2019年2月17日 (日)

2013年の撮影現場から/そして今晩は「テルマエ・ロマエⅡ」を見ました

 

今日は2月17日。

  

私が映画「テルマエ・ロマエ」(2012年)を録画したのは、

2013年4月20日放映(東海テレビ/フジテレビ)でした。

その時の放映のラストで、映画「テルマエ・ロマエⅡ」の

撮影現場から阿部寛さん・上戸彩さんのメッセージ映像がありました。

その時の写真です。

  

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2014年に公開された日は、4月26日でした。

Wikipediaによると、4月26日は

「(テルマエ・ロマエ) よい風呂の日」になったそうです。

2014年に「テルマエ・ロマエⅡ」制作委員会が制定し、

日本記念日協会により認定されたそうです。

本当か?

よく利用する「今日は何の日~毎日が記念日~」で調べてみました。

ちゃんと「よい風呂の日」でした。

ただ説明に「テルマエ・ロマエⅡ」のことは書いてありませんでした。

 

  

この映画制作に先立って、

第1回 国民的平たい顔コンテスト」が行われたことが、

紹介されていました。

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グランプリに選ばれた人が、映画に出演するとのこと。

先ほどまで映画「テルマエ・ロマエⅡ」を見ていました。

グランプリに選ばれた人はどの人だろうと思って見ていました。

指圧師がそうかなと思いましたが、

フジテレビムービーによると、行事役だったそうです。

成瀬労さん。また見直そう。

  

  

関心があるのは、ブルガリアのソフィアにある

ヌ・ボヤナ・フィルム・スタジオです。 

ブルガリア通信には次のように書いてありました。

  

「ヌ・ボヤナ・フィルム・スタジオ」は共産主義政権下に

国営のスタジオとして設立されました。

政権崩壊までの約50年間に作られた映画はなんと800本近く。

映画産業に従事した人は9000人にものぼるそうです。

スタジオが民営化された後は特殊効果やデジタル編集等、

最新鋭の設備と技師を揃え、さらに発展。

加えてヨーロッパ最大の規模を誇る人気のスタジオです。

『ブラック・ダリア』『エクスペンダブルズ2』も

このスタジオで製作されたそうです。

『テルマエ・ロマエⅡ』では広大な地の利を活かし、

50メートルの高さがあるコロッセオのオープンセットを建設。

エキストラは前作の5倍、5000人を動員するという力の入れようです。

  

 

ちなみに、ブルガリアのソフィアの位置が浮かびますか?

私は自信がないので、グーグルアースで確かめます。

グーグルアース ソフィア

  

さらに、スタジオをグーグルアースで探してみました。

(こんなことに時間をかけてしまった)

グーグルアース おそらくここがスタジオ

Photo

  

さらにストリートビューで下りてみます。

ストリートビュー スタジオでしょう、きっと

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今晩は珍しく夜更かし。

でもこれで寝ます。

  

2019年2月16日 (土)

今晩、映画「テルマエ・ロマエⅡ」が放映されます

   

今日は2月16日。

  

以前このような記事を書きました。

ここでも道草 日めくりより/「あみだくじ」「欧米人のシャワー好き」(2018年11月24日投稿)

ヨーロッパ人がシャワー派になったのは、

キリスト教の禁欲的な面と、

ローマ帝国の浴場の退廃的な面が理由となって、

湯船に入ることがなくなったからだと書きました。

そして、家に録画してあった映画「テルマエ・ロマエ」を

見てみたいと書きました。

その直後、実行していました。

  

映画の冒頭は、その退廃的な面を

主人公が嘆くシーンがあります。

写真を使って紹介します。

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主人公阿部寛演じるルシウスのつぶやきを拾っていきます。

  

当たり前だ。

ローマは世界一風呂を愛している国なんだからな。

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相変わらず、ここは騒がしいなあ。

本来風呂は身体の疲れをとるための場所だ。

格闘技や水泳をやったり、

売り子が幅をきかしているなんて、

本質を見失っている。

くつろげる空間でこそ・・・

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どいつもこいつも

  

全く、この者たちは、世界の頂点に立つ

ローマ人としての自覚はないのか。

このままでは、我がローマ帝国が凋落する日も

近いかもしれない。

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湯の中に入るしか静けさを感じることができないなんて、

派手なテルマエがもてはやされるこの現状を打破できるような

斬新な発想さえ思いつけば・・・・

斬新な発想、斬新な発想、斬新な発想・・・・

  

このあとルシアスは排水溝に吸い込まれて、

現代の日本にやってきます。

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少し知識を得ると、映画を見るときの視点が変わります。

ローマの浴場の退廃的な面を勉強できる映画だと

私にはインプットされました。

  

  

今晩、あと数分で映画「テルマエ・ロマエⅡ」(2014年)が

放映されます。

日めくりより/「くすぐり」「真珠湾攻撃の暗号」/スラムに関する番組紹介

  

今日は2月16日。

  

日めくりより。「雑学王」(TRY-X)より。

  

自分自身をくすぐってもくすぐったくないワケは?

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「くすぐり」を特別支援教育の大事な手法と思っている私にとって、

「くすぐり」に関する情報はひっかかります。

昨日の日めくりです。さっそく掲載します。

※参考:ここでも道草 くすぐってでも笑わせる実践/教育は伝染・感染(2017年5月1日投稿)

※参考:ここでも道草 この1年間のキーワードは「くすぐり」(2018年3月23日投稿)

あらためて2017年5月1日の記事を読み直して、

「笑い」「笑顔」がいかに大事か思い出しまた。

くすぐって無理やりでも笑わせることはいいことなのです。

だんだん「くすぐり」に関する情報が集まって、

今に教育手法の研究レベルに至ると信じます。

  

  

もう1枚。

 

真珠湾攻撃のとき、もし失敗したらどんな暗号だった?

Epson010  

社会科の内容は広くそして深い。

中学校で教えることなんて、ほんのほんの一部。

教師はそう思うべきだし、教えるときにも

その気持ちを出した方がいいと思います。

その気になれば、教科書の1文の裏にある膨大なことに

触れることができること、

そしてそれはとても楽しいことであることへの気づきに

つながって行きます。

テストで扱うことなんて、微々たるもの。

そこで社会科にうんざりさせては、

社会科の入口を担当する教師の罪だと思います。

 

真珠湾攻撃に関する今回の情報も、私は知りませんでした。

また新しいことを知りました。

「へえ~そうなんだ」と思いました。

いい年をして、社会科をいまだに楽しんでいます。

 

中学校で社会科をうんざりさせてはいけないと思います。

社会科を教え、たくさんのキーワードを提供して、

好奇心のアンテナをたくさん生徒の中に立たせることが

私の目標ですね。

例えば、「スラム」・・・もし生徒の中に

このキーワードが染みこみ、この言葉に反応する好奇心の

アンテナができているなら、次の番組はほっとけないでしょう。

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Photo_2 もっとNHK ドキュメンタリー 

2月19日 午後9時から50分間番組

BS1スペシャル スラム街 希望のオーケストラ

今ならよく動画も見ることができます。ぜひ!

  

  

日めくり2枚で、特別支援教育と社会科教育について

語ってしまいました。

私はやっぱり教師ですねえ。

  

好物は「金曜日のカレーライス」

 今日は2月16日。

  

以前、勤務している小学校の放送委員に

インタビューを受けました。

給食の放送で「先生紹介」のコーナーがあり、

そのための取材でした。

「先生は食べ物で好きな物は何ですか?」

と問われた時に、思い浮かんだことをすっと答えました。

金曜日のカレーライス

   

 

昨晩(金曜日)がそうでした。

1週間、仕事を頑張ってきました。

昨晩は組合の定期大会があって、

家に帰った時は午後7時30分頃。

お疲れ気味でした。

「ただいま!」と言って玄関を開けたら、

家の中は「カレーライス」の匂いが漂っていました。

これで気持ちが癒やされました。

子どもの頃から好物のカレーライス。

今も変わりありません。

気楽な金曜日の晩のカレーライスは格別です。

必ず2杯食べます。

そしていつも1缶のビールも、金曜日は2缶。

「幸せだなあ」と思いながらの夕食です。

A ハウス食品グループ本社株式会社

  

満腹感と1週間のお疲れで、昨晩は10時にはダウン。

寝てしまいました。

明日は部活動もない土曜日(テスト週間)なので、

いつも以上に気楽でした。

 

私がいつも幸せそうにカレーライスを食べるためか、

金曜日は50%ぐらいの確率でカレーライスです。

今朝は自然と午前4時起床。

今から「ザ・テレビジョン」を見て、

1週間の番組チェックです。

この1週間は、どんな番組が待ち構えているのか?

ワクワクです。

2019年2月14日 (木)

自転車のルール「歩道は歩行者優先で、車道寄りを走行」

今日は2月14日。

  

整体に行ってきました。

1ヶ月ペースで整体に行っています。

前回は1月10日。

この1ヶ月は、身体には大きなハプニングのあった期間でした。

  

10日間腰痛に苦しみ、コルセットを巻いて

生活していました。

※参考:ここでも道草 腰痛!1年3か月ぶりに整形外科に行きました(2019年1月22日投稿)

そして自転車で転倒。

※参考:ここでも道草 自転車転倒で予想外の重症/不幸中の幸い(2019年2月10日投稿)

ボロボロ状態で整体に行って、

念入りに施術(しじゅつ)してもらいました。

 

整体でも、事故現場を見てもらいました。

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自分の独りよがりであってはいやなので、

この写真を見せて、危ないかどうか判断してもらっています。

 

ただ私は交通ルール的には良くなかったようです。

警視庁の小学生用パンフレットです。

警視庁 「自転車に正しく乗ろう」パンフ

Photo

Photo_2  

歩道は歩行者優先で、車道寄りを走行

という記述があります。

私は自転車で歩道の車道の反対側を走行していました。

車道寄りを走行していたら、段差にはぶつからないでしょと

言われれば、次の言葉がなかなか出ません。

このルールを十分に自覚していませんでした。

すみません。

  

でも、歩行者が歩いていて、かわすために、

車道寄りを走れない可能性もあると思います。

あの段差はやっぱり危険なのです。

 

2019年2月13日 (水)

間もなく2月14日/カカオ豆の生産地での児童労働

今日は2月13日。

  

最近のネット上のニュースで印象に残ったものはこれ↓

毎日新聞 「カカオの涙」に思いを…産地の児童労働や貧困 パティシエらが支援の輪(2019年2月9日)

 

一部引用します。

  

2月14日のバレンタインデーを前に、

チョコレートの需要が高まっている。

そんな中、原料となるカカオ豆の生産地が抱える

貧困や児童労働などの問題を知ってもらおうと、

パティシエや非政府組織(NGO)が声を上げている。

  

パティシエは、名古屋市の田中千尋さん。

 

「のチョコにカカオ産地の努力がたくさん

詰まっていることを想像しながら味わってほしい」。

名古屋市の洋菓子店「カフェタナカ」のパティシエ、

田中千尋さんはそんな思いから、

店頭ではカカオ豆の特徴や産地の現状を説明するようにしている。

カカオ豆の多くは西アフリカや南米など赤道付近の、

インフラも整わない発展途上国で生産されている。

農家の大半は貧困に苦しみ、児童労働や後継者不足、

病害など産地が抱える問題は多い。

一方、日本のチョコ消費は増加の一途をたどっている。

2017年度の国内消費量は27万4067トンと

20年間で約7万トン増加。

今や世界有数の消費大国だ。

近年は新興国でも消費が増す中、

カカオ豆の取引価格は低水準のままで、

農家は貧困から抜け出せずにいる。

田中さんは08年から、フランスのチョコ会社とともに

エクアドルやマダガスカルの農家に足を運んでいる。

チョコを見たことも食べたこともないという農家が多い中、

企業が農家と連携し、生産技術や加工方法の伝授を始めると、

生産量や品質が年々向上。

農家の生産意欲も10年間で格段に上がったという。

NGOは「ACE(エース)」

  

「問題解決には消費者の声が大きなカギとなる」。

日本に輸入されるカカオ豆の7割を生産するガーナで

児童労働撲滅に取り組むNGO「ACE(エース)」(東京都)の

白木朋子事務局長はそう指摘する。

カカオ豆生産に携わる子供はガーナだけで92万人いるとされ、

ACEは子供を働かせている農家を説得して意識改革を促したり、

学用品を支給したりして、09年以降500人超の子供たちを

労働から解放し、就学させてきた。

そうした児童労働のない産地で作られたカカオ豆の積極利用に

大手菓子メーカー森永製菓などが賛同。

売り上げの一部を寄付に充てるなど支援は広がるが、

海外に比べると日本企業の動きはまだ鈍い。

    

  

ACEについては、次のサイトへ。

ACE(エース)HP

 

今年度、社会科の地理で、アフリカを教えた時には、

ACEの活動のことを知りませんでした。

ガーナのカカオ生産地の児童労働減少に向けて

一生懸命頑張っている人たちがいたのですね。

HPには、印象に残る記述があちこちにありますが、

今回は、次の記述を引用します。

身近に置いておきたい記述です。

  

奪われた「子ども時代」は取り戻せない

子ども時代は成長の時期。

身体や心の健康を保つことはもちろん、

教育を通じて生きていくために必要な知識やスキル、

社会性を身につけ、将来に備える大切な時期です。

成長途中の未熟な身体で重労働を課せられることによって

健康が損なわれたり、教育を受けられないことで

最低限の読み書きさえできなければ、

将来おとなになった時に自立して生きていくことはできません。

基本的な衛生に対する知識を身につけられなければ、

自分の命を守ることさえできません。

児童労働は、子どもが自分の力で命を守り

将来切り拓く可能性を妨げる、

子どもの未来を奪うことともいえます。

  

子どもの未来を奪う」・・・やっては行けないこと。

  

  

わたしたちの生活とつながっている児童労働

児童労働は、遠くの貧しい国の問題と思われるかもしれません。

しかし、日本に暮らすわたしたちと決して

無関係ではありません。児童労働原因として

「貧困」が挙げられますが、それだけが原因ではありません。

子どもの労働で作られているカカオやコットンは、

チョコレートや衣服に生まれ変わり、

わたしたちの生活の一部になっています。

消費者の「安くモノを買いたい」という要望や、

「安くモノを作って販売し、利益を上げたい」という

企業の思惑が、生産者へのしわよせとなって、

児童労働を生んでいるともいえます。  

  

以上のことを知って、間もなく2月14日を迎えます。

バレンタインデーです。

2019年2月12日 (火)

元寇「風で勝ったのではなく、人で勝った」

今日は2月12日。

  

鎌倉時代の教材研究で、2014年9月18日放映の

英雄たちの選択 元寇 北条時宗 最強の帝国に挑む」を見ました。

その時に、このブログに出合いました↓

日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

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今回見た「英雄たちの選択」を読み物化してくれてありました。

私と同じ匂いのする・・・

私と同じように、番組を見ただけでは気が済まず、

読み物化してしまう方のブログです。

どんな番組だったかを知るのに、ありがたいのです。

  

  

私も上記の「英雄の選択」の読み物化をしてみます。

冒頭の渡邉アナウンサーと磯田道史さんの会話が

印象に残りました。

  

渡邉:さて今回は、今からおよそ740年前。

  「文永の役」「弘安の役」と名づけられた

  2度にわたる元の日本侵略です。

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  この2つの戦いはまとめて「元寇」や「蒙古襲来」などと

  呼ばれています。

  そして、この時、鎌倉幕府の代表として対応に当たったのが、

  執権北条時宗です。

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  磯田さん、元寇と言いますと、圧倒的に強い元の軍隊が、

  いわゆる神風によって壊滅して、日本は救われたイメージが

  あるんですけれども・・・

磯田:私は思うのですけども、ひょっとしたら、

  風で勝ったんではなくて、人で勝っているという面も

  あったんじゃないかと思うんです。

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  やっぱり時宗は情報収集をきっちりとして、

  対策をとってますね。

  勝つべくして勝つという面もあったんじゃないか。

   

 

私の「元寇」に持っていたイメージは、

渡邉アナウンサーと同じです。

偶然台風が来てくれたおかげで、

日本は救われたと思っていました。

今回の「英雄たちの選択」で、そのイメージは変わりました。

 

 

文永の役では、鎌倉幕府は元の2度目の襲来に備えて、

石積みの防塁を御家人たちに造らせました。

その防塁を使って、幕府軍は2カ月間元軍の上陸を防ぎました。

そこに台風が来ました。

  

2か月上陸を防いだことで、上陸側の作戦は失敗しているとし、

2か月も経ったら、台風も来るでしょうという声もありました。

つまり偶然ではなくて、台風は来るべくして来たというわけです。

長大な防塁を御家人たちが一緒に造ったおかげで、

集団で戦おうという意識も高まったと考える人がいました。

やはり「風で勝ったのではなく、人で勝った」と言えるのです。

  

 

北条時宗がモンゴルからの使者と接したのは、

1268年。

時宗17歳。

そして弘安の役が済んで3年後に亡くなります。

34歳。

「元寇」のために生まれてきた人物と評されます。

そうだったんだと思いました。

  

  

「英雄たちの選択」で新しいこの2点の見方を知ったのは、

大きな収穫でした。

2019年2月11日 (月)

「学校の『当たり前』をやめた。」その6/自問:目的のない授業を無駄に行っていないか?

  

今日は2月11日。

  

前投稿に引き続き、

学校の『当たり前』をやめた。

(工藤勇一著/時事通信社)より、引用します。

  

たくさん引用したい文章がある本です。

その全てを書き留めておきたいです。

それも今やっておかないと思っています。

後に回すと結局やらないことになりそうです。

でもタイムアップ。この記事がラストです。

 

江戸時代の寺子屋について書いた文章です。

  

「②教え方・学び方」については「自学と学び合い」が

中心です。教師が現在のように大勢の生徒に一斉授業で

教えることはありません。

分からないことがあれば友だちに聞いたり、

教えたり教えられたりしながら主体的に学んでいました。

実はこれは、世の中の営みそのものです。

つまり、社会に出てからの大人の学び方と、

子どもたちの学び方は同じだったのです

今のように一斉授業の中で一方的に情報を受け続け、

ただ丸暗記するような勉強方法ではありません。

また、「これをやりなさい」「あれを勉強しなさい」と

一方的に押し付けられることもありませんでした。

学びは、人に頼るものではなく、自分で分からなければ

調べたり考えたり、それでも分からなければ聞くなどしました。

当時は、「対話」が当たり前だったのです。

まさに「学びのスタイル」が「社会のスタイル」なのです。

(69p)

  

先日、屋根裏の倉庫からアナログ版「道草・社会」を

出してきて、久々読んでみました。

その時に思ったのは、生徒ともっと

社会の話をしていたということです。

昨年の4月からの私は、一斉授業で生徒に社会科の内容を

紹介し続けてきた”だけ”でした。  

久々の中学校だったけど、いろいろ思い出し、

慣れてきたので、よかれと思うことを動きたいですね。

以前「学び合い」の活動に興味をもち、関係の先生と話したり、

本も読みました。最近は疎遠でした。

もう一度思い出したい。

  

  

各学校は、学習指導要領を上手に活用して、

子どもたちに必要な力を身に付けさせていくことが

大切です。個人的には、現在のカリキュラムの内容は

多すぎると感じています。

現代の社会が求める最小限のものに絞り、

もっとシンプルにする必要があると考えます。

ところで、教育関係者の多くは、学習指導要領に基づいて

作られた教科書をこなすことや、

定められた時間数を守ることに意識が向きがちです。

地域の実情や目の前の子どもたちの実態に合わせて、

柔軟に教育内容を工夫することは、ほぼ見られません。

(73p)

  

  

学習指導要領に教員の意識が縛られていて、

自由な発想が奪われてしまっているのです。

目の前の子どもたちが社会の中でよりよく生きていくために

何が必要なのか、多くの教員、教育関係者が自分の頭で

考えることを忘れて、教科書をこなすことに終始して

しまっていることが問題だと考えます。

その結果として、「今週の学級活動、何にする?」

なんて会話が、多くの職員室で交わされているのが

現実ではないでしょうか。

「忙しい、忙しい」と嘆きながら、その一方で、

目的のない授業を無駄に行う。

学習指導要領に縛られた結果がこれでは何とも皮肉です。

(74p)

    

「目的のない授業を無駄に行う」

なかなか痛烈です。

でも定期テスト前の授業なんて、その傾向強し。

  

  

思わぬ事態も出てきました。

生徒が作ったノートを回収して、「A」「B」「C」で

評価しようとする教員が出てきたのです。

私はやめるように言いました。

ノートは評価してはいけません。

ノートづくりの目的がすり替わってしまうからです。

教員が評価するとなれば、生徒の中には「教員に褒められる」

ことを目的とした、「きれいな」「他人に見せるための」

ノートづくりを始めることがあるかもしれません。

しかし、本来ノートは、自らの思考を深めるためのものです。

そして、後で振り返ることによって

理解を深めていくためのものであります。

先生に見せることが目的になってしまうと、

せっかく作ったノートが本来の機能を

果たせなくなってしまいます。

(106~107p)

  

ここに来年度の改善のヒントがあります。

ノートは何のためにあるのか、

勤務校の社会科の先生たちと話し合いたいです。

明日、生徒がノートを出してきます。

私たち社会科教師は評価します。

今年度はずっとやってきました。

来年度はどうする?

  

結果は、このブログに書きます。きっと。

 

  

本「学校の『当たり前』をやめた。」からの引用はここまで。

後日続ける場合は、「その7」として投稿したい。

「学校の『当たり前』をやめた。」その5/「行動の教育」は私自身にも

  

今日は2月11日。

  

前投稿に引き続き、

学校の『当たり前』をやめた。

(工藤勇一著/時事通信社)より、引用します。

  

私はよく教員に,「どうでもよいことと、どうでもよくないことを、

 

分けて叱りませんか」と話しています。

 

どうでもよいことなら軽く注意を促せばよい。

  

逆に、命や人権に関わること、差別や暴力といった行為には

  

厳しく対応し、自身の言動の意味を認識させる必要があります。

 

(50p)

  

  

これまたなるほどです。

 

叱る時にはこの言葉を忘れずに。

  

う~ん、忘れそうだけど、何度も思い出し、

  

自分の中に定着させたいですね。 

    

具体的な例を挙げて考えてみましょう。

 

ここに、全く正反対の2人がいるとします。

  

一人は「心の底から優しいことをしたいと思っているのに、

  

人目を気にするあまり、行動できない人」

  

そしてもう1人は、「決して純粋な理由ではないけれども

  

よいことを行っている人」。 

 

どちらの人がより価値があるでしょうか。

  

人は行動の積み重ねで評価されていくものだと私は思います。

  

そもそも人の心の中など簡単に分かるものではないとも思います。

  

私自身、いまだに自分の心さえ、よく分からないことがあります。

 

そもそも「心はみんな違っていい」はずです。

 

人の価値観、考え方はみんな違ってよいのです。

  

私は生徒たちに、人は行動こそが大切だという

 

「行動の教育」を伝えていきたいと思っています。

 

かの孔子が、論語の中で「70にして心の欲する所に従って

 

矩(のり)を踰(こ)えず」(自分の心のまに行動しても、

  

人の道を外さなくなったのは70歳になってからとのこと)

 

と語っています。

 

あの孔子でさえも、70歳になっても意識して

 

自らの行動をしている。人生の最後のステージに差しかかっても、

 

そうした努力をしていたことに感動します。

 

(60~61p)

    

    

よかれと思ったことは行動する。

  

行動を積み重ねる。

  

生徒だけでなく私自身も行動すること、

  

私は「行動」よりも「動く」と表現しているかな。

  

とにかく「動く」  こころがけたい。

  

  

   

  

現在の学校教育を見渡すと、

  

目的と手段の不一致はもちろんのこと、

   

手段自体が目的化されているようなケースがたくさんあります。

   

加えて、そうした矛盾に多くの人が気が付いていないか、

  

あるいは「見て見ぬふり」をして、

 

何らアクションを起こさないでいることについて、

  

なぜなのだろうと、私はずっと考えてきました。

  

今こそ、目的と手段の不一致がないか、

  

徹底的に検証していく必要があります。

  

そのスタート地点として、「学校は何のためにあるのか」という

  

根源的な問いに立ち返って、読者の皆さんと一緒に

  

考えてみたいと思います。

  

「はじめに」でも書いた通り、学校は人が

  

「社会の中でよりよく生きていける」ようになるために

  

学ぶ場所です。そしてその結果として、

  

学校で学んだ子どもたちが将来、「より良い社会をつくる」

  

ことにつながっていくと考えます。

  

勘違いしてはいけないのは、「学校に来る」こと自体は、

  

社会の中でよりよく生きていけるようにするための

  

一つの「手段」にすぎないということです。

  

たとえ、何らかの事情で学校に行けなくなったりしても、

  

学校以外にも学びの場はありますし、

  

社会とつながることだってできます。

  

勉強だってできるし、

  

もちろん立派な大人になることができます。

 

逆に、学校にきて学習指導要領に定められた

 

カリキュラムをこなしても、知識を丸暗記してテストで

  

よい点をとれるようになっても、

  

社会でよりよく生きていけるとは限りません。

  

この点について、私たちはもっと柔軟に考えられるように

 

なっておきたいものです。

  

(64~65p) 

 

  

もう少し学校に関われる身です。

このタイミングで、本「学校の『当たり前』をやめた。」に

出合えたことをラッキーと思って、考えていきたい。

Nationalday1505223_1920 pixabay スイスの建国記念日?

 

  

もう1本書く。つづく。 

「学校の『当たり前』をやめた。」その4/いろいろな先生がいるから「全員担任制」

 

今日は2月11日。

    

前投稿に引き続き、

学校の『当たり前』をやめた。

(工藤勇一著/時事通信社)より、引用します。

  

  

見直ししたものの3つ目は、1クラス1担任による

固定担任制です。

本校では、2018年度から学級担任を固定せず、

学年の全教員で学年の全生徒を見る

「全員担任制」を採用しています。

一人ひとりの教員にはそれぞれ得意分野があります。

それを生かすことが、生徒にとって

大きな価値につながってい ます。

生徒のサインを読み取るのが得意な教員、

保護者対応が得意な教員、

ICTの活用に長けた教員、

さまざまな個性を生かし合うことができる学年運営に変える。

それが全員担任制です。

(32p)

  

この考え方は、教科担任制をとっている

中学校の方が比較的スムーズに考えられると思います。  

教師は万能ではありません。

得意不得意があります。

不得意なことを無理してやることで、

今までたくさん自己嫌悪に陥ってきました。

得意なことで他の先生をサポートできたら、

きっと気持ちよく仕事ができたでしょう。

来年度から3年間。私はおそらく特別支援学級の主任です。

4学級4人のメンバーです。

「全員担任制」の考え方で行きたいですね。

 

参考にしたのは、「チーム医療」の考え方です。

患者にとって、最も適切な医療を行うために、

心のケアや、専門性の高い処置を行う

病院の取り組みは、学校に置き換えると

すべての子どもに最善の手立てを、

学校全体で取るという姿になります。

(32p)

 

  

これまでの固定担任制には、さまざまな弊害が見られます。

例えば、生徒のすべてを1人の担任に委ねることに

なってしまいがちなため、固定担任制では、

子どもや保護者にとっての学級の良し悪しは、

多くの場合、担任に紐づけられる傾向にあります。

学級の中で問題が起きれば、子どもたちや保護者は

安易に担任のせいにしたり、また担任の方も自分で

問題を抱え込んでしまったりする状況が生まれていきます。

(33p)

   

  

固定担任制の下では、学級担任は、クラスの子どもたちに対し、

良い意味でも悪い意味でも責任を持ちすぎるところがあります。

極端に言えば、自分の学級の生徒の人生すべてを

背負っているかのような気負いがあります。

加えて、「クラスの子どもに好かれたい」という気持ちも

強いものです。その結果、指導は必要以上に手厚くなります。

そして時に、極端になります。

自律することを学ばない子どもは、物事がうまく行かなくなると、

担任教員に責任転嫁をします。

勉強が分からなければ「授業が分かりにくい」と言い、

忘れ物をしたら「聞いていない」と言い訳をする。

担任が「好かれたい」と思って行った手厚い指導の結果が

これでは何とも皮肉な話です。

(34p) 

 

  

生徒たちの間にある「勝ち組」「負け組」の意識を

なくすねらいもあります。

学年の教員集団は、多くの場合、年齢・キャリアの

異なるメンバーで構成されます。

力量にも教員の個人差が出てくるため、

よくまとまったクラスと、そうでないクラスが生じがちです。

その結果、子どもたちの間で、「勝ち組」「負け組」の

意識が生じます。

中学校は教科によって教員が変わりますが、

すべての教科を担任が教えている小学校の場合は、

こうした意識は、より顕著ではないかと思います。

(34p)

  

  

私は中学校だけでなく、小学校においても学校規模と

専科教員の配置次第で、「全員担任制」を

実施できるのではないかと考えています。

実際、第4章で紹介する、木村泰子先生が初代の

校長を務められた、大阪市立大空小学校は、

固定担任制を廃止して「全員担任制」を導入しています。

(34~35p)

  

3月には、この大空小学校に行ってきます。

朝から夕方まで見てきます。

特別支援教育の視点と「全員担任制」の視点で

見てこようと思います。

う~ん、引用したい文章がまだまだあります。

  

  

中学校では、定期考査の「クラス平均」を公表することも

ありますが、そうした情報がクラス同士の対抗心をあおり、

時に、優越感や劣等感を助長している側面もあると思います。

生徒たちの間に、こうした意識が生じることの弊害は

小さくありません。

保護者の間では、担任の「アタリ」「ハズレ」が

話題になることがあるようですが、「ハズレ」で

「負け組」になった生徒は、どんな気持ちになるのでしょうか。

学年内にそんな格差や、残念な思いを持つ生徒を

生み出さないためにも、固定担任制を廃止する意義は

大きいと考えます。

(35~36p)

    

  

教員3年目のことでした。

私より7つほど年上の理科の教員と同じ学年を

組むことになりました。

実に尊敬ができる人で、考え方が柔軟、旧来型の学校教育を

必ずしも良しとはしない感性をお持ちで、

私とはとてもウマが合いました。

その人と学年を組むうちに、私は「この先生に勝っても

全然うれしくない」と自覚するようになりました。

当時、その学年は2クラスでしたが、両方のクラスを

よくしたいという思いが強くなり、担任制のあり方について

考えるようになりました。

(36p)

   

  

私は残り3年で、担任制について、本格的に?

考えるようになりました。間に合ってよかったです。

  

  

「全員担任制」を進める上で大切なのは教員間の連携です。

どの学年も週に1回会議を行い、日常においても

コミュニケーションを取り合いながら、

情報共有を図っています。

(38p)

  

  

宿題にせよ、定期考査にせよ、固定担任制にせよ、

長い学校教育の歴史の中で当たり前のように存在し、

誰も疑問を持たずに続けてきたものです。

制度や仕組みは、時代とともに

変えていく必要があります。

学校教育の上位目的に照らし合わせて、

最適な手段でないと判断したら、

たとえ100年続いてきた仕組みであったとしても、

変えようとする柔軟性を、

校長をはじめとする教育関係者は持つべきだと考えます。

(39p)

  

  

教員になって34年目ですが、中学校勤務は11年目。

中学校勤務でベテランと言っていいか中途半端。

教員として不得意な面があり、

他の先生に迷惑をかけてきた後ろめたさがあります。

(何か月も療休で休んだりもしました)

現行のやり方に疑問を持っても、

学校全体に対して修正しましょうとは言えないなあと

思ってきました。ずっとかな。

でも言っていきたいなあとこの本を読んで思いました。

  

  

そんな不得意な面を持つ教師だからこそ、

「勝ち組」を必死にめざした体験をもつ教師だからこそ、

工藤先生の言う「全員担任制」は賛成します。

お互いに頼って「無責任」になる危険性はありますが、

それはそれで工夫して乗り切っていきたいですね。

学級対抗で何かすることに慎重になりたいです。

教師が得意なことで生徒と同僚の先生のために

頑張ることができる環境は素晴らしいです。

Colors768691_1920 pixabay

  

  

まだ続く。

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楽餓鬼

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