4月4日 小田周二さんのお話を聴きに行く①
今日は令和8年4月12日。
珍しく先週の土曜日、4月4日に東京に行きました。
小田周二さんのお話を直接聞こうと思って、
出かけました。
この会に行きました。
小田周二さんは4冊の本を出されており、
そのうち2冊は読んだことがあります。
日航123便墜落事故の遺族です。
日航123便は、最後は自衛隊機に撃墜されたと主張する方です。
1937年生まれの89歳。
41年前は48歳。
事故当時48歳の方が89歳。
41年という年月がいかに長いかを感じます。
小田さんの話を、すぐに記事にして書き留めようと思いましたが、
1週間が過ぎてしまいました。
覚えていることを書き留めます。
◯今回の会の主催者は「8.12連絡会 事故調査分科会」
この会のMAKさんと言う方が中心でした。
◯YouTube「テレビディレクターここだけの話」に小田さんは
出演しているとのこと。ちなみにMAKさんも出演していて、
この動画で語っています。
YouTube: 日航墜落事件・執念の遺族小田周二氏をサポートするMAK氏が激白!闘いの真実とは?
◯事故からまもなく41年。
「一筋縄ではいかない」ことだったと語る小田さん。
遺体が運び込まれたのは、最も事故現場に近い上野村ではなく
藤岡市だった。これも政府にとって都合がいい場所だから。
いろいろ小細工しやすいと言う意味かなと思って聞きました。
◯小田さんは、次女と長男を事故で亡くしました。
親戚3名も失い、一度に5人の近親者を失った遺族。
◯藤岡市で遺体を引き渡された。それは「透明人間」だったそうです。
遺体は顔の一部と足の一部のみ。包帯によって人の形をした
遺体だった。だから「透明人間」
思い出します。ドラマや映画の透明人間は、包帯に巻かれていて、
その包帯を外すと姿が見えなくなることを。
◯事故調の目的は、本来、再発防止。
証拠さえ公開すれば、事故の真相がわかる。
事故調はそれをやっていない。
◯伊豆半島の手前で、123便は、垂直尾翼を破壊され、
ACUなども脱落した。油圧も全てダメになる。
垂直尾翼の右側の桁柱が短く、左の桁柱が長い。
この破損状態から右から何か強力な物体がぶつかったと予想される。
破壊工学で、右から破壊物がきたら、そちらが大きく破損する。
◯駿河湾上空では、123便のコックピットのメンバーが
油圧がない状態で、エンジン制御をすることで、
123便を操縦するやり方をマスターする。
これはすごいこと。初めて彼らがこの操縦方法をマスターする。
この時に日本航空の技術陣が、パイロットたちと交信して、
墜落せず、飛行する方法を考えて指示していたと考えられる。
しかし、その交信のやり取りは、ボイスレコーダーの記録が
未公開。
◯操縦をマスターしたことで、123便は右旋回をして
生きるための飛行を始める。
垂直尾翼を破壊され、油圧がダメになったら、1分で墜落する。
それなのに5分飛ぶことができていた。
この5分でコックピットのメンバーは、難しい操縦技術を
身につけたのです。
次の記事に続く
今晩はここまで。




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