今日は8月17日。
対馬丸撃沈は有名です。
昭和19年8月22日、疎開船対馬丸が沖縄から鹿児島を目指して航行中、
アメリカ潜水艦の魚雷攻撃によって学童疎開者を含む多くの人命が失われました。
その1年後。
昭和20年8月22日。8月15日から1週間後に悲劇がありました。
樺太からの引揚者を載せた小笠原丸が、
北海道の留萌沖にて潜水艦の攻撃を受けて沈没した事件。
合計638名(乗組員57名、引揚者581名)が犠牲となりました。
生存者はわずか62名でした。
同じ頃、引揚者を載せた第二新興丸・泰東丸の2船も攻撃を受けます。
第二新興丸は、死者行方不明者400名と言われています。
泰東丸は死者667名。
攻撃をした潜水艦の国は特定されていません。
当時、北海道の北半分の占領をもくろんでいたソ連の可能性が高いが、
今に至るも特定されていません。
8月15日以後のソ連軍の動きが非常に気になります。
今日は8月16日。
昭和20年8月15日以後のこと。
8月20日。樺太で真岡(まおか)郵便電信局事件がありました。
この事件とは?
8月20日。樺太の真岡にあった郵便電信局の女性交換手9名が、
ソ連軍が上陸して攻めてきた際に、集団自決した事件です。
なぜ死を選んだのか。
2008年のドラマ「霧の火 樺太・真岡郵便局に散った九人の乙女たち」(この事件を元にしたフィクション)では、
ソ連軍から貞操を守るために死んだとしていました。
敵の捕虜になるくらいなら死を選ぶ・・・・この教えは沖縄でも樺太でもあったのでしょうか。
2008年8月25日放映の上記のドラマをやっと今日見ました。(録画してありました)
8月20日の霧の中からあらわれたソ連軍艦、
そしてその軍艦からの艦砲射撃は恐ろしかったです。
上陸したソ連兵の無差別攻撃。
恐怖の中での集団自決。
あらためて戦争の恐ろしさを感じました。
ドラマの写真を少々載せます。
最後の写真に写っている石碑は、
稚内市にある「九人の乙女の像」と呼ばれる自決した電話交換手9人の慰霊碑。
「皆さん これが最後です さようなら さようなら」は、
交換手最後の言葉と言われるもの。
しかし、実際は
「交換台にも弾丸が飛んできた。もうどうにもなりません。
局長さん、みなさん…、さようなら。長くお世話になりました。おたっしゃで…。さようなら」
とのこと。(Wikipediaより)
今日は昭和20年8月15日以後のことを書こうと思い取り組みましたが、
難しかった。
真岡郵便電信局事件についても、実際はどうだったのか判断が難しかったです。
ドラマを見て、事件のことを知った気分で調べましたが、
ドラマはノンフィクションであって、事実とは違っていました。
事実をもとにしたノンフィクションというのは、厄介です。
でもなぜノンフィクションで表現したかは、
きっと制作者の希望(意図)があったはずです。
でもそれはなかなか調べられません。
前投稿で紹介した野口健さんの文章には感心をしましたが、
次の文がひっかかった。
引用。
日本サイドが「戦争はやめます」と宣言はしたものの
戦争とは相手があること、片一方の宣言だけでは「終戦」となるのだろうか。
8月14日に日本はポツダム宣言受諾を連合国に通告しています。
日本はもう戦争をやめるということですが、
宣言を日本につきつけた連合国も、
自動的に戦争をやめることになっていなかったのか?
そんな疑問を持ち、ポツダム宣言の内容まで調べたりしていましたが、
まだよくわかっていません。
そのへんのあいまいな時に、ソ連軍は侵攻してきて、
たくさんの命が奪われています。残念なことです。
当たり前のことですが、何か書いて公表するには、
最低限いろいろ調べます。
しかし、戦争に関しては、資料が多すぎる(深すぎる)ため、
キリがなくなります。でも向っていかないとね。
今日は8月16日。
昨日は終戦記念日。
しかし、戦争は終わっていなかった。
以前の投稿で、昭和20年6月19日~10月15日の出来事を一覧しました。
8月15日以降を転載します。
8月15日 日本国民へ玉音放送(終戦の詔)。支那派遣軍と南方軍これに抗議し戦闘続行。
8月16日 ソ連軍、南樺太に侵攻開始(28日占領)。大本営、停戦命令を出す。
8月17日 天皇、停戦の勅旨。
8月18日 ソ連軍、千島列島の占守島に侵攻。
8月19日 フィリピン・ルソン島の日本軍部隊、停戦命令を受領。関東軍とソ連極東軍が停戦交渉開始。
8月20日 樺太で真岡郵便電信局事件が起こる。
8月21日 占守島の日ソ両軍、停戦する。
8月22日 小笠原丸撃沈。
8月25日 ソ連軍、千島列島の松輪島を占領。
8月26日 満州での戦闘が終わる。
8月28日 ソ連軍、千島列島の択捉島を占領。
8月29日 ソ連軍、千島列島のウルップ島を占領。
8月29日 米軍第一陣150名が横浜に上陸。
8月30日 連合軍最高司令官マッカーサー、厚木飛行場に到着。
9月1日 ソ連軍、千島列島の国後島・歯舞群島を占領。
9月2日 降伏文書調印、太平洋戦争(大東亜戦争)終結。
9月3日 ソ連・中国にとっての対日勝利の日。ルソン島の日本軍降伏。
9月5日 ソ連軍、千島列島の色丹島を占領。ソ連軍が北方四島の占領を完了。
9月5日 関東軍首脳部がハバロフスクへ移動、後に57万人がシベリア抑留となる。
9月中旬 中国大陸の中国派遣軍降伏。
10月15日 本土の日本軍、武装解除完了。
8月15日以降、どんな事があったか。
今年、できるだけ見ていきたい。
8月18日のソ連軍、占守(シュムシュ)島侵攻については今までに3回書いてきました。
登山家の野口健さんのブログを熟読しました。
野口さんが、たくさんの資料と自分の体験からじっくり考え文章を書いていることに感心。
とても参考になりました。
いつが終戦日なのか考えています。
8月15日を「終戦記念日」とすることに疑問を持っています。
今日は8月15日。
前投稿のつづき。
5月1日放映された「夢の扉+(プラス)」で、
「地中熱空調システム(ジオ)」を発明した橋本東光さんが紹介されていました。
前投稿の「地中熱ヒートポンプ方式」と同じく地中熱を利用したもの。
こちらは床下から取り入れた外気を、二重パイプで地下に送ります。
パイプに工夫あり。
外側がアルミ。
ここを地下に下る空気が通ります。
アルミなので地中熱の影響を受けて、夏なら空気が冷えます。
下まで行って冷やされた空気は、中央のポリエチレンの管で上昇。
ポリエチレンは外気温に影響を受けにくいため、
冷えた空気がそのまま上昇し、室内に入ります。
これが簡単な仕組み。
橋本さんは、山口県の秋吉台の近くに住んでいる人。
秋吉台の鍾乳洞に行った時に、この仕組みを利用しようと考えついたそうです。
番組の中では、「地中熱空調システム(ジオ)」と紹介されていましたが、
HPを見ると「ジオパワーシステム」とあって、詳しく説明してくれています。
※youtubeでも・・・http://www.youtube.com/user/geopowersystem?gl=JP&hl=ja#p/u/4/ZtEN616wuQ4
なかなかいい方法だと思いますが、改築でもOKなのかな?
積極的に考えてしまう方法です。
前投稿の方式も、地中熱なら、自分の土地の下には必ずあるものだし、
そうは簡単にはなくならない。
外部に熱を出して、ヒートアイランド現象を起こすこともない。
安全である。
1998年に「地中熱空調システム(ジオ)」が完成した頃は、
エアコンが売れていた時代で、あまり注目されませんでした。
しかし、時代は変わりました。これからは需要が伸びそうです。
「地中熱ヒートポンプ方式」より、工事が簡単そうです。
民家でも採用できそうです。
そうそう、東日本大震災の仮説住宅でも使われると番組でも言っていました。
どうなったんだろう?
こうやって、エネルギーを使わない方法を勉強するのもいいなあ。
今日は8月15日。
10日夕方のニュース番組「イッポウ」(CBC)でエネルギーのことをやっていました。
場所は愛知県長久手町にある「愛知たいようの社」
ここは地熱エネルギーを使った施設だそうです。
設計者は、工学院大学の中村勉特別専任教授。
ここでは地下100メートルまで管を通して、
その管の中に水を通します。
地中の温度は、1年を通して15~18℃なので、
夏の場合、水は地中で冷やされます。
その水をさらにヒートポンプ※で冷やして、
部屋の下に送り込みます。
冷やされた水は、外部から取り入れた新鮮な空気を冷やします。
冷やされた空気は部屋に流れ込みます。
快適にすごせるわけです。
冬は逆の考え。
図で表したものです。
この方式の名前がないかなと思って探しました。
「地中熱ヒートポンプ方式」というそうです。
中村教授が番組中にこう言っていました。
今回の事故が起こって一番問題なのは、
ただ原子力に変わる新しい違うエネルギーを入れればよいという訳じゃないこと。
自然エネルギーや再生可能エネルギーが必要になってくる。
今回の施設は、エネルギーを使わない技術(を採用した)。
最初から使わない方をしっかりしておいて、
それに少ないエネルギーをうまく利用するのが賢明なやり方。
新しいエネルギーについて考えるのは大事ですが、
エネルギーを使わないですむ方法を考えようということ。
そりゃそうだと思う。
※「ヒートポンプ」についてまだ未消化。
仕組みが難しい。
今日は8月15日。
13日は息子の野球チームの手伝いを終日。
これで、3週連続土曜日はお手伝い。
2塁塁審とかやっていました。
海沿いの埋立地にあるグランドです。
すご横には、河口がありますが、
海が近いだけに干満の影響をすごく受けます。
河口に向かって撮影してみました。
昼食後。12時47分。
30分あまりして撮影。まだあまり変化なし。
1試合審判をやった後、大きな変化。15時56分。
さらに満ちた状態に。16時54分。
夕日に色づく川。18時24分。
調べてみました。
比較的に近い蒲郡の13日の干潮は11時28分。
満潮は18時6分。
したがって、ほぼ干満の写真は撮れたと思います。
月は月齢13.3。月の出は18時8分。
ほぼ満月。月の引力のために、晩は水位が上昇。
逆に昼は、月が地球の裏側にあるために、そちらに引っ張られて水位が下降。
偶然にも、撮影した13日は、干満の差が大きい「大潮」でした。
こういうのを「大潮」というのですね。
しかし、月って、そんな力があるんだ。
今日は8月15日。
昨日は奥さんの実家へ。
そこで見かけた植物。
ヒガンバナ?ちょっと早すぎでしょうと思ったら、
「キツネノカミソリ」という植物だと教えてもらいました。
調べました。
次のサイトから引用。
キツネノカミソリは本州から九州に生育するヒガンバナ科の植物である。
ヒガンバナと同様に、花が咲くときには葉がない。
※やっぱりというか、当然ながらヒガンバナの仲間でした。
早春からスイセンに似た葉を展開し、夏草が茂るころには葉が枯れる。
その後に花茎を形成し、花を咲かせる。
※ヒガンバナも春より前に一度葉は枯れてしまい、
忘れた頃に花を咲かせます。ここも共通点。
ただ、ヒガンバナは、花が咲き終わった頃から葉が出ますが、
キツネノカミソリは違います。
キツネノカミソリはお盆ころに、ヒガンバナはお彼岸に花を咲かせ、
なにやらご先祖様と因縁のある植物である。
※なるほど。私が発見しのも、「お盆」
ヒガンバナが人里の刈り取り草原や河原だけに生育するのに比べ、
キツネノカミソリは林縁や明るい落葉広葉樹林に生育している。
名前の由来は葉の形がカミソリに似ているとのことであるが、
花の色がキツネの体色をイメージさせ、
花だけが咲いているのが奇異であることも関連しているのかもしれない。
※やはり茎と花だけというのは奇異です。
ところで、昨年から今年にかけて、ヒガンバナの定点観察をしました。
1月に葉が刈りとられてしまったため中断していました。
予想では3月くらいまで葉があって枯れるだろうと予想していました。
しかし、見ることができませんでした。
最近の観察場所の写真です。
何やら丸い葉の草が繁茂しています。
全くヒガンバナの存在はありません。
お彼岸の頃には、ここらからニョキニョキヒガンバナが出てきて主役になるはずです。
いま、花と茎を準備している最中でしょう。
今日は8月13日。
昨晩は大震災のドキュメンタリー番組を見ました。
津波の恐ろしい映像をあらためて見て、
3月11日に起こった悲劇を思い知りました。
まだまだ大震災のこと、知らないこと多し。
久々のスクラップ。前回は6月7日。
【8月11日朝日新聞朝刊】
5月15日のテレビ番組で、
小学校の放射能汚染された運動場の土を処分する場所がないと言っていました。
それから3か月。
いまだに解決されていないことが、この記事でわかりました。
苦しみを日本国民全員が分かち合わねばと言う人がいました。
それじゃあ、その汚染土壌を、
ここへ持ってきてくださいとはなかなか言えない。
何かいいアイデアはないのだろうか。
全国に配って、深いところに埋めてしまう。
全国に配れば、量的には少ないため汚染の危険性が少ないのでは。
どさっともらったらいやだけど、少しならどうにかなるのでは。
人ごとになりがちだったことが、身近に感じられるのではないだろうか。
甘い考えなんだろうなあ。
でも少しでも土が割り当てられ、どうにかしないといけないとなれば、
きっと考える。
そして、被災地の人たちのことも考えられる。
どれくらい埋めたら影響が少ないか、それが知りたい。
今日は8月12日。
8月の終わりに、山のお師匠さんと2人で北アルプスに行きます。
そこで作って食べたい山めしがあります。
「山のカレードリア」です。
次のサイトに作り方が載っています。
昨日は管理当番でした。
昼ご飯に、一度練習で、この「山のカレードリア」を作ってみました。
材料はこれだけ。
アルファ米ドライカレー
とろけるチーズ
ポタージュスープ
乾燥湯葉
山のお店に行っても、「アルファ米ドライカレー」があまりなかったです。
大震災のため東方地方にだいぶ品物が行っていて、品薄のようです。
結局アマゾンで注文して買いました。
乾燥湯葉なんて、お店で売っているのかなと思いきや、
ちゃんとありました。
さあ、調理を始めます。
ドライカレーの封を開けます。
ちゃんとスプーンがついていました。これは便利。
添付されていた調味粉を入れました。
カレーの香りがしてきました。
そしてお湯を入れます。
乾燥湯葉を入れます。
これを入れようと考えたことが楽しい。
魅力のある材料です。
とろけるチーズを入れました。
家にあった賞味期限切れのもの。大丈夫でしょう。
こうやってお湯を入れ、材料を入れて封をします。
そのまま15分間待ちます。
この15分間が長い!待ち遠しい。
カップにポタージュスープの粉を入れます。
湯を注ぎます。
お湯はあまり入れずに、ドロッとする程度。
15分経過。
できてる、できてる。
袋に入れたままでも食べられます。
食器をなるべく汚したくない山では、
きっと袋に入ったまま食べることになると思いますが、
今回は皿に盛りつけました。
それに、ポタージュスープをかけました。
おいしかった。職員室の片隅で、幸せを味わっていました。
思ったより量も多い。
簡単でおいしい。材料も軽い。
山の食事にピッタリのメニューです。
「山めし礼讃」の作者さんに感謝。
さあ、北アルプスで食べる日が楽しみです。