知多半島に行く/義朝最期の場所
今日は8月4日。
知多半島にさっそく行ってきました。昨日。
目的は源義朝ゆかりの場所に行くこと。
もう一つは、武豊火力発電所内にあるメガソーラー施設を、外から見ること。
源義朝が平治の乱後に東国に逃亡。
その途中、今の知多半島の尾張国野間(知多郡美浜町)に来ます。
ここで義朝は討たれるわけですが、
その時の様子を次のサイトを参考に書いていきます。
※http://www.nakanoprint.co.jp/sun/busyo/nagata.html
野間には、長田忠致の屋敷があった。
忠致は義朝に同行した家臣鎌田政清の親戚でした。
義朝も政清もここなら大丈夫と安堵して休むことにした。
忠致の息子景致は、尾張国司の義朝を捕えるという命令に動揺する。
匿(かくま)ったことがわかったら、長田氏が滅びるかもしれない。
景致は実行する。
疲れた義朝を長田館の西にある薬師堂の湯が湧く湯殿へ案内した。
そして家臣に殺害を命じた。
裸の義朝は「一本の木刀たりとあれば」と非業の最期を遂げる。
この湯殿跡には立派な義朝の像があってビックリしました。
さて、話はつづく。
義朝が殺されたことを知らない政清は、忠致と館で談笑していた。
そこに長田家臣がなだれ込み、周りを囲んだ。
何が起こったのかわかった政清は自害する。(次の投稿につづく)
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