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2011年12月

2011年12月19日 (月)

お楽しみ会でドミノをやります

  

今日は12月19日。

今日は2学期最後のお楽しみ会を学級で行います。

どんなことをやるか以前学級で相談した時に、

ドミノをやるか」ということになり、

ドミノをやるなら、普通のドミノ牌ではなくて、ビデオカセットを使おうと提案。

我が家には700本余りあるからそれを使おう・・・と。

体育館でやろう。何か字を作るかあ~。

ついつい担任が立て続けに提案。

話はどんどん進み、来年の十二支である「」をドミノで作ることになりました。

こういうアイデアのある、そしてみんなで協力して成し遂げるお楽しみ会は面白そう。

   

ビデオテープを使うことを提案しましたが、思った以上に家から運ぶのは大変でした。

何日かかけてほとんど運びました。

奥さんに「もう持って帰らなくていいから」と言われました。

700本余りあるとさすがに場所をとるためです。

私の宝物は、他の家族にはいささかじゃまもののようです。

      

700本で、ドミノでならべる時に10㎝間隔で立てたら、

70mの長さのドミノができることになります。

粗い計算ですがやってみると、

1辺が10mの正方形の中にビデオカセットで「龍」を作ることができそうです。

設計図を作ってみました。矢印がドミノが倒れていく方向です。

   

EPSON053
    

①から倒せば、最後まで倒れる仕組みです。

設計図ができたら、さっそく体育館に準備です。

昨日の日曜日は、社会体育で体育館を使っていて、

午後5時半過ぎにやっと準備にとりかかることができました。

   

1m間隔で碁盤の目のようにたこ糸を張りました。

RIMG0367

たこ糸が見えますか?

   

たこ糸でできたます目を使って、設計図の星印のところに黄色のガムテープをはりました。

ガムテープには番号を書いていきます。

算数で学習した図形の拡大の実践版です。

設計図の100倍の大きさの字を作るわけです。

RIMG0363
    

   

昨日は、次の用事があったため、全てのテープをはることはできませんでした。

今朝は早めに出勤して、テープをはってしまおうと思います。

お楽しみ会は1・2時間目。

後は子どもたちにビデオテープを渡して作らせます。

さあどうなるか?

結果はまたブログで紹介します。

    

    

※大きなミスに気がつきました。

次の投稿にも書きましたが、「龍」の字のラストは横棒3本。

2本にしていました。設計図も堂々の2本です。

失敗しました。恥ずかしい。(19日23:47記)

 

2011年12月18日 (日)

80歳は傘寿

  

今日は12月18日。

高倉健さんが交通事故を起こしたというニュース。

たいしたことがなくて何より。

そのニュースで、高倉健さんが80歳なのがわかりました。

そうですよね、それくらいになるはずです。

うちの父親と同じ年です。

   

80歳は「傘寿(さんじゅ)」と呼ばれることも知りました。

傘(からかさ)の略字「」が八十と読めるところから、数え年80歳のことを言うそうです。
   
なるほど。
   
高倉健さんは、6年ぶりの映画主演とのこと。
   
うちの父親は、先日、自動車で、松本まで往復してしまいました。
   
(電車で行きなよとずっと言っていましたが・・・)
   
80歳、まだまだ元気です。
   
   
ちなみに1931年生まれの有名人。
  
高倉健
   
ジェームス・ディーン(24歳で亡くなる)
※映画「ジャイアンツ」(1956年)が20日にテレビで放映されます。この映画の撮影終了直後に事故死しています。
   
山田洋次
   
宇津井健
   
谷川俊太郎
   
海部俊樹
   
大村崑
   
有吉佐和子(53歳で亡くなる)
   
八千草薫
   
勝新太郎(65歳で亡くなる)
  
小松左京(今年亡くなる)
   
市川雷蔵(37歳で亡くなる)
  
いかりや長介(75歳で亡くなる)
  
   

最新懇談会BGM/映画「うた魂♪」/論文を書く理由

  

今日は12月18日。

金曜日に懇談会がスタート。

月・火曜日にもあります。

保護者から元気をもらうこともあれば、

自分の気がつかなかったことを教えてもらい次の指導につなげることもあります。

残り3か月ですが、自分のできるだけのことはしたいと思います。

   

懇談会に今回もBGMを流しています。

1学期は映画「岳」のサントラでした。

そして今回は、子どもたちにさかんにドラマ「坂の上の雲」を薦めていたので、

そのテーマ曲を使いました。

この曲です。

 

     

話は変わって、前回のサークルで勉強になったこと。

映画「うた魂♪」を見せる道徳をやった先生がいました。

その先生がお薦めの登場人物ゴリの言葉。

   

「合唱 なめてんじゃねえぞ」

「歌う時に大事なことは、フルチンになることだ」

「必死の顔に疑問をもつのは、一生ダセエままだ」

   

その先生は、音楽祭で「フルチン」を合言葉にして、

子どもたちに歌を歌わせたそうです。

「フルチン」もいいのですが、3つ目のセリフもいい。

やっぱりやるなら一生懸命、全力で何事も取り組みたいです。

   

    

もう一つ印象に残ること。

なぜ論文を書くかという話になった時。

「論文を書くと自分の力になるから書きなさいと言う上司がいるけど、

根本的に違う。

論文は、自分の実践を広めるために書く」

と言われた先生がいました。

すとんと腑に落ちました。

そうだよ、論文ってそう思えたら書く気が出てきます。

論文でなくても、すでにこのブログで書きてきたと思います。   

   

論文がもっと利用される状況を作ったのなら、

論文を書くことにやりがいを感じる人が多くなると考えます。

     

   

最後に、映画「うた魂♪」がテレビで放映されるという情報を。

録画しておけば、いつか道徳の時間に使えます。録画しておきませんか?

19日の午後9時からです。チャンネルはBSジャパン。

http://www.bs-j.co.jp/cinema/d111219.html

D111219

 

2011年12月17日 (土)

知多半島中之院の軍人像/上海上陸作戦

  

今日は12月17日。

本「愛知県 謎解き散歩」(新人物文庫)を読んでいて、次の話が気にとまりました。

   

EPSON051軍人像
本に載っていた写真です。

愛知県知多郡南知多町の「中之院」境内にあるセメントでできた90余体の軍人像です。

元々は、名古屋市千種区月ケ丘にあって、

軍人墓地と呼ばれていたそうです。

区画整理のために撤去されることになり、

この寺に移されてきたそうです。

この軍人たちはどういう人たちか?

本から引用します。

   

軍人像のほとんどは上海上陸作戦で戦死した名古屋第三師団歩兵第六連隊の兵士たちで、

ある人がここ(月ケ丘)に地所を買い、遺族たちに呼びかけて、

おのおの戦没者の一時金によって、

写真をもとに像を造らせて建てたものである。(108p)

    

「上海上陸作戦」を初めて聞きました。 

どんな戦いだったのか。

  

日中戦争初期の1937年(昭和12年)8月に日本は上海への上陸作戦を開始しました。

上陸した地点の地名からウースン(呉淞)上陸作戦と呼ばれます。

最初に上陸しようとしたのが名古屋第三師団。

8月23日のことでした。

  

緊急出動で名古屋城内の兵営から夜間およそ13キロを徒歩行軍し、

名古屋港から艀(はしけ)で知多半島野間沖に待機していた巡洋艦や駆逐艦に乗り込み、

26時間で揚子江河口付近に到着しての敵前上陸だった。

だが第六連隊は、無残にも上陸後半月足らずでほとんど全滅となった。(109p)

   

10日後には四国の連隊が上陸。

   

その第六連隊上陸の10日後に上海敵前上陸をした四国丸亀第一二連隊に属していた

三好捷三氏の著書『上海敵前上陸』によれば、

盛んに銃撃してくる森に、もしかすると敵中に取り残されてしまった

先発の第三師団の兵達が残っているのではないかと確認に行ったら、

案の定、第三師団の兵隊が10名ほど褌(ふんどし)一つの姿で

敵も味方も見境なく破れかぶれで発砲していて、

名乗りをあげた三好氏らに、

「お前達もなあ、いまから10日もするとおれたちと同じようになるよ。

中隊が10名になるよ。

これはなあ、戦争じゃないよ、虐殺だよ」と言ったという。(110p)

    

悲惨な戦いだったと文章から想像できます。

ノルマンジー上陸作戦のようなことを日本がやっていたわけです。

まだ知らないことがたくさんあるなあ。

  

写真をもとに作ったという軍人像を、機会があったら見に行きたいと思います。

   

※参考「呉淞(ウースン)上陸作戦」htm

※参考「軍人像の墓 愛知/中之院」html

※参考「中之院(たぬき寺)軍人像」htm

 

漢語3・・・訓読みとおもいきや、実は音読み

  

今日は12月17日。

前投稿のつづき。

   

「肉」の「ニク」が音読みだったことに驚きましたが、

他にも訓読みのようで実は音読みであったという字はたくさんありました。

次のサイトから引用します。

「中学受験専門 国語プロ家庭教師 音読み・訓読みの見分けにくい漢字」htm

    

〇発音を聞くと意味がわかり、訓読みと思いやすいが、

  実は音読み、という漢字の例。

絵(エ)駅(エキ)客(キャク)図(ズ)席(セキ)線(セン)肉(ニク)

服(フク)本(ホン)陸(リク)・愛(アイ)・胃(イ)・円(エン)・王(オウ)

金(キン)・銀(ギン)・図(ズ)・茶(チャ)・鉄(テツ)・兵(ヘイ)・役(ヤク)・など   

    

いや~、「本(ホン)」も音読みなのですね。

    

教科書の漢語の代表として「肉」を出すのは疑問だ書きましたが、

訓読みのようだけど、実は音読みであって、漢語であることに気づかせるためには、

「肉」でよかったのかなと思うようになりました。

 

漢語2・・・「肉」の音読み訓読み

   

今日は12月16日。

前投稿のつづき。

「敵(てき)」「肉(にく)」は漢語とのこと。その読みはしかし訓読みでは?

その疑問を調べてみました。

ビックリ。

「敵」を「てき」と読むのも、「肉」を「にく」と読むのも、音読みでした。

「敵」の音読みは「テキ」、訓読みは「かたき」でした。

「肉」の音読みは「ニク」、訓読みは、馴染みはあまりありませんが「しし」でした。

「テキ」も「ニク」もまるで訓読みのように使ってきました。

   

もう少し「肉」にこだわってみました。

「しし」と読む時はどんな時でしょうか。

よく太っている肉のことを「太り肉」と書いて「ふとりじし」と読むそうです。

「腹に肉が付く」と書くと、「にくがつく」と読みたくなりますが、「ししがつく」とも読むようです。

※参考http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/96062/m0u/%E3%81%97%E3%81%97/

Wikipediaによると、日本語では古来、

食肉を産する獣そのものも含めて「しし」と呼んでいましたが、

漢語の「にく」に完全にとって代わられたそうです。

したがって「しし」はあまり見かけないのです。

でも名残りはあります。

イノシシのことを昔は「ゐ」と言っていました。

「ゐの肉」のことを「ゐのしし」と言って、いつしか動物名にもなりました。

同じようにシカのことを昔は「か」と言っていました。

「かの肉」のことを「かのしし」と言っていましたが、この言葉は廃語になったそうです。

「しし」のみでシカを表した時期があったようで、

「ししおどし」は「鹿威し」が語源だそうです。

015-shishiodoshi
http://www.kenchikuyogo.com/212-shi/015-shishiodoshi.htm

漢字を「肉」ではなく、「宍」を使って名前に使われることはあります。

「肉」の異体字が「宍」です。

※異体字=読みや意味は同じであるが、形が違う字。

    

もう一つ「肉」の訓読みを見つけました。

「常用字解」(平凡社)によると、

肉の音読みは「ニク」「ジク」、訓読みは「しし」と「はだ」でした。

    

さらに次のサイトに面白いことが書いてありました。

「ことば会議室 肉の訓読み」html

辞書によっては、「肉」の音読み「ニク」だけでなく、訓読みにも「にく」と書いてあるそうです。

これは「ニク」という音読みが生活に密着した結果、漢語の意識が薄れ、

和語に準ずると辞書の編者が判断した結果と思われます。

「菊(キク)」「絵(エ)」「幕(マク)」「象(ゾウ)」も、辞書「大字源」には、

これらの読みが、音読み訓読み両方に書かれているそうです。

「肉」と同じ流れだと考えられます。

音読み→訓読みへと移行する現象を、今回「肉」の読みにこだわったことで初めて知りました。  

これが最大の収穫。  

    

国語の教科書で、漢語の代表として「肉」が出されていますが、

本当に適切なのか疑問が残ってしました。まぎらわしいですよ。 

漢語1・・・和製漢語

 

今日は12月17日。

6年の国語の教科書(東京書籍)に次のような記述がありました。

   

漢語というのは、古い時代に中国から日本に入ってきた言葉です。

また、漢字の音を用いて日本で作られたものもあります。

「敵」「肉」「学校」「教室」「権利」などは漢語です。(26p)

   

「漢字の音を用いて日本で作られたもの」というのが、まずよくわからず。

調べてみたところ、これは「和製漢語」なるものと思われます。

中国で使われていなくて、日本で作られた漢語です。

「野球」は、日本に明治になって入ってきたベースボールを表現した和製漢語です。

明治期に作られた和製漢語は多いそうです。

和製漢語にはどんなものがあるかは、このサイトが非常に詳しいです。

「和製漢語」htm

    

上記のサイトによると・・・・

「学校」は英語のschoolの翻訳語として作られたものです。

「権利」は中国語にあって、本来の意味は「権勢と利益」の意味でしたが、

日本では英語のrightの翻訳語となり、今使われている意味となりました。

中国語の意味と違ってきた場合も和製漢語です。

  

 その他、「空気」は英語airの翻訳語。

「切手」(postage stamp)「切符」(ticket)「芸術」(art)「顕微鏡」(microscope)

「行動」(action)「星座」(constellation)「電気」(electricity)なども翻訳語としての和製漢語です。

「自由」は中国語にあって、本来の意味は「自分の思うままにふるまうこと」でしたが、

英語のlibertyの翻訳語となり、今使われている意味が強くなりました。

 中国に逆輸入した和製漢語もたくさんあります。「芸術」もその一つ。

和製漢語は身のまわりにたくさんあります。

基本は音読みです。

    

ここで疑問。

「敵」も「肉」も漢語とあります。

でも読み方の「てき」「にく」は訓読みでは?

その疑問も調べてみました。

(次の投稿につづく)

 

   

 

    

 

2011年12月15日 (木)

縫殿のいわれ

   

今日は12月15日。

愛知県豊川市に伊奈城址があります。

徳川家康のおじいさん松平清康が、伊奈城の城主に招待された時に、

城主が池の水葵の葉に肴を盛りつけて出したそうです。

清康は大いに喜び、葵を家の徽号(きごう/旗じるし)にしました。

これが徳川家の家紋「三つ葉葵」になったと言われます。

Aoi_top
         

今読んでいる本「愛知県謎解き散歩」(新人物往来社)に上記の話がありました。

    

ところで、豊川市には「縫殿(ぬいどの)」という地名があります。

家の近所にあり、変わった地名だとは思っていました。

でも、この本に答が載っていました。

引用します。

    

(伊奈城主の本多)正忠は、本多縫殿助(ぬいどのすけ)と称したが、

縫殿の名は今も豊川市伊奈町内の字名に残っている。(84p) 

   

そうか伊奈城主の名前がいわれだったんだ。

うれしいですね、知ることって。  

 

望遠鏡で月の観察

  

今日は12月15日。

今朝、有明の月を望遠鏡で観察することがやっとできました。

観察をしようとした時は、いつも天気に恵まれていませんでした。

でも今朝はしっかり晴れました。

こんな具合に。

RIMG0352

月に照準を合わせた望遠鏡。場所は屋上です。
   

   

望遠鏡の持ち主の先生に、事前に使い方を教えてもらいました。

望遠鏡で自分で月をとらえて、子どもたちに見せるのは初体験。

月は大きく見え、クレーターもわかりました。

デジカメでうまく撮れるか挑戦。

う~ん、あまり鮮明ではありませんが、

記念の一枚。

月の写真
   

    

月齢20日の月です。

12月15日 豊川海軍工廠がスタートした日

   

今日は12月15日。

73年前の1939年(昭和14年)12月15日に、

豊川海軍工廠がスタートしました。

海軍工廠が空襲によって壊滅したのは、6年後の1945年8月7日。

「今日は何の日」ということで、子どもたちに以上のような話をしました。

1学期には、海軍工廠で働いていた人から、空襲の生々しい話を聴いた子どもたち。

豊川市に住む子どもたちです。

しっかり聴いていました。

   

朝の出勤時のラジオで、工廠の「廠」について話題にしていました。

「廠」にもいろいろあると。

たとえば火薬を扱った「火薬廠」

衣服を扱った「衣料廠」

※「被服廠」というのも知っています。

    

そもそも「廠」にはどういう意味があるのでしょう。

調べました。

   

意味「壁仕切りのない、ただっ広い建物」でした。

なるほど~。確かにそうだったのでしょう。

 

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