「古事記」編纂のきっかけ/「古事記」が求められた時代
今日は10月9日。
最近知ったことで、印象に残ったことは、
「古事記」「日本書紀」を編纂することを命じたのは
天武天皇ですが、そのきっかけになったのは、
蘇我蝦夷が自分の家を焼いて自殺した
事件だったという話です。
蝦夷の家にあった朝廷の歴史書を保管していた書庫までもが
炎上したと言われ、『天皇記』など数多くの歴史書は
この時に失われてしまったそうです。
新たな歴史書の編纂の必要性が出てきましたが、
蝦夷を倒した中大兄皇子(天智天皇)は、
唐・新羅軍の来襲に備えていて、その余裕はありません。
来襲の危機が薄らいだ時期に天皇になった天武天皇が、
編纂を命じたのは、すごく納得がいきました。
しかし、超解釈!戦国時代・江戸時代 「古事記と日本書紀」の違い。そして編纂に込められた天武天皇の意図を読むと、
「歴史書が燃えたから作った」というのは、
表面的な理由に過ぎないのです。
と書いてありました。
天武天皇は、天皇中心の集権的国家を作るために、
「天皇の権威を知らしめること」が目的だったとしています。
これまた納得です。
2008年4月23日放映の
「その時歴史が動いた ”古事記”誕生 日本最古の古書の謎」
より聞き書きします。
ナレーター(松平定知さん!):「古事記」誕生から500年。
日本の政権は天皇を中心とする朝廷から武家へと変わります。
現存する最古の「古事記」が書き写されたのは、
14世紀の南北朝時代のこと。
天皇家が分裂し戦乱が日本をおおう中、
国が一つにまとまることを誰もが願った時代でした。
明治時代。
「古事記」は広く一般の人にも読まれるようになります。
当時の歴史の教科書には「古事記」や「日本書紀」に基づく
国の成り立ちが示されていました。
「天照大神(アマテラスオオミカミ)は、わが天皇陛下の
ご先祖にてまします」
天皇を中心に国民がまとまる近代国家を造るため、
明治政府は神話を求めたのです。
そして人々に浸透した神の国の意識は、
昭和に入り戦時体制の確立に大きな役割を果たしました。
そして現代。
「古事記」に描かれた神話は、子どもたちの読むおとぎ話に
姿を変え、今も読み継がれています。
(中略)
日本人の内面に神の存在を宿らせ続けている「古事記」
時に私たちを翻弄(ほんろう)し、時に私たちを支える。
そして今も日本人の奥深くに横たわっています。
「古事記」とどうつきあうか?
過去の歴史を踏まえて、授業で紹介していきたい。
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