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2014年8月19日 (火)

「ペリリュー」その1/忘れられた戦い

  

今日は8月19日。

  

今年の夏はいろいろ勉強したけど、「ペリリュー島での戦い」を知ったのは、

その中でもインパクトが強かったです。

  

「ペリリュー島」のことを書いていきます。

  

8月8日に始まります。

この日、「ザ・テレビジョン」で録画したい番組をチェックしていて、

不思議だなと思ったことがありました。

8月13日にNHKスペシャルで「ペリリュー島」での攻防を扱い、

8月15日にフジテレビ系で「ペリリュー島」での攻防のドラマがあるとのこと。

「ペリリュー島」とは?

聞きなれない島名でしたが、1週間に2本は異例です。

どんな島なのだろう?どんな攻防だったのだろう?

好奇心がむくむくと湧いてきました。

録画セットをしました。

  

  

そして8月13日の晩、「NHKスペシャル 狂気の戦場ペリリュー ~”忘れられた島”の記録~

を見ました。

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目が釘付けでした。

1944年9月~11月にあった戦いなので、ちょうど70年前のこと。

このような戦いがあったのですね。

  

なぜ「忘れられた」なのか?

  

番組の最初、カメラはアメリカ海兵隊クアンティゴ基地に入ります。

基地の地下倉庫に、アメリカ史上最悪の戦いのフィルムが113本、

70年間眠っていました。

映像に撮られたのが「ペリリュー島の攻防」でした。

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映像を撮ったのは、海兵隊のカメラマン。

兵士の勇ましい姿を撮影して、戦意高揚の番組を作るのが目的でしたが、

カメラはそうではない映像を撮影しました。

  

カメラマングループでただ一人今も生き残っている

グラント・ウルフキルさん(91)はこう言います。

  

生き残れるかどうかは、運だけでした。

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あの戦場のことは家族にさえ話せません。

狂気が狂気を呼ぶ地獄の戦場。

それがペリリューでした。

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アメリカ史上最悪の死傷率(60%)であり、

日本軍も、1万人の兵士のうち、生き残ったのはわずか34人!でした。

あまりに犠牲が多く、過酷な戦いだったので、

ほとんど語られずに来た戦いだったそうです。

   

  

世間からは”忘れられた戦い”ですが、当事者にとっては”封印された戦い”だったのですね。

(つづく)  

  

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