「学校の『当たり前』をやめた。」その4/いろいろな先生がいるから「全員担任制」
今日は2月11日。
前投稿に引き続き、
「学校の『当たり前』をやめた。」
(工藤勇一著/時事通信社)より、引用します。
見直ししたものの3つ目は、1クラス1担任による
固定担任制です。
本校では、2018年度から学級担任を固定せず、
学年の全教員で学年の全生徒を見る
「全員担任制」を採用しています。
一人ひとりの教員にはそれぞれ得意分野があります。
それを生かすことが、生徒にとって
大きな価値につながってい ます。
生徒のサインを読み取るのが得意な教員、
保護者対応が得意な教員、
ICTの活用に長けた教員、
さまざまな個性を生かし合うことができる学年運営に変える。
それが全員担任制です。
(32p)
この考え方は、教科担任制をとっている
中学校の方が比較的スムーズに考えられると思います。
教師は万能ではありません。
得意不得意があります。
不得意なことを無理してやることで、
今までたくさん自己嫌悪に陥ってきました。
得意なことで他の先生をサポートできたら、
きっと気持ちよく仕事ができたでしょう。
来年度から3年間。私はおそらく特別支援学級の主任です。
4学級4人のメンバーです。
「全員担任制」の考え方で行きたいですね。
参考にしたのは、「チーム医療」の考え方です。
患者にとって、最も適切な医療を行うために、
心のケアや、専門性の高い処置を行う
病院の取り組みは、学校に置き換えると
すべての子どもに最善の手立てを、
学校全体で取るという姿になります。
(32p)
これまでの固定担任制には、さまざまな弊害が見られます。
例えば、生徒のすべてを1人の担任に委ねることに
なってしまいがちなため、固定担任制では、
子どもや保護者にとっての学級の良し悪しは、
多くの場合、担任に紐づけられる傾向にあります。
学級の中で問題が起きれば、子どもたちや保護者は
安易に担任のせいにしたり、また担任の方も自分で
問題を抱え込んでしまったりする状況が生まれていきます。
(33p)
固定担任制の下では、学級担任は、クラスの子どもたちに対し、
良い意味でも悪い意味でも責任を持ちすぎるところがあります。
極端に言えば、自分の学級の生徒の人生すべてを
背負っているかのような気負いがあります。
加えて、「クラスの子どもに好かれたい」という気持ちも
強いものです。その結果、指導は必要以上に手厚くなります。
そして時に、極端になります。
自律することを学ばない子どもは、物事がうまく行かなくなると、
担任教員に責任転嫁をします。
勉強が分からなければ「授業が分かりにくい」と言い、
忘れ物をしたら「聞いていない」と言い訳をする。
担任が「好かれたい」と思って行った手厚い指導の結果が
これでは何とも皮肉な話です。
(34p)
生徒たちの間にある「勝ち組」「負け組」の意識を
なくすねらいもあります。
学年の教員集団は、多くの場合、年齢・キャリアの
異なるメンバーで構成されます。
力量にも教員の個人差が出てくるため、
よくまとまったクラスと、そうでないクラスが生じがちです。
その結果、子どもたちの間で、「勝ち組」「負け組」の
意識が生じます。
中学校は教科によって教員が変わりますが、
すべての教科を担任が教えている小学校の場合は、
こうした意識は、より顕著ではないかと思います。
(34p)
私は中学校だけでなく、小学校においても学校規模と
専科教員の配置次第で、「全員担任制」を
実施できるのではないかと考えています。
実際、第4章で紹介する、木村泰子先生が初代の
校長を務められた、大阪市立大空小学校は、
固定担任制を廃止して「全員担任制」を導入しています。
(34~35p)
3月には、この大空小学校に行ってきます。
朝から夕方まで見てきます。
特別支援教育の視点と「全員担任制」の視点で
見てこようと思います。
う~ん、引用したい文章がまだまだあります。
中学校では、定期考査の「クラス平均」を公表することも
ありますが、そうした情報がクラス同士の対抗心をあおり、
時に、優越感や劣等感を助長している側面もあると思います。
生徒たちの間に、こうした意識が生じることの弊害は
小さくありません。
保護者の間では、担任の「アタリ」「ハズレ」が
話題になることがあるようですが、「ハズレ」で
「負け組」になった生徒は、どんな気持ちになるのでしょうか。
学年内にそんな格差や、残念な思いを持つ生徒を
生み出さないためにも、固定担任制を廃止する意義は
大きいと考えます。
(35~36p)
教員3年目のことでした。
私より7つほど年上の理科の教員と同じ学年を
組むことになりました。
実に尊敬ができる人で、考え方が柔軟、旧来型の学校教育を
必ずしも良しとはしない感性をお持ちで、
私とはとてもウマが合いました。
その人と学年を組むうちに、私は「この先生に勝っても
全然うれしくない」と自覚するようになりました。
当時、その学年は2クラスでしたが、両方のクラスを
よくしたいという思いが強くなり、担任制のあり方について
考えるようになりました。
(36p)
私は残り3年で、担任制について、本格的に?
考えるようになりました。間に合ってよかったです。
「全員担任制」を進める上で大切なのは教員間の連携です。
どの学年も週に1回会議を行い、日常においても
コミュニケーションを取り合いながら、
情報共有を図っています。
(38p)
宿題にせよ、定期考査にせよ、固定担任制にせよ、
長い学校教育の歴史の中で当たり前のように存在し、
誰も疑問を持たずに続けてきたものです。
制度や仕組みは、時代とともに
変えていく必要があります。
学校教育の上位目的に照らし合わせて、
最適な手段でないと判断したら、
たとえ100年続いてきた仕組みであったとしても、
変えようとする柔軟性を、
校長をはじめとする教育関係者は持つべきだと考えます。
(39p)
教員になって34年目ですが、中学校勤務は11年目。
中学校勤務でベテランと言っていいか中途半端。
教員として不得意な面があり、
他の先生に迷惑をかけてきた後ろめたさがあります。
(何か月も療休で休んだりもしました)
現行のやり方に疑問を持っても、
学校全体に対して修正しましょうとは言えないなあと
思ってきました。ずっとかな。
でも言っていきたいなあとこの本を読んで思いました。
そんな不得意な面を持つ教師だからこそ、
「勝ち組」を必死にめざした体験をもつ教師だからこそ、
工藤先生の言う「全員担任制」は賛成します。
お互いに頼って「無責任」になる危険性はありますが、
それはそれで工夫して乗り切っていきたいですね。
学級対抗で何かすることに慎重になりたいです。
教師が得意なことで生徒と同僚の先生のために
頑張ることができる環境は素晴らしいです。
まだ続く。
コメント