「ペリリュー」その6/容赦なき戦いの原点
今日は8月19日。
前投稿のつづき。
8月13日の放映の「NHKスペシャル 狂気の戦場ペリリュー ~”忘れられた島”の記録~」より。
ピュリッツァー賞を受賞した歴史家ジョン・ダワー氏の言ったことが印象に残りました。
日本が長期持久戦によって最後まで徹底抗戦するつもりだと
アメリカが初めて悟ったのが、ペリリューでした。
ペリリューで洞窟に潜む日本兵に使った火炎放射器やナパーム弾を、
硫黄島や沖縄でも更に大規模に使っていきます。
ついには、日本の本土の都市を焼き尽くす
焼夷弾の使用にまでつながって行きました。
そうした容赦なき戦いの原点がペリリュー島の戦いだったのです。
この見解はすごいことですよ。
ペリリュー島の攻防は、多くの民間人の命を奪うきかっけになったということです。
焼夷弾による本格的な空襲が始まったのは、
ペリリュー島の攻防がすんだ11月以降のことでした。
戦車から放たれる火炎。
130メートルの先まで、まっすぐに火炎が伸びます。
130メートル!
狙われた人たちは恐怖。
気が狂うほどの。
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