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2014年3月

2014年3月16日 (日)

H25 6月の花々14/アメリカテマリシモツケ・シュロガヤツリ2

 

今日は3月16日。

  

昨晩は昨年撮影した草花で、名前がわからなかったものを「花カメラ」にドサっと送りました。

全部で19種類。

そしたら見事に全て答えてもらえました。

すっきりしました。

これで昨年の草花を紹介する花々シリーズは、3月中に終了できる見込みが立ちました。

 

昨年6月の草花2つ紹介します。

  

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2013年6月8日撮影 豊川市内

  

アメリカテマリシモツケ

  

花が咲くのは5~6月。もう少し早くここを通れば花が見えたわけです。

今年忘れなかったら、5月中に通りたい。

これは床屋に行く時のコースです。

  

  

  

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2013年6月9日撮影  豊川市内(旧小坂井町)

  

シュロガヤツリ

  

パピルスの仲間で、マダガスカル島が原産といわれています。

調べていくと、水質浄化のために植えることもあるそうです。

驚きはは葉っぱ。

葉っぱのように見えるのは葉っぱではなく、苞葉と呼ばれるもの。

本物の葉は退化していて、光合成は苞葉と茎で行うそうです。

退化した葉は、茎にあるそうなので見てみたいですね。

  

う~ん、すでにシュロガヤツリは同じ写真を使って投稿していました。

ここでも道草 H25 6月の花々5 シュロガヤツリ(2013年8月16日投稿)

でも今回調べたことは貴重なので、ここに残しておきます。

 

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2014年3月15日 (土)

H25 7月の花々2/オリーブ2・スイカ3・コケオトギリ

  

今日は3月15日。

   

昨年の花々シリーズのつづき。

  

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2013年7月14日撮影 豊川市(旧小坂井町)

  

オリーブ 

  

ここでも道草 5月下旬の花々12 オリーブ他(2012年6月2日投稿)

この時期の実は、緑色でした。黒く熟した実は撮ってあります。

いずれ投稿します。

  

  

  

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2013年7月14日撮影 豊川市内

  

スイカ

  

売り物にしたいといった感じではなかった。

小さくて可愛いスイカが、道端まで転がり出ていました。

  

   

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2012年7月20日撮影 豊川市内(本宮山登山道)

  

コケオトギリ

  

「花カメラ」で教えてもらった草花。

同定に時間がかかりました。

ちょっとジメジメしたところに生えるようです。

確かに日陰の登山道は、ちょっとジメジメしていました。

  

  

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午後、中央図書館に行ってきました

  

豊川市の中央図書館に午後から行ってきました。

  

もっとおおきなたいほうを」の作者である二見正直さんの他の著作を借りてきました。

※参考:ここでも道草 巧みなお話「もっとおおきなたいほうを」(2014年3月12日投稿)

全部で7冊。

もう1冊借りたい本がありましたが、どうしても書棚から見つけられませんでした。

出てきたら借りれるように予約してきました。

中央図書館にある二見さんの本は1冊を残して独り占め状態です。

その1冊は、「もっとおおきなたいほうを」です。

残り4日間で、担任している子どもたちに読み聞かせをしたいです。

  

二見さんのことを調べていたら、現在は長野県長和町に住んでいることを知りました。

3月29日・30日に長野県に行く予定(職員旅行)なので、近くを通ろうかな。

あの「もっとおおきなたいほうを」で、二見さんはマイブームです。

※参考:二見さんのHP

  

   

中央図書館はプラネタリウムを併設していて、今日はそのプラネタリウムにも行ってきました。

  

プラネタリウム特別解説

「見えないシリーズ いつもの星が見えない? ベテルギウスの超新星爆発」  

午後3時から 講師 浅田英夫氏

  

この企画に参加してきました。

リクライニングを倒して星空を見ていたら、ついつい居眠り。

いびきは大丈夫だったかな。

暗くて暖かくて楽な姿勢なので、取れていない疲れが出て眠ってしまったようです。

もう少しで春休み。そしたら、しっかり休もう。

  

コブクロの「ベテルギウス」が会場に流れて、ベテルギウスの説明が始まりました。

以前、このブログでも書きました。

ここでも道草 「ベテルギウス」の歌詞/変光星「ミラ」(2009年11月6日投稿)

  

冬の大三角を構成するベテルギウス、シリウス(おおいぬ座)、プロキオン(こいぬ座)と、

ふたご座にいる木星を結ぶと四角形(ダイヤモンド)ができているので、

見ることを勧められました。今晩さっそく見てみよう。

来年になると木星は動くので、この冬限定の姿です。

  

超新星爆発でかに星雲のことが出ました。以前ブログに書いた話でした。

※参考:ここでも道草 「ヒストリア 天文」より6・・・900年前の星の輝き(2013年1月27日投稿)

  

講師の先生の話では、まだベテルギウスは爆発はしていなくて、

私たちが生きている間に、超新星爆発を目撃することは0に近いとのこと。

仕方ないので、末期のベテルギウスをしっかり見ておこう。

もう一つ超新星爆発の可能性があるのが、さそり座のアンタレスだそうです。

確かにアンタレスの赤い。赤色超巨星です。

  

深夜になると、火星や土星の観察もでき、明け方には明けの明星「金星」も観察できます。

そんなことも教えてもらいました。

金星の後には、水星の観察もできるそうです。

火星は4月14日に地球に最接近します。

それぞれの軌道を回っている火星と地球が接近する日。

火星のそばには月もあるそうです。大事な観察日になりそうです。

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肉弾三勇士 その2 特攻の考え方

  

今日は3月15日。

  

以前、肉弾三勇士について書きました。

ここでも道草 82年前の2月22日/肉弾三勇士(2014年2月22日投稿)

図書館で借りてきてこの本を読みました。

「軍神 近代日本が生んだ英雄たちの軌跡」(山室建徳著/中公新書)

  

この本に肉弾三勇士のことが書いてあって、興味深いことが書いてありました。

引用します。

  

三勇士の行動が衝撃的だったのは、「此れまで我国に於いては、古来豪勇、壮烈の軍人は、

千百を以って之を数ふべし。然れ共今回の三勇士の如く、(中略)百死の中、一生の望もなき

生還絶無の奮闘にして、豪勇、壮烈の極致といふべく、上下三千載、東西古今の史乗中決して

其の比類を見る能わざる所」(藤本充安/『日本及日本人』245号/昭和7年3月15日発行)

という理由による。

体当たり攻撃を敢行した特別攻撃隊の歴史を知っている今日から見ると、

昭和初期でも生還の望みのない作戦を当然視していたように思えるかもしれない。

しかし、三勇士が大きな反響を呼んだのは、

こうした攻撃が今までにないやり方だったからであった。

自らの命を進んで捧げた三勇士の行動は、その斬新さによって昭和初期の日本人に、

これまでに味わったことのない驚きを与えていた。(199p)

 

 

特別攻撃隊、特攻の考え方は、昭和初期の段階ではまだ当たり前ではなかったのです。

おそらくこの辺りは、ずっと誤解していたと思います。

この三勇士にしても、実際に死ぬ覚悟で爆弾を抱えていったのではありませんでした。

間違った情報が広まりました。

しかし、この間違った情報によって三勇士が讃えられ、

上層部が命と引き換えに敵に攻撃を加えるやり方をするようになったとしたら、

後の戦いに影響を与えた「軍神」ということになります。

それも三勇士本人には関係ない展開です。

こんな文もありました。引用します。まさにそのことに触れています。

  

昭和の初めに三勇士という新しい軍神像を生み出したこと自体は、

その後の歴史に大きな影響を与えた。

明治の軍神たちの物語では、偉人を主役とする哀愁に満ちた話に人々は泣いたが、

そこから分かりやすい教訓が得られるわけではなかった。

彼らの人格は容易にマネできるものではない。

これに対して、三勇士は傑出した人格ではなく、具体的な行動によって注目を浴びた。

国民は、自分たちと同じような普通の人間による究極の自己犠牲を目の当たりにして、

涙を流した。

このような行動は日本人ならば誰にでもできるはずである、三勇士の偉大さは、

自らの決断でそれを実行に移した点にある受けとめられた。

戦争末期の特攻作戦を支えた精神土壌が形作られる上で、

このことは案外大きな意味を持ったのではないだろうか。(260p)

  

  

昭和初期に特攻の考え方は当たり前ではなかった、

もしかしたら肉弾三勇士がきっかけに特攻の考え方が生まれたかも?

そんなことに気づいただけでも、肉弾三勇士を知り本を読んだ甲斐があったというものです。

  

  

 

  

  

  

付録

3月15日TV【地方発ドキュメンタリー 石に刻まれた巨大災害 桜島大噴火100年 

その時何が】(2014年3月4日放映)

〇桜島大正大噴火 大正3年(1914年)1月12日 〇岩松暉(あきら) 鹿児島大学名誉教授

〇橋村健一(郷土史研究家) 〇大正噴火前、桜島は休火山と思われていた

〇「大半の記念碑はその土地ならではの思いがひしひしと感じられる。」

〇戦時中、空襲で一時資料が多く失われてしまった→石碑での解明 〇廃校跡に残る石碑

〇火山灰を集めたボラ山 〇串良川 土石流 泥流 洪水

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2014年3月14日 (金)

日めくりより/「岳」と「山」/「O型」と「0型」

  

今日は3月14日。

  

日めくりより。

  

「岳」と「山」どう違うの?

20090101_00000030   

実際に10位までを調べてみました。

①富士山

②北岳

③奥穂高岳

④間ノ岳

⑤槍ヶ岳 

⑥悪沢岳(荒川東岳)

⑦赤石岳

⑧涸沢岳

⑨北穂高岳

⑩大喰岳(おおばみだけ)

「山」が出てくるのは、⑭御嶽山でした。

  

3月下旬は3つの山に登る予定です。

3つの山は、全て「山」の予定です。

  

  

  

血液型A,Bときて、なぜCじゃない?

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この日めくりで知って、ビックリしたのは、O型は0(ゼロ)型だったということ。

へ~そうだったのですね。

ああ、誰かに話したくなった。

と、この日(2013年7月6日)には思ったことでしょう。

実行に移さなかったけど、この投稿をきっかけに実行しよう。  

    

  

  

付録

3月14日TV【コズミックフロント 宇宙の果てを計れ コズミックラダー】

(2014年2月27日放映)

〇宇宙の距離梯子 コズミック・ラダー 〇esa 欧州宇宙機関 〇探査機 衛星ガイア

〇2013年12月に打ち上げられた 〇年周視差 〇衛星ヒッパルコス 〇ヒッパルコス

〇ティコ・ブラーエ 天文学者 惑星の動きを観測して動きを正確につかむ

〇後継者 ヨハネス・ケプラー 〇惑星運動の法則 

〇ケプラーの法則 惑星は太陽を焦点とする楕円軌道を公転する 〇アイザック・ニュートン

〇天王星 海王星(惑星X) ユルバン・ルベリエ 天体力学の勝利 〇ハッブル宇宙望遠鏡

〇バリー・マドア博士 セファイド変光星 〇ヘンリエッタ・リービット 〇マゼラン星雲

〇北極星もセファイド変光星 〇変光周期の長さと明るさは比例 

〇ザ・グレート・ディベート 〇ハーロー・シャプレー 〇ヒーバー・カーチス 

〇エドウィン・ハップル 〇フッカー望遠鏡 〇サウル・パールムッター 〇ダークエネルギー

〇Ⅰa型超新星爆発 〇白色矮星 〇宇宙の灯台 〇米徳大輔(金沢大学)

〇ガンマ線バースト 〇衛星スイフトのデータ利用 〇宇宙の果て 

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2014年3月12日 (水)

3月10日 巨人VS阪神オープン戦 会場は伊勢市

  

今日は3月12日。

  

昨日(11日)朝日新聞朝刊より。

  

20090101_00000029  

かつて沢村栄治さんについて調べたことがありました。

およそ2年前です。

ここでも道草 沢村栄治1.黒鉄ヒロシさんのコメント(2012年4月26日投稿)

その時に、阪神のエースであった西村幸生さんのことも知りました。

伊勢の倉田山球場で2人の銅像を見たことも思い出しました。

ここでも道草 伊勢・倉田山球場に行っていた/2人の大投手の胸像(2012年5月4日投稿)

そんなこともあったので、この記事に目が留まりました。

  

記事には球場名が書いてありません。

しかし、倉田山球場の可能性大。

調べてみました。

  

市営倉田山公園野球場のリニューアルオープンで、

3月10日に巨人VS阪神のオープン戦が行われたことがわかりました。

予想が当たりました。

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巧みなお話「もっとおおきなたいほうを」

 

今日は3月12日。

  

また面白い本に出会いました。

「もっとおおきなたいほうを」(二見正直著/福音館書店)

その本の表紙です。

20090101_00000025  

  

そして裏表紙の絵。

20090101_00000026   

表紙の絵が、裏表紙の絵にどうやってつながっていくのかすごく興味を持ちました。

そして読んでみて、そのお話の巧さに驚きました。

子どもたちがひきつけられる内容であり、

そのお話にはたっぷり皮肉が込められています。

キツネなんぞに負けられないという王様の意地が滑稽です。

王様の相手がキツネであることにはちゃんと意味があります。

キツネの伝説の”化かす”力が効果的なのです。

  

この本のストーリーは、ここに書いてしまってはもったいない。

ぜひ手にとって、本をめくりながらストーリーを楽しんで欲しいと思います。

amazonの書評にあった一文が印象に残ったので引用します。

  

段々と熱くなっていく王様、対するキツネの無表情さというコントラストも

テーマに立体感をもたらしてます。 (By mintjam)  

  

うまいこと言います。

お薦めの本です。

  

   

   

   

付録

3月10日TV【135億年の物語 十字軍 聖地エルサレムを巡る戦い】(2014年3月1日放映)

〇ローマ教皇 〇ビザンツ帝国から助けを求められる 〇ウルバンヌス2世 〇聖地エルサレム

〇イスラム教 〇キリスト教 〇池上彰 〇大江麻理子 〇映画「キングダム・オブ・ヘブン」

〇サラディン 〇イスタンブール 〇ピッポドローム 戦車競技場の跡 〇オベリスク

〇赤十字社 赤新月社

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2014年3月10日 (月)

日めくりより/柊という魚/Hepburn

 

今日は3月10日。

  

日めくりより。

  

「木」偏の漢字で表わす魚とは?

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植物のヒイラギはおなじみですが、魚のヒイラギは思い浮かびません。

たとえば、ここで見られます。※眼遊 -GANYU- ヒイラギ (Spotnape Ponyfish)

  

美味しい魚のようです。

背鰭(セビレ)・臀鰭(オビレ)の刺が強くて鋭い。

   

  

   

「Hepburn」って、どうやって発音するの?

20090101_0000007 

ヘボン式ローマ字の創始者は

ジェームス・カーティス・ヘボン(James Curtis Hepburn、1815~1911年)です。

この人、漫画「JINー仁ー」に登場していました。

医師でした。医師だったのですね。

漫画で知りました。

 

 

 

 

 

付録

3月9日TV【バリバラ 障害者情報バラエティー コミュニケーション障害】

(2014年2月7日放映)

3月9日TV【バリバラ 障害者情報バラエティー SHOWー1グランプリ2014 前編】

(2014年3月7日放映)

3月9日TV【自閉っ子、学校へ 父が撮った240日】(2014年2月24日放映)

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2014年3月 9日 (日)

通算3700本目/「江戸前の寿司」「ミツカン」の勉強 その2

  

今日は3月9日。

  

前投稿のつづき。

番組「料理のはじまり帖 江戸の大発見”江戸前の寿司”のルーツをさぐる」より。

  

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「家庭 鮓のつけかた」を参考にして、昔の江戸前寿司を忠実に再現したのは、

初音鮨本店(創業明治5年)の五代目森茂雄さん。

食するのは尾上菊之助さんと渡辺真理さん。

  

お米は、江戸っ子に人気があった「関取米」

酢はミツカンのもので、当時の製造方法で作られたもの。

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できあがった昔の江戸前寿司です。

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おにぎりのように大きなお寿司でした。

どれくらい大きいかは、森さんが粒数で説明しています。

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現代では480~550粒のお米で握り寿司を作るけど、

江戸時代は2倍強の大きさでした。

江戸っ子はお米が好きだったそうです。

武士は1日に五合食べていたそうです。驚きです。

だからこれくらい大きくても良かったのでしょう。

  

昔は屋台でお寿司が食べられました。

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屋台では前もって握っておいて、上の絵のように並べていたそうです。

  

酢飯にさらに海苔を混ぜて作ったのがエビの握り寿司。

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白魚もたくさん採れたので、寿司のネタになっていました。

軽くゆでて、甘く煮たカンピョウで巻いたそうです。

現代の握り寿司にはない品です。

  

イカの印籠ずしというのも、現代にはないもの。

刻んだ椎茸、カンピョウ、穴子を酢飯に混ぜ合わせて、

イカの胴体に詰め込みます。

それを切ったもの。

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以上です。すっきりしました。いい勉強ができました。

今日はたくさん投稿したので、いっきに3700本。

  

 

 

 

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「江戸前の寿司」「ミツカン」の勉強

  

今日は3月9日。

  

以前、愛知県の半田市に行き、ミツカンの工場や博物館「酢の里」に行ったりしました。

その時に、ミツカンが開発した酢が、江戸前寿司完成に重要な役割を果たしたと聞きました。

しかし、その時に聞いた説明では、どのような役割を果たしたのか、

十分わかりませんでした。

その後、本とか借りてきて調べた覚えがありますが、中途半端で終わっていました。

  

そしたら2月22日にいい番組を見つけました。

料理のはじまり帖 江戸の大発見”江戸前の寿司”のルーツをさぐる」という番組です。

さっそく録画して、その日のうちに見ました。

  

ミツカンに行って充分理解できていなかった「江戸前寿司」と「ミツカン」との関係が、

よくわかりました。

  

番組の写真を使いながら、ここにまとめてみます。

  

寿司の発祥は奈良時代でした。

その頃は魚を発酵させた「鮒ずし」であって、ご飯と一緒ではありませんでした。

室町時代にお米と一緒に食べる「姿ずし」が登場。

江戸時代になると箱にご飯とネタを入れて押す「箱ずし」「押し寿司」が生まれました。

   

さて、今のような握り寿司誕生に関わったと考えられているのが、

小泉与兵衛(1799~1858年)だそうです。

今の墨田区両国一丁目に「与兵衛すし跡」という看板が立っています。

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今からおよそ200年前の文政年間に、現代に伝わる江戸前の握り寿司を、

小泉与兵衛は考えました。

お茶をやっていた人で、お寿司にお茶をつけたのも小泉与兵衛。

わさびをつけたのも小泉与兵衛・・・だそうです。

ここらの話は、番組中、食文化研究家の永山久夫さんが話していました。

  

永山さんの話はさらに続きます。

 

与兵衛は10代の時、古道具屋からお菓子屋までいろいろな職業を体験しました。

20代の時に江戸で流行り始めた押し寿司に注目。

1日かけて作った押し寿司を売り歩いていた時に、アイデアが浮かびます。

もっと手っ取り早くつくってお客さんに寿司を出せないか?

お客さんの目の前で握って作ることを考えつきました。

ただ寿司なので酸っぱくしなければなりません。どうする?

  

与兵衛はご飯に酢を混ぜて酸っぱくしました。

この時に貢献したのが、愛知県の半田市にあるミツカンだったのです。

  

ミツカンは1804年に、粕酢を作り始めました。

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この酢が大ヒット。江戸前寿司は人気が出て広まりました。

本当は発酵して酸っぱくしていたのを、

粕酢で酸っぱくすることに、成功したのです。

粕酢は甘酸っぽいものだったそうです。

  

小泉与兵衛が作った握り寿司と、今の握り寿司は違うようです。

与兵衛の子孫が書いた「家庭 鮓(すし)のつけかた」(明治43年刊 小泉清三郎著)をもとに、

昔の握り寿司を再現することになりました。

  

  

そのことは次の投稿で。

  

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