「ペリリュー」その2/瓶の中の2匹のサソリ/砲身の細い戦車
今日は8月19日。
前投稿のつづき。
8月13日の放映の「NHKスペシャル 狂気の戦場ペリリュー ~”忘れられた島”の記録~」より。
小さな島です。
次のサイトに行くと、パラオ諸島のどのあたりにある島であるかわかり、
2006年のペリリュー島の様子を見ることができました。
※都留文科大学 文学部 比較文化学科 教授 大森一輝先生のHP 「ペリリュー島」
日本人兵士で生き残った土田喜代一(きよいち)さん(94)はこう語ります。
激戦だったです。
瓶の中にサソリとサソリを入れて蓋をして
殺し合いをしたような格好じゃなかったですかね。
どちらが死ぬか、逃げ場所がない戦い。
日本軍は、満州にいた陸軍歩兵第2連隊がペリリューに移動してきました。
当時最強の軍隊でした。
アメリカ軍は第1海兵師団第1海兵連隊3000人が投入されました。
やはり当時最強と言われた軍隊でした。
まさにサソリでした。
ペリリュー島の日本側の守備隊長は中川州男(くにお)大佐でした。
中川大佐は、アメリカ軍が大挙してやって来ることが予想される中、
ペリリュー島でどう戦うか作戦を考えました。
その結果、硬い岩山を掘って、複雑に入り組んだトンネル陣地を作りました。
500か所作られたと言われています。
オレンジ色の場所が、洞窟の入り口。
攻撃側の隊長だったウィリアム・ルパータス少将は、
「3日もあれば、ペリリュー島は制圧できる」と言っていました。
日本側が、大挙して突入してくる戦い方をしていたので、
早くけりがつくと考えたようです。
しかし、日本の戦い方は、ペリリュー島の攻防から変わっていました。
大本営からの命令が出ていました。
長期持久戦をして、敵に多大なる損害を与えよというわけです。
ペリリュー島での攻防は、3日どころか77日間に及びました。
戦いの様子を生き残った人たちが語っています。
土田喜代一さん。戦車戦のことです。
向こうは78mm砲でしょ。 シャーマン戦車です。
こちらは37mm砲でしょうが、(アメリカの戦車に)当たっても弾が通らんわけですよ。
ところが向こうは78mm砲だから、1発当てれば、粉々になるわけですよ。
戦車の大きさがだいぶ違ったようです。
日本軍にとっては頼りにしたい戦車だったのに、
脆くもやられる姿を見て、恐怖心は高まったことでしょう。
映像を見ても、日本軍の戦車の砲身がとても細いです。
(つづく)
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