2018年10月 9日 (火)

録画した番組が、日の目を見ているぞ/「古事記」の動画

今日は10月9日。

  

「古事記」を授業で教えるにあたって、

見せたいのはこの動画 ↓

この動画については、以前記事にしました。

ここでも道草 映像「SUSANOO ースサノオー」 いいですね

(2014年6月28日投稿)

 

まさかこの映像を、中学校の社会科の授業で見せる日が来るとは。

もう私は中学校勤務の日は来ないと勝手に思いこんでいました。

ずっと長年録画してきた番組も同じです。

自分勉強にはなるけど、中学校の社会科で見せることはないだろうと

思っていました。

ところが、毎回授業で何か動画を見せています。

倉庫から次々に出してきています。

録画した番組が、日の目を見ているぞと、

久々中学校に勤務して半年経って、そんなことに思いました。

  

人生、何が幸いするかわかりませんね。

前投稿で読み物化した「その時歴史が動いた」は

10年経って、初めて見たと思います。

いい勉強になりました。

番組を授業で見せることはないかもしれませんが、

明治時代の歴史の教科書の写真は、

きっと見せると思います。

  

  

「古事記」を紹介する動画はネット上にいろいろありました。

短時間に紹介するならこれ ↓

宮崎県庁が作成した動画。

日本列島創成から神武天皇までが語られています。

 

 

最初に「古事記」編纂者の太安万侶(おおのやすまろ)が登場して、

編纂が始まったいきさつを話しているのがこの動画 ↓

Youtube 古事記 1「国生み」

さらに、イザナギが黄泉の国に行き、

死んだイザナミに会おうとする話から始まるのは、

この動画↓

Youtube 古事記2「黄泉の国」

  

  

そして時間があったら、じっくり見てほしいのが、

全17話のシリーズ。

その第1話がこれ ↓

このシリーズについては、このサイトが勉強になります。

Rakinasuchi  古事記の物語 出典

こういう動画を作成していただき感謝。

利用させていただきます。

「古事記」編纂のきっかけ/「古事記」が求められた時代

今日は10月9日。

  

最近知ったことで、印象に残ったことは、

「古事記」「日本書紀」を編纂することを命じたのは

天武天皇ですが、そのきっかけになったのは、

蘇我蝦夷が自分の家を焼いて自殺した

事件だったという話です。

蝦夷の家にあった朝廷の歴史書を保管していた書庫までもが

炎上したと言われ、『天皇記』など数多くの歴史書は

この時に失われてしまったそうです。

新たな歴史書の編纂の必要性が出てきましたが、

蝦夷を倒した中大兄皇子(天智天皇)は、

唐・新羅軍の来襲に備えていて、その余裕はありません。

来襲の危機が薄らいだ時期に天皇になった天武天皇が、

編纂を命じたのは、すごく納得がいきました。

参考:Wikipedia 古事記

  

  

しかし、超解釈!戦国時代・江戸時代 「古事記と日本書紀」の違い。そして編纂に込められた天武天皇の意図を読むと、

「歴史書が燃えたから作った」というのは、

表面的な理由に過ぎないのです。

と書いてありました。 

天武天皇は、天皇中心の集権的国家を作るために、

天皇の権威を知らしめること」が目的だったとしています。

これまた納得です。

  

  

2008年4月23日放映の

その時歴史が動いた ”古事記”誕生 日本最古の古書の謎

より聞き書きします。

  

ナレーター(松平定知さん!):「古事記」誕生から500年。

  日本の政権は天皇を中心とする朝廷から武家へと変わります。

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  現存する最古の「古事記」が書き写されたのは、

  14世紀の南北朝時代のこと。

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  天皇家が分裂し戦乱が日本をおおう中、

  国が一つにまとまることを誰もが願った時代でした。

   

  明治時代。

  「古事記」は広く一般の人にも読まれるようになります。

  当時の歴史の教科書には「古事記」や「日本書紀」に基づく

  国の成り立ちが示されていました。

  「天照大神(アマテラスオオミカミ)は、わが天皇陛下の

  ご先祖にてまします」

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  天皇を中心に国民がまとまる近代国家を造るため、

  明治政府は神話を求めたのです。

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  そして人々に浸透した神の国の意識は、

  昭和に入り戦時体制の確立に大きな役割を果たしました。

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  そして現代。

  「古事記」に描かれた神話は、子どもたちの読むおとぎ話に

  姿を変え、今も読み継がれています。

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  (中略)

  日本人の内面に神の存在を宿らせ続けている「古事記」

  時に私たちを翻弄(ほんろう)し、時に私たちを支える。

  そして今も日本人の奥深くに横たわっています。 

 

  

 

「古事記」とどうつきあうか?

過去の歴史を踏まえて、授業で紹介していきたい。

2018年10月 8日 (月)

「ハイネさん」より引用/午前10時13分から10時39分まで

 

今日は10月8日。

  

前投稿に引き続き、

著書「ハイネさん 豊川海軍工廠をめぐる4つの物語

(住田真理子著/これから出版)より引用します。

  

師走に入って数日後。

昼食を終えて午後の作業に戻った矢先だった。

何の前ぶれもなく地面が揺れ、作業台の上の工具が、

目の前でぱらぱらと落ちた。

「地震だ」

誰かが叫んだ。

反射的に身を低くして机の下にもぐりこんだ。

工員たちは出口に殺到している。

「建物が倒れるわ、早く逃げよう」

(37p)

  

これは1944年12月7日の東南海地震。

豊川海軍工廠でも、大きく揺れたことがわかります。

  

  

年が明けて1月の夜中にもまた大きな地震あった。

幡豆町、吉良町など西三河に被害が大きいと人々は

噂していた。

ぺしゃんこになったり火事で焼けた家も多く、

遺体の多くは外に筵(むしろ)をかけて

放り出したままだという。

「空から下から、神風が吹くどころの騒ぎじゃない。

こりゃあ、日本が負けだ」と言い出す人もいた。

(39p)

  

こちらが1945年1月13日に起こった三河地震。

2つの地震が、「ハイネさん」には描かれていました。

戦時中は被害を公表できなかった2つの地震。

多くの犠牲があったのにそれが伝えられませんでした。

戦意に影響すると考えたのでしょう。

だからこそ、今はこんな地震があったんだよと伝え、

忘れてはいけない地震だと思います。

  

 

田んぼのあぜ道を走っていると、

艦載機が工場の屋根すれすれまで急降下してきた。

身を低くして水路に伏せた。

1メートルくらいの所で弾がはねる。

狙い撃ちされている。

急降下の一瞬、若くて青い目の米兵の顔が見えた。

「ヒット」「オーバー」と叫ぶ声まで聞こえてくる。

田んぼの中やあぜ道でも、血を流して何人も死んでいた。

爆風で服が破れてほとんど丸裸になり、

カエルのように仰向けのまま、

空を睨(にら)んで動かない女学生がいた。

両足も首もない胴体だけが水路に落ち、

水を赤く染めている。

(66p)

  

機銃掃射は狙い撃ちしてくる。

この事実を知った時は、驚きました。

上空から降下して、無防備な人間を撃ってくるのです。

以前機銃掃射を記事に書きました。

ここでも道草 銃掃射 1945年8月14日田原(2016年5月13日投稿)

↑ この記事で紹介した動画を今一度掲載します。


YouTube: ガンカメラの機銃掃射映像・・・「私の街も戦場だった」より

 

  

昭和20年8月7日、午前10時13分から10時39分まで。

わずか26分という短い時間に、米軍の絨毯爆撃によって、

豊川海軍工廠で働いていた2500人が死んだ。

わたしたちの女学校では、37人の尊い命が奪われた。

「どうして逃げなかったの?」

という問いは、生き残った側から発せられる、

愚かな質問にすぎない。

わたしが入った防空壕の奥にいた女生徒たちは、

崩れた壕の下に埋もれた。

外に出ると紙一重のところで爆弾が炸裂した。

門の外では、機銃掃射の弾が身体をかすめた。

ほんのいくつかの偶然に助けられただけだ。

(69p)

 

生き残るかどうかは運だったのです。

でも生きている人を見て遺族は、

「どうして逃げなかったの?」と問いたくなると思います。

その気持ちもわかります。

  

  

(遺体で発見された)知らせを聞いた父母は、

葬式を出すため、わが子を家に連れて帰ろうとしたが、

そんなささやかな願いもかなえられなかった。

軍の機密という理由で、遺体は家族に引き渡されず、

海軍工廠近くの千両の山林に

20~30体ずつまとめて埋められてしまったという。

(中略)

「せめて葬儀をしてやりたいと思った遺族が、

リヤカーに(遺体を)乗せて帰ろうとしたら、

工廠側からすぐに遺体を戻すようにと言われたらしい。

本当は戻したくはなかっただろうが、軍の命令は絶対だ。

工廠に戻ると大きな穴が掘られていて、

そこへ爆弾でバラバラに吹き飛ばされた腕や脚や胴体が

次から次へと放り込まれているじゃないか」

家族の見ている前で、七人の女学生は全員、

その穴に投げ込まれ、土砂がかけられてしまったという。

「十把一絡げに、まるで犬猫の死骸を捨てるように・・・」

そこまで話して、こらえきれず、花井先生は嗚咽(おえつ)した。

(72~73p) 

 

この死体を埋めた穴のスケッチは、

書棚にあります。

web上での公開は不可ので、今まで載せたことはありませんが。

関連:ここでも道草 海軍工廠の授業資料1/仮埋葬(2011年7月9日投稿)

  

  

豊川海軍工廠の勉強は、これからもずっとブログ上で続けていきたいですね。

「ハイネさん」より引用/工廠へと従業員を運んだ鉄道

今日は10月8日。

 

前投稿に引き続き、演劇「迸る(ほとばしる)」の原作者

住田真理子さん関連のことを書きます。

著書「ハイネさん  豊川海軍工廠をめぐる4つの物語

(これから出版)を読みました。

この本から引用します。

  

6年生になると、担任の先生から高等女学校への

進学を勧められた。尋常小学校は昨年より国民学校と

名前を変えていた。

国民学校から高等女学校を受験する者は少なく、

商業学校や家政女学校などを合わせても進学組は

二割ほどだった。

豊橋は蚕都(さんと)と呼ばれる生糸の産地で、

市内には製糸工場も多く、国民学校を卒業した近所の

女の子たちは、たいていが製糸工場の女工になった。

そこで三・四年働き、お見合いや親の言いつけで

お嫁に行く。

ロイド眼鏡をお嫁にもらってくれる男の人がいるとは

思えなかった。わたしはまだ勉強をしていたいと思った。

(16p)

 

国民学校になったのは昭和16年(1941年)。

映画「早咲きの花」の主舞台も、国民学校でした。

当時の豊橋在住の多くの女の子たちの、

国民学校卒業後のたどる道がわかりました。

豊橋市は「蚕都」と呼ばれていたのですね。

ロイド眼鏡の語源になったのは、アメリアの喜劇役者

ハロルド・ロイド(1893~1971)の眼鏡。Img_0276_3 リュネットプラス メガネの歴史について考えた 有名人と眼鏡

以上、短い文章の中にいろいろな内容を含んでいました。

  

  

(高等女学校の)上級生は全員工廠近くの寄宿舎に入ったが、

わたしたちの学年は通いなので、朝五時半起きで、

早朝の豊橋駅に集合する。(中略)

豊橋駅から飯田線の電車に乗り込む。

車内は海軍工廠に通う工員さんや女子挺身隊で

身動きが出来ないくらい満員だ。(中略)

電車は街路樹の枝葉をかすめるようして走り、

豊川西駅ホームにすべりこむ。

駅を降りたわたしたちは、後ろから追い立てられるようにして

北東門に入る。

(35p)

 

豊橋市に在住していた人たちが、豊川海軍工廠まで

どのように通っていたかは知りたいと思っていました。

映画「早咲きの花」では、豊橋在住の男の子たちが

工廠まで通うシーンはありませんでした。

飯田線を使っていたのですね。

ただ「豊川西駅」は現在ありません。

調べました。

  

「豊川西駅」はなくて「西豊川駅」がありました。

Wikipedia 西豊川駅には次のように書いてありました。

  

西豊川駅(にしとよかわえき)は、かつて愛知県豊川市にあった、

日本国有鉄道飯田線の駅(廃駅)である。

飯田線豊川駅から伸びる西豊川支線の終着駅で、

路線とともに1942年(昭和17年)に開業、

1956年(昭和31年)に廃止された。(中略)

西豊川駅が属した西豊川支線は、豊川市内に開設された

豊川海軍工廠への物資・従業員の輸送用に敷設された。

(中略)

西豊川駅は海軍工廠の敷地から外れた場所に位置していたが、

工廠内まで工廠の専用線(幹線2km・側線1.6km)が敷設された。

西豊川支線は電化されていたが、この専用線も一部区間は電化され、

専用線内まで電車が直通した。

一般客の利用は西豊川駅までしか認められていなかったが、

工員や工廠関係者はそのまま電車で工廠内に設置された

北東門乗降場までの乗車が可能であった。

  

  

こうなると、地図で確かめたい。

この地図に注目。

Tokai_11_001 総務省HP

豊川駅から海軍工廠へ向かう鉄道。

まてよ、この鉄道、線路が今も残っていますよ。

おなじみの線路です。

そうか、あの線路が、工廠へと人を運んだ鉄道だったのですね。

この鉄道については、また後日書きたい。

演劇「迸る」を見る/原作者は1961年生まれ

今日は10月8日。

 

ここでも道草 豊川用水の歴史を演劇で/「迸る(ほとばしる)」(2018年8月5日投稿)  

↑ここで書いた演劇「迸る」を9月22日に見てきました。

その時の写真です。

Rimg0450  

Rimg0451

↑ 演劇が行われた豊橋市の穂の国とよはし芸術劇場「PLAT」

5年ぶりでした。

ここでも道草 合唱劇「カネト」PLAT公演/ムックリ(2013年8月26日投稿)

もう5年が経ってしまったのですね。

  

豊川用水は関心があることだったので、

いい勉強になりました。

 

豊川用水の工事に関わった人たちは、

戦争の”生き残り”である人たちがいたそうです。

彼らの中には、生き恥をさらしていると

思っていた人たちもいて、

他の人のためになる工事だったらと

精を出して働いたようです。

発破作業による死傷者も出たことも知りました。

宇連ダム建設に伴い、水没する村の人たちの苦悩も

表現されていました。

用水が引かれる前、

遠くの井戸まで水くみに行っていた話、

井戸を自宅に作ろうとして、

井戸の壁が崩れて死んだ人の話。

あらためて、今は豊川用水のおかげで水が

困ることなく手に入ることを思い出させてくれました。

今の生活は、少し前まで当たり前ではなかったのです。

1968年(昭和43年)完成の豊川用水。

みんなが(自分も含めて)忘れかけている

豊川用水のありがたみを思い出させてくれる演劇でした。

 

演劇「迸る」の原作者は住田真理子さん。

著書「ハイネさん 豊川海軍工廠をめぐる4つの物語

(これから出版)には、次のような著者説明がありました。

  

1961年、兵庫県伊丹市生まれ。

大阪市堺市、兵庫県西宮市で育つ。

甲南大学文学部卒業。フリーライター。

阪神大震災被災を機に、西宮市から

愛知県豊橋市へ一家で移住。

2009年大阪文学学校入学、小説を学ぶ。

2014年より「あるかいど」同人。

Photo 毎日新聞 2017.8.7.

  

よそから来た人が、地元の豊川海軍工廠や

豊川用水に関心をもち、調べて作品にしたのですね。

ここに住んだら、やっぱりここに目が行くよなと

思いました。

おかげさまで、豊川用水のありがたみを

思い出させてもらいました。

1961年生まれがいい。同い年です。

  

1961年生まれが出てくると今までも敏感でした。

記事にしてきたものです↓

ここでも道草 ほぼ同じ年齢の今井さん、亡くなる(2015年5月29日投稿)

ここでも道草 就学時検診のことを調べていて出会った人(2016年3月29日投稿)

ここでも道草 真田丸シリーズ16.「真田丸」の登場人物は今何歳?(2016年5月1日投稿)

ここでも道草 映画「11人のカウボーイ」を見ました(2016年5月15日投稿)

ここでも道草 正岡子規の選択/もうちょっと褒められてから死にたい(2016年7月30日投稿)

ドラマ「聖徳太子」・・・法を作るのじゃ、冠位をつくるのじゃ

 

今日は10月8日。

  

10月3日に引き続き、

2001年11月10日放映のドラマ「聖徳太子」より。

  

   

うれしいと思いつつも、喜べないこと。

2001年放映のドラマ「聖徳太子」を

youtubeで見ることができました。

しかし、NHKのドラマをアップしてもいいのかな

という気持ちもあります。

でも2001年に録画して手元にあるものより、

映像がとてもきれいです。

映像の下に中国語の字幕はありますが、

俳優が話しているのは、オリジナルの日本語です。

この映像を授業で見せたいという誘惑はありますが、

きっと違法なので、やっていません。

Youtube 聖徳太子 (テレビドラマ) 上 NHK特別劇 2001

Youtube 聖徳太子 (テレビドラマ) 下 NHK特別劇 2001

  

  

小野妹子が遣隋使として、1回目の隋の国に行き、

そのことを飛鳥の豪族の前で報告するシーンが、

ドラマ「聖徳太子」の中にあります。

このシーンは、ドラマの中でも名場面であり、

授業でも見せました。

聞き書きして、読み物化します。

  

ナレーター:隋への使者が都長安を目指した。。

  大和の国の者が中国大陸に向かうのは、

  百二十数年ぶりのことだった。

  隋はあまりに巨大で豊かな国であった。

   

  使者たちは、時の皇帝に接見することすらできずに帰ってきた。

   

小野妹子:隋を見て痛感いたしましたのは、

  彼(か)の国には律令があるということです。

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      すなわち法であります。

  仏が殺生を戒められているように、

  国が殺生を戒め、その法を犯せば、

  誰でも罰せられるというような法であります。

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  また隋には法に定められた位があります。

  国のために働く者には、それぞれの働きに応じた

  冠位が与えられ、他の者が侵すことはできません。

  大和の国はそれがないため、力ある者が身勝手な争いを起こし、

  国としてまとまりがありませぬ。

大伴の連(むらじ):はははははは、我らにも位はある。

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  わが大伴家は、代々大王(おおきみ)に仕え、

  軍事をつかさどった氏(うじ)よ。氏は家柄ぞ。  

  家柄は位であろう。

他の豪族たち:そうだ、そうだ。

有力豪族A:連よ。その位は意味が違うのじゃ。

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大伴の連:どしゃーん!この近江の新参者(妹子)は何もわかっておらん。

  大和の国に法がないというが、我らが法ぞ!

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  身勝手に争う者は、我らが懲らしめる。

  税も我らが取り立て、朝廷に納める。

  何も隋などに感心することはない。

  そもそもなれ(汝)はいかなる家柄の者ぞ。 ・・汝(なれ)※1

  この四天王寺にどのような資格で立っておる! ・・四天王寺※2

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有力豪族B:近江の新参者が、我らに政(まつりごと)を説く

  資格があるのか! 

有力豪族C:然(しか)り、然り。皇子(みこ)にお尋ね申し上げる。

  何故(なにゆえ)この者を隋に参らせました。

  何故我らではなく、近江の名も無き者を。

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他の豪族たち:そうだ、そうだ。

蘇我馬子:静まれ!摂政は大王の名代であらせられるぞ。

  慎まれよ。

  

聖徳太子:小野妹子。下がってよい。

小野妹子:はっ。(去っていく時に転ぶ)

豪族たち:はははははははは・・・。(嘲笑い)

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聖徳太子:大伴の連よ!

  名も無き者でも、国のために働く者には位を与える。

  たとえ家柄よきものでも、私利私欲のために働く者には、

  位を与えぬ。隋はそういう国ぞ。

  我らもそれに倣(なら)いたい。

  今後我らは、古きを捨てねばならん。

  新しき冠位を作り、朝廷に優れた者を集める。

  小野妹子には、しかるべく位を与え、

  あらためて隋との交渉に当たらせる。 

  この仕事に家柄は不要ぞ。

豪族たち:何と・・・そんな・・・。

聖徳太子:皆!小野妹子たちが隋でいかなる扱いを受けたか

  忘れてはならぬ。

  法も冠位も持たぬ大和の国を、

  隋はまともな国とは見なかった。

  妹子らは粗末な寺に泊められ、

  蛮夷の人のごとく取り調べを受け追い返されたという。

  我らは蛮夷の国と見做されたのじゃ。

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  法を作るのじゃ、冠位をつくるのじゃ。

  我らは急ぎ、隋に追いつかねばならぬ。

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  隋に大和の国を認めさせ、

  対等な交わりを結ばねばならぬ。

  異議のある者は申し述べよ。

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大伴の連:皇子! 新しい冠位に我らはどのように?

  どのようなくらいに着くことに?

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聖徳太子:それは追って知らせる。(聖徳太子、去る)

 

以上です。

聖徳太子の行った「十七条の憲法」「冠位十二階」の動機が、

端的に表現されているシーンです。

当時の豪族たちと考え方も、デフォルメされているとはいえ、

よくわかります。「我らが法ぞ!」は最高!

教師が説明するより、数倍も効果的なシーンだと思います。

授業に見せたくなるシーンです。

  

※1「汝(なれ)」=二人称。対等あるいはそれ以下の者

          に対して用いる。おまえ。なんじ。

          参考:weblio辞書

※2「四天王寺」 =聖徳太子が建立した寺。物部氏との戦いで、

          もし物部氏に勝ったら、寺を建てると

          四天王の像に勝利祈願した聖徳太子。

          物部氏に勝利して、約束通り建立した。

          参考:聖徳太子謎紀行

  

  

また一つ、読み物化完了。

  

  

  

  

  

2018年10月 6日 (土)

「40000回質問する」/好奇心は根を張ることなく枯れてしまう

 

今日は10月6日。

   

前投稿に引き続いて、

子どもは40000回質問する

(イアン・レズリー著/光文社)より。

  

グリーンマンは自分の子ども時代を振り返る。

 

もし、二番目に大きいヘビは何かと訊かれたら、

 

家にある百科事典を開き、わからなければ図書館で

  

ヘビの本を読んでみようと思ったかもしれない。

  

だがそれよりも、三年生か四年生くらいであれば、

  

答えのわからない疑問について微かにもどかしさを感じながらも、

  

そのままやり過ごしていたのではないだろうか。

 

こうしたもどかしさを瞬時に解消するインターネットは素晴らしいが、

 

問題もあるとグリーンマンは論じている。

 

 

「あらゆる疑問に徹底して効率的に答えを提示するインターネットは、

 

 その答えよりもっと貴重なもの、

  

 すなわち生産的なフラストレーションをもたらす機会を

  

 断ち切ってしまう。

  

 私の理解が正しければ,情報の扱いに慣れた子どもを

 

 育成することが教育の唯一の目的でもなければ、

  

 最大の目的でもないはずだ。

 

 教育とは、時間を費やすことで純粋な興味へと発展するような

  

 疑問で子どもたちを満たすことである。」
 

 

グリーンマンはインターネットが情報の空白を埋め、

 

それが好奇心を締め出しているようすを

 

的確に言い表している。インターネットにはミステリーをパズルに変え、

 

パズルを瞬時に答えが出る疑問に変える性質がある。  
 

子どもたちは、「美とは何か」といった漠然とした疑問に対してさえ

 

答えを探しだすことに慣れている。

  

インターネットは私たちが認知能力を働かせるまでもなく、

  

パズルを解決する。

  

その結果、私たちはみすみす認知能力を低下させかねない状況にある。

すで 述べたとおり、ストーリーテラーは手がかりを巧みに隠し、

  

読み手や視聴者の心に疑問を植えつける手法によって好奇心を刺激する。

 

お気に入りのテレビ番組の結末を先に聞かされて腹が立つのは、

  

知らないという心地よいもやもやした感覚を奪われてしまうからだ。

  

同じことは知識をめぐる旅についても当てはまるーーー

 

答えがあまりにも簡単に手に入ると、

 

好奇心は根を張ることなく枯れてしまう。

  

グリーンマンは鋭い警告をしたが、グーグルは検索のさらなる

  

効率化のためひたすら突き進んでいる。

 

いまやほかのウェブサイトを確かめてみるまでもなく、

  

ほとんどの質問に対してグーグルが答えを与えてくれる。

  

ミステリー小説でいうなら、犯人の名前を1ページ目でーーー

 

いや、実際のところ1ページ目を開くよりも先に 教えられるようなものだ。
 

グーグルは究極のネタバレ装置である。
 

テレビドラマ「LOST」の製作を手がけ、

『スター·トレック』シリーズの人気を再燃させた

 

プロデューサーのJ・J・エイブラムスは『ワイアード』誌に

  

掲載された記事のなかで、彼が「即時性の時代」と

  


「もちろん、ミステリーはいたるところにある。

  

 神はいるのか? これはミステリーだ。

 

 死んだら命はどうなるのか? これもミステリーだ。

 

 すみません、シャムワウ[テレビショッピングで人気の

 

 万能クロス]はどんな素材でできているんですか?

 

 これもミステリー。ストーンヘンジ?ピッグフット?

 

 ネス湖? ミステリー、ミステリー、ミステリー・・・・。

 

 それなのになぜだろう、これほどまでにミステリーに満ちているのに、

 

 まるで世界は解体されすべての要素が曝け出されている気がするのは。

 

 すべてのことから徹底的に神秘的要素が取り除かれたように

 

 思えるのはなぜなのか。

 

 今じゃ誰もが、何かにちょっと好奇心をもったら、

 

 あっという間に満足のゆく理解を手にできる。

 

 オリガミを折りたい? だったら今すぐグーグルで調べれば

 

 20万件はヒットする。モーリタニアの首都は?

 

 スティッキー・パンのレシピ?

 

 ヘアピンで自転車の鍵をこじ開ける方法?

 

 どれもこの文章を読むより短い時間で答えが得られる。」

 

 

 

 

たくさん引用しましたが、その中でも印象的な言葉は

 

これです ↓

 

  

お気に入りのテレビ番組の結末を先に聞かされて腹が立つのは、

  

知らないという心地よいもやもやした感覚を奪われてしまうからだ。

  

同じことは知識をめぐる旅についても当てはまるーーー

 

答えがあまりにも簡単に手に入ると、

 

好奇心は根を張ることなく枯れてしまう。

  


インターネットによって調べることが簡単になりました。

 

20年余り前、関東大震災の被服廠跡地での火災旋風を

 

調べた時がありました。

 

学校の図書館で調べ、地元の図書館で調べ、  

 

さらには東京の気象庁にも出向きました。

  

すぐにわからないもどかしさをかかえつつ、

  

出かけて調べることが面白かったです。

  

それをドラマに例えています。

  

「知らないという心地よいもやもやした感覚」を

 

味わうことが減ったというわけです。

  

確かにそうは思いますけど、その感覚を味わうことが

  

減ることで、人間にどのような変化が起こるのでしょう。

 

そこがまだ見えてこない。

  

全てがわかった気になって、好奇心が少なくなり・・・・

  

う~ん、どうでしょう?

  

  

さらに引用します。

  

  

本を読み、専門家に相談するのは、

  

グーグルで検索するより労力や時間がかかるし、

  

フラストレーションも大きい。

  

しかし、だからこそ私たちはより深く学ぶのだ。

  

ウィキペディアは正しく使えば学習を強力に支援してくれる道具である。

  

たとえば、中世の大聖堂の建築について、

  

あるいはスキャナーの原理について知ろうとするとき,

 

概要をつかみ、ほかの資料にあたる足がかりとして

 

ウィキペディアを利用するのなら、

 

知的好奇心を発揮していることになる。

  

ところが、簡単に回答が得られるデータベースとして

 

ウィキペディアを使うとすれば、

 

自分自身の学習する能力を退化させてしまうだろう。 

 

(111~112p)

  

  

 

インターネットで調べるのは、

 

「足がかり」とする発想は賛成です。

 

あくまでも、正確かどうかは不明な資料であって、

 

そこで満足してはいけないと思います。

 

 

引用ラスト。

  

  


さらには情報ツールのせいで、簡単に答えられない問題には

 

興味を失うようになる懸念もある。
 

かつて「検索する」という言葉は、

 

苦しみの伴う探究の旅に出ることを意味した。

 

そこには疑問がさらなる疑問を呼ぶという含みもあった。

 

途中で障害にぶつかり、道に迷い、

 

求めていた成果を得られないこともあるが、

 

旅の途中で何かしら学ぶことがあるだろう。

 

頭のなかでは「知覚の領域」が地図のように広がっているはずだ。

 

現在では検索といえば、キーボードで空欄に単語を

 

一つか二つ入力するか、音声入力するかして、
 

ほとんど瞬時に答えを得ることを意味する。
 

グーグルは検索の作業さえも過去のものにしようとしている。

 

創業者のラリー·ペイジとセルゲイ·プリンは、

 

2004年のインタビューで技術の未来を語った。

 

「検索機能は人間の脳に組込まれることに なるでしょう」

 

とペイジは述べている。

 

「何かについて考え、知識が不足していたら、

 

知識を自動的にダウンロードするのです」。

 

情報の空白がすべて満たされるというわけだ。

 

プリンはこう語る。「グーグルは最終的には、

 

世界中の知識を集めて人間の脳を補完する手段になると考えています」。

 

ペイジは未来を予測した。

 

「インプラント手術を受けると、あることについて考えるだけで

 

答えを教えてくれるようになるかもしれません」。

 

グーグルは好奇心に伴うもどかしさから、

 

あなたを完全に救うことを目指している。
 

2012年の『ガーディアン』紙のインタビューに対して、

 

グーグルの検索部門を統括するアミット·シンガルは、

 

ペイジとブリンと同じような表現を用いて同社のビジョンを

 

説明している。

 
「私たちはユーザーが、自分自身の思考と求めている情報の間に生じる、

 

 あらゆる摩擦を解消するために全力で取り組んでいます」。

 

シンガルがこのミッションに向かって献身的に努力していることは

 

グーグルにとって喜ばしいことだが、

 

人間の好奇心にとってはそうとも言い切れない。

 

好奇心は摩擦があってこそ成り立っているからだ。

  

情報の空白を埋めようとする苦労、不確実性、

 

ミステリー、無知の自覚。

 

こういった要素を前提として好奇心は存在している。
 

私たちは簡単に答えを得ることにすっかり慣れてしまい、

 

問いかけるコツを忘れつつある。
 

『ガーディアン』紙はシンガルにこう尋ねている。

 

ユーザーが検索語をもっと上手に入力することを覚えれば、

 

検索精度に磨きをかけるグーグルの努力は

  

より早く実を結ぶことになるのか?

「それが」とシンガルは肩を落として息をついた。

 

「逆なんですよ。機械が能力を高めると、

 

 むしろ質問はいい加減になるのです」

 

この引用のなかにも印象的なものがあります。

  

情報ツールのせいで、簡単に答えられない問題には

 

興味を失うようになる懸念もある。

 

なるほどそうなるかと思いました。

 

 

グーグルは好奇心に伴うもどかしさから、

 

あなたを完全に救うことを目指している。

 

 

 

そのことを思っただけで、情報が自動的に手に入る!

便利かもしれないけど、副作用がきっと起こると思える

未来です。 

技術の進歩が人間をどう変えていくのか。

今回の本で、少し答えに近づいたと思えますが、

私にとっては、このテーマはすぐに答えの得られない

「ミステリー」ですね。

 

「40000回質問する」/若いころの知識にすがって生きるようになる

今日は10月6日。

  

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子どもは40000回質問する

(イアン・レズリー著/光文社)より引用していきます。

  

ヘンリー·ジェイムズは、年齢を重ねるごとに

 

「純粋な知的情熱」を失ってゆく人間の性を嘆いている。

 

「私たちはそれ[知的情熱]が飽和点に達すると均衡状態に移り、

 

ほとばしるような強い好奇心を抱いていた

 

若いころの知識にすがって生きるようになる」。

 

教育心理学者のスーザン·エンゲルによれば、

 

好奇心は早くも四歳ごろから衰え始める。

 

大人になると疑問をもたなくなり、

 

しだいに多くの固定観念に縛られるようになる。

 

ヘンリー·ジェイムズはそのことをこう表現した。

  

「打算のない好奇心は置き去りにされ、

  

知性のわだちや水路は固定されてしまう」

 

好奇心の衰えは、脳の発達過程に原因がありそうだ。

  

幼児の脳は大人の脳より小さいが、

 

大人よりはるかに多くの神経結合を形成している。

  

ところが配線は混沌としていて、

 

大人の脳に比べて神経細胞同士のつながりが非効率的だ。

 

したがって、幼児が外界を認識する能力は無限であると同時に、

 

ひどく無秩序である。

  

子どもたちは周囲の環境からさまざまな情報を集めながら、

 

有益かつ信頼性の高い法則を見いだし、

  

それが強化されて知識や信念となる。

  

その過程で情報が神経経路を伝わる速度は増し、

  

信号の受け渡しは円滑になるが、あまり使わない経路は退化していく。

  

庭に茂りすぎた草花が刈り取られるように、秩序が確立されていくのである。

 

(75~76p)

 

  

  

好奇心の衰えは必ずしも悪いことではない。

  

社会人として常識的に振る舞うには、

  

むしろ必要なことでもある。

  

好奇心に流され、次々とやって来る刺激に

  

いちいち反応するわけにはいかないからだ。

  

コンピューター開発の分野では、

  

設計者はシステムの効率を可能性の「探索」と「活用」の両面から考える

 

ーーーー未知の可能性をどこまでも探索すれば

  

システムの信頼性は高まるが、効率の観点からは、

  

発生する可能性が高い状況に的を絞り、

 

すでにある資源をできるだけ活用したほうがよい。

  

赤ちゃんは子ども時代を経てやがて大人になるまでに、

  

過去の探索によって獲得した知識を活用するようになる。

  

ところが歳を重ねると、活用するばかりになるーーーー

  

蓄積した知識や若いころに身につけた思考習慣に依存し、

 

知識を増やすことも、習慣を見直すことも少なくなる。

  

要するに怠け者になってしまうのだ。

 

(76p)

   

それじゃあ面白くない、最後はそう思って読んだところです。

 

 

自信過剰は好奇心を損なうが、

  

自信がまったくないときもやはり好奇心は働かない。

  

心理学者のトッド·カシュダンは

  

「不安と好奇心は相反するシステムである」と表現する。

  

恐怖は好奇心を押し殺す。

  

肉体的に、もしくは精神的 ひどく不安定な環境で育ってきた子は

  

学校で好奇心に欠けるように見えることがよくある。

  

生きるのに精一杯でそれ以外のことに意識を集中できないからだ。

  

そういう子どもは、誰が自分の味方で誰がそうでないかを判断し、

  

自分の世話をしてくれる大人や、あるいは世話をしてくれない

  

大人から最悪の仕打ちを受けずにすむ方法を考えなくてはならない。

 

それによって彼らの認知資源は使い果たされ、

  

探索を楽しむ余力がほとんど残っていないのだ。

 

(88p)

 

だれもが好奇心をもつとは思ってはいけない。

それどころではない子どももいます。

教師は子どもの状態を考慮しなくてはならない。

  

以前、ブログで、この本について書いたのは・・・

ここ ↓

ここでも道草 3種の好奇心/「拡散的好奇心」を「知的好奇心」へと移行させる(2018年9月17日投稿)

  

 

引用のつづきは、次の投稿で。

関心のあるインターネットですぐに回答が出る弊害について。 

2018年10月 3日 (水)

ドラマ「聖徳太子」・・・「高御座」に関するニュース

 

今日は10月3日。

  

前投稿に引き続き、

2001年11月10日放映のドラマ「聖徳太子」より。

 

額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)が大王に即位するシーン。

Rimg0509  

聞き書きします。

 

ナレーター:592年12月。額田部皇女が、

  大王の高御座(たかみくら)に着いた。

  後に「推古」と称される女帝の誕生であった。

   

ここで注目は「高御座」です。

 

どのようなものか。

コトバンクから引用。

 

古代以来,大極殿(だいごくでん),紫宸殿(ししんでん)などに
 
設けられた天皇の御座(おざ)。
 
転じて,天皇の皇位をもさした。
 
『古事記』『日本書紀』にもみえ,それぞれ「天津高御座」
「壇場 (たかみくら) 」の字をあて,
 
即位、朝賀などの大礼(たいれい)の際,
  
天皇は高御座に着くのを例とした。
  
御座は,黒塗り2壇 (現在のものは3壇) の上に
 
八角形の屋形を設置し,屋根に鳳形の飾りをつけたもので,
 
現在は京都御所の紫宸殿におかれており,即位の際にだけ用いられる。

 

最近、「高御座」がニュースに登場していました。

東京新聞 TOKYO web

 引用します。9月28日夕刊。

  

高御座が皇居に到着 来年10月、即位儀式の準備

 

皇太子さまが天皇即位後の来年十月に

「即位礼正殿の儀」で登壇する高御座(たかみくら)と、

新皇后の雅子さまが使う御帳台(みちょうだい)が二十六日、

京都御所(京都市)からトラックで皇居(東京)まで輸送された。

宮内庁は来年三月までに漆の塗り替えや装飾の修復を終え、

九月に即位式会場の宮殿「松の間」で組み立て作業を行う。

高御座は歴代天皇の即位式で皇位を象徴する御座として用いられ、

普段は京都御所に常設されている。

輸送にあたり、美術品を扱う運送会社がトラック八台に積んで、

東名高速道路などを通って同日午前、皇居・乾門に到着した。

高御座は天孫降臨神話に由来するとされ、

二十八年前の天皇陛下の即位式の際は、

憲法の政教分離原則に反するとの批判が出た。

過激派が高御座を攻撃対象としたため、

自衛隊のヘリで秘密裏に京都から東京まで空輸した。

宮内庁は「今回は当時と情勢が異なり、平穏になった」として

民間業者に陸送を依頼した。

  

動画も・・・


YouTube: 新天皇の即位の礼に使われる高御座などが皇居に到着(18/09/26)

Photo

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Photo_5

来年、新天皇が高御座に着くシーンは見たいですね。

 

 

推古天皇の頃から行われている儀式が、

実際に行われます。

それを見ることができそうなのは、

社会科教師としては幸運であり、楽しみです。 

  

 

ちなみに、2010年に奈良平城宮跡・大極殿にある

高御座を見ていました。復習しておきます。

ここでも道草 日帰りで奈良へ4・・・高御座(たかみくら)(2010年8月10日投稿)

 

ドラマ「聖徳太子」・・・ビックリの共演

今日は10月3日。

  

聖徳太子のことを教える時に使ったのが、

17年前の2001年11月10日放映の

ドラマ「聖徳太子」です。

17年前のこのドラマには、

次のような俳優さんたちが出演していました。

 

Rimg0500  

緒形拳さん。2008年に亡くなっています。

 

Rimg0501  

宝田明さん。現在84歳。この時57歳。

  

Rimg0502  

浅利陽介さん。この時14歳。

 

Rimg0503  

戸田恵梨香さん。この時13歳。

 

ドラマ「コードブルー」に出演している浅利さんと戸田さんが、

何とこのドラマで、子役として共演していました。

ビックリです。

Rimg0504

 

2010年の記事で使った写真です↓

20080913a_jpgここでも道草 ドラマ「コードブルー」が始まる(2010年1月11日)

浅利さんと戸田さんが前を歩いています。

     

  

Rimg0505  

今田耕司さん。この時35歳。

あまり今と変わりません。

  

Rimg0506  

本木雅弘さん。この時36歳。

聖徳太子を演じました。

  

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↑ 崇峻天皇(すしゅんてんのう)が暗殺された後、

次の大王(天皇)を決める話合いのシーン。

左から聖徳太子、蘇我馬子、

そして額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)。

演じているのは松坂慶子さん。この時49歳。

 

額田部皇女は、蘇我馬子から次の大王になるように

要請を受けます。

額田部皇女は、私が大王になるなら、

聖徳太子を「摂政」とすると言い、

聖徳太氏もそれを受けます。

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蘇我馬子は、聖徳太子が台頭してきたのを

良しとしていなかったため、しぶしぶ了承します。

 

額田部皇女が大王に即位し、後の推古天皇となります。

その即位の式については、次の投稿で。 

  

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