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2011年8月

2011年8月31日 (水)

お茶の話を3つ

  

今日は8月31日。

26日晩に出発して、27日~29日は山の中。

29日の深夜に無事帰還。

   

その29日深夜の番組「キングコングのあるコトないコト」を見ました。

楽しい雑学番組。

この日のテーマは「お茶」

印象に残った話を3つ。

 

「無茶苦茶」

番組では、「お茶がない生活などありえない」といった意味から、

今使われているような意味に派生したと言っていました。

そういう説もあるようですが、漢字はただの当て字だから、

漢字に意味を求めるのはおかしいという説も、調べたらありました。

     

「お~い、お茶」

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U字工事の益子さんが、

「お~いお茶」は、

呼びかけるようなセリフと、茶葉が多いという2つの意味があると説明しました。

なるほど!と思いましたが、これは「ナイこと」でした。

「お~いお茶」は、もともとは違う名前でした。

番組中に名前を言ってくれましたが、忘れました。

調べてみました。

 

「缶入り煎茶」と言いました。

「缶入り煎茶」は1985年に日本で初めて缶入りの緑茶飲料として誕生したもの。

1989年に「缶入り煎茶」は名前を「お~いお茶」に変わりました。

番組では、その理由がCMでのセリフが好評だったからだそうです。

誰が言ったのか調べました。

    

島田正吾さんだそうです。

どんなCMだったけなあ~。

何となく覚えていますが、もう一度見てみたいです。

    

カップの受け皿の役目

これは聞いたことがあったので、復習でした。

ヨーロッパの人は、猫舌の人が多く、

熱い飲料(コーヒーとか紅茶とか)を受け皿に入れて冷ましてから飲みました。

それが本来の受け皿の役目。

その頃の受け皿は、飲料を入れるために、少し深めでした。

今はそんな習慣がなくなったため、受け皿は浅くなってきたそうです。

048_2 
http://shisei.blog.eonet.jp/default/2009/02/post-f96c.html

↑このサイトにも、受け皿について書いてあって、参考になりました。

    

   

山から帰還してへとへとでしたが、ついつい見てしまった番組でした。

 

 

2011年8月26日 (金)

今晩出発

  

今日は8月26日。

普段自転車通勤を心がけているのはなぜか。

できるだけ階段を1段飛ばしでなるべく早く駆けあがっているのはなぜか。

できるだけ体重を下げようと努力しているのはなぜか。

(結局あまり下がりませんが・・・)

   

やっぱり、夏の北アルプス登山で、なるべく軽く登りたいがためです。

いよいよ今年の北アルプス行も、今晩スタート。

行ってきます。

山のお師匠さんとの北アルプス登山もこれで4回目。

ブログを始めた年2007年。

http://mitikusa.typepad.jp/blog/2007/08/post_1f67.html

2008年。

http://mitikusa.typepad.jp/blog/2008/08/post-590e.html

2009年。

http://mitikusa.typepad.jp/blog/2009/08/post-4d2d.html

2010年は都合が合わず断念。

そして2011年。

    

きっといい登山になると思います。

毎回そうだったから。贅沢してきます。今晩8時に出発。

 

 

2011年8月25日 (木)

東京国際空港80周年記念切手

  

今日は8月25日。

東京国際空港80周年記念切手発売日。

100589 
http://kitte-shop.post.japanpost.jp/goods/goods/item_detail.asp?item_id=100589

    

東京国際空港と言えば、羽田空港。

年数が気になりました。

「80周年」

つまり戦前からあったということ。

知りませんでした。

   

「Wikipedia 東京国際空港」AFによると・・・・

1917年には日本飛行大学校がこの地に開かれ、

「羽田飛行場」と呼ばれた飛行訓練施設が置かれていました。

飛行訓練が行われたものの、民間の旅客機の離着陸はまだ行われていませんでした。

1931年(昭和6年)8月25日に、

日本初の国営(逓信省管轄)民間航空専用空港東京飛行場(羽田飛行場)として正式に開港しました。

日本の民間航空黎明期における重要な飛行場であったそうです。

    

     

私の父親が8月31日に80歳の誕生日を迎えます。

羽田空港と同い年だったよと教えてあげようと思います。

松原用水頭首工付近の写真がきっかけでした

 

今日は8月25日。

今日も一日たくさん動くぞう。

    

2年前の夏に松原用水について調べて回り、ブログにまとめました。

いつか誰かが「松原用水」を調べる時に役に立てばいいなと思って書きました。

2年たって、こばさんが訪れてくれて、上手に利用してくれました。

その時に載せた1枚の写真。松原用水頭首工付近の写真(昭和42年頃)でした。

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http://mitikusa.typepad.jp/blog/2009/08/post-96a9.html

    

こばさんにとってはよく知っている場所だったため、詳しく教えてくれました。

こばさんのブログでは、この写真にコメントをつけてくれました。

さらに、現在の様子を同じ場所からの写真で紹介してくれています。

うれしい企画です。

※こばさんのブログ「いっぱいいっぱいの毎日だぁ~/豊川2」html#main

     

これが縁で、こばさんのブログを拝見。

興味深い投稿を見つけました。

本宮山のスケートリンクの写真。

初めて見ました!

「いっぱいいっぱいの毎日だぁ~/本宮山」html

スケート場跡は何度も目にしています。

(今月は4回も登りましたから)

その跡地に、かつてこんな立派なスケート場があったんだ。驚きでした。

このスケート場はいつまであったのでしょう?疑問。

卒業生で、本宮山研究をしている人は、

ぜひスケート場の写真を見に行ってください。

現在スケート場跡地には、ミズバショウ園が作られています。

     

   

検索して自分のブログに訪れてくれて、こばさんのような交流ができたことは、

ブログ冥利に尽きるような体験でした。

こういうことがあるから、ブログはやめられないです。

 

2011年8月24日 (水)

奈良公園4/鹿にもみじ/三文損しない

  

今日は8月24日。

昨日、娘がホームステイをしていたアメリカ・バージニア州で地震があった模様。

滅多に地震がない場所らしく、住民は騒然としたようです。

どれくらいの揺れだったのかなと思ったら、

アメリカには「震度」がないそうで、揺れの大きさは不明。

「震度」がないなんて・・・・、日本が揺れすぎなのかな。

     

     

奈良公園の勉強のつづき。

いろいろ調べていて、印象に残った話題。

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花札でおなじみの絵です。

この絵が生まれた話が悲しい。

前投稿で紹介したサイトから引用します。

「奈良の鹿」htm

  

「石子詰伝説」(菩提院大御堂の境内)興福寺南側

むか~し三作という子供がこのお堂の側の寺子屋で習字をしていると

そこに春日の鹿がやってきて廊下に置いてあった草子を食べてしまった。

そこで、三作はこらっとばかりに文鎮を投げたら当たり所が悪く鹿は死んでしまった。

三作は罪にとられ大御堂側の庭に死んだ鹿と一緒に石子詰の刑に処されてしまった。

これを悲しんだ三作の母は永年供養の花としてそばにもみじを植えた。

 「鹿にもみじ」の取り合わせはこれに由来しています。

   

「草子」とは、書物や習字用帳面の意味。ここではなんだろう?

大事なものを鹿に食べられ、怒れた子どもが文鎮を投げて鹿を殺してしまいました。

しかし、それで生き埋めとは残酷。親は切なかっただろうなあ。

こんな生類憐みの令のような決まりがあったのですね。   

    

     

鹿にまつわる故事として、

「早起きは三文の得」が生まれた話は楽しい。(鹿にとっては、残酷)

  

これも次のサイトから引用。

「早起きは三文の得」って・・・奈良が起源の話html

    

 実は、これは三文得するのという意味ではなく、

早起きすれば、三文、損しないという意味なんですね。

そして、これは、奈良が起源になっています。


奈良の鹿にまつわるお話です。

昔、鹿は神様の使いとして、とても大事に扱われていました。

粗末に扱ったり、殺した者には罰をもうけたのです。

ある朝、家の玄関先で鹿が行き倒れていました。

その家の主人が鹿を殺したのではないかと疑われ、罰金として三文を徴収されたそうです。

これを機に、早く起きて鹿が倒れていないか確かめる習慣がひろまったそうです。

早く起きないと、三文損するゾという起源となったのですね。
   

   

いやはやいやはや、奈良公園の鹿を調べていたら、いろいろ出てきます。

奈良公園で鹿を見るのが楽しみになってきました。いつかは実物。

 

 

奈良公園3/奈良の鹿は、放し飼いではない

  

今日は8月24日。

奈良公園の勉強のつづき。

こうやって事前勉強をしておいて、機会があったら実物で確かめる。

こういう勉強は実に楽しい。

    

奈良の鹿の祖先は、どこから来たと伝えられているか?

次のサイトがわかりやすいです。

「奈良の鹿」htm

和銅13年(710)年藤原不比等が氏神として春日大社を創建する際に

鹿島(茨城県鹿島神宮)から勧請した神が

白鹿に乗って春日山に入ったという言い伝えから、

神の使いとして大切に保護されてきました。

   

とのこと。

白鹿だけでなく、多くの鹿を引き連れて1年かけて春日山に入ったそうです。

奈良の鹿の祖先は、茨城県の鹿島神宮からやってきました。

茨城県の鹿島と言えば、鹿島アントラーズ。

鹿島に「鹿」の字が使われているし、「アントラー」は鹿の枝角のこと。

確かに鹿がたくさんいそうな地域です。(誤解か?)

Img01 
※鹿島アントラーズのキャラクター「しかお」の家族

    

鹿島の鹿について調べました。

鹿島神宮に30数頭の鹿がいるそうです。

1000頭以上の奈良公園は圧倒的に多いです。

   

奈良公園の鹿は、だれかに飼われているわけではなく、

つまり「放し飼い」ではないわけです。

放し飼いのように見えますが、飼い主がいないのだから、違います。

野生の鹿です。
   

 

奈良公園2/Deer Line

  

今日は8月24日。

奈良公園の勉強のつづき。

奈良公園の鹿のおやつは、観光客が与える鹿せんべい。

それでは主食は?

公園内の芝生や木の実だそうです。

「芝生」にビックリ。

そうか、芝生を食べているのですね。今度はよく見てこよう。

近づくと、芝生をバッシバッシと食べているそうです。

根は残し、上の方だけ上手に食べているそうです。

さらに鹿の糞は芝生の栄養になります。

奈良公園の芝生の草原は、鹿のおかげというわけです。

   

次のサイトに面白いことが書いてありました。

「鹿がつくった風景」html

    

鹿は、後ろ足で立って、届くところの木の葉を食べます。

口が届く最大が190センチくらいだそうです。

その結果、奈良公園の木は190センチより低い場所には、枝や葉があまりありません。

並んでいる木々がすべてそうなので、ちょうどラインで区切られたように見えるそうです。

ラインより上には枝や葉があり、その下はなし。

このラインを、Deer Line(ディアライン)と言うそうです。

Deerは、もちろん「鹿」

   

このDeer Lineも、修学旅行で見てきたいです。

 

 

奈良公園1/鹿寄せ

   

今日は8月24日。

今日は21年目の秋味の発売日。

でもいつものようにコンビニ(サークルK)でフライング販売をしていて購入。

晩に、おいしく今年1本目を飲みました。

   

ほぼ1か月後には修学旅行。

夏休みが終わってから忙しそうです。

奈良公園について勉強したことを書いてみます。

   

奈良公園の飛火野(とぶひの/とびひの)という場所。

どこかというと、春日大社に接する林野だそうです。

奈良時代に烽火(のろし)が置かれたことから、この名があるそうです。

その飛火野で、面白い光景が見られると知りました。

ナチュラルホルンを吹くことで、森の奥からたくさんの鹿が走って集まってくるそうです。

「鹿寄せ」と言うそうです。

本当かな?と思ってyoutubeを検索しました。

ありました、ありました。

 

    

見事に集まってきます。

「鹿寄せ」はいつから始まったのでしょう。

曲は、ベートーベンの交響曲第6番「田園」の一節。なぜこの曲なのでしょう。

だれかそう仕向けた人がいるはずです。

   

調べました。

「鹿寄せ」を行っている奈良の鹿愛護会のポスターを見つけました。

※ http://naradeer.com/images/show/21sikayose.pdf

そこには「鹿寄せ」の歴史が書かれていました。

   

「鹿寄せ」は、1892年(明治25年)鹿苑竣工奉告祭に

ラッパを使って実施したのがはじまりで、

明治40年天皇行幸の際、県公会堂の庭でも行いました。

戦中戦後に一時中断することがありましたが、

昭和24年に復活、1980年に奈良市観光協会が

冬の観光客誘致のための奈良大和路キャンペーンで「鹿寄せ」を行って以来、

現在も毎年実施されています。 

     

まだ疑問が残ります。

なぜ「田園」?

 

 

2011年8月22日 (月)

エノラゲイ/なぜ戦争へと向ったのか

  

今日は8月22日。

娘が1カ月のアメリカホームスティから帰国。

豊橋駅に迎えに行き、久しぶりに娘と会いました。

帰りの車内で、アメリカのことをバーッと話した娘は、

家に帰ってからもいろいろ家族に話をしていましたが、

数時間でダウン。寝込んでしまいました。もうたたいても起きず。

疲れが出たかな。

いい体験をした模様。良かった、良かった。

    

本人が寝てしまったが、撮ってきた写真を奥さんと一緒に見ました。

お父さん(私のこと)が歴史好きだと言ったら、

スミソニアン航空宇宙博物館に連れて行ってくれて、B-29「エノラゲイ」を見させてくれたそうです。

広島に原爆を落とした爆撃機です。

娘の持っていったカメラから、その写真を探しました。

これがその写真。

231 

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このエノラゲイ展示にあたってはいろいろ話題になったことを思い出します。

次のサイトにいきさつをまとめた文章がありました。

引用します。

   

http://www.ne.jp/asahi/box/kuro/report/genbaku.htm
   

アメリカのスミソニアン博物館は、世界有数の設備と権威をそなえた博物館だ。

この博物館で、第二次世界大戦終結50周年を記念して、

1995、核兵器が現代の社会にとってどのような意味があるのかを問う特設展が企画された。

この企画では、広島・長崎の被爆の様子も大きくとりあげ、

被爆者の様々な遺品も展示される予定だった。

アメリカではほとんど知られていないキノコ雲の下でおこった

悲惨な出来事にも光をあてることで、

核兵器の全体像をとらえようという意図だった。

しかし、この企画はアメリカ国内で大きな反発をまねいた。

多くのアメリカ人にとって、第二次大戦は正義と民主主義を守るための「よい戦争」であり、

原爆の投下は戦争の終結をはやめたと考えられているからだ。

そのために、B29とキノコ雲は、勝利と栄光のシンボルだと思われている。

スミソニアンの原爆展への反発は、

やがて、保守派を中心に議会や大統領までまきこんでの大きな動きとなった。

その結果、原爆展は、50年前に勇敢に戦ったアメリカ兵を侮辱するものだとされ、

中止に追い込まれてしまい、B29だけを展示するものにさしかえられてしまった。

     

展示に至るいきさつを、娘の体験がきっかけでおさらいすることができました。

日本人も知らないといけないことがあります。

アメリカ人が原爆の惨状を知らないなら、知らないといけないと思います。

   

最近、「NHKスペシャル 日本人はなぜ戦争へと向ったのか ①~④、戦中編」全部で5本を見ました。

今の政治家が行っている行為は、大震災の被災地や被災者のことを考えずに、

とても愚かな行為に見えます。

でも、今から70年前に太平洋戦争が開戦した前後、

当時の政治家も、多くの犠牲者が出ると予想できたし、

実際に多くの犠牲者が出たとしても、

所属するグループのため、あるいは目先の利益のために動いていて、

戦争を始め、そして継続させてしまいます。

とても愚かに見えます。

どんな優秀な人たちでも、こうなってしまうんだと恐怖すら感じます。

そんないきさつで始まった戦争はやっぱり愚かです。

戦争が止められたのなら、こんな原爆展論争もエノラゲイ展示もなかったのです。

愚かな判断でスタートした戦争だけに、

戦争の犠牲者のことを思うとすごく無念です。

   

    

 

2011年8月21日 (日)

淀殿は池上季実子/今日から「淀殿」で

 

昨晩は前任校に同じ頃に勤務した懐かしいメンバーでの飲み会。

いろいろな話題で盛り上がりました。

時代劇のドラマの話。

織田信長なら誰が思い浮かぶか?

豊臣秀吉なら?

とか話していました。

信長なら・・・・高橋英樹さんでしょうか。昔の大河ドラマ「国盗り物語」(1973年)で演じていました。

テレビドラマで見た初めての「織田信長」だったからでしょうか。印象に残ります。

秀吉は、同じ理由?で火野正平さん。この人も「国盗り物語」で好演しました。

「淀殿なら誰が浮かぶ?」

と聞かれて、すぐに浮かびませんでした。

しかし、相手の人が「池上季実子がよかった」と言ったのを聞いて、「自分も!」と思いました。

そうだよ、淀殿は池上季実子さんです。

いつ演じたのか忘れたので、調べました。

大河ドラマ「おんな太閤記」(1981年)でした。30年前か~。

20110510210029 
http://d.hatena.ne.jp/tougyou/20110510/p4

   

調べていて、一つ賢くなりました。

「淀殿」を「淀君」とも言うことがあります。

でもこれは間違いのようです。

「歴史ドラマから興味を持って日本史を楽しく学ぶ方法」/

このサイトから引用します。

     

豊臣秀吉が亡くなった後、豊臣家と徳川家は対立関係が露になり、

最終的には徳川が天下を取って長く江戸幕府に君臨します。

その豊臣家最後の頭首・秀頼の生母である淀殿は、

豊臣家を牛耳り滅亡に追いやった悪女のように描かれている事が多いのです。

これには原因があります。

・豊臣を滅ぼした徳川が、後ろめたさから「淀殿」という悪人を仕立てて「仕方なかった」という言い訳に使った。

・秀吉の正室「ねね」(おね、寧々)を人格者として描く作家は多く、

 正室対側室の意味で淀殿を悪女に仕立てている。

(注意)「淀君」(よどぎみ)と書かれた物も見かけますが、これは間違いです。
「君(きみ)」とは遊女に付く呼び名であり、
このような呼ばれ方も徳川方から流されたと言われています。

    

残っている歴史は、勝者の歴史であることが多し。気をつけよう。

これからは「淀殿」で。

   

今の大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」は、

敵の秀吉と茶々(淀殿)がどう結ばれていくか、時間をかけて表現してくれました。

そこが新鮮でした。

しかし、江は主役なのに、主役になりきっていない感じがします。

徳川家に嫁いだ今からが本領発揮でしょうか。

 

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