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2019年2月11日 (月)

「学校の『当たり前』をやめた。」その5/「行動の教育」は私自身にも

  

今日は2月11日。

  

前投稿に引き続き、

学校の『当たり前』をやめた。

(工藤勇一著/時事通信社)より、引用します。

  

私はよく教員に,「どうでもよいことと、どうでもよくないことを、

 

分けて叱りませんか」と話しています。

 

どうでもよいことなら軽く注意を促せばよい。

  

逆に、命や人権に関わること、差別や暴力といった行為には

  

厳しく対応し、自身の言動の意味を認識させる必要があります。

 

(50p)

  

  

これまたなるほどです。

 

叱る時にはこの言葉を忘れずに。

  

う~ん、忘れそうだけど、何度も思い出し、

  

自分の中に定着させたいですね。 

    

具体的な例を挙げて考えてみましょう。

 

ここに、全く正反対の2人がいるとします。

  

一人は「心の底から優しいことをしたいと思っているのに、

  

人目を気にするあまり、行動できない人」

  

そしてもう1人は、「決して純粋な理由ではないけれども

  

よいことを行っている人」。 

 

どちらの人がより価値があるでしょうか。

  

人は行動の積み重ねで評価されていくものだと私は思います。

  

そもそも人の心の中など簡単に分かるものではないとも思います。

  

私自身、いまだに自分の心さえ、よく分からないことがあります。

 

そもそも「心はみんな違っていい」はずです。

 

人の価値観、考え方はみんな違ってよいのです。

  

私は生徒たちに、人は行動こそが大切だという

 

「行動の教育」を伝えていきたいと思っています。

 

かの孔子が、論語の中で「70にして心の欲する所に従って

 

矩(のり)を踰(こ)えず」(自分の心のまに行動しても、

  

人の道を外さなくなったのは70歳になってからとのこと)

 

と語っています。

 

あの孔子でさえも、70歳になっても意識して

 

自らの行動をしている。人生の最後のステージに差しかかっても、

 

そうした努力をしていたことに感動します。

 

(60~61p)

    

    

よかれと思ったことは行動する。

  

行動を積み重ねる。

  

生徒だけでなく私自身も行動すること、

  

私は「行動」よりも「動く」と表現しているかな。

  

とにかく「動く」  こころがけたい。

  

  

   

  

現在の学校教育を見渡すと、

  

目的と手段の不一致はもちろんのこと、

   

手段自体が目的化されているようなケースがたくさんあります。

   

加えて、そうした矛盾に多くの人が気が付いていないか、

  

あるいは「見て見ぬふり」をして、

 

何らアクションを起こさないでいることについて、

  

なぜなのだろうと、私はずっと考えてきました。

  

今こそ、目的と手段の不一致がないか、

  

徹底的に検証していく必要があります。

  

そのスタート地点として、「学校は何のためにあるのか」という

  

根源的な問いに立ち返って、読者の皆さんと一緒に

  

考えてみたいと思います。

  

「はじめに」でも書いた通り、学校は人が

  

「社会の中でよりよく生きていける」ようになるために

  

学ぶ場所です。そしてその結果として、

  

学校で学んだ子どもたちが将来、「より良い社会をつくる」

  

ことにつながっていくと考えます。

  

勘違いしてはいけないのは、「学校に来る」こと自体は、

  

社会の中でよりよく生きていけるようにするための

  

一つの「手段」にすぎないということです。

  

たとえ、何らかの事情で学校に行けなくなったりしても、

  

学校以外にも学びの場はありますし、

  

社会とつながることだってできます。

  

勉強だってできるし、

  

もちろん立派な大人になることができます。

 

逆に、学校にきて学習指導要領に定められた

 

カリキュラムをこなしても、知識を丸暗記してテストで

  

よい点をとれるようになっても、

  

社会でよりよく生きていけるとは限りません。

  

この点について、私たちはもっと柔軟に考えられるように

 

なっておきたいものです。

  

(64~65p) 

 

  

もう少し学校に関われる身です。

このタイミングで、本「学校の『当たり前』をやめた。」に

出合えたことをラッキーと思って、考えていきたい。

Nationalday1505223_1920 pixabay スイスの建国記念日?

 

  

もう1本書く。つづく。 

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