2019年1月29日 (火)

平重盛「3つの”平”」/源義平「4つ目の”平”」

今日は1月29日。

  

昨日(1月28日)は「宇宙からの警告の日

1年前は特にこの日にこだわりました。

ここでも道草 通算5600本目の投稿/1月28日に思い出した番組(2018年2月1日投稿)

今日(1月29日)は「昭和基地開設記念日

1957(昭和32)年のこの日、

日本の南極観測隊が南極・オングル島への上陸に成功し、

昭和基地を開設しました。引用:今日は何の日~毎日が記念日~

  

さあ、今日はどんな日になるかな?

朝飯前にやっておきたいのは、テレビ番組の読み物化。

    

  

前投稿に引き続き、大河ドラマ「平清盛 27 宿命の対決

(2012年7月8日放映)より。

  

平治の乱。

本格的な平氏と源氏の戦いは、

大内裏(平安宮)の待賢門(たいけんもん)付近での、

平清盛の嫡男重盛と源義朝の長男義平との戦い。

 

重盛が待賢門を破る時にこんなことを言います。

 

Rimg1483  

重盛:年号は「平治」なり。

  今の都は「平安」ぞう。

  我らは「平氏」なり。

  「平」の字が3つそろって、こたびの戦に勝たんことを

  何の疑いあるべく。

  いざ、まいれ!

 

門を破って突入。そこにいた義平に向かって、

重盛が名のります。

Rimg1484

重盛:我こそは、平清盛の子、左衛門ノ輔重盛なり。

 

これに対して、義平が応えます。

Rimg1496

  

義平:「平」の字が3つと言うたが、我こそは源義朝が子、

  鎌倉悪源太義平。

  4つ目の「平」の字は、我が名にあり。いざ、戦わん!

重盛:かかれ! 

  

Wikipedia平重盛によると、3つの「平」についてこう書いています。

 

この戦いで重盛は「年号は平治、都は平安、我らは平氏、三つ同じ(平)だ、

ならば敵を平らげよう」と味方の士気を鼓舞し、源義平と御所の

右近の橘・左近の桜の間で激戦を繰り広げ・・・・・

  

それに対して、義平が4つ目の「平」のことを言ったかどうかは、

説明がありませんでした。

でも、ドラマだけのことかもしれませんが、面白い言い合いだと

思いました。

  

もう一つ。

平重盛は「嫡男」、源義平は「長男」とありました。

「嫡男」とは?

goo辞書には、

嫡出の長男。あととり。嫡子。

とありました。

「嫡出」は、同じくgoo辞書には、

正式に婚姻している夫婦間に生まれること。⇔庶出。

とありました。

言葉の確認終了。

  

 

 

1つ思い出しました。

かつて、源義朝の最期の場所に行ったことがありました。

知多半島にあります。

その記事です↓

ここでも道草 知多半島に行く/義朝最期の場所(2011年8月4日投稿)

すっかり忘れていました。

ブログのおかげで「たぐる」ことができました。

  

  

今晩、まだまだ大河ドラマ「平清盛」のことを書きたい。

2019年1月28日 (月)

「平治の乱」を大河ドラマ「平清盛」で教えたい

 

今日は1月28日。

  

「新編新しい社会 歴史」(東京書籍)の68~69pは

魅力的な内容です。

武士の政権の成立」という大見出し、

院政と武士」「源平の争乱」という小見出し2つ。

重要な言葉は、白河上皇、院政、保元の乱、平治の乱、

平清盛、源義朝、太政大臣、後白河上皇、

宋との貿易、兵庫(神戸)、福原、厳島神社、平家物語、

源頼朝、源(木曽)義仲、源義経、奥州藤原氏、

一ノ谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦い・・・。

すごいでしょ。

さらには、藤原頼長とか信西(しんぜい/藤原通憲)も説明したい。

さらにはさらには、「耳なし芳一」だって、

この2pのクライマックスで見せたい。

平家が東大寺の大仏を燃してしまった事件も語りたい。

忘れちゃいけないのが、弁慶。

弁慶と牛若丸(義経)との出会いの話もいい。

奥州藤原氏に義経が頼って行き、頼朝が討つ話は、

70pの「鎌倉幕府の成立」に譲ったとしても、

とっても贅沢な2pだと思います。

  

昨日の日曜日、関連する映像を見ました。

2005年の大河ドラマ「義経 35 決戦・壇ノ浦

歴史秘話ヒストリア ”悪の華”は平安の夜に開く

 ~キケンな貴公子藤原頼長~」(2011年1月放映)

2012年の大河ドラマ「平清盛 26 平治の乱

           「平清盛 27 宿命の対決

歴史秘話ヒストリア 異色の革命児、平安を動かす

 日本を変えたヒーロー平清盛」(2012年1月放映)

まんが日本昔ばなし 耳なし芳一」(1976年7月放映)

  

どれも見せたい。

でもそうはいかない。

どの番組のどの部分を見せるか?

迷います。

2005年の大河ドラマ「義経」は、

小学校勤務でも授業で使ったことがあります。

※参考:ここでも道草 大河ドラマ「義経」/守貞親王(2010年6月26日放映)

ここでも道草 大河ドラマ「義経」/平知盛(とももり)/耳なし芳一(2010年6月26日放映)

しかし、2012年の大河ドラマ「平清盛」は、

まだ授業では使ったことなし。

今回初めて使って見よう!

  

 

2012年7月8日放映の大河ドラマ「平清盛 27 宿命の対決」より。

  

Rimg1466  

平治の乱の配置図です。

番組冒頭で、戦う2人が分かりやすく言い放ちます。

Rimg1467

源義朝「平氏を滅ぼす」

  

Rimg1468

平清盛「源氏を滅ぼす」

  

  

これこそが平治の乱の内容を表していると思います。

源氏と平氏の雌雄を決する戦いでした。

まずは、ここを生徒に聞かせたいですね。

  

 

 

 

勉強になった照明器具の安全対策/さっそく実行

今日は1月28日。

  

昨日は日曜日。

地元の防災訓練に参加しました。

水消火器で消火器体験をしたり、

「地震に対する家具類の対策」という講話も

聞いてきました。

勉強になりました。

特に次の内容。資料のコピーです。

(クリックすれば、大きくできます)

Epson004  

天井からコードでぶら下がっていると、

揺れて、天井にぶつかって、

電球や蛍光管が割れて降り注ぐことがあるんだ。

今まで全く予想していなかったことです。

  

我が家では、父親の寝室が天井からコードで

ぶら下がっている照明器具でした。

父親のベットは、まさに照明器具直下です。

こうやって教えてもらったときがいい機会だと考えて、

さっそく百均で、洋灯吊(ようとうつり)と

針金を買ってきました。

※「洋灯吊」については、ほぼ5年前のこの記事参照↓

ここでも道草 「洋灯吊」はどうやって読むのか?(2014年1月31日投稿)

 

さっそく話を聞いた夕方には、揺れ・落下防止の

針金を4本セットしました。

見てください!

Rimg1464

やってみての実感。

こんなことで、照明器具は揺れません。

一安心です。

お勧めです。

2019年1月26日 (土)

カタジュタに関心をもった図

  

今日は1月26日。

  

前投稿に続いて、ウルルについて。

  

今までの記事で紹介してきた動画の中で、

「カタジュタ」という場所の名前が出てきました。

 

Youtube オーストラリア ☆ エアーズロック

Photo_14 

Youtube [世界遺産!] ウルル エアーズロックに登ってみた! オーストラリア

Photo_15  

 

あまり「カタジュタ」に関心を持ちませんでしたが、

次の図を見たら、好奇心に引っ掛かりました!

 

Schema_kata_tjuta_uluru ジャングルタイムズ

  

カタジュタは、ウルルと同じ地層だったの?

それはすごい。

この図の威力は並ではありません。

カタジュタとウルルは30㎞離れているそうです。

それなのに、同じ地層がちょうど突き出たところだったのです。

ちなみに「sandstein」は「砂岩」の意味。

  

  

グーグルアースで、カタジュタにも迫っておこう。

グーグルアース カタジュタ

Photo_16  

こんなところなんだ。

さらに、一つの画面にウルルとカタジュタを並べてみます。

グーグルアース カタジュタ/ウルル

Photo

  

以上です。

今晩はここまで。

おやすみなさい。

明朝、腰痛がウソみたいに治っていてください。

  


後記・・・「ジャングルタイムズ」に掲載されていた図は、

もとはWikipediaウルルに掲載されていた図でした。

ドラマ「みかづき」スタート/アボリジニの悲劇の歴史を知る

今日は1月26日。

  

今晩放映されたドラマ「みかづき」は良かった。

Photo_13 NHK

高橋一生さんはまた教師(塾の講師)役。

教えることが似合っている人に見えてきました。

知的で楽しそうな雰囲気がいいなと思います。

ドラマの原作者は森絵都さん。

この人なんだ!

小学校教師ならば、この作者名にピンとくると思います。

615cbdt4y6l_3 Amazon

ね、ピンと来たでしょ。

  

  

前投稿に引き続き、アボリジニについて書いていきます。

アボリジニの先住権や土地の所有権が、

かつてはどうだったのかに疑問を持ち、調べました。

そしたら、とんでもない歴史にぶつかりました。 

  

ジャングルタイムズより引用します。

 

なぜ、本来のウルルという言葉があったのに、

わざわざエアーズロックという名前を付けたのか?

様々な理由があるとは思われるが、

その理由の一つはアボリジニたちの悲しい歴史につながっている。

  

数万年もの太古よりオーストラリア大陸で生活してきた

先住民『アボリジニ』たちは、侵略してきたヨーロッパ人たちによって

大量虐殺された過去を持っている。

18世紀、オーストラリアに到達したヨーロッパ人たちは、

オーストラリアの先住民であるアボリジニの人々と出会った。

  

1788年1月26日、初代総督アーサー・フィリップ率いる

海兵隊らが流刑者と共にオーストラリアに上陸。

彼らは、狩猟採集民として自然と共存しながら

移動を続けるアボリジナルたちの存在を知ると

「アボリジニたちはオーストラリアの定住者」ではないとした。

すなわち「オーストラリアには誰も住んでいないから

勝手に使っていいよね!」と主張したのだ。

入植者たちは、自分たちの土地占拠を合法化しつつ、

アボリジニたちが自分たちの土地を不法に占拠しているとして

迫害していくこととなる。

  

イギリス人によるオーストラリアへの入植は、

1788年1月26日。(今日は偶然にも1月26日)

たった、231年前のこと。

アボリジニは約6万年前から、オーストラリアに住んでいました。

それなのに、イギリス人は、アボリジニは「住んでいない」

としたのです。

先住権も、土地の所有権も無視したのです。

  

さらに引用します。

  

さらに、アボリジナルたちは追い出されるだけに留まらず、

入植者たちのスポーツハンティングの対象とされたことも分かっている。

  

現存する当時の日記には

「今日はアボリジニ狩りにいって17匹をやった」との記述があるほど。

遊び感覚で日常的に虐殺が行われていたのだ。

現在エアーズロックと呼ばれている岩山は、

アボリジニたちの言葉でウルルと呼ばれていたわけだが、

友好的な関係を築こうとしなかったヨーロッパの人々が

彼らの言葉を使うことは無かった。

  

 

さらにWikipedia アボリジニから引用します。

  

西洋人がオーストラリアを「発見」した段階では、

50万人から100万人ほどのアボリジニが

オーストラリア内に生活していた

言語だけでも250、部族数に至っては、700を超えていた。

しかし1920年には約7万人にまで減少した。

人口減少の最大の要因はヨーロッパ人が

旧大陸から持ち込んだ伝染病(天然痘や梅毒、インフルエンザ、麻疹など)

の流行によるものと考えられている。

それまでオーストラリアは旧大陸とはほぼ隔絶されていたため、

アボリジニはこれらに対する免疫を持っていなかったのである。

 

1788年からのイギリスによる植民地化によって、

初期イギリス移民の多くを占めた流刑囚は

スポーツハンティングとして多くのアボリジニを虐殺した

「今日はアボリジニ狩りにいって17匹をやった」と記された日記が

サウスウエールズ州の図書館に実際に残されている

1803年にはタスマニアへの植民が始まる。

入植当時3000〜7000人の人口であったが、

1830年までには約300人にまで減少した

虐殺の手段は、同じくスポーツハンティングや毒殺、

組織的なアボリジニー襲撃隊も編成されたという

数千の集団を離島に置き去りにして餓死させたり、

水場に毒を流したりするといったことなども行われた

  

また、1828年には開拓地に入り込むアボリジニを、

イギリス人兵士が自由に捕獲・殺害する権利を与える法律が施行された。

捕らえられたアボリジニたちは、ブルニー島のキャンプに収容され、

食糧事情が悪かったことや病気が流行したことから、多くの死者が出た。

  

 

まだアボリジニの悲劇の歴史は続くけど、

引用はこれぐらいで。もう十分でした。

晩に教材研究をしていて、

教科書の2行が気になって調べていたら、

このような歴史とぶつかってしまいました。

ドキドキしてしまいました。

いつも午後10時前後に寝てしまうのに、

この日は「本当にあったことなのか?」と

いろいろなサイトで調べていて、12時近くまで起きていました。

ネットだけ十分ではなく、本も探しました。

414buztk3gl Amazon

この本がいいぞと思い、深夜でしたが、

ネットで図書館に予約しました。

この本で、またアボリジニの歴史を確認したいです。

  

  

Wikipediaから再び引用します。

  

ケビン・ラッド首相は、2008年2月13日の議会で、

先住民アボリジニに政府として初めて公式に謝罪した。

同日の議会には約100人の先住民らが傍聴する中で、

同首相は「Sorry」の語を3度使い謝罪した。

議事堂の外には全国から詰めかけた数千人が

テレビを通じて謝罪の言葉を聞いた。

  

 

アボリジニの歴史は、生徒にも伝えました。

  

まだまだ知らないこと多し。

副題を思い出しました。

「明日迄の命の気持ちで、人生を!/ 不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

  

  

「ウルル」のことをもう一つ書きたい。

つづく

「エアーズロック」はなぜ「ウルル」となっていったのか

今日は1月26日。

  

前投稿に引く続き、まずはウルルのことを書いていきます。

pixabayより。

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かつては「エアーズロック」と呼ばれていたウルル。

「エアーズロック」については、次の理由で名前がつけられました。

 

『エアーズロック』という名称は、

19世紀に入りヨーロッパ人たちが

オーストラリア大陸に進出してきた後に付けられた名前だ。

1873年、イギリスの探検家『ウィリアム・ゴス』は、

オーストラリア大陸を探索中に巨大な一枚岩を発見した。

古来よりアボリジニたちは、この一枚岩のことを

『ウルル』と呼んでいたのだが、

ヨーロッパ人たちは『エアーズロック』という

新しい名称を付けたのだ。

エアーズロックの『エアーズ』の部分は、

当時の南オーストラリア植民地の首相であった

『ヘンリー・エアーズ』の名前にちなんで付けらた。

Photo_12 ↑ エアーズロックの名前の由来となったヘンリーエアーズ

「エアーズロックというくらいだから何か空気と

関係があるのだろう。」と思っていたのだが、

エアーズロックの英語のスペルは『Ayers Rock』であり、

空気を意味する『Air』とは何の関係もないようだ。

引用:ジャングルタイムズ

   ↑今日見つけたサイト。なかなか勉強になります。

 

もともとは、先住民アボリジニが呼んでいた「ウルル」は使わずに、

「エアーズロック」で呼ぶようになり、

日本でも「エアーズロック」が普及しました。

 

『ウルル』は、古くからエアーズロックの周辺で生活してきた

アボリジナル・ピープルに伝わる『ピチャンチャチャラ語』。

引用:ジャングルタイムズ(上記)

  

オーストラリアで「ウルル」が使われ始めたのは

1980年頃からだそうです。

それは、先住民の人権がオーストラリアで認められるようになった

現れであると思います。

前投稿で紹介したYoutube オーストラリア ☆ エアーズロック

ではこう言っています。

  

1985年、はるか昔から岩を聖地としてあがめてきた先住民

アナング族のもとへこの地は返還され、岩は「ウルル」という

かつての名前に改められた。

 

地理の教科書にもこう書いてあります。

Epson003↑「新編新しい社会 地理」(東京書籍)110p

オレンジのアンダーラインを引いた文章がとても気になりました。

では、アボリジニの先住権は、それまではどうだったのだろう?

アボリジニの土地の所有権はどうなっていたのだろう?

そんな疑問を持つようになりました。

そして調べました。

そしたら、とんでもない歴史とぶつかりました。

 

つづく

ウルルに登れるのは10月まで/ウルルはなぜできた?

 

今日は1月26日。

なかなか道草できない日々でした。

やらない理由づけは、なんかかあかできるもので、

今週は振り返ってみて、腰痛が大きな理由だったように思えます。

夕方以降は、腰痛がひどく、集中力がなく、

3晩連続早寝してしまいました。

この土日は、少しでも道草したいですね。

  

  

オーストラリアのウルル(エアーズロック)に

グーグルアースで行ってみます。

グーグルアース ウルル

Photo_16

 

このウルルには登ることができます。

登山口と思われる場所に、ストリートビューで迫ります。

ストリートビュー ウルル 登山口

Photo  

実際に登った人の映像です↓


YouTube: [世界遺産!] ウルル エアーズロックに登ってみた! オーストラリア [Vlog]

なかなか厳しい登山のようです。

今までも転落死は40人ほどあったようです。

  

 

厳しい登山であることからも、ウルルは、

諸条件がそろわないと登れない場所だそうです。

360日あったら、300日は登れないそうです。

例えば、次のような時には登れません。

 

・最高気温が36度以上にあがると予報された

・風速25ノット以上ある

・雨が降っている

・表面が濡れている

・雷がなっている

・曇っている

・アボリジニの祝日やその他先住民の要請

  

引用:Mountain city

 

さらに、2019年10月26日からは登山禁止になるそうです。

先住民の聖地への登山ははばかられるようになったのでしょうか。

今年は話題になるでしょうね。

  

なぜこのような地形ができたか?

次の動画にヒントがありました。

その部分の聞き書きをします。

  

ナレーター:この岩は、実は堆積岩の地層の端が

  上を向き、地上に飛び出た部分なんです。

  岩の表面には、上を向いてしまった地層のすじを

  見ることができます。

Photo_2

Photo_3

  今から3億年以上前のこと、

  地中にあったウルルアルコース?と呼ばれる堆積岩の層、

  大地のうねりによって、いくつかに分断され、

  ゆがめられていきました。

Photo_4

Photo_5

Photo_6

  その後、ゆがんだ堆積岩の層の片端が、

  地上に突き出ました。

  この堆積岩の層は、何億年もの間、地中で圧力を受け、

  驚くべき硬さになっていたので、

  周囲の大地が風雨にさらされ、平坦になっていく中、

  浸食に耐え、このようにポツンと残されたのです。

Photo_7

Photo_8

Photo_9   

  

かつては「エアーズロック」と呼ばれた岩。

今は「ウルル」と呼ばれます。

そのことなどを次の記事に書きます。

  

2019年1月23日 (水)

今頃気がついた「10min.ボックス 地理」/素晴らしい1分37秒

  

今日は1月23日。

  

小学校勤務の時には、よくNHK for Schoolを使いましたが、

中学校勤務になって、社会の授業で、映像はほぼ毎時間使っていますが、

NHK for schoolを使っていませんでした。

不覚でした。

  

いい番組があるではないですか。

これです↓

Photo 

10min.ボックス 地理です。

  

これはいい。

たとえば、次の教科書の文章。

Photo_2 「新編 新しい社会 地理」(東京書籍)110p

  

この説明を文章を読んだだけの理解と、

NHK for Scholの上記サイトから行ける

下の映像を一緒に見た場合の理解では、

雲泥の差だと断言できます。

Photo_3

体験が少ない生徒の方が、イメージを浮かべることは難しいのです。

映像はそれを補えます。

大人(私)だって、このたった1分37秒の映像に助けられました。

うれしいことに、NHK for Schoolの番組は、

ちゃんと番組中の説明が読み物化してあります。

長年映像を利用してきた身として必要を感じている読み物化。

それを実行している、とてもいいサイトです。

  

今回紹介する映像「白豪主義から多文化主義へ」の

読み物化された文章を引用します。

ねらい

オーストラリアの移民施策の変化と歴史的な背景について考える。  

内容

オーストラリアの移民の始まりは18世紀の終わりに

イギリスから来た白人です。

気候のよい海沿いに町を作り住み始めました。

一方、もともとオーストラリアに住んでいたアボリジニと

呼ばれる先住民たちは、内陸の乾燥地帯に追いやられました。

19世紀半ば、金鉱が発見されゴールドラッシュが起こり、

ヨーロッパやアメリカ、中国からたくさんの人々がやってきました。

中でも、安い賃金で働く中国人が増えたことに

白人は驚異を覚えます。

そこで白人を優先し、有色人種の移民を禁止する

白豪主義という政策がとられました。

しかし20世紀半ばにアジアの国々の経済成長が進み、

アジアとの貿易が増加。また世界からも白豪主義は

人種差別であると非難され、1979年に移民制限が撤廃されます。

以降、各国から移民を広く受け入れるようになったのです。

現在のオーストラリアでは、様々な文化を受け入れ、

尊重する「多文化主義」と呼ばれる政策がとられています。

 

そして貴重な映像の写真を、転載します。

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Photo_15  

良く工夫された映像です。

制作者の力を感じます。

利用すべきです。

素晴らしい1分37秒です。

 

  

「八甲田山の日」/アナログ版「道草」を復活させたいと思った朝

今日は1月23日。

  

123と数が並ぶ日です。

先ほど外に出ると月明かりで明るかったです。

最近の朝は明るい。調べたら21日が満月でした。

そうだとは思いました。

ムム、あれはスーパームーンだったのですね。

明るいわけです。

楽餓鬼 見えました,スーパームーンです

今年最初の満月でもありました。

もっとゆっくりありがたく拝めばよかったです。

  

寒さは厳しい。

今日は「八甲田山の日

今朝の寒さなんて問題にならない極寒の中、兵隊さんたちは歩いたんだなあ。

  

1902年のこの日、八甲田山へ雪中行軍に出かけた

兵士210名が遭難した。

冬の八甲田山は本来は冬の重装備が必要だったが、

指導部の無謀さから兵士は軽装のまま行軍を開始したため、

猛吹雪の中で道を失い寒さと飢えと疲労の為に遭難して行った。

25日になって199名の死亡が確認された。

引用:今日は何の日 1月23日

  

八甲田山の雪中行軍については思い出すことがあります。

7年ほど前にこの記事を書きました。

ここでも道草 「坂の上の雲 第11回 二〇三高地」見る(2011年12月11日投) 

そこからの引用。

  

八甲田山で雪中行軍をして、歩兵連隊が遭難し、

多くの犠牲者を出した事件がありました。

同じ時に行軍して無事だった連隊もありました。

生き残っていて良かったと思いましたが、

この無事だった連隊は、日露戦争で多くが死んだことを知って、

愕然とした覚えがあります。

  

今も思いだします。

  

前回中学校に勤務していた時には、

雪中行軍について調べて、手書きの「道草・社会」という

社会科通信にして配付した覚えがあります。

あの時には、インターネットはなかったので、

図書館で調べ、必要な写真をコピーして切り貼りしていました。

このブログでやっていることのアナログ版です。

あの時の原稿は屋根裏に眠っています。

「ここでも道草」のように、

検索したらすぐに復活できるものではありません。

いつ何を書いたのかは、非常にあいまいです。

・・・

「たぐる」ためにも、初心に返るためにも、

復活させたいな。

屋根裏から出してきてスキャンして、

「ここでも道草」に掲載していくのも面白い試みだと思えます。

厄介なのは、B4サイズなので、

我が家の機器ではスキャンできないこと。

でもそんな問題なんて、たいしたことない。

やってみよう!

今晩から動こう!

 

  

映画「八甲田山」(1977年)は、生徒に紹介したい映画。

歴史の授業で日露戦争を教える時には見せたいです。

その一場面↓


YouTube: 八甲田山 「案内人殿に対し、かしら~右っ!」

さすが高倉健さん!

2019年1月22日 (火)

腰痛!1年3か月ぶりに整形外科に行きました

今日は1月22日。

  

久々に腰痛で整形外科に飛び込みました。

1月19日の朝から本格的に痛くなりました。

直接の原因はわかりません。痛くなりました。

この日は横浜まで往復して、研修会に出ました。

1月20日。まだ痛い。

この日は部活動の大会があって、一日引率。 

1月21日。まだ痛い。

振替休日だったので、無理せずになるべく家にいました。

しかし、晩は異常に痛かった。

今までは、座っていて立つとしばらく痛かったけど、

じきに痛みはなくなりました。

その晩は、座っててもいたい、立ってもいたい、

立ってしばらくしていても痛い、寝返りをうっても痛い。

唯一、仰向きに寝た時のみ、安らげました。

 

今日(1月22日)の朝、痛みは昨晩から引き続き。

正常に出勤をすることを諦めて、勤務校に電話。

1・2時間目の授業を他の先生に依頼して、

3時間目に間に合うように行きたいと告げました。

  

いつ以来の整形外科だろうと思って、調べました。

2017年10月25日でした。

ここでも道草 今回の腰痛は辛い!/「仙骨」「腸骨」の語源(2017年10月25日投稿)

1年3か月のご無沙汰でした。

思ったよりご無沙汰でした。

昨年の2月12日から整体に通い始めたのが

よかったのでしょうか。

ここでも道草 初めての整体に行く予定/本證寺に行きたいなあ(2018年2月12日投稿)

  

前回は仙腸関節を痛めていると整形外科で診断されましたが、

今回はおなじみの「腰椎分離症」

トリガーポイント注射を腰に打たれました。

2017年10月25日の記事に・・・

 

病院で診てもらい、腰に注射を打たれました。

打つ瞬間を見ることができず、怖い注射だと毎回思います。

  

とありました。

やはり改めて思います。

打つ瞬間を見ることができない注射は怖い。

  

気になった言葉。

【トリガー】=銃の引き金。また転じて、物事を引き起こすきっかけ。

 引用:コトバンク

 

こんなサイトもありました。

トリガーポイント研究所 トリガーポイントとは?

  

「痛みの引き金」になる場所が「トリガーポイント」

痛いところが、「トリガーポイント」とはならないという不思議。

  

  

気になった言葉その2

「注射を打つ」・・・なぜ「注射を刺す」ではないか? 

「打つ」にはいろいろな意味がありますが、

次のような意味もありました。

【打つ】=さし入れる。突きさす。「鍼 (はり) を―・つ」

引用:goo辞書

まあこれで解決。

  

  

「たぐる」を実行。(前投稿までを参考)

ここでも道草 今日から「プランク」を始めます(2014年2月8日投稿)

「腰椎分離症」で検索していて、この記事に行き当たり、

「プランク」という運動に再会しました。

これって、部活動で体幹訓練でやっている練習。

あの運動は「プランク」と言ったんだ。思い出しました。

  

  

  

  

今日のトリガーポイント注射は、6時間目の授業が終了した頃に、

やっと効いてきたようです。

このまま痛みは終息を迎えてほしい。

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楽餓鬼

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