「鍛え・育てる」抜粋その1 目指すべき具体的行動像
夏休みも大詰め。深澤久先生の本「鍛え・育てる」(日本標準)を再読。
大事な言葉を抜き出しておきたい。
迷った時にはここに来る。
・なぜ「当たり前の事」をしないのか?(中略)本人が”楽な道”を選ぶからである。(24p)
・「当たり前の事」を確実に実行していくことは、”楽な道”を拒絶する道である。
怠惰と訣別する道である。
自身の中にある「弱さ」「甘さ」を克服していく道である。
だからこそ、学校教育(特に義務教育段階)では、「当たり前の事」ができるように
子どもたちを鍛え・育てていく視点を持ち、
全ての教育活動の隅々まで具現化しなければならない。(25p)
・(前略)しかし、(子どもたちの姿が)さほど変わらない時もある。(中略)
一回でダメなら、二回目・三回目と変わるまで指導していけばいい。
もちろん同じ「言い方」では通用しない。よって、別の「言い方」を考えねばならなくなる。
この繰り返しの中で、本気で子どもたちを考えている教師は、
子どもたちに響かない「言い方」の共通点に気付き、
子どもたちに響く「言い方」の共通点を発見していく。
こうして教師は、自身の力量を向上させていく。自己鍛練していく。
マイナス的言動を行う子ども(たち)をプラスに変える営みなくして、教師は鍛えられない。成長しない。(39~40p)
・目指すべき子ども像を、具体的行為像として描く。(47p)
・目指すべき具体的行為像を確立する事は、
どのような子どもたちを育て・どのような学級を作り上げていくのかを構想する事に他ならない。
目指すべき具体的行為像を持たぬまま子どもたちの前に立つ教師は、
目的地も決めず羅針盤もないまま出航する客船の船長である。
潮流や風向きや「客」である子ども(たち)の欲求に左右されながら、
漂流するしかなくなる。(50p)
・やればできる事すらさせようとしない行為は、子どもたちを”甘やかしている”のだ。
この事に気付いていない。
なぜ、こうなるのか?
目指すべき具体的行為像を持っていないからである。(63p)
具体的行為像をたくさん設定し、そこに向けて粘り強くやりたい。
具体的行為像は、頭の中にあるだけではだめで、書き並べ目につくところに置いておきたい。
コメント