ドラマ「みかづき」スタート/アボリジニの悲劇の歴史を知る
今日は1月26日。
今晩放映されたドラマ「みかづき」は良かった。
高橋一生さんはまた教師(塾の講師)役。
教えることが似合っている人に見えてきました。
知的で楽しそうな雰囲気がいいなと思います。
ドラマの原作者は森絵都さん。
この人なんだ!
小学校教師ならば、この作者名にピンとくると思います。
ね、ピンと来たでしょ。
前投稿に引き続き、アボリジニについて書いていきます。
アボリジニの先住権や土地の所有権が、
かつてはどうだったのかに疑問を持ち、調べました。
そしたら、とんでもない歴史にぶつかりました。
ジャングルタイムズより引用します。
なぜ、本来のウルルという言葉があったのに、
わざわざエアーズロックという名前を付けたのか?
様々な理由があるとは思われるが、
その理由の一つはアボリジニたちの悲しい歴史につながっている。
数万年もの太古よりオーストラリア大陸で生活してきた
先住民『アボリジニ』たちは、侵略してきたヨーロッパ人たちによって
大量虐殺された過去を持っている。
18世紀、オーストラリアに到達したヨーロッパ人たちは、
オーストラリアの先住民であるアボリジニの人々と出会った。
1788年1月26日、初代総督アーサー・フィリップ率いる
海兵隊らが流刑者と共にオーストラリアに上陸。
彼らは、狩猟採集民として自然と共存しながら
移動を続けるアボリジナルたちの存在を知ると
「アボリジニたちはオーストラリアの定住者」ではないとした。
すなわち「オーストラリアには誰も住んでいないから
勝手に使っていいよね!」と主張したのだ。
入植者たちは、自分たちの土地占拠を合法化しつつ、
アボリジニたちが自分たちの土地を不法に占拠しているとして
迫害していくこととなる。
イギリス人によるオーストラリアへの入植は、
1788年1月26日。(今日は偶然にも1月26日)
たった、231年前のこと。
アボリジニは約6万年前から、オーストラリアに住んでいました。
それなのに、イギリス人は、アボリジニは「住んでいない」
としたのです。
先住権も、土地の所有権も無視したのです。
さらに引用します。
さらに、アボリジナルたちは追い出されるだけに留まらず、
入植者たちのスポーツハンティングの対象とされたことも分かっている。
現存する当時の日記には
「今日はアボリジニ狩りにいって17匹をやった」との記述があるほど。
遊び感覚で日常的に虐殺が行われていたのだ。
現在エアーズロックと呼ばれている岩山は、
アボリジニたちの言葉でウルルと呼ばれていたわけだが、
友好的な関係を築こうとしなかったヨーロッパの人々が
彼らの言葉を使うことは無かった。
さらにWikipedia アボリジニから引用します。
西洋人がオーストラリアを「発見」した段階では、
50万人から100万人ほどのアボリジニが
オーストラリア内に生活していた。
言語だけでも250、部族数に至っては、700を超えていた。
しかし1920年には約7万人にまで減少した。
人口減少の最大の要因はヨーロッパ人が
旧大陸から持ち込んだ伝染病(天然痘や梅毒、インフルエンザ、麻疹など)
の流行によるものと考えられている。
それまでオーストラリアは旧大陸とはほぼ隔絶されていたため、
アボリジニはこれらに対する免疫を持っていなかったのである。
1788年からのイギリスによる植民地化によって、
初期イギリス移民の多くを占めた流刑囚は
スポーツハンティングとして多くのアボリジニを虐殺した。
「今日はアボリジニ狩りにいって17匹をやった」と記された日記が
サウスウエールズ州の図書館に実際に残されている。
1803年にはタスマニアへの植民が始まる。
入植当時3000〜7000人の人口であったが、
1830年までには約300人にまで減少した。
虐殺の手段は、同じくスポーツハンティングや毒殺、
組織的なアボリジニー襲撃隊も編成されたという。
数千の集団を離島に置き去りにして餓死させたり、
水場に毒を流したりするといったことなども行われた。
また、1828年には開拓地に入り込むアボリジニを、
イギリス人兵士が自由に捕獲・殺害する権利を与える法律が施行された。
捕らえられたアボリジニたちは、ブルニー島のキャンプに収容され、
食糧事情が悪かったことや病気が流行したことから、多くの死者が出た。
まだアボリジニの悲劇の歴史は続くけど、
引用はこれぐらいで。もう十分でした。
晩に教材研究をしていて、
教科書の2行が気になって調べていたら、
このような歴史とぶつかってしまいました。
ドキドキしてしまいました。
いつも午後10時前後に寝てしまうのに、
この日は「本当にあったことなのか?」と
いろいろなサイトで調べていて、12時近くまで起きていました。
ネットだけ十分ではなく、本も探しました。
この本がいいぞと思い、深夜でしたが、
ネットで図書館に予約しました。
この本で、またアボリジニの歴史を確認したいです。
Wikipediaから再び引用します。
ケビン・ラッド首相は、2008年2月13日の議会で、
先住民アボリジニに政府として初めて公式に謝罪した。
同日の議会には約100人の先住民らが傍聴する中で、
同首相は「Sorry」の語を3度使い謝罪した。
議事堂の外には全国から詰めかけた数千人が
テレビを通じて謝罪の言葉を聞いた。
アボリジニの歴史は、生徒にも伝えました。
まだまだ知らないこと多し。
副題を思い出しました。
「明日迄の命の気持ちで、人生を!/ 不老不死の気持ちで、知識の習得を!」
「ウルル」のことをもう一つ書きたい。
つづく
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