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2014年3月 9日 (日)

「江戸前の寿司」「ミツカン」の勉強

  

今日は3月9日。

  

以前、愛知県の半田市に行き、ミツカンの工場や博物館「酢の里」に行ったりしました。

その時に、ミツカンが開発した酢が、江戸前寿司完成に重要な役割を果たしたと聞きました。

しかし、その時に聞いた説明では、どのような役割を果たしたのか、

十分わかりませんでした。

その後、本とか借りてきて調べた覚えがありますが、中途半端で終わっていました。

  

そしたら2月22日にいい番組を見つけました。

料理のはじまり帖 江戸の大発見”江戸前の寿司”のルーツをさぐる」という番組です。

さっそく録画して、その日のうちに見ました。

  

ミツカンに行って充分理解できていなかった「江戸前寿司」と「ミツカン」との関係が、

よくわかりました。

  

番組の写真を使いながら、ここにまとめてみます。

  

寿司の発祥は奈良時代でした。

その頃は魚を発酵させた「鮒ずし」であって、ご飯と一緒ではありませんでした。

室町時代にお米と一緒に食べる「姿ずし」が登場。

江戸時代になると箱にご飯とネタを入れて押す「箱ずし」「押し寿司」が生まれました。

   

さて、今のような握り寿司誕生に関わったと考えられているのが、

小泉与兵衛(1799~1858年)だそうです。

今の墨田区両国一丁目に「与兵衛すし跡」という看板が立っています。

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今からおよそ200年前の文政年間に、現代に伝わる江戸前の握り寿司を、

小泉与兵衛は考えました。

お茶をやっていた人で、お寿司にお茶をつけたのも小泉与兵衛。

わさびをつけたのも小泉与兵衛・・・だそうです。

ここらの話は、番組中、食文化研究家の永山久夫さんが話していました。

  

永山さんの話はさらに続きます。

 

与兵衛は10代の時、古道具屋からお菓子屋までいろいろな職業を体験しました。

20代の時に江戸で流行り始めた押し寿司に注目。

1日かけて作った押し寿司を売り歩いていた時に、アイデアが浮かびます。

もっと手っ取り早くつくってお客さんに寿司を出せないか?

お客さんの目の前で握って作ることを考えつきました。

ただ寿司なので酸っぱくしなければなりません。どうする?

  

与兵衛はご飯に酢を混ぜて酸っぱくしました。

この時に貢献したのが、愛知県の半田市にあるミツカンだったのです。

  

ミツカンは1804年に、粕酢を作り始めました。

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この酢が大ヒット。江戸前寿司は人気が出て広まりました。

本当は発酵して酸っぱくしていたのを、

粕酢で酸っぱくすることに、成功したのです。

粕酢は甘酸っぽいものだったそうです。

  

小泉与兵衛が作った握り寿司と、今の握り寿司は違うようです。

与兵衛の子孫が書いた「家庭 鮓(すし)のつけかた」(明治43年刊 小泉清三郎著)をもとに、

昔の握り寿司を再現することになりました。

  

  

そのことは次の投稿で。

  










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