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2019年2月12日 (火)

元寇「風で勝ったのではなく、人で勝った」

今日は2月12日。

  

鎌倉時代の教材研究で、2014年9月18日放映の

英雄たちの選択 元寇 北条時宗 最強の帝国に挑む」を見ました。

その時に、このブログに出合いました↓

日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

Photo  

今回見た「英雄たちの選択」を読み物化してくれてありました。

私と同じ匂いのする・・・

私と同じように、番組を見ただけでは気が済まず、

読み物化してしまう方のブログです。

どんな番組だったかを知るのに、ありがたいのです。

  

  

私も上記の「英雄の選択」の読み物化をしてみます。

冒頭の渡邉アナウンサーと磯田道史さんの会話が

印象に残りました。

  

渡邉:さて今回は、今からおよそ740年前。

  「文永の役」「弘安の役」と名づけられた

  2度にわたる元の日本侵略です。

Rimg1588

  この2つの戦いはまとめて「元寇」や「蒙古襲来」などと

  呼ばれています。

  そして、この時、鎌倉幕府の代表として対応に当たったのが、

  執権北条時宗です。

Rimg1589

  磯田さん、元寇と言いますと、圧倒的に強い元の軍隊が、

  いわゆる神風によって壊滅して、日本は救われたイメージが

  あるんですけれども・・・

磯田:私は思うのですけども、ひょっとしたら、

  風で勝ったんではなくて、人で勝っているという面も

  あったんじゃないかと思うんです。

Rimg1585

  やっぱり時宗は情報収集をきっちりとして、

  対策をとってますね。

  勝つべくして勝つという面もあったんじゃないか。

   

 

私の「元寇」に持っていたイメージは、

渡邉アナウンサーと同じです。

偶然台風が来てくれたおかげで、

日本は救われたと思っていました。

今回の「英雄たちの選択」で、そのイメージは変わりました。

 

 

文永の役では、鎌倉幕府は元の2度目の襲来に備えて、

石積みの防塁を御家人たちに造らせました。

その防塁を使って、幕府軍は2カ月間元軍の上陸を防ぎました。

そこに台風が来ました。

  

2か月上陸を防いだことで、上陸側の作戦は失敗しているとし、

2か月も経ったら、台風も来るでしょうという声もありました。

つまり偶然ではなくて、台風は来るべくして来たというわけです。

長大な防塁を御家人たちが一緒に造ったおかげで、

集団で戦おうという意識も高まったと考える人がいました。

やはり「風で勝ったのではなく、人で勝った」と言えるのです。

  

 

北条時宗がモンゴルからの使者と接したのは、

1268年。

時宗17歳。

そして弘安の役が済んで3年後に亡くなります。

34歳。

「元寇」のために生まれてきた人物と評されます。

そうだったんだと思いました。

  

  

「英雄たちの選択」で新しいこの2点の見方を知ったのは、

大きな収穫でした。

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