「ペリリュー」その1/忘れられた戦い
今日は8月19日。
今年の夏はいろいろ勉強したけど、「ペリリュー島での戦い」を知ったのは、
その中でもインパクトが強かったです。
「ペリリュー島」のことを書いていきます。
8月8日に始まります。
この日、「ザ・テレビジョン」で録画したい番組をチェックしていて、
不思議だなと思ったことがありました。
8月13日にNHKスペシャルで「ペリリュー島」での攻防を扱い、
8月15日にフジテレビ系で「ペリリュー島」での攻防のドラマがあるとのこと。
「ペリリュー島」とは?
聞きなれない島名でしたが、1週間に2本は異例です。
どんな島なのだろう?どんな攻防だったのだろう?
好奇心がむくむくと湧いてきました。
録画セットをしました。
そして8月13日の晩、「NHKスペシャル 狂気の戦場ペリリュー ~”忘れられた島”の記録~」
を見ました。
目が釘付けでした。
1944年9月~11月にあった戦いなので、ちょうど70年前のこと。
このような戦いがあったのですね。
なぜ「忘れられた」なのか?
番組の最初、カメラはアメリカ海兵隊クアンティゴ基地に入ります。
基地の地下倉庫に、アメリカ史上最悪の戦いのフィルムが113本、
70年間眠っていました。
映像に撮られたのが「ペリリュー島の攻防」でした。
映像を撮ったのは、海兵隊のカメラマン。
兵士の勇ましい姿を撮影して、戦意高揚の番組を作るのが目的でしたが、
カメラはそうではない映像を撮影しました。
カメラマングループでただ一人今も生き残っている
グラント・ウルフキルさん(91)はこう言います。
生き残れるかどうかは、運だけでした。
あの戦場のことは家族にさえ話せません。
狂気が狂気を呼ぶ地獄の戦場。
それがペリリューでした。
アメリカ史上最悪の死傷率(60%)であり、
日本軍も、1万人の兵士のうち、生き残ったのはわずか34人!でした。
あまりに犠牲が多く、過酷な戦いだったので、
ほとんど語られずに来た戦いだったそうです。
世間からは”忘れられた戦い”ですが、当事者にとっては”封印された戦い”だったのですね。
(つづく)
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