元寇「風で勝ったのではなく、人で勝った」
今日は2月12日。
鎌倉時代の教材研究で、2014年9月18日放映の
「英雄たちの選択 元寇 北条時宗 最強の帝国に挑む」を見ました。
その時に、このブログに出合いました↓
今回見た「英雄たちの選択」を読み物化してくれてありました。
私と同じ匂いのする・・・
私と同じように、番組を見ただけでは気が済まず、
読み物化してしまう方のブログです。
どんな番組だったかを知るのに、ありがたいのです。
私も上記の「英雄の選択」の読み物化をしてみます。
冒頭の渡邉アナウンサーと磯田道史さんの会話が
印象に残りました。
渡邉:さて今回は、今からおよそ740年前。
「文永の役」「弘安の役」と名づけられた
2度にわたる元の日本侵略です。
この2つの戦いはまとめて「元寇」や「蒙古襲来」などと
呼ばれています。
そして、この時、鎌倉幕府の代表として対応に当たったのが、
執権北条時宗です。
磯田さん、元寇と言いますと、圧倒的に強い元の軍隊が、
いわゆる神風によって壊滅して、日本は救われたイメージが
あるんですけれども・・・
磯田:私は思うのですけども、ひょっとしたら、
風で勝ったんではなくて、人で勝っているという面も
あったんじゃないかと思うんです。
やっぱり時宗は情報収集をきっちりとして、
対策をとってますね。
勝つべくして勝つという面もあったんじゃないか。
私の「元寇」に持っていたイメージは、
渡邉アナウンサーと同じです。
偶然台風が来てくれたおかげで、
日本は救われたと思っていました。
今回の「英雄たちの選択」で、そのイメージは変わりました。
文永の役では、鎌倉幕府は元の2度目の襲来に備えて、
石積みの防塁を御家人たちに造らせました。
その防塁を使って、幕府軍は2カ月間元軍の上陸を防ぎました。
そこに台風が来ました。
2か月上陸を防いだことで、上陸側の作戦は失敗しているとし、
2か月も経ったら、台風も来るでしょうという声もありました。
つまり偶然ではなくて、台風は来るべくして来たというわけです。
長大な防塁を御家人たちが一緒に造ったおかげで、
集団で戦おうという意識も高まったと考える人がいました。
やはり「風で勝ったのではなく、人で勝った」と言えるのです。
北条時宗がモンゴルからの使者と接したのは、
1268年。
時宗17歳。
そして弘安の役が済んで3年後に亡くなります。
34歳。
「元寇」のために生まれてきた人物と評されます。
そうだったんだと思いました。
「英雄たちの選択」で新しいこの2点の見方を知ったのは、
大きな収穫でした。
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