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2009年8月

2009年8月22日 (土)

映画に写っていた牟呂松原頭首工

(つづき)※資料置き場的なブログです。

豊川(とよがわ)から、大野頭首工の次に分水されるのは牟呂松原頭首工です。

    

今日から上映される映画「ちゃんと伝える」は、

東三河各地をロケ地として撮影された映画です。

パンフレットに載っていた次の写真に注目。

090715_chanto_sub1_2     

     

   

    

   

まだこの映画を見に行っていないので、

どのようなシーンかは不明です。

写真の左奥にある建造物がわかりますか。

これが牟呂松原頭首工です。

      

8月17日に見てきました。

P8170037tousyukou    

     

      

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豊川は写真のようにせき止められ、

下の木々の乗っかった水門から分水されます。

牟呂松原用水になります。下の写真。

P8170041     

    

     

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この用水路は、いずれ松原用水、牟呂用水に分かれます。

気になったのは松原用水。(つづく)

      

      

牟呂松原頭首工の方に、映画のことを聞いてみました。

昨年、ロケ地として使っていいか映画関係者が聞きに来たとのこと。

やっぱりね。

大野頭首工~東西分水工~2つの幹線水路

(前投稿のつづき)※資料置き場的なブログです。

いいのんとよがわ」というサイトには、

東三河南部の豊川用水事業のことがわかりやすく書いてあります。

豊川(とよがわ)の水を、水不足の地域に行き渡らせようという事業です。

http://www.pref.aichi.jp/tochimizu/mizu/toyogawa/outline.html

そこにあった地図。

Outline    

    

    

    

豊川の水は、大野頭首工から分水され、

さらに東西分水工で2本の用水路に分けられます。

西部幹線水路蒲郡方面へ。

東部幹線水路渥美半島の先まで行きます。

蒲郡も渥美半島も、川が少なく、昔から水不足に悩まされてきた地域です。

用水路の水は、これらの地域の生活を大きく変えました。

    

東西分水工が見たくなりました。

地図で調べて、この辺りだと目星をつけて迫りました。

幹線道路から少し外れたところにありました。

   

P8170028     

    

    

大野頭首工から分水された水は、地下の導水路を流れて、ここで顔を出します。

(左奥が開口部)

そして2つに分かれます。

      

西部幹線水路         

P8170032P8170036    

     

      

    

東部幹線水路         

P8170034P8170035       

     

      

    

水はこうやって、分かれを繰り返して行き渡っていきます。

次は牟呂松原頭首工。(つづく)   

天気に恵まれた宇連ダム

(前投稿のつづき)※資料置き場的なブログの使い方です。

8月17日は10月に行く予定の社会見学の下見に行きました。

東三河の水がめの一つ宇連ダムを見てきました。

P8170013     

    

    

大島ダムと同じように取水塔の建物が大きいのが特徴だと思います。

竣工(工事が終了すること)が1958年ですから、

もう半世紀も働いてきたベテランです。

     

ゲートで水量を調節をして、ダム上部から放流ができます。

放流口は3門です。

ゲートを撮ってみましたが、よくわかりませんね。

P8170025_2     

    

    

ゲートの一番下の部分はゴムがついていて、

ゲートを閉めた時には水は通過しません。

このゲートに枯れ枝や根がはさまってほしくないこともあって、

網場(あば)が湖に設置されています。

P8170015 P8170027

    

    

   

この日は好天に恵まれ、美しい風景が見られました。

山深く、静かでいい所でした。

ここに貯められた水が、私たちの生活用水などになっていくわけです。

育ちのいい水だなと思いました。

      

P8170023_2    

    

    

ダムの天端(てんぱ)から、下流部を撮ったもの。

ふだんは取水口から取った水が、

写真の建物から放流されています。

     

大島ダム、宇連ダムに貯められた水は、豊川(とよがわ)に流れ込みます。

その後どうなるか?(つづく)   

大島ダム放流中

(前投稿からのつづき)※ブログの資料置き場的な内容です。

愛知東三河の水がめの一つ大島ダム。

自由流越式洪水吐」という方式であるため、

満水時にはダムの上部5か所から自動的に放流します。

4月の終わりに見に行った時も満水だったので、放流していました。

 

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ダムの上の歩ける場所のことを天端(てんぱ)と言うそうです。

その天端から下を撮影しました。

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右の赤っぽい屋根の建物の向こうに、

取水塔から取った水が流れ出す利水放流管があります。

(この写真では見えません)

     

せき止めてできた湖の名前は「朝霧湖」です。

P4290046    

    

    

流木やゴミが取水口にこないように、浮のついた網が張られています。

この網のことを「網場」と書いて「あば」と言うそうです。

      

今も朝霧湖は満水なので、ダム上部からの放水が見られるそうです。

このブログを読んでくれている子どもたちで、

見に行きたいと思った人、家の人に頼んでみてはどうでしょう。   

     

2009年8月21日 (金)

東三河の水がめ/2つのダム

8月19日。研修会に参加。

豊橋市の県の事務所に出向きました。

入口にあった「本日の水源状況」に注目。

P8190008    

    

    

今年は雨が多かったので、

どちらの水源も水が多くあります。

豊橋市を含む東三河は、宇連ダムと大島ダムが水がめです

(ともに豊橋から自動車で約1時間30分上流にあります)

住民にとって、その水がめに水がどれほどあるかは、

渇水時には大きな関心事です。

こうやって県の事務所に掲示板が設置されたり、

地元新聞にも毎日掲載されています。

    

4月に家族で大島ダムを見に行きました。

P4290041    

    

    

これは上流からの写真。

ダム上にある大きな建物は、取水塔です。

この下から水を取水して、ダムの向こう側の利水放流管から放流しています。

次の投稿も大島ダム。(つづく)

   

2009年8月20日 (木)

身近な篆書体(てんしょたい)

縣糞泥さんから篆書体のことを教えてもらいました。

その篆書体が身近にないか調べました。

お札です。

赤く丸い印「総裁之印」が篆書体でした。

パスポートの「日本国旅券」も篆書体。

お店の看板で篆書体のものがあるようです。探してみたいです。

        

楽しいものがあります。

篆書体フォントに変換できるソフトです。

気軽にうてたら楽しいだろうな。

このサイトで、この字を篆書体にしたらどうなるか試すことができます。

http://font.multi-bits.com/ds/jsp/fontsearch.jsp

試しに「道草」とかうってみました。

なかなか洒落た文字になります。

    

デザインとして篆書体をもっと使ってもいいなと思い始めました。

2009年8月19日 (水)

篆刻家さんのお話その2

(つづき)

白川静さんは、古代文字を読み解いて、今の漢字の成り立ちをつきとめました。

縣糞泥さんは、白川静さんのやられたことを高く評価していました。

それでは前投稿に引き続き、勉強になったことを箇条書きで書きます。

    

○洞窟芸術

 洞窟の岩壁にそのまま描いたのは、正確に言うと「岩面画」

 岩壁を削って平にして、そこに描いたのは「壁画」

 色は岩を砕いて粉末にした顔料を使う。※岩絵具。

 日本画家が貧乏なのは、岩絵具が非常に高価なものだったからだそうです。

○白川静さん

 白川静さんの本は読むべきです。

 安い本もあるけど、高い本が多い。しかし、本の中に入っているものを考えると安い。

○天

 天国を表してはいなかった。東洋の発想にもともと天国、地獄はない。東洋の発想は「輪廻」

○畑

 日本で作られた国字。

○男

 「力」の部分は鋤を表す。田んぼを鋤で管理する人・・・それは「男」ということで、この字が男を表す。

○明

 「日」は窓を表す。窓に月(明かり)で、「明るい」となる。太陽と月ではない。

○教

 左は校舎にいる子どもを表し、右は鞭(むち)打つ手を表す。鞭打ちながら励まして教えたようだ。

 ※鞭撻(べんたつ)も同じだ・・・鞭(むち)、撻(むちうって励ます)

○射

 左は弓矢。右は手を表す。

○争

 1本の棒状のものを上下から手をのばして引き合う形から生まれた字。

 しかし、「静」の「争」は違う。※鋤(力)を手でもった形から生まれた字。

     

○東西南北

 東・・・青龍、青、青春       

 西・・・白虎、白、白秋

 南・・・朱雀、朱、朱夏

 北・・・玄武、黒、玄冬

 中央は何色と発問。中央は黄色でした。

     

     

「今日の内容、また夢中になっちゃうでしょ」と知り合いの先生に言われました。

確かに漢字の成り立ちは以前から興味を持っていたこと。

この日で新しく「篆書体」に興味を持ち、サイトでいろいろ調べました。(つづく)

篆刻家さんのお話

昨日(8月18日)は研修会。

国語に参加。

講師の話を3時間近く聞きましたが、良かった。

講師は縣糞泥(あがた ふんでい)さん。

テーマは「古代文字の基礎と活用」

縣さんは印鑑屋さんであり、篆刻(てんこく)家

篆刻とは?辞典には「石・木などの印材に字を刻すること。書画などに用いる印章に、多く篆書体の文字を刻するのでいう。」と書いてありました。

私は全く知らなかった人ですが、篆刻の世界では有名な人のようです。

文字の話をたくさんしてくれました。

勉強したことを箇条書きで書き並べます。

    

○甲骨文字

 「甲」は亀の腹甲(ふくこう)、骨は牛の肩甲骨(けんこうこつ)。

 1899年に「竜骨」と呼ばれていた薬に

 文字が書かれているのを見つけたことから発見される。

○金文(きんぶん)

 青銅器に刻まれた文字。

○小篆(しょうてん)

 秦の始皇帝が文字の統一を行った。その時に生まれたのが小篆。

 美しくのびやかな文字が生まれた。篆書体。

 小篆を作る時に元になった秦以前の文字を大篆(だいてん)という。

 小篆は刻まれもした(篆刻)。当初、篆刻で使われた石は「花乳石」

    

※篆書体は、しだいに隷書体や楷書体を生み出していくことになるようです。

※印鑑屋のサイトが、このような書体に詳しく、この投稿にあたって参考にしました。

 たとえば次のサイト。書体の説明、文字の形などわかります。

http://www.rakuten.ne.jp/gold/hankodehanko/about_font.html

次の投稿につづく。

    

2009年8月17日 (月)

高崎市のマンホールの写真

夏休みに自分で撮ったマンホール。

高崎市で。

P8080011    

    

   

8月の高崎祭りをデザインしたもののようです。

2年前に出向いた時は、ちょうど高崎祭りの日で、とても賑やかでした。

    P8080018               

    

    

昔の消火栓の絵がデザインされたもの。

こういう消火栓を、「砲弾型消火栓」と言うらしい。

近所に実物はありますか?

    

もう一つ。

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中央のマークは不明。調べたけどわかりませんでした。

    

2学期の社会科は水の勉強をしっかりやります。

マンホールの写真が生きる(はず)。

             

上田市散歩/ヒマラヤスギ/マンホール

(つづき)

上田市営球場の近くには、ヒマラヤスギがたくさんありました。

そしてその木々には立派な実がついていました。

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名前の通り、ヒマラヤからアフガニスタン地域原産の樹木です。

名前とは違って、スギではなくマツの仲間だそうです。

したがって、実は秋になるとマツボックリ状態になるそうです。

     

上田城址付近で見かけたマンホール。

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真田氏ゆかりの六文銭に、

市の花ツツジをデザインしたものと思います。

    

平成18年に上田市に合併した旧真田町で見かけたマンホール。

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もちろん、真田十勇士をデザインしたもの。

楽しい気持ちにさせてくれるマンホールです。    

最近の写真

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