「40000回質問する」/好奇心は根を張ることなく枯れてしまう
今日は10月6日。
前投稿に引き続いて、
「子どもは40000回質問する」
(イアン・レズリー著/光文社)より。
グリーンマンは自分の子ども時代を振り返る。
もし、二番目に大きいヘビは何かと訊かれたら、
家にある百科事典を開き、わからなければ図書館で
ヘビの本を読んでみようと思ったかもしれない。
だがそれよりも、三年生か四年生くらいであれば、
答えのわからない疑問について微かにもどかしさを感じながらも、
そのままやり過ごしていたのではないだろうか。
こうしたもどかしさを瞬時に解消するインターネットは素晴らしいが、
問題もあるとグリーンマンは論じている。
「あらゆる疑問に徹底して効率的に答えを提示するインターネットは、
その答えよりもっと貴重なもの、
すなわち生産的なフラストレーションをもたらす機会を
断ち切ってしまう。
私の理解が正しければ,情報の扱いに慣れた子どもを
育成することが教育の唯一の目的でもなければ、
最大の目的でもないはずだ。
教育とは、時間を費やすことで純粋な興味へと発展するような
疑問で子どもたちを満たすことである。」
グリーンマンはインターネットが情報の空白を埋め、
それが好奇心を締め出しているようすを
的確に言い表している。インターネットにはミステリーをパズルに変え、
パズルを瞬時に答えが出る疑問に変える性質がある。
子どもたちは、「美とは何か」といった漠然とした疑問に対してさえ
答えを探しだすことに慣れている。
インターネットは私たちが認知能力を働かせるまでもなく、
パズルを解決する。
その結果、私たちはみすみす認知能力を低下させかねない状況にある。
すで 述べたとおり、ストーリーテラーは手がかりを巧みに隠し、
読み手や視聴者の心に疑問を植えつける手法によって好奇心を刺激する。
お気に入りのテレビ番組の結末を先に聞かされて腹が立つのは、
知らないという心地よいもやもやした感覚を奪われてしまうからだ。
同じことは知識をめぐる旅についても当てはまるーーー
答えがあまりにも簡単に手に入ると、
好奇心は根を張ることなく枯れてしまう。
グリーンマンは鋭い警告をしたが、グーグルは検索のさらなる
効率化のためひたすら突き進んでいる。
いまやほかのウェブサイトを確かめてみるまでもなく、
ほとんどの質問に対してグーグルが答えを与えてくれる。
ミステリー小説でいうなら、犯人の名前を1ページ目でーーー
いや、実際のところ1ページ目を開くよりも先に 教えられるようなものだ。
グーグルは究極のネタバレ装置である。
テレビドラマ「LOST」の製作を手がけ、
『スター·トレック』シリーズの人気を再燃させた
プロデューサーのJ・J・エイブラムスは『ワイアード』誌に
掲載された記事のなかで、彼が「即時性の時代」と
「もちろん、ミステリーはいたるところにある。
神はいるのか? これはミステリーだ。
死んだら命はどうなるのか? これもミステリーだ。
すみません、シャムワウ[テレビショッピングで人気の
万能クロス]はどんな素材でできているんですか?
これもミステリー。ストーンヘンジ?ピッグフット?
ネス湖? ミステリー、ミステリー、ミステリー・・・・。
それなのになぜだろう、これほどまでにミステリーに満ちているのに、
まるで世界は解体されすべての要素が曝け出されている気がするのは。
すべてのことから徹底的に神秘的要素が取り除かれたように
思えるのはなぜなのか。
今じゃ誰もが、何かにちょっと好奇心をもったら、
あっという間に満足のゆく理解を手にできる。
オリガミを折りたい? だったら今すぐグーグルで調べれば
20万件はヒットする。モーリタニアの首都は?
スティッキー・パンのレシピ?
ヘアピンで自転車の鍵をこじ開ける方法?
どれもこの文章を読むより短い時間で答えが得られる。」
たくさん引用しましたが、その中でも印象的な言葉は
これです ↓
お気に入りのテレビ番組の結末を先に聞かされて腹が立つのは、
知らないという心地よいもやもやした感覚を奪われてしまうからだ。
同じことは知識をめぐる旅についても当てはまるーーー
答えがあまりにも簡単に手に入ると、
好奇心は根を張ることなく枯れてしまう。
インターネットによって調べることが簡単になりました。
20年余り前、関東大震災の被服廠跡地での火災旋風を
調べた時がありました。
学校の図書館で調べ、地元の図書館で調べ、
さらには東京の気象庁にも出向きました。
すぐにわからないもどかしさをかかえつつ、
出かけて調べることが面白かったです。
それをドラマに例えています。
「知らないという心地よいもやもやした感覚」を
味わうことが減ったというわけです。
確かにそうは思いますけど、その感覚を味わうことが
減ることで、人間にどのような変化が起こるのでしょう。
そこがまだ見えてこない。
全てがわかった気になって、好奇心が少なくなり・・・・
う~ん、どうでしょう?
さらに引用します。
本を読み、専門家に相談するのは、
グーグルで検索するより労力や時間がかかるし、
フラストレーションも大きい。
しかし、だからこそ私たちはより深く学ぶのだ。
ウィキペディアは正しく使えば学習を強力に支援してくれる道具である。
たとえば、中世の大聖堂の建築について、
あるいはスキャナーの原理について知ろうとするとき,
概要をつかみ、ほかの資料にあたる足がかりとして
ウィキペディアを利用するのなら、
知的好奇心を発揮していることになる。
ところが、簡単に回答が得られるデータベースとして
ウィキペディアを使うとすれば、
自分自身の学習する能力を退化させてしまうだろう。
(111~112p)
インターネットで調べるのは、
「足がかり」とする発想は賛成です。
あくまでも、正確かどうかは不明な資料であって、
そこで満足してはいけないと思います。
引用ラスト。
さらには情報ツールのせいで、簡単に答えられない問題には
興味を失うようになる懸念もある。
かつて「検索する」という言葉は、
苦しみの伴う探究の旅に出ることを意味した。
そこには疑問がさらなる疑問を呼ぶという含みもあった。
途中で障害にぶつかり、道に迷い、
求めていた成果を得られないこともあるが、
旅の途中で何かしら学ぶことがあるだろう。
頭のなかでは「知覚の領域」が地図のように広がっているはずだ。
現在では検索といえば、キーボードで空欄に単語を
一つか二つ入力するか、音声入力するかして、
ほとんど瞬時に答えを得ることを意味する。
グーグルは検索の作業さえも過去のものにしようとしている。
創業者のラリー·ペイジとセルゲイ·プリンは、
2004年のインタビューで技術の未来を語った。
「検索機能は人間の脳に組込まれることに なるでしょう」
とペイジは述べている。
「何かについて考え、知識が不足していたら、
知識を自動的にダウンロードするのです」。
情報の空白がすべて満たされるというわけだ。
プリンはこう語る。「グーグルは最終的には、
世界中の知識を集めて人間の脳を補完する手段になると考えています」。
ペイジは未来を予測した。
「インプラント手術を受けると、あることについて考えるだけで
答えを教えてくれるようになるかもしれません」。
グーグルは好奇心に伴うもどかしさから、
あなたを完全に救うことを目指している。
2012年の『ガーディアン』紙のインタビューに対して、
グーグルの検索部門を統括するアミット·シンガルは、
ペイジとブリンと同じような表現を用いて同社のビジョンを
説明している。
「私たちはユーザーが、自分自身の思考と求めている情報の間に生じる、
あらゆる摩擦を解消するために全力で取り組んでいます」。
シンガルがこのミッションに向かって献身的に努力していることは
グーグルにとって喜ばしいことだが、
人間の好奇心にとってはそうとも言い切れない。
好奇心は摩擦があってこそ成り立っているからだ。
情報の空白を埋めようとする苦労、不確実性、
ミステリー、無知の自覚。
こういった要素を前提として好奇心は存在している。
私たちは簡単に答えを得ることにすっかり慣れてしまい、
問いかけるコツを忘れつつある。
『ガーディアン』紙はシンガルにこう尋ねている。
ユーザーが検索語をもっと上手に入力することを覚えれば、
検索精度に磨きをかけるグーグルの努力は
より早く実を結ぶことになるのか?
「それが」とシンガルは肩を落として息をついた。
「逆なんですよ。機械が能力を高めると、
むしろ質問はいい加減になるのです」
この引用のなかにも印象的なものがあります。
情報ツールのせいで、簡単に答えられない問題には
興味を失うようになる懸念もある。
なるほどそうなるかと思いました。
グーグルは好奇心に伴うもどかしさから、
あなたを完全に救うことを目指している。
そのことを思っただけで、情報が自動的に手に入る!
便利かもしれないけど、副作用がきっと起こると思える
未来です。
技術の進歩が人間をどう変えていくのか。
今回の本で、少し答えに近づいたと思えますが、
私にとっては、このテーマはすぐに答えの得られない
「ミステリー」ですね。
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