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2009年8月

2009年8月31日 (月)

「鍛え・育てる」抜粋その2 力量を上げるための自己鍛練

「自身の持つパワーを、正しい方向で『外』に発揮させる」ことを深澤先生は目指しています。

そのための導入的・第一関門的行為として、深澤先生は2つの視点で子どもたちを見ます。

   

・挨拶への立候補

・はっきりした返事

    

この指導について書いた87~89pの文章は迫力があり、読むと気持ちが高まる。

ここに抜き出す。たくさんです。

    

その時々の子どもたちの“到達”に応じて、様々な手法を試してきた。

ほとんどの子どもたちは立候補するようになったがある子には全く通用しない。

こんな事は山のようにあった。

その度に、帰宅してから再び”戦術”を練る。孤独な”自己鍛練作業”である。

たかが、「挨拶できる人?」に対して全員に「ハイ!」と立候補させるだけの教育活動である。

だが、私にとっては(中略)、自身の持つパワーを正しい方向で「外」に発揮させるとういう

【哲学】に基づく導入的・第一関門的行為である。

それほど重要なのだ。

だからこのように、いろいろ考え・いろいろ行ってきた。

     

その結果、以前は一ヶ月程かかっていた「全員が挨拶に立候補する」状態を

二~三日間で”生み出す”ことができるようになってきた。

数えたことはないが、私の頭の中に「挨拶に立候補させる」という“タンス”があり、

その“タンス”には数十の手法が”引き出し”として蓄積・整理されている感じだ。

すると、リアルタイムで「次の手」が打てるようになる。

アドリブ的指導ができるようになる。

    

到達させたい行為像に向けた教育活動展開中、当初用意していた手法が思ったように通じない時、

瞬時に効果的な「次の手」を打てるか。これが教師の力量を計る一つの尺度である。

特定の一手法を絶対視し、信望する教師は、その一手法を知り・使えるようになった段階で満足する。

それ以外の手法を知ろうともしないし、ましてや、自身で新たな手法を創出しようとも考えない。

こうした教師は、その手法が通用しない場面に遭遇した時点でオシマイになる。

何もできない。

「次の手」がないのだから、当然である。

     

いろいろやって子どもたちがやらないからあきらめよう。

こう考えた教師は、その後挨拶へ立候補させる指導を子どもたちに行わなくなる。

子どもたちに対して挨拶への立候補を“要求”しなくなる。

やればできる事をしていない状態を“見逃す“教師を、

鍛えられていない子どもたちはたまに「優しい先生」と呼ぶ。

     

子どもたちが何と言おうが勝手なのだが、

実はこう考えた瞬間、その教師は子どもたちに“敗北”したのだ。

同時に、子どもたちの持つ力を見切ったのだ。

「こいつらはダメだ」と子どもたちを見捨てた事に他ならない。

これが「優しい教師」か?

否!

力量ナキ「甘い教師」に過ぎない。

    

「優しい教師」とは、子どもたちの近未来を考えた上で

「これだけは絶対に身につけさせたい力」を定め・

妥協することなく指導し・その「力」を身につけさせていく教師である。

     

個々の子の“到達”は異なっている。

だから、多くの子にとっては実に簡単なのだが、

ある子にとっては教師が想定する以上に困難そうな場合もある。

“到達”の低い子にほど“負荷”がかかる。

ここで、教師の目指す具体的行為像を低レベルに引き下げてはならない。

できない子がいた場合は、教師自身の力量がまだまだと考え、

行為像レベルを下げるのではなく、

自身の力量を上げるための自己鍛練をすることだ。

    

    

叱咤激励される文です。新しい学期を前に読んで気合いを入れたい文です。

「鍛え・育てる」抜粋その1 目指すべき具体的行動像

夏休みも大詰め。深澤久先生の本「鍛え・育てる」(日本標準)を再読。

大事な言葉を抜き出しておきたい。

迷った時にはここに来る。

    

・なぜ「当たり前の事」をしないのか?(中略)本人が”楽な道”を選ぶからである。(24p)

・「当たり前の事」を確実に実行していくことは、”楽な道”を拒絶する道である。

怠惰と訣別する道である。

自身の中にある「弱さ」「甘さ」を克服していく道である。

だからこそ、学校教育(特に義務教育段階)では、「当たり前の事」ができるように

子どもたちを鍛え・育てていく視点を持ち、

全ての教育活動の隅々まで具現化しなければならない。(25p)

     

・(前略)しかし、(子どもたちの姿が)さほど変わらない時もある。(中略)

一回でダメなら、二回目・三回目と変わるまで指導していけばいい。

もちろん同じ「言い方」では通用しない。よって、別の「言い方」を考えねばならなくなる。

この繰り返しの中で、本気で子どもたちを考えている教師は、

子どもたちに響かない「言い方」の共通点に気付き、

子どもたちに響く「言い方」の共通点を発見していく。

こうして教師は、自身の力量を向上させていく。自己鍛練していく。

マイナス的言動を行う子ども(たち)をプラスに変える営みなくして、教師は鍛えられない。成長しない。(39~40p)

     

・目指すべき子ども像を、具体的行為像として描く。(47p)

    

・目指すべき具体的行為像を確立する事は、

どのような子どもたちを育て・どのような学級を作り上げていくのかを構想する事に他ならない。

目指すべき具体的行為像を持たぬまま子どもたちの前に立つ教師は、

目的地も決めず羅針盤もないまま出航する客船の船長である。

潮流や風向きや「客」である子ども(たち)の欲求に左右されながら、

漂流するしかなくなる。(50p)

             

・やればできる事すらさせようとしない行為は、子どもたちを”甘やかしている”のだ。

この事に気付いていない。

なぜ、こうなるのか?

目指すべき具体的行為像を持っていないからである。(63p)

    

    

具体的行為像をたくさん設定し、そこに向けて粘り強くやりたい。

具体的行為像は、頭の中にあるだけではだめで、書き並べ目につくところに置いておきたい。

    

研修会/講師は野口先生でした

8月25日は授業力向上講演会。

市内の小中学校の先生で、野口芳宏先生のお話を聞きました。

血や肉になってほしいことを箇条書きで書き並べます。

     

・本は必ず立って読む。

・発問には必ず指示をつける。ノートに自分の答えを書かせる。全員が当事者になる。

・授業の中に傍観者を作ってはだめ。

・子どもには努力させる。努力して良かったと思う体験をさせる。

・物語の題名は大きく書いてあります。表札です。大きく読みます。名前は小さく書いてあるので小さく読みます。

・固有名詞は、前後を開けて読んで際立たせる。

・授業では、できることより変わることが大事。変わることを恐れない。

・間違いに気付かせる授業が必要。間違いに気がついてよかったと子どもが思えるように。

・正しい読解の上に、豊かな鑑賞がある。

・教師によって答が○だったり×だったりすると、国語はバカにされる。国語はよくある。

・問われて初めて気が付くことが多い。したがって何を聞くかは大事である。

・きめ細やかな言葉へのこだわりが大事。

・根本・本質・原点。いつもこれを確かめここから出発。

・目的が目標の上位概念。目標は無数にある。目標に振り回されると、目的を忘れる。

・教育の目的。教育基本法第1条。

 「教育は、人格の完成を目指し、

 平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた

 心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」

・この目的を忘れて、個性伸長などと言われている。今は必要なことを教え込むこと。

・個性は、つぶされてつぶされて、それでよ~しと言って出てきたものが個性。

・「わかりません」は絶縁の言葉。「屁理屈をこねてみろ!」

・授業で大事なものは「学力形成」・・授業は楽しくなくても、学力がつけばいい。

・「知識・理解」が身につけば、「関心・意欲・態度」は自然とついてくる。

・発問=力のある者が、力のない者に、問いを通して教えること。

・「賢人から学ぶ愚者は少ない/愚者から学ぶ賢人は多い」(ゲーテ)

・学力形成の手段。①入手獲得 ②訂正修正 ③深化統合 ④上達進歩 ⑤活用応用

・今の教科書はひらがな多し。黒板には漢字で。どんどん漢字に触れさせる。1年生で「大きな蕪(かぶ)」と板書した。

・こんなに詰め込んでいいのかと、引かなくていい。みんな忘れる。忘れてまた出会う。

・野口流国語力 ①読字力 ②語彙力 ③文脈力

・豊かな語彙力→豊かな思考ができる

・チャンスを逃すと言葉は教えれない。その都度、類義語・反対語をどんどん示す。

・絶対に必要なことは強制する。 

      

    

たくさん書き並べました。市内の先生たちで野口先生を独り占めした日でした。

2009年8月30日 (日)

山下工美さんの2009年の作品「椅子」

今晩のNHK教育の番組「日曜美術館」(再放送)は、

新潟県の越後妻有(えちごつまり)で行われている「大地の芸術祭」のことをやるとのこと。

7月26日~9月13日の間開催されている「大地の芸術祭」

ちっとも知りませんでした。

注目は、たくさん参加している芸術家の中の一人山下工美さん。

「椅子」という作品を出品されています。

光を当てることで、椅子に座った少女が浮かび上がる山下さんらしい作品。

生で見てみたい。

けど、無理ですね。

見に行った方のブログで拝見。

その中の一つ。

「キラキラの毎日」(いいブログ名です)

http://plaza.rakuten.co.jp/chococinnamon/diary/200908110000/

ここにも「椅子」の写真が2枚あります。

その1枚。

Img466caf12zik4zj

   

    

    

    

    

やっぱり生で見てみたいです。

この作品はどうなるのだろう?

今晩のテレビ番組中にも出てくるかな?お、もうじき番組が始まります。

墓参り/選挙/与党の「与」

今日(8月30日)の午前は墓参りと選挙に行ってきました。

自動車で片道30分のところに7月にお墓を作りました。

山のふもとの静かな墓地なので、そこにいるだけで心が落ち着きます。

投票もしてきました。

今晩の結果が楽しみです。

今、中学校の社会科教師をやっていたら、

この選挙はいい教材になるだろうなと思います。

     

夏休みに入ってすぐ、面白いブログを見つけました。

言葉にこだわって解き明かしていくブログです。

「言葉拾い」http://kotobahiroi.seesaa.net/

さらにメルマガもあって、登録すると毎週日曜日に最新記事が届きます。

今日届いた内容は、「与党と野党」

政権交代があるかもしれないと言われている選挙のある日にピッタリの内容です。

引用します。    

     

■ 「与党」と「野党」 ■

「与党」と「野党」の意味なんて、知ってるよと思っていましたが、
改めて調べてみたら、意外と理解していなかったことを知りました。
そもそもある本で、
「与」と「野」が対語になっていないのは何故?
という疑問を目にしたからです。

そういえばそうですね。
それで、また漢字の分解です。

「与」
1、あたえる     贈与
2、かかわる     関与
3、仲間になる   与党

「与」といえば、まっさきに「与える」を思い浮かべてしまいますが、
仲間になるという意味があって、
「与党」は、
政府と仲間になっている党 → 政権を握っている党


「野」
1、のはら
2、民間
3、いやしい。いなかびている。 野卑
4、自然のままの。  野生
5、はんい。  視野


「野に下る(やにくだる)」でも取り上げましたが、
民間という意味の「野」でした。


http://kotobahiroi.seesaa.net/article/95663361.html

つまり、
「政府」対「民間」の対比でした。


お金をバラ撒き与えるの「与」、
野次の卑しい「野」かと思っていました。 笑

    

    

以上です。

「与」には「仲間になる」という意味があるのですね。

さっそく「常用字解」(平凡社)で調べました。

解説にこう書いてありました。

    

会意。もとの字は與に作り、与と臼(注:下の横線も中央で切れている。活字がなかったのでこの字を使う)と廾とを組み合わせた漢字。

与はおそらく象牙二本を組み合わせた形。

臼と廾はともに左右の手を並べた形。

象牙のような貴重な物を四本の手で捧げて運ぶ形が與で、

共同で運ぶことから「ともにする、なかま」の意味となり、

運んで他に移すので「あたえる」の意味となる。(627p)

     

「与党」と同じように「仲間になる」の意味の熟語がないか調べました。

ありました。

「与国(よこく)」・・・味方の国

「党与(とうよ)」・・・一緒に何かをする仲間。徒党。

    

あまり使わない漢字熟語だなあ。


松原頭首工付近の写真/旧江島橋の写真

P8260058_2    

    

    

この写真は以前出しました。

http://mitikusa.typepad.jp/blog/2009/08/post-96a9.html

昭和42年頃の写真です。

松原頭首工があった場所らしいのですが、どう写っているのか謎でした。

地元の方が、この投稿にコメントをくれました。

向こう側が豊川(とよがわ)上流で、手前が下流。

道路が今の国道151号線。

151号線のすぐ下を豊川本流が流れ、この後左に大きく曲がります。

そこに堤防があって、頭首工もそこにあったらしいです。

(つまり、この写真には松原頭首工は写っていない)

堤防や頭首工に本流が直撃するので、大水で被害を受けたようです。

そのため松原頭首工からの取水をやめて、牟呂松原頭首工からの取水に移ったのでしょう。

本流は、工事によって両岸の堤防の中央あたりに流れるようにしました。

     

写真の上の方に橋がかかっています。

江島橋と呼ばれる橋です。

写真の橋は今はなく、新しい江島橋が少し上流にかかっています。

古い江島橋の写真を以前見せてもらい接写していました。

いい機会なので、ここに載せます。

資料置き場的なブログの使い方です。

P3180127    

    

    

ふだん見慣れたものでも、

取り壊されてしまえば、見たくても見られません。

それは時にはとても悔しいことです。

このような写真を撮り、保存されていた方に感謝です。

夏休みの自由研究「水の道」

ずっと娘と息子の自由研究の手伝いをしてきました。

今年中2の娘は自由研究はなし。残念。

小5の息子は星の自由研究をするとのこと。

ちょっと私には苦手な内容ですが、手伝っています。

あと30日、31日と2日間。がんばろっと。

    

教師にとって夏休みは充電ができる時。

学期中に比べて時間的な制約が緩いので、出歩いていろいろ見に行くことができる時です。

貴重な教材研究期間。特に社会科教師は出歩くべきだと思っています。

夏休みの自由研究をやっている気持ちです。

昨年の夏休みは、「マンホールの研究」でした。

今年の研究テーマは「水の道」かな。

8月21日以降書いてきたことがその内容です。

その他書ききれなかったこと、書くとさしさわりのあるものを含めて、

たくさんのことを知りました。

夏休みの始まる前と今では、「水の道」に関して知識が格段に増えました。

2学期の授業にどう活かせるか。

豊川海軍工廠の水道施設その3

(前投稿のつづき)

いよいよ戦時中に作られた千両(ちぎり)の配水池の上へ。

P8260038_2    

    

    

この草の下に、配水池があるそうです。

丈夫なコンクリートの箱なので、今も残っているそうです。

ただ草木におおわれているため、全く姿は見えません。

戦時中は、配水池は松林に隠されていて、

上空からもわからないようにされていたそうです。

海軍工廠にとっては水は大事なもの。

配水池が爆撃されれば死活問題。だから隠されていました。

この話を聞いて、戦争を感じました。平和な世の中では考えないことです。

マツクイムシの被害で松がほとんど残っていませんが、

今も木々に囲まれ、草もあって、配水池は隠されています。

    

「マムシがいるかもしれないけど、配水池の上を歩いてみるかい?」

案内人の人に言われました。もちろん歩き始めました。

こんな機会は滅多にないこと。マムシがなんだ・・・・・ドキドキ。

    

ところどころに白い筒がありました。

P8260030_2    

   

   

空気抜きだそうです。

筒の上から配水池をのぞいてみました。

P8260031    

    

   

底には水がありました。

配水池に今も水がありました。

     

P8260034    

    

    

戦時中に作られたハンドルなども残っていました。

ここは立派な遺跡だと感じました。

この遺跡はそんなに知られていないと思います。

豊川海軍工廠に関連するし、戦争時の考え方も伝える遺跡だと思います。

保存すべきものだと思いました。    

    

想像していた配水池は、今の円形貯水タンクのイメージでした。

グレー色のコンクリート製だと思っていました。

草木におおわれた直方体の配水池は想像外。

こういうのが面白い。同じ学年の若い先生とともにいい見学ができました。

2009年8月29日 (土)

豊川海軍工廠の水道施設その2

(前投稿のつづき)

8月26日。豊川市の千両(ちぎり)にある海軍工廠のために作られた配水池を見せてもらうことに。

千両は、昭和20年8月7日の海軍工廠爆撃での死者を仮埋葬をした場所。

埋められた場所がどこだったのかを以前調べて、

このブログに書いたことがありました。

※たとえばhttp://mitikusa.typepad.jp/blog/2009/03/post-72a1.html

海軍工廠に隣接した地区だけに、海軍工廠ゆかりのものがあるのだなと思います。

     

現役の水のタンク2つの傍らにそれはありました。

「これがそうだよ」

P8260044    

    

   

「????」

案内をしてくれた人にそう言われても、すぐにはわかりませんでした。

写真から、大きな直方体の構造物が見えてきませんか?

今は草木におおわれていますがいますが、コンクリート製の配水池があるのです。

深さ5メートルで2000トンの水を貯えられる配水池だったそうです。

昭和50年代までは使われていたそうです。

頼んだら、配水池の上を歩いてもいいことになりました。(つづく)

        

豊川海軍工廠の水道施設

夏休みに水のことを調べていたら、

以前から興味を持っていた豊川海軍工廠のことに関連した話が聞けました。

豊川市一宮浄水場で話を聞きました。

この浄水場は、海軍工廠に水を送った施設を引き継いだものだと聞いて驚きました。

戦時中に豊川海軍工廠が作られた時に、

水をどうするか考えました。

最も近い水量豊かな河川は、海軍工廠の東にある豊川(とよがわ)でした。

さっそく豊川に取水口を作り、そこからまっすぐ!西にむかって水道管を走らせました。

(いろいろな問題はあったと思いますが、戦時中、お国のためということか、

とにかくまっすぐです)

水道管は、海軍工廠の北にある千両(ちぎり)という場所までつなぎました。

千両に配水池をつくり、水はそこに貯められました。

千両は、海軍工廠より高い位置にあったので、

配水池から必要な水が提供されました。

      

豊川の取水口からち千両までの途中に作られた浄水場が、今の豊川市一宮浄水場です。

戦後、払い下げられました。

豊川の河床の下に取水口があるため、伏流水を取っています。

千両までの400mm径の水道管は、今でも戦時中のものを使っているそうです。

    

千両の配水池跡がまだあると聞いて、

ぜひ見せてほしいと頼んで見せてもらうことになりました。(つづく)

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