変えたい」「変わりたい」

と思い立って 不器用ながら手探りで何年?

先行投資 感情だけ

でも 読めてきた次の吹く風

遊びが仕事になって 外の世界気になって

響かせ その羽を広げる音

勢いつけて助走

  

Take off(Oh)次の空で何を見よう(Oh)

新たなる夢のリスト(Oh)

胸に また羽ばたけ fly on & on

Take off(Oh) 次の次元で何をしよう(Oh)

尊敬と感謝 成功(Oh)

胸に 大きく高く fly on & on

 

 

この曲は「peachイメージソング」と説明がありました。

「peach」?

調べました。

  Wikipediaには、次のように書いてありました。

  

Peach Aviation株式会社(ピーチ・アビエーション)は、

ANAホールディングスを筆頭株主に持ち、

関西国際空港を拠点とする日本の格安航空会社である。

ブランド名をPeach(ピーチ)としており、

桃色と紫色の中間色のフーシア色を基調にしたデザインや、

機内アナウンスで関西弁などの方言が使われることもあるのが

特徴的である。

Img_sec01_01peach HP

 

そうか、航空会社のイメージソングなんだ。

滅多に飛行機に乗らない身なので、関心が低かったです。

航空会社を応援するような曲ですね。確かに。

  

でも「Take off(Oh) 次の次元で何をしよう(Oh)」

いい歌詞です。ここが特に印象に残りました。

やっぱり向上心を持ち続けていきたい。

「何をしよう」

この発想はずっと持ち続けていたいですね。


YouTube: ケツメイシ(テイクオフ)+成田テイクオフ+夜景

  

横浜を往復した日でした

 

今日は2月12日。

  

昨日は横浜まで往復しました。

わらしべ実践交流集会に参加してきました。

特別支援教育の教材に関する研修会です。

教材を持ち込んで発表する機会があり、

私は昨年10月に作成した「時計型七並べ」を持参しました。

ここでも道草 「時計型七並べ」を作ってみました(2016年10月15日投稿)

教材が大きいので、自動車に積み込んで出発しました。

  

東名高速道路に入ってすぐに、

「沼津~大井松田間、雪のため通行止め」の表示!

ビックリ。快晴なので、道路はいいだろうと思っていました。

前日の雪のためでしょう。どうする?

1時間半ほど余裕をもって出発していたけど、

下道で走っても、下道も雪のためにスムーズに行かない可能性があり、

間に合わないかも?

今日は諦めて引き返す?

  

でもせっかくの研修会。遅れても参加しようと決めて前進。

その結果、国道1号線で箱根を越える体験をしました。

これが予想外に面白かったです。

周囲に雪はありましたが、道路は乾いていました。

箱根での景色がよかった。

芦ノ湖、駒ヶ岳が、青空の下、輝いて見えました。

そこに白い富士山も見えました。

時間がなく、立ち寄ることができなかったのが残念でした。

Photo ↑yahoo地図

  

朝、別の場所から撮った富士山↓

Rimg2577  

この日の富士山は、頂上付近から雪煙がたっていました。

強風が吹いているのでしょうか。

今頃あの場所にいたら、強風で動けないなあと思って、

眺めていました。

 

この日の帰り、晩の10時頃に再び右手に富士山を見ました。

月明かりに照らされて、富士山がしっかり見えました。

朝と晩、雲のない富士山を拝めたラッキーな日となりました。

  

箱根を越えて神奈川県に入ってからも、道は快適に進みました。

自動車道が整備されていて、信号で止められることがあまりなく、

遅刻を覚悟していたのに、30分前に研修会場に着きました。

会場は横浜市のウィリング横浜。

ここは2回目。1回目は2013年8月でした↓

2013夏の研修5.行動することでやる気が出る(2013年8月3日投稿)

  

2月12日のウィリング横浜↓

Rimg2583

Rimg2584 

すぐ横にある上大岡駅↓

Rimg2585_2  

最初、ウィリング横浜下の駐車場に駐めましたが、

その駐車場は料金の上限なしで高額になってしまうために、

研修会の途中、下のところに移動させました。

次の機会の参考までに、書き留めて起きます↓

Rimg2586  

ウィリング横浜の目の前に、

miokaというショッピングセンターがあり、

駐車場はそこの駐車場でした。

昼食もこのmiokaの6階、「とんかつ勝」という店で食べました。

Rimg2587

サービスでカツ丼を大盛りにしてもらい、

キャベツもおかわりしてたっぷり食べました。

だから痩せないんだよなあ。

  

帰りに撮った上大岡駅前↓ 華やかでした。

横浜市の中で、この地区はどのような場所なのだろうと

思いました。

Rimg2662  

家に着いたのは、0時直前でした。

往復の車中で、「KETSUNOPOLIS10」を聴きまくりました。

このアルバムの曲を聴くと、

今回の横浜往復が思い出されることでしょう。

  

研修会の中身については、また後でブログに書きます。

今日は今からサークルに参加します。

 

  

2017年2月10日 (金)

研修会で書くきっかけをもらった「穢れ(けがれ)」

  

今日は2月10日。

  

1月に行った出張の復命書を一つ、やっと書き終えました。

1月中に出さなければならないものです。出し遅れました。

  

人権教育の研修会でした。

印象に残ったのは「穢(けがれ)」思想です。

  

差別のもとは、”平安仏教「穢」”とメモしてありました。

江戸時代の被差別された身分「穢多(えた)」につながる思想です。

  

Wikipedia 穢れに次のように書いてありました。

  

穢れという観念が日本に流入したのは、

奈良時代後期または平安時代だと言われる。

死、出産、血液などが穢れているとする観念は

元々ヒンドゥー教のもので、同じくインドで生まれた仏教にもこの思想が流入した。

特に、平安時代に日本に多く伝わった平安仏教は、

この思想を持つものが多かったため、

穢れ観念は京都を中心に日本全国へと広がっていった。  

 

平安時代に「穢」思想が広まった要因として、

疫病の大流行があるとする説がありました。

疫病や災害の原因が「穢」だと思われていたようです。

参考:白山信仰の謎

  

死穢(しえ)」という言葉もメモされていました。

  

調べると、おなじみの内容でした。

引用:Weblio辞書 死穢

 

死の穢れのこと。

古代・中世において死は恐怖の対象と見られ、死は伝染すると信じられた。

死体、それと接する遺族は死穢に染まっていると考えられ、

清められるべきものと考えられた。

葬式に出た者が家に入るとき清めをした。

遺族が忌中の間こもったのは清まる時間が必要との考えもあったから。 

  

塩で清めるのは、「死穢」の思想なのですね。

  

研修会では出てこなかったけど、こうやって調べていて、

血穢(けつえ)」という言葉を知りました。

たとえば次のサイトが参考になります↓

仏事を考える 死穢と血穢

「血穢」については、先日見た番組「英雄の選択」でも出てきました。

近いうちにこのブログで書きたいです。

さらに上記サイトで「もがり)」という言葉にも興味を持ちました。

映画「殯の森」にも絡めて、書きたい内容でした。

以上、これからブログ上でいろいろ書きたいと思わせてくれた研修会でした。

  

収穫多し。

  

2017年2月 8日 (水)

本で「奇想天外」をプレゼントする

 

今日は2月8日。

  

地元市の図書館から学級で1か月間借りていた本を

今日返しました。

特によかった2冊。

Rimg2555

ぼくだってトカゲ

(内田麟太郎・文/市居みか・絵/文研出版)

くまさんのおなか

(長新太・文絵/学研)

  

読み聞かせをして子どもたちは大騒ぎ。

「まさか、まさか・・・」

次のページがどうなるか、子どもたちはワクワクしていました。

その奇想天外な展開が魅力でした。

Rimg2557

↑次のページ、すごいことになります!

   

  

Rimg2559

↑次のページ、すごいことになります!

  

  

たまには、子どもたちに「奇想天外」を

プレゼントするのもいいなと思いました。

2017年2月 6日 (月)

明日は2月初出勤/「復活の日」が放映される

 

今日は2月6日。

  

2月1日の朝、発熱。

インフルエンザと診断されて、自宅で療養。

最高で38.9まで体温が上がった。

滅多にないこと。さすがにダウン。

病院へは、奥さんに運転してもらった。

受験生の息子にうつさないように気をつけた。

マスクは、耳が痛くなるくらいはめていた。

食事は部屋で孤食。

ほとんど部屋を出ず。

よく寝た。こんなに寝られるんだと思うほど。

空間殺菌効果があると思われるクロニタスを利用。

風呂には入れるようになったとしても、最後に入り、

出るときは風呂掃除。

医者からもらった薬は飲みきった。

今晩は、もう大丈夫だと判断して家族みんなで鍋料理。

明日は2月初出勤。ドキドキです。

明日から頑張る。

  

  

  

2月4日に、BS放送で映画「復活の日」が放送されていました。

1980年の映画。37年前の映画。

映画館に何度か見に行った映画です。

ラストシーン、北米~中米~南米を歩いて!

南極までたどり着いた主人公に感動。草刈正雄さんでした。

オールナイトで見終えて、友だちは始発電車を待って帰るのに、

主人公の歩きに感化された自分は、

1人歩いて帰った覚えがあります。

1時間半ほど歩いて、映画の主人公になった気分でした。

テーマ曲はジャニス・イアンの「You Are Love 」

  

10分ほど録画したのを見たら、

この曲はオープニングでしっかり流れました。

今時の映画は、テーマ曲はエンディングで流れることが多いけど、

37年前のこの映画では、最初から流れます。

いきなり引き込まれてしまいます。

youtubeで見つけて、貼り付けます。


YouTube: You Are Love - Janis Ian - 訳詞付き

Dha5z ↑ジャケット

すごく見覚えあり。我が家の天井裏倉庫に必ずある。

この曲を聴きながら、今晩はそろそろ寝て明日に備えよう。

 

  

そうか明日は「復活の日」だ。

日めくりより 未亡人/焼き討ちはなかった?/諳んじる

今日は2月6日。  

前投稿に引き続いて「雑学王」(TRY-X)より。

  

なぜ夫を亡くした女性が「未亡人」?

Epson729  

「夫が死んだ場合、妻も死ぬのが常識」

とは言っても、命に関わること。

その常識に従わない奥さんはいたでしょう。

そんな奥さんたちが自分たちのことを

「未亡人」と言っていた。

「まだ死んでいないけど・・(文句ある?)」

開き直った強さを感じる言葉です。

  

   

比叡山延暦寺の焼き討ちはなかった?

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ラスト3行の説はなるほどと思います。

当時は今とは違い、写真や映像がない時代。

都合のよいように情報を変えて伝えることができたと思います。

  

   

「暗記」「暗算」なぜ「暗」なのか?

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あんまり疑問に思っていなかった事です。

「頭の中」というのは閉ざされた空間なので、

暗いイメージがあります。

だから「頭の中」で行う記憶や計算なので「暗」なのだろうと、

自分で納得していました。

「諳」という字があるのですね 。

「諳んじる」と書いて「そらんじる」と読みます。

「そらんじる」っていい響きだなあ。

自分にとって苦手なことなので、あこがれもある。

日めくりより 拍手が伝わってきたのは明治時代/昔はハンマーを投げていた

 

今日は2月6日。  

日めくり「雑学王」(TRY-X)より。

  

人は、なぜ拍手をするのか?

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拍手が日本に伝わったのは明治になってから!

これが驚きです。

時代劇で拍手のシーンなんて、たくさん見たような?

歌舞伎でもなかったんだ。

もし時代劇を見ていて、拍手のシーンがあったら、

突っこもう!

  

   

  

もう一つ。

  

金属球を投げるのに、なぜ「ハンマー投げ」というのか?

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Img_1557885_53150592_1  

これは何となく予想がつきました。

それを確かめた日めくりです。

3年前の日めくりです。

2017年2月 5日 (日)

「ファミリーヒストリー」/「圧倒的な取材力」を見たくなりました

 

今日は2月5日。

  

NHKの「ファミリーヒストリー」という番組。

なかなか興味を持てず、今まで見たことがあるのは、

今田耕司さんの時くらいかあ。

2013年の放映でした。

それも、当時関心があったパラオでの戦争に絡むことを知って

見ました。

  

  

久々見てみたいと思いました。

次の新聞記事を見たからです。

Epson723 ↑2017年1月26日朝日新聞朝刊

ラスト2行目にある「圧倒的な取材力

これを見たくなりました。

  

この記事を見たときには、すでに番組は終わっていました。

そこで、再放送(2月2日)を録画して見ました。

圧倒的な取材力を垣間見ました。

大竹しのぶさんの家系を可能な限り調べていました。

祖母・八重さんの2番目の旦那さん「鈴木~」(苗字しか分からず)と

その息子さんも探し当てました。

(ちなみに八重さんの3番目の旦那さんが、大竹しのぶさんの祖父)

そちらの家系で、八重さんの孫に当たる人たちが、

大竹さんと親戚関係にあることに驚いていました。

ただ、そちらの家系では、八重さんのことは不明になっていました。

八重さんが再婚したと聞いて、息子さんは離れていったそうです。

したがって孫の人たちにとって、八重さんは急に現れた祖母。

戸惑いつつも、話をしてみたかったとも。

取材しなければ埋もれていったことが、次々に表に出てきました。

面白かった。

 

    

取材は嫌いじゃない。いやきっと好きです。

出かけていって、自分の目で聴いて、人から話を聞いて、

新しいことを知っていくのは、きっと面白い。

時間やお金や家族が許してくれる限りやってみたいと思っています。

教師の仕事にも生きるはず。

実はもう一つ「ファミリーヒストリー」を録画してあります。

2月2日放映の「ファミリーヒストリー 松方弘樹・目黒祐樹

~芸能一家の歳月~」です。

お二人のお父さん、近衛十四郎は子どもの頃に見ていた

時代劇「素浪人 花山大吉」の主人公。興味津々なのです。

生活のBGM この10年を肯定してくれる「手紙~あれから」

  

今日は2月5日。

  

少々波瀾万丈気味にスタートした平成29年。

最初の生活のBGMは高橋優さんのアルバム「来し方行く末」でした。

51gv8omw4nl_2  

「君の背景」「BEAUTIFUL」「象」よかった。

でも、しっかり聞き込もうと思った曲は、

今回はなかったなあ。

でもでも、先の金曜日に「クレヨンしんちゃん」のエンディング曲として

発表された「ロードムービー」は印象に残りました。

また聴きたい。

  

2月からは生活のBGMを変えました。

ケツメイシのアルバム「KETSUNOPOLIS 10」です。

81qtq3izafl__sx522__3  

即、お気に入りの曲を決めました。

10曲目の「手紙~あれから」です。

歌詞が心に引っ掛かって、引っ掛かって、引っ掛かって・・・・

16曲もあるアルバムなのに、この曲しか聴いていません。

  

歌詞を一部書き写します。

  

  

10年前の僕たちへ 今を伝えよう

やるべき事はそれなりに 手を抜かずに

やってきたから 心配ないぜ

耐えてきたんだ 約束通り

君があの時誓った 気持ちのままに・・・・

 

困った事は起こらない

全て今では大笑い

心配ないぜ 辛抱もがいてりゃ

自信になるぜ 再生 Try again

大丈夫 運もいい まだまだいける

ここで見てる

  

 

無我夢中で走り続けた10年

今なら分かるから君に言うぜ

その努力ならば裏切らない

近道はないからやるしかない

その経験は無駄じゃないどれも

  

  

偉そうに言う未来の俺も

このままじゃダメと未だ悩んでる

頭抱えて 生き方学んでる

 

いっぱい泣いて 心配ないぜ

たぶん人生は最高で最低

1,2,3年じゃ足んない分かんない

10年経っても それは変わんない

周りの仲間を大切にな

やると決めたら解決しな

大丈夫!そのままでいいぞ

進んでこう 目の前の道を

   

4月21日で、ブログを始めて10年となります。

その年月と重なったことが、この曲が心に絡んでくる理由でしょう。

いろいろあった10年でした。

この10年を、この曲が肯定してくれて、

さあまた頑張ろうと応援してくれます。

いい曲です。

  

2001年にケツメイシが発表した「手紙~未来」の

アンサーソングなのかな。

ハッブルのこと その10/奇跡の5年は1924~1929年

  

今日は2月5日。

  

前投稿に引き続いて、

昨年11月24日放映「コズミックフロント NEXT 宇宙の革命児!

エドウィン・ハッブル」より。

  

大詰めです。

  

ナレーター:天文学者たちの大論争に決着をつけたハッブルでしたが、

  発見はそれにとどまりません。

  5年後、またも衝撃的な成果を発表します。

  これがその論文。

Photo_10

  わずか6ページですが、天文学史上最も重要な研究の

  一つとされています。

  銀河までの距離を明らかにしたハッブル。

  次に挑んだのは、それがどう動いているかを調べることです。

  使ったのは、銀河から届く光の色を分析し、

  そこから速度を調べる方法です。

Photo_11

  銀河が地球に近づいている場合は、光の波長が押し縮められ、

  青く見えます。

Photo_12

  逆に遠ざかる場合には、波長が引き伸ばされ、赤く見えます。

Photo_13

  その速度が速いほど、より赤くなります。

  「赤方偏移」と呼ばれる現象です。

Photo_14

  この光の性質を利用し、銀河の速度を調べたところ、

  驚くべきことがわかりました。

Photo_15

  横軸が地球からの距離。

  縦軸が地球から遠ざかる速度です。 

Photo_16

  地球から300万光年先にあるこの銀河は、

  秒速500キロメートルのスピードで、遠ざかっていきます。

  一方、そのおよそ2倍遠くにある銀河は、

  遠ざかる速度もほぼ2倍になっていました。

  銀河のほとんどが、地球から遠ざかる、

  その速度は、距離に比例することを発見したのです。

  なぜ、地球から銀河は離れていき、遠くのものほど速いのか。

  導き出されたのは、宇宙そのものが膨張しているという

  新たな事実です。

  人々が信じてきた永久不変の宇宙の姿。

  それをハッブルは、たった6枚の論文で覆したのです。

  

 

家正則:これはすごいことですよね。

  1923年からわずか5・6年の間に、天の川銀河の外に、

  広い宇宙があるということを発見し、しかもその宇宙が、

  膨張していることを発見したわけですね。

Photo_17

  この2つの大発見は、人類の宇宙観を根本から変える発見ですから、

  まあ、昔で言えば、コペルニクスとかガリレオの発見、

  それの上を行く発見と言っても大げさではないんじゃないかと

  思いますね。

      

 

再び、この映像の「章」の名前を思い出します。

Rimg2461  

この「奇跡の5年」はいつからいつなのでしょう。

番組ではきちんと区切っていないと思っていました。

家正則さんの言葉に、

「1923年からわずか5・6年の間」というのがありました。

変光星の発見は1923年ですが、

新聞で発表されて世間が知ったのは1924年11月のことでした。

そして1929年3月に上記の6枚の論文が発表されています。

1924年~1929年。

これが「奇跡の5年」なのだと思います。

  

   

番組を見て、本を2冊読んで、ハッブルにはまった期間でした。

ハッブル望遠鏡にはまった時期もありましたが、

今回は、その名前のもとになった人物のことが勉強できました。

でも思います。

望遠鏡がどんどん進化して、多くの天文学者が生まれ、

いろいろな説が生まれました。

そのような基盤の中からハッブルが登場しました。

その基盤なくして、ハッブルの偉業はなかったと

今回の勉強で思いました。

膨張宇宙の発見」(地人書館)の著者の迫り方は、

的を得ていたと思います。

でもその「膨張宇宙の発見」を読んでさえ思います。

ハッブルは、やっぱり強運で格が違う人だったようです。

     

以上で、ハッブルのことは書き終えました。

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