「江戸前の寿司」「ミツカン」の勉強
今日は3月9日。
以前、愛知県の半田市に行き、ミツカンの工場や博物館「酢の里」に行ったりしました。
その時に、ミツカンが開発した酢が、江戸前寿司完成に重要な役割を果たしたと聞きました。
しかし、その時に聞いた説明では、どのような役割を果たしたのか、
十分わかりませんでした。
その後、本とか借りてきて調べた覚えがありますが、中途半端で終わっていました。
そしたら2月22日にいい番組を見つけました。
「料理のはじまり帖 江戸の大発見”江戸前の寿司”のルーツをさぐる」という番組です。
さっそく録画して、その日のうちに見ました。
ミツカンに行って充分理解できていなかった「江戸前寿司」と「ミツカン」との関係が、
よくわかりました。
番組の写真を使いながら、ここにまとめてみます。
寿司の発祥は奈良時代でした。
その頃は魚を発酵させた「鮒ずし」であって、ご飯と一緒ではありませんでした。
室町時代にお米と一緒に食べる「姿ずし」が登場。
江戸時代になると箱にご飯とネタを入れて押す「箱ずし」「押し寿司」が生まれました。
さて、今のような握り寿司誕生に関わったと考えられているのが、
小泉与兵衛(1799~1858年)だそうです。
今の墨田区両国一丁目に「与兵衛すし跡」という看板が立っています。
今からおよそ200年前の文政年間に、現代に伝わる江戸前の握り寿司を、
小泉与兵衛は考えました。
お茶をやっていた人で、お寿司にお茶をつけたのも小泉与兵衛。
わさびをつけたのも小泉与兵衛・・・だそうです。
ここらの話は、番組中、食文化研究家の永山久夫さんが話していました。
永山さんの話はさらに続きます。
与兵衛は10代の時、古道具屋からお菓子屋までいろいろな職業を体験しました。
20代の時に江戸で流行り始めた押し寿司に注目。
1日かけて作った押し寿司を売り歩いていた時に、アイデアが浮かびます。
もっと手っ取り早くつくってお客さんに寿司を出せないか?
お客さんの目の前で握って作ることを考えつきました。
ただ寿司なので酸っぱくしなければなりません。どうする?
与兵衛はご飯に酢を混ぜて酸っぱくしました。
この時に貢献したのが、愛知県の半田市にあるミツカンだったのです。
ミツカンは1804年に、粕酢を作り始めました。
この酢が大ヒット。江戸前寿司は人気が出て広まりました。
本当は発酵して酸っぱくしていたのを、
粕酢で酸っぱくすることに、成功したのです。
粕酢は甘酸っぽいものだったそうです。
小泉与兵衛が作った握り寿司と、今の握り寿司は違うようです。
与兵衛の子孫が書いた「家庭 鮓(すし)のつけかた」(明治43年刊 小泉清三郎著)をもとに、
昔の握り寿司を再現することになりました。
そのことは次の投稿で。
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