正岡子規の選択/もうちょっと褒められてから死にたい
今日は7月30日。
前投稿に引き続いて、
7月21日放映の「英雄たちの選択 生きた証か 見果てぬ夢か
~近代文学の祖 正岡子規の選択~」より。
明治29(1896)年、
28歳で「余命わずか」という宣告された正岡子規。
子規の選択は2つ。
【その1】
生きた証を残す(写生句の普及)
【その2】
見果てぬ夢へ踏み出す(日本語の革新)
どちらを選ぶか?
その回答。
斎藤環(たまき)さん。精神科医。
調べたところ1961年。ここにも1961年生まれがいました。
斎藤環さんが選んだのは、【その1】 「生きた証を残す」
発言を聞き書きします。
わたくしは1ですね。
生きた証を残すという方向ですね。
2と答えるのがカッコいいというのはよくわかるんですよ。
でもですね、考えていただきたい。
まだ30代半ばですよ。
余命宣告を受けている。
この無念さたるや、相当なものがあると思うんですよね。
子規につい知れば知るほど、
(中略)
その無念さに負けてしまう。
確実で、俳句で革命を起こすのは、
確実な成果につながるであろうと予測できますし、
ひょっとしたら結果もある程度見てから、死ねるかもしれないと。
承認欲求が強い人間は、
もうちょっと褒められてから死にたいと思う気持ちが
どうしてもあると思うんですよ。
なので、1を選ばざるを得ないかなと思います。
「結果もある程度見てから死ねる」
「もうちょっと褒められてから死にたい」
この発言はいいなあ。
共感しても、にが笑いしてしまうような発言です。
自分もそう思うだろうなと思いますが、
でも次の投稿に載せる磯田道史さんの発言も共感できます。
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