初めての整体に行く予定/本證寺に行きたいなあ
今日は2月12日。
今日の午前10時から、生まれて初めての整体に行ってきます。
腰痛で苦しむ私の姿を見て、周囲の人から整体に行くことを
何度も勧められましたが、今までは一度も行きませんでした。
でも、昨年の腰痛はちょっと今までとは違う痛さでした。
まずは足の付け根上付近が痛み、
その痛みと表裏した腰下付近が痛烈に痛みました。
お医者さんからは「仙腸関節」の痛みと診断されました。
※ここでも道草 今回の腰痛は辛い!/「仙骨」「腸骨」の語源(2017年10月25日投稿)
これはどうにかしないといけないと思うようになり、
今回整体に行く決心をしました。さあどうなるか?
整体に行った後に、息子と名古屋に行く用事があり。
その帰りに、安城市にある本證寺に行きたいと思っています。
大河ドラマ「おんな城主 直虎」の「直虎紀行」(昨年10月15日放映)で
紹介されたお寺です。
徳川家康の家来である本多正信に関係するお寺です。
1563年に起こった三河一向一揆。
家康の家来であった正信は、一向一揆の一向宗側について戦いました。
なぜ正信は、一向宗側についたのか?
本多家は貧しく、家康ではなく仏の力にすがったとか、
その頃はまだ家康との絆ができていなかったという説があります。
一向宗が立てこもった拠点のひとつが、本證寺です。
寺は内堀と外堀、二重の堀に囲まれ、敷地内に今も残る土塁が、
当時の様子をとどめているそうです。それを見てきたい。
翌年一向一揆は家康に負けます。
家康の家来で、一向宗側についた者たちは許されて、
再び家康の家来になりました。
しかし、本多正信は家来に戻らず、諸国を放浪したと言われます。
その中で、松永久秀にも仕えたようです。
戦国時代の稀代の戦略家である久秀に仕えたことで、
正信は多くのことを学んだのではという説があります。
久秀が正信のことを次のように褒めているそうです。
「剛に非ず 柔に非ず 非常の器である」
良い褒め言葉です。
こうして20年近く諸国を放浪した正信は、家康の元に戻ります。
その後は、家康の天下取りの参謀として活躍します。
以上の正信に関する記述は、次の番組を参考にしました。
※参考:「にっぽん!歴史鑑定 徳川家康の知恵袋 本多正信」(2018年2月5日放映)
「おんな城主 直虎」がきっかけで、本多正信のことを知ったと思います。
名前を聞いたことはあっても、このような素性を知ったのは初めてです。
気になったお寺、本證寺を見てきたいなあ。
内堀、外堀の位置はどうだったのか?
内堀は、今も残っていて地図でもわかりやすいです。
外堀は?
この地図がいいです。
本證寺
〒444-1165 愛知県安城市野寺町野寺26
0566-99-0221
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