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2014年8月

2014年8月20日 (水)

「ペリリュー」その9/アメリカ軍側からの上陸シーン

  

今日は8月20日。

  

ドラマ「ザ・パシフィック」より。

2011年制作のようです。

  

グッときたのは、アメリカ軍側から見た上陸シーンです。

  

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 眩しかった前方の風景。光に慣れると戦場が見えてきました。

ブルッと身震いするシーンです。

そして水陸両用の上陸艇は海に滑り降ります。

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上陸艇を迎え撃つ日本軍側に立つことが多かったのですが、

上陸艇が船から出てくるシーンを克明に撮って、

アメリカ軍側の兵士の気持ちを感じたのは初めてだったかも。

アメリカ軍側には余裕があると勝手に思っていましたが、そうではなし。

生きるも死ぬも運しだいの戦場では、だれも余裕は持てないでしょう。

 

  

  

  

「NHKスペシャル 狂気の戦場ペリリュー ~”忘れられた島”の記録~」で

上陸時の実際の映像が紹介されていました。

上陸艇の壁の上かカメラだけを出して撮影したもの。

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恐怖が伝わってきます。

 

  

以上で、「ペリリュー」のことは、一度中断します。

今晩にでも、「ザ・パシフィック」の第7章を借りてきて見ようと思います。

「ペリリュー」その8/34人は2年間洞窟に潜んでいた

 

今日は8月20日。

  

8月15日放映のドラマ「命ある限り戦え、そして生き抜くんだ」より。

  

ドラマの写真をいくつか載せます。

  

  

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洞窟陣地。

  

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洞窟を掘っているシーンもありました。

つるはしを使った作業。発破も使ったようですが、気が遠くなる作業です。

  

  

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ペリリュー島の住民が、日本兵と一緒に戦いたいと申し出るが、

中川大佐は拒否、島から避難する命令を出します。

別れのシーンです。

民間人の死者が出なかった戦いだったそうです。

  

   

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米軍が使う火炎放射器。

  

  

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日本人女性が戦っていたことを報じる新聞。

ドラマでも北乃きいが演じていました。

  

  

 

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降伏する時には「サクラサクラ」と打電することになっていました。

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切腹する中川大佐(上川隆也)。

  

  

1万人のうち生き残ったのは34人。

彼らは終戦も知らずに洞窟に潜み、1947年4月になってやっと出てきたそうです。

そんな歴史もあったんだ。

ビックリしました。

  

 

「ペリリュー」その7/パラオは日本の委任統治を受けていた

  

今日は8月20日。

  

今回は8月15日放映のドラマより。

ドラマはフジテレビ系列で放映された「命ある限り戦え、そして生き抜くんだ」です。

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ペリリュー島守備隊長だった中川州男(くにお)大佐を中心に描いたものです。

  

番組の冒頭で、池上彰さんが登場して、時代背景を説明してくれました。

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パラオについて。

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池上さんは語ります。

  

パラオも戦争で奪い取った土地なのか?

そう思ってしまうかもしれませんが、実はそうではないんです。

当時のパラオは、ドイツの植民地でした。

しかし、第1次世界大戦でドイツが敗れたため、国際連盟によって、

日本がパラオを委任統治するように決められたのです。

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委任統治とは、将来独立できるようになるまで統治すると言うことですから、

当時の日本は道路整備や病院の建設など、

25年にわたって、支援を続けていました。

そのパラオもまた太平洋戦争に飲まれていきます。

  

  

ペリリュー島を含むパラオがそんな歴史があったことを、あらかじめ知れました。

  

  

さらにドラマ冒頭で、アメリカ軍のペリリュー島上陸時の映像が流れて、

ナレーターの黒木瞳さんが語りました。これも印象に残りました。

  

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アメリカ軍は、2~3日で島を占領できると予想したが、中川大佐率いる守備隊は、

抵抗をつづけ、70日を越える激戦の部隊となった。

アメリカ最強とうたわれた第1海兵師団第1連隊は、

全体の60%近くの損失を出して、壊滅状態に陥った。

このことは長く秘することであったが、

後にスピルバーグの作品「ザ・パシフィック」によって、

世界に知らしめることとなった。

   

  

ザ・パシフィック」については、このナレーターで初めて知りました。

さっそくレンタル店に行きましたが、10章からなる長大なドラマでした。

5~7章がペリリュー島の攻防でした。

5~6章を借りてきて見ました。

7章はどなたかが借りていて、まだ見ていません。

でもこうやって立て続けにペリリューの攻防の映像を見れたのは、勉強になりました。

「ペリリュー」その6/容赦なき戦いの原点

  

今日は8月19日。

  

前投稿のつづき。

  

8月13日の放映の「NHKスペシャル 狂気の戦場ペリリュー ~”忘れられた島”の記録~」より。

  

  

ピュリッツァー賞を受賞した歴史家ジョン・ダワー氏の言ったことが印象に残りました。  

  

日本が長期持久戦によって最後まで徹底抗戦するつもりだと

アメリカが初めて悟ったのが、ペリリューでした。

ペリリューで洞窟に潜む日本兵に使った火炎放射器やナパーム弾を、

硫黄島や沖縄でも更に大規模に使っていきます。

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ついには、日本の本土の都市を焼き尽くす

焼夷弾の使用にまでつながって行きました。

そうした容赦なき戦いの原点がペリリュー島の戦いだったのです。

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この見解はすごいことですよ。

ペリリュー島の攻防は、多くの民間人の命を奪うきかっけになったということです。

焼夷弾による本格的な空襲が始まったのは、

ペリリュー島の攻防がすんだ11月以降のことでした。

  

  

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戦車から放たれる火炎。

130メートルの先まで、まっすぐに火炎が伸びます。

130メートル!

狙われた人たちは恐怖。

気が狂うほどの。

 

2014年8月19日 (火)

「ペリリュー」その5/味方も殺す戦場

  

今日は8月19日。

  

今晩は「ペリリュー島の攻防」について書いていくぞ。

  

8月13日の放映の「NHKスペシャル 狂気の戦場ペリリュー ~”忘れられた島”の記録~」より。

  

今回もR・V・バーキンさんの証言。

   

仲間の一人が「俺は殺される やつらに殺される」と大声でわめき出しました。

衛生兵が、馬でも死ぬくらいの大量のモルヒネを打ちましたが効きません。

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彼のわめき声は大きくなるばかりでした。

300メートル先には、日本兵の陣地があったのです。

このままでは日本兵に気づかれてしまう。

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仲間の一人が塹壕用のシャベルで頭をぶん殴り殺しました。

多くの仲間が1人のために危険にさらされることを思えば、

しかたがなかったのです。

  

  

味方を殺さざるを得ない場面の話。

恐ろしい話です。

  

ドラマ「ザ・パシフィック」でも、上記の証言のような場面が描かれていました。

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日本側にもこんな話がありました。

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ナレーター

一方、日本側が味方の処刑を行っていた可能性のある映像が残っていた。

手足をしばられ首を切り落とされた遺体です。

当時日本軍では、敵前逃亡や投降は死に値するとみなされていました。

  

亀谷長成さんの証言

投降しようとしたら、もう許さんから。

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(戦場では)人間でも動物くらいにしか考えない。

そうしないと殺せない。やらないと自分がされるから。

  

亀谷さんは投降者が処刑されたのを目撃したそうです。

戦争にはこういう面も当然出てきてしまいます。

  

  

 

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こんな場面もありました。

 

写真に写っているポムロイ1等兵の証言

岩山での戦いの最中(さなか)、日本兵が突然銃剣で襲いかかってきた。

私は彼の腹に2発うち込んだ。

倒れた彼の懐から1枚の写真がのぞいていた。

手に取って見ると、彼が両親と幼い妹とともに写っていた。

いったい何てことをしてしまったんだ。

私は大きなショックをうけ言葉を失った。

  

  

狂気の中でも、ふと正気に戻った時、

自分のやったことにショックを受ける。

  

  

こうやって証言から、戦争の実態がうかがい知れます。

証言をこうやって書き残すことは大事なことだと思います。

映像はわかりやすいけど、すぐに見られない。

たくさんの人に見られないという短所があります。

私自身が見直す時にも、誰かがこのブログを見てくれた時にも、

文章になっているのは絶対いい。そう思って聞き書きしています。

 

村上先生登場/成功体験をさせることで、次のやる気が育つ

 

今日は8月19日。

  

やっぱりいい日になりました。

  

村上公也先生にお土産を買おうと、まずは豊川稲荷前に行きました。

当初の予定通り、「稲荷寿司」は買えました。

※当初の予定=

ここでも道草 木星金星は見れなかったけど、今日はいい日になりそうだ(今朝投稿)

これであとは、「稲荷寿司でシュー」を買えばOK。

月曜日は定休日だけど、今日は開いていると思ったお菓子屋さんが

まさかの「臨時休業」  げげげ・・・・

「お客様にはご迷惑をおかけします」と書き添えられていました。

う~ん、ちょっと迷惑かな。でも何か事情があったのでしょう。

仕方なし。少し買い足して、用意をしました。

「稲荷寿司でシュー」は次の機会にしましょう。 

  

  

 

村上先生がついに豊川市に登場。

講義が行われました。

4月3日に、このブログにコメントをいただいたのがきかっけでした。

それがこうして実現したことが、うれしかったです。

はるばる来ていただいた村上先生に感謝です。

豊川市は来年も村上先生を呼ぶことになりそうです。

豊川市の先生達も、すっかり村上先生に魅了されました。

  

今回の講義は、昨年11月に聞いた講義に近い内容でした。

ここでも道草 11月24日の講座/「嫌なことを我慢する力」は×(2013年11月30日投稿)

いつも思いますが、似た内容であっても、聴くと内容が染み込んできます。

1回目以上に血や肉になった気がします。血や肉になってほしいです。

新しい発見もあります。

  

成功体験をさせることで、次のやる気が育つ。

成功体験をしていないから、やる気につながらない。

  

この言葉が最も印象に残りました。

黙って人の話を聞いて、正確に内容をつかめたとします。

その結果、ほめられれば、それが成功体験。

今日初めて見た教具は、短時間ですが口を閉じて聴こうと自然にできるものでした。

短時間でも聴く機会を作って、なんて言っていたかを問います。

子どもが答えられたら、ほめます。

針金で大きな耳が形作られていました。教具の名前を忘れちゃったなあ。

  

次のことが勉強になりました。

  

  

反復練習をやりたいと思わせる方法として、バラエティー豊かな支持棒を使う。

   

ほめ方のいろいろ

ビックリぼめ 感激ぼめ うわさぼめ 鳴り物ほめ 

一人を褒めてだんだん広げていく・・・座っている子をほめて、立ち歩いている子を座らせる。

    あわてて座った子には、「君も座っていたかい」と言ってほめる。

    今気がついたみたいにほめる。

  

教科書を開いて勉強を始めるのではなく、教科書を開きたくなる工夫を。

  

  

これで3回目の村上先生の講義。

やっぱりキーワードは「やる気」

2学期が始まる前、10月30日の研究発表前にお話が聞けてよかったです。

9月6日にまた講義に参加して、2学期はいい学期にしたいなあ。

  

今晩は「秋味」を堪能。

いい日でした。

「ペリリュー」その4/背後からのどをかき切る

  

今日は8月19日。

 

前投稿のつづき。

  

8月13日の放映の「NHKスペシャル 狂気の戦場ペリリュー ~”忘れられた島”の記録~」より。

  

アメリカ兵の発言。

R・V・バーキンさん。

  

  

ジャングルを進んでいると、日本軍が背後から音もなく迫ってきます。

まず隊列の一番後ろの兵士に襲い掛かり、

のどをかき切り、心臓を一突きにします。

そして順々に前の兵士を襲っていくのです。

  

恐ろしい戦い方です。

ペリリュー島での戦いが始まって1週間で、

3000人の第1海兵連隊の死傷率は、60%以上になりました。

  

  

狂気が狂気を呼んでいた証言です↓

R・V・バーキンさん。

  

ある日、木に縛りつけられた3人の海兵隊員の死体を見てしまいました。

ペニスが切り取られ、口に押し込まれていました。

それを見た時、私は「やつらを皆殺しにしてやりたい」と怒りの気持ちが

強烈に湧き上がってきました。

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やつらは仲間の死体を使って、銃剣の練習をしていたに違いありません。

3人とも体中に50か所以上の刺し傷があった。

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怒りに震えたまま、その場にいると、仲間が、

「あの中に日本人がいるぞ」と叫んだんです。

私はゆっくりやつらのトンネル陣地に近寄りました。

そこには通気孔があり、中を覗き込んでみると、

日本兵がこちらを見ていました。

私は銃を顔に近づけて、思いっきり引き金を引きました。

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そのまま銃口を振り回して、8発の銃弾を撃ち込みました。

やつらを蜂の巣のようにしてやりました。

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全部で17人の日本兵を皆殺しにしたのです。

   

 

R・V・バーキンさんは、ドラマ「ザ・パシフィック」の中でも、

登場人物の一人として描かれています。

この人の証言は重たい。

「ペリリュー」その3/生き残れるかどうかは運/破壊される戦車

  

今日は8月19日。

  

前投稿のつづき。

  

8月13日の放映の「NHKスペシャル 狂気の戦場ペリリュー ~”忘れられた島”の記録~」より。

  

アメリカ兵の発言。

R・V・バーキンさん。

  

砲弾が絶え間なく飛び交う中、わずかな距離を進むのに、

あれほど長く感じたことはありませんね。

耳元をヒュッとかすめる銃弾の音。

地面や木に当たって跳ね返る音。

周りには弾が当たったり、吹き飛ばされて死傷した海兵隊員があふれていました。

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ペリリュー島の戦いを描いたドラマ「ザ・パシフィック」の中で、

アメリカ兵が滑走路を横断して進むシーンがあります。

日本兵の放つ砲弾の中を進み、多くの犠牲者を出します。

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すさまじいシーンでした。

「生き残れるかどうかは運だけ」

↑前々投稿に書いたことは、この滑走路横断のシーンでよくわかりました。

  

  

ドラマ「ザ・パシフィック」では、前投稿に載せた証言通り、

日本の戦車が脆くもアメリカ軍戦車に破壊されるシーンもありました。

  

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↑日本軍の戦車の砲身が、アメリカ軍兵士たちに向けられました。

   

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↑驚くアメリカ兵。避難して身をかがめます。

  

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大砲を発射する直前に破壊される日本軍戦車。

  

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破壊したのはアメリカ軍戦車でした。

 

  

「ペリリュー」その2/瓶の中の2匹のサソリ/砲身の細い戦車

  

今日は8月19日。

  

前投稿のつづき。

  

8月13日の放映の「NHKスペシャル 狂気の戦場ペリリュー ~”忘れられた島”の記録~」より。

  

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小さな島です。

次のサイトに行くと、パラオ諸島のどのあたりにある島であるかわかり、

2006年のペリリュー島の様子を見ることができました。

都留文科大学 文学部 比較文化学科 教授 大森一輝先生のHP 「ペリリュー島」

   

日本人兵士で生き残った土田喜代一(きよいち)さん(94)はこう語ります。

  

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激戦だったです。

瓶の中にサソリとサソリを入れて蓋をして

殺し合いをしたような格好じゃなかったですかね。

どちらが死ぬか、逃げ場所がない戦い。

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日本軍は、満州にいた陸軍歩兵第2連隊がペリリューに移動してきました。

当時最強の軍隊でした。

アメリカ軍は第1海兵師団第1海兵連隊3000人が投入されました。

やはり当時最強と言われた軍隊でした。

まさにサソリでした。

  

ペリリュー島の日本側の守備隊長は中川州男(くにお)大佐でした。

中川大佐は、アメリカ軍が大挙してやって来ることが予想される中、

ペリリュー島でどう戦うか作戦を考えました。

その結果、硬い岩山を掘って、複雑に入り組んだトンネル陣地を作りました。

500か所作られたと言われています。

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オレンジ色の場所が、洞窟の入り口。

  

  

攻撃側の隊長だったウィリアム・ルパータス少将は、

「3日もあれば、ペリリュー島は制圧できる」と言っていました。

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日本側が、大挙して突入してくる戦い方をしていたので、

早くけりがつくと考えたようです。

しかし、日本の戦い方は、ペリリュー島の攻防から変わっていました。

大本営からの命令が出ていました。

 

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長期持久戦をして、敵に多大なる損害を与えよというわけです。

ペリリュー島での攻防は、3日どころか77日間に及びました。 

  

  

戦いの様子を生き残った人たちが語っています。

  

土田喜代一さん。戦車戦のことです。

 

向こうは78mm砲でしょ。 シャーマン戦車です。

こちらは37mm砲でしょうが、(アメリカの戦車に)当たっても弾が通らんわけですよ。

ところが向こうは78mm砲だから、1発当てれば、粉々になるわけですよ。

  

戦車の大きさがだいぶ違ったようです。

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日本軍にとっては頼りにしたい戦車だったのに、

脆くもやられる姿を見て、恐怖心は高まったことでしょう。

映像を見ても、日本軍の戦車の砲身がとても細いです。

(つづく)

  

  

「ペリリュー」その1/忘れられた戦い

  

今日は8月19日。

  

今年の夏はいろいろ勉強したけど、「ペリリュー島での戦い」を知ったのは、

その中でもインパクトが強かったです。

  

「ペリリュー島」のことを書いていきます。

  

8月8日に始まります。

この日、「ザ・テレビジョン」で録画したい番組をチェックしていて、

不思議だなと思ったことがありました。

8月13日にNHKスペシャルで「ペリリュー島」での攻防を扱い、

8月15日にフジテレビ系で「ペリリュー島」での攻防のドラマがあるとのこと。

「ペリリュー島」とは?

聞きなれない島名でしたが、1週間に2本は異例です。

どんな島なのだろう?どんな攻防だったのだろう?

好奇心がむくむくと湧いてきました。

録画セットをしました。

  

  

そして8月13日の晩、「NHKスペシャル 狂気の戦場ペリリュー ~”忘れられた島”の記録~

を見ました。

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目が釘付けでした。

1944年9月~11月にあった戦いなので、ちょうど70年前のこと。

このような戦いがあったのですね。

  

なぜ「忘れられた」なのか?

  

番組の最初、カメラはアメリカ海兵隊クアンティゴ基地に入ります。

基地の地下倉庫に、アメリカ史上最悪の戦いのフィルムが113本、

70年間眠っていました。

映像に撮られたのが「ペリリュー島の攻防」でした。

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映像を撮ったのは、海兵隊のカメラマン。

兵士の勇ましい姿を撮影して、戦意高揚の番組を作るのが目的でしたが、

カメラはそうではない映像を撮影しました。

  

カメラマングループでただ一人今も生き残っている

グラント・ウルフキルさん(91)はこう言います。

  

生き残れるかどうかは、運だけでした。

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あの戦場のことは家族にさえ話せません。

狂気が狂気を呼ぶ地獄の戦場。

それがペリリューでした。

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アメリカ史上最悪の死傷率(60%)であり、

日本軍も、1万人の兵士のうち、生き残ったのはわずか34人!でした。

あまりに犠牲が多く、過酷な戦いだったので、

ほとんど語られずに来た戦いだったそうです。

   

  

世間からは”忘れられた戦い”ですが、当事者にとっては”封印された戦い”だったのですね。

(つづく)  

  

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