2019年3月25日 (月)

すっかり忘れていました/尊氏の正室「登子」を演じていたのは・・・

今日は3月25日。

  

前記事で紹介した1991年6月2日放映の

大河ドラマ「太平記 第22話 鎌倉炎上」を

久々見ました。

27年ぶり?

いろいろ覚えていました。

新田義貞の稲村ケ崎を回り込んでの鎌倉攻め。

北条高時をはじめとする北条一族の自刃の様子。

記憶通りでした。

 

しかし!すっかり忘れていたのが、

足利尊氏の正室、登子役を沢口靖子さんが演じていたことです。 

Photo

そうだったんだ!

1965年6月11日生まれ。当時26歳。

  

登子のお兄さんが赤橋守時。鎌倉幕府最後の執権。

(15代執権。北条高時は14代執権) 

尊氏と登子の子どもが2代将軍足利義詮。

その子どもが3代将軍足利義満。

  

登子を何と読むか?

大河ドラマ「太平記」では、「とうこ」と言っていましたが、

Wikipediaによるとどうも違うようです。

「とうし」「なりこ」としていました。

引用します。

 

女性に関する史料が乏しく、今日、その名の読みが分からぬ場合は

「彰子」(平安時代)を「しょうし」と読むように

完全音読みで読まれるのが通例である。

『朝日日本歴史人物事典』(コトバンク所収、西尾和美執筆)では

藤原登子(平安時代)と同じ「なりこ」とも併記されている

(角田文衛『日本の女性名』(国書刊行会版)P178にも

「なりこ」とある)。

尚、吉川英治の『私本太平記』及びそれを原作とした大河ドラマ

『太平記』では「とうこ」と呼ばれていたが、

これはいわゆる重箱読みで正確とは言い難い。

「子」を「こ」と読むことに慣れてしまっているので、

「登子」を「とうし」と読むのは抵抗ありですね。

  

  

今朝、腰痛なし。よかった。

これで言い訳できず。仕事を頑張ろう。

2019年3月24日 (日)

高倉健さんと鎌倉幕府滅亡との奇縁

 

今日は3月24日。

  

金曜日に再び襲ってきた腰痛。

土曜日、日曜日の午前まで激痛が続きましたが、

静養していたためか、日曜日の晩現在で、

痛みはかなり減りました。

前回同様、快復までに丸2日かかりました。

また明日からは、御仕事を頑張ろう。

腰痛を理由(言い訳)に、仕事を離れ、道草ばかりしてきました。

今晩もう1本道草して、明朝からは仕事だ!

  

  

最近、鎌倉幕府滅亡の話を書き、

北条高時等北条氏一族が菩提寺の東勝寺で

自刃する話を書きました。

ここでも道草 くじけない後醍醐天皇その2/討幕の発火点になった船上山(2019年2月28日投稿)

ここでも道草 BS歴史館最終回/尊氏が鎌倉幕府を裏切った決定打 六波羅探題跡(2019年3月5日投稿)

そして高倉健さんのことを書きました。

ここでも道草 今回も腰痛と高倉健さんのガッツポーズについて書きます(2019年3月13日投稿)

  

鎌倉幕府の滅亡と高倉健さんが最近揃いました。

そうなると、昔読んだ本を思い出しました。

高倉健さんが書いたエッセイ本です。

映画で演じている時とは違って、

お茶目な面のよく出たエッセイだったと思います。

その本の中で、高倉健さんの祖先が北条氏一族であって、

北条高時と最期をともにしたという話です。

もうだいぶ前に読んだ本です。

本の表紙はうっすら覚えていましたが、

本名は忘れてしまいました。

本棚で探しましたが、見つかりませんでした。

映像は捨てずに保管していますが、

書籍は、あっさり処分しています。

きっと捨ててしまったと思います。

でももう一度、高倉健さんの祖先の話を読みたいと思いました。

「たぐる」旅です。

参考:ここでも道草 「アイデアはどこから」その3/ちょっとしたことがスタートとなって・・「たぐる」(2019年1月21日投稿)

 

図書館のサイトで、高倉健さんの著作を調べました。

その中から、これかなと思う本をピックアップして

予約しました。

届いた本を見て、これだと思いました。

表紙に見覚えあり。

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あなたに褒められたくて」(高倉健著/集英社文庫)

  

本は図書館に返すので、少しここに引用しておきます。

  

高倉健さんは、萬屋錦之助さんに勧められて、

鎌倉にお墓を買います。鎌倉霊園と言います。

話はそこから・・・・  

この鎌倉霊園は宝戒寺さんのすぐ近くの墓地なのである。

宝戒寺といえば、ぼくの遠い祖先が、一族門葉(もんよう)のもの

八百余人とともに自害して果てた寺であること、

数年前、父の生家「小松屋」に残る古文書を読んでいて

知ったことを思い出した。

そこで、せっかく来たのだから、という軽い気持ちで、

宝戒寺の本堂から寺務所の方へ回ってみた。

ぼくの家の家系図の一番最初にあった名、

苅田式部大夫篤時(かつたしきぶのたいふあつとき)、

北条篤時の名前を言うと、住職は「あっ」という顔をされた。

それから、古い古い過去帳を出してこられて、

静かにめくってくださった。

北条篤時、苅田式部大夫篤時の名が、記されていた。

この宝戒寺はかつて、代々の北条当主の館、得宗屋敷の

あったところだという。

鎌倉幕府の執権として、幕政の実権を掌握した北条時政から

高時まで、十四代が住まいとした地である。

しかし、千三百三十三年(元弘三年)五月二十二日、

新田義貞の鎌倉攻めによって、そこは灰燼(かいじん)に帰した。

この日、高時以下一門のものは、得宗館の裏を流れる滑川を渡って、

葛西ヶ谷(かさいがやつ)を背にするすぐ近くの東勝寺へと移る。

ここは、三代執権、泰時の建立した父租代々北条氏の

菩提寺である。

まずは長崎高重が最初であった。

「はやはや御自害候(そうら)へ。高重先をつかまつって手本に

見せまゐらせ候はん」と、『太平記』は高重の爽快でさえある

自害の様子を描いている。

『太平記』に、「血は流れて大地にあふれ、

漫々として洪河(こうが)の如くなれば、屍(かばね)は

行路に横って累々たる郊原(こうげん)の如し。

死骸は焼けて見えねども、後に名字を尋ねれば、この一所にて

死する者、すべて八百七十余人なり」と描写されるところである。

宝戒寺は、この高時以下の怨霊弔祭(おんりょうちょうさい)のために

建武二年(千三百三十五年)、後醍醐天皇が開基となり、

足利尊氏に命じて、小野亭と呼ばれた得宗館跡へ建立したのだそうだ。

ご住職はひととおりお話しになると、その北条氏終焉の地、

東勝寺のあったところへ案内してくださった。

宝戒寺から歩いて数分のそこには、高時腹切りやぐらといわれる、

鎌倉特有の横穴式の墓穴があった。

薄暗いその中をのぞくと、小さな石を積んだだけの苔むした塔が

一基、立っていた。

これが百四十年にわたる鎌倉幕府の最後を見届けた

高時一門の墓なのか、と足が立ちすくむ思いがした。

ショックだった。

(69~71p)

  

  

篤時には子供がいた。

その子供は篤時とともに自害をすることなく、

鎌倉の地をのがれて、ひたすらに西を目指す。

逃げて、逃げて、岡山まで逃げのびた。そして山口へ。

山口では大内氏につかえたと伝えらえる。

しかし、その大内氏が幕府と対立、和泉国堺で敗死する。

篤時の子はさらに西へ向かい、北九州の地に逃げのびる。

そのとき、七歳、四歳、三歳の三人の子と

老臣を一人伴っての逃避行であったと、記録に残されている。

北九州の地は、彼らにとって安住の地であったようだ。

やがて両替商を営み、小松屋の屋号で知られるようになる。

(中略)

のちに筑前国黒田藩主から名字帯刀を許されて、

小田姓を名乗る。

(74~75p)

 

高倉健さんの本名は小田剛一(おだごういち)。

小田は父方の祖先だそうです。

 

 

大河ドラマ「太平記」が1991年1月から

1年間放映されました。

6月2日放映の第22話「鎌倉炎上」だけ

ビデオテープに録画してとってあります。

もう30年近くも前のドラマなのに、

北条氏一族の自刃シーンは忘れられません。

片岡鶴太郎さん演じる北条高時、

フランキー堺さん演じる長崎円喜、

児玉清さん演じる金沢貞顕などなど印象に残っています。

  

この大河ドラマを見て、がぜん鎌倉幕府滅亡に関心が高まり、

当時の私はいろいろ調べ始めていたと思います。

当時の社会科通信にも記事を書いていたと思います。

 

高倉健さんのこの本の出版(第1刷)が1993年とありました。

おそらく予備知識がついた時点で読んだので、

イメージを浮かべながら読むことができ、

さらに高倉健さんと鎌倉幕府滅亡の奇縁に驚いて

印象に残ったと思います。

ちなみに「鎌倉炎上」は、

Youtubeで現時点では見ることができました。

大河ドラマ「太平記 第22話 鎌倉炎上」

 

「たぐる」旅をしました。

何と30年近く前までたぐることができました。

  

  

  

3月22日にNHKBSシネマで高倉健さんの遺作となった

映画「あなたへ」が放映されていました。

もちろん録画しました。

時間を見つけてまた見たいです。

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2012年8月公開映画。

「ザ・今夜はヒストリー 承久の乱」朝廷と戦わないと答えたのは100人中84人

今日は3月24日。

  

1年間、たくさんの映像を授業で見せてきました。

1年の社会科の授業で見せた最後の1本は、

タイムスクープハンター 室町飢饉救援隊」でした。

支援学級の社会科の授業で見せた最後の1本は、

大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~ 第6話

でした。

そのことについては、記事にしました。

 

この1年間の途中で見せた映像も、

この春休みに少しは記録に残しておきたいです。

 

鎌倉時代の承久の乱を教える時に見せた

世紀のワイドショー! ザ・今夜はヒストリー

承久の乱」(2011年6月6日放映)を見せました。

  

7.5年ほど前の番組です。

朝のTBS系ニュース番組「あさチャン!」の

スポーツ担当の石井大裕(ともひろ)アナウンサーの

少し若い姿を見ることができました。

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この石井アナウンサーのことを、

番組中に先輩の駒田健吾アナウンサーが話題にしていました。

聞き書きします。

  

駒田:今、現場に行ってる石井アナウンサーはですね、

  何とプロテニスプレーヤー、

  世界ランクを持っていた元選手で、

  あの「エアK」錦織選手の先輩で、

  松岡修三さんの弟子という、

  なぜアナウンサーになったのか

  全くわからないんですけど・・・

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ゴリ(ガレッジセール):この番組はアナウンサーの歴史も

  紹介するんですね。

駒田:そうですね。男性アナウンサーの3分の2が

  この番組に関わっていますから。

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TBSの男性アナウンサーの3分の2!

そうだったんですね。

でもいい番組でした。

終わってしまったのが惜しいでs。

  

 

承久の乱は、後鳥羽上皇率いる朝廷軍と、

鎌倉幕府執権北条義時率いる幕府軍との戦いです。

武士が上皇あるいは天皇に向かって戦いを挑むことが、

それまでなかった時代。

幕府の御家人たちは、

朝廷軍と戦うことに抵抗があったようです。

その様子を伝えるために、次のようなコーナーがありました。

  

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石井:あなたは朝廷と戦いますか、それとも戦いませんか?

御家人A:これまで朝廷に逆らった武士がいたなんて

  聞いたことがありませんから、戦いません。

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石井:それではこちらにシールをお願いしてもよろしいでしょうか。

御家人A:(青いシールを「戦わない」側に貼る)

石井:あなたは朝廷と戦いますか、それとも戦いませんか?

御家人B:戦うなんて、めっそうもない。

  正直な話、御家人たちの間では、朝廷側が鎌倉に

  攻め入ってくる前に降伏すべきだと言っています。

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石井:降伏ですか、それは本当ですか?

御家人B:ああ。

  

ナレーター:中にはこんな意見も。

御家人C:頼朝様からの御恩、今こそ返す時じゃ。

  他の腰抜け共が戦わずとも、わしは1人でも戦うぞ。

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石井:ということで、鎌倉の御家人100人にアンケートを

  とったところ、何と、84人もの御家人が朝廷とは

  戦わないという驚きの結果をなりました。

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  関口さん、以上です。

  

 

当時の御家人の雰囲気がよく伝わってきます。

いいアイデアだと思いました。

  

この雰囲気を変えてしまった北条政子の演説は、

やっぱりすごかったのでしょう。

     

他にも、御恩や奉公など授業で扱った用語も説明してくれて、

復習・確認にも向いた番組でした。

お薦め番組です。

「日本人のおなまえっ!」で「日本橋」の勉強のつづき

 

今日は3月24日。

  

前投稿に引き続き、日本橋のことを書きたいです。

今回のベースになる番組は、2018年9月27日放映の

ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!

【東京おなまえツアー~下町~】」です。

東京の地名「秋葉原」「銀座」「押上(おしあげ)」の由来や

相撲部屋の料理「ちゃんこ」のいわれになった力士が

紹介されました。

※参考:gooテレビ番組 ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ! 東京おなまえツアー〜下町〜

そして「日本橋」のことが扱われました。

日本橋に関する情報をここに書き留めます。 

 

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ビックリしたのは、日本橋を誤解している人がいたことです。

日本橋の上を通過する首都高速道路に、

「日本橋」の大きな看板があるので、

あの首都高速道路が「日本橋」だと

思っている人がいたからです。

実際に、ロケに参加している増田有華さんは、

そう思っていました。

 

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ロケ隊の1人、ビビる大木さんが日本橋の名前の

いわれを聞いていました。

上の写真の右側の人は、地名研究で有名な

谷川彰英さん。72歳。

さすがに老けられたけど、お元気そう。

日本橋のいわれについて、教えてくれたのはこの人。↓

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名橋「日本橋」保存会副会長の細田安兵衛さん。

むむ、確か「いだてん紀行」に出演していた人が、

会長さんだったぞ。

ここでも道草 「いだてん 第6話」「いだてん紀行 日本橋」日本橋の歴史(2019年3月24日 今日!投稿)

細田さんが言うには、もともとは二本の丸太の橋だった

という説があるそうです。

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ここに橋があったのは、江戸時代の前からだっだそうです。

それが「日本橋」になる仕掛人は、徳川家康でした。

ここで徳川家康が江戸に来た頃にタイムスリップします。

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家康が訪れた当時の江戸は、ひどく寂れた状態でした。

茅葺の家がぽつりぽつりあるくらいで、

湿地が広がる場所でした。

家康は、まずボロボロだった江戸城を整えました。

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その後街づくりをしました。

その際に目をつけたのが、二本の丸太の橋でした。

「この橋を立派にすれば、街と街をつなぐだけでなく、

もっと大きな意味を持つに違いない」

家康はそう考えました。

細田さんは、「五街道の起点にしようとした」と

言っています。

家康は、粗末な橋を、木造の太鼓橋に改築しました。

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日本橋は、家康の目論見通り、五街道の起点になりました。

しかし、城改築の映像とか、日本橋周辺の映像とか、

この番組だけのために作ったものなのでしょうか。

それとも他の番組の流用?

大がかりな映像で驚きです。

「いだてん」でも思いますが、録画せずに、

ただ1回見るだけでは、あまりに惜しい映像です。

  

起点になったことで、日本橋には人、物、金が

集まるようになってきて、いろいろなものが誕生しました。

そのことを教えてくれたのが、この人↓

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日本橋のたもとには魚河岸ができました。

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江戸湾に近いことからも、ここに魚河岸ができました。

築地に移転するまで、魚河岸は日本橋にありました。

繊維問屋もでき、繊維に関する業者もたくさんいたそうです。

地方からたくさんの商人がやってきて、店を開店。

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商業地となっていきました。

そのシンボルというお店は呉服屋さん。

たとえばこんな店。↓

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店内。↓

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当時の売買は、ツケで行われていました。

すぐにはお金を払わずに、1か月後2か月後に払うやり方です。

しかし、日本橋には日本中からお客さんが来るために、

ツケではお金を回収できません。

そこで、その場で現金を払ってもらうやり方を、

呉服店はするようになりました。

今では当たり前の、その場で現金で支払うようになったのは、

日本橋にできた呉服屋さんからだそうです。

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明治時代になると、日本橋から銀行、郵便が始まりました。

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ナレーター:家康が目をつけた二本の丸太の橋は、

  ヒト、モノ、カネのネットワークを生み出す

  まさに架け橋に。

  そしていつしか日本の橋、日本橋と呼ばれるように

  なっていったのです。

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最後に、日本橋に関するクイズがありました。

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わかりますか?

  

  

 

   

  

  

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は・・・

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徳川慶喜さんでした。

いつまでご存命だったのか、興味をもちました。

調べました。

没年は1913年(大正2年)11月22日でした。

明治時代を生き抜いたのですね。享年77歳。

あの戊辰戦争の時は、30歳を少し過ぎた頃だったのです。 

 

  

以上、人力車から始まった学習が、「いだてん」の映像から

日本橋につながって終了。

「いだてん」  

今晩の放送が楽しみ。

いよいよ金栗四三がストックホルムを走る!

「いだてん 第6話」「いだてん紀行 日本橋」日本橋の歴史

今日は3月24日。

  

前投稿に引き続き、2019年2月10日放映の

大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」第6話より。

 

明治45年の日本橋の上で、美濃部孝蔵と金栗四三が

すれ違う場面がありましたが、

年代は飛んで、昭和38年の日本橋の景色も

番組の中で出てきました。

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この時の日本橋は、首都高速道路の建設中。

日本橋の上を、高速道路が覆う直前でした。

 

第6回の最後にある「いだてん紀行」は、日本橋のことでした。

聞き書きします。  

 

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ナレーター:石畳に慣れるため、金栗が走った日本橋。

  ドラマで、若き日の志ん生とすれ違ったこの場所は、

  古くから東京のへそとしての役割を果たしていました。

  江戸時代後期の日本橋を描いた絵巻

  「熈代勝覧(きだいしょうらん)」

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  人であふれかえっている日本橋の様子が見てとれます。

  明治44年にはそれまで木造だった橋が、

  初めて石造りにかけ替えられ、完成の時には、

  多くの市民が駆けつけました。

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  昭和30年代の高速道路の工事は、日本橋にとって

  大きな転機でした。

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中村:経済復興の大きなシンボルとして高速道路は

  評価されたのですけど、いざできてみると、

  非常に暗っぽい、圧迫感のある高速道路が

  できあがっているから・・・・

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ナレーター:日本橋の上を高速道路が覆ってから55年余り。

  今、道路を撤去し、地下に移転させることが決まりました。

  イベント空間も設け、文化的な街づくりが計画されています。

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中村:100年先でも誇れる日本橋にしたいなあ。

ナレーター:さまざまな物語を抱え、

  日本橋はこれからも変化し続けます。

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以上です。

たった1分間の「いだてん紀行」ですが、勉強になります。

さらに日本橋のことを扱った番組がありました。

次の投稿で書きます。

 

2019年3月23日 (土)

今年度ラストの15分間授業/「いだてん 第6話」人力車の勉強他

今日は3月23日。

  

昨日の修了式の後、15分間いただいて支援学級で

社会科の授業をやらせてもらいました。

  

3月24日に誕生日を迎える生徒を、

みんなで拍手してお祝いをして、

その3月24日の「今日は何の日」クイズをしました。

「〇”〇〇〇〇οの日」

  

江戸→明治→大正→昭和→平成→?

年号を確認して、明治時代に最も使われた乗り物であるという

ヒントを出しました・

 

  

  

正解は「じんりきしゃ(人力車)」です。

「人力車発祥の日(日本橋人力車の日)」です。

参考:今日は何の日~毎日が記念日~3月24日   

ここから引用します。

  

東京・日本橋で人力車の運行を行う「くるま屋日本橋」が制定。

1870(明治3)年のこの日、人力車を発明した

3人のグループに東京府から人力車の営業の許可か下り、

日本橋で営業を開始した。

 

ここで人力車に関するうんちくを話しました。

参考にしたのは、Wikipedia

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

・江戸時代には、馬や駕籠が交通手段の主流でしたが、

 明治時代は、人力車が主流となりました。

・しかし、鉄道や自動車の発達で、昭和時代のはじめには

 人力車は衰退していきました。

 現在は観光地などで見られます。

・漢字で「俥(くるま)」という字があります。

 これは「人力車」を意味する漢字です。

・英語にRickshaw(リクショー)という言葉があります。

 これは日本語の人力車から生まれた英語です。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

そんな話をして、「人力車のイメージが浮かびますか」と

聞きました。半分くらいの人が手をあげ、

イメージが浮かぶようでしたが、

自信なく手をあげない人がいました。

そうでしょう、そうでしょう。

  

「大河ドラマ『いだてん』では、

よく人力車が出るから見せます」と言って、

大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~

第6話(2019年2月10日放映)の一部を見せました。

人力車が躍動的に表現されていたと印象に残っていたのが

第6話でした。

時は明治45年です。

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このような場面を見せました。

人力車を見せたくて見せた映像ですが、

当時の街の様子もとても詳細に作られていて

興味津々の映像でした。

  

番組のラストは、人力車を引く美濃部孝蔵(後の古今亭志ん生)と

マラソンの練習で走っていた金栗四三がすれ違うシーン。

ここも見せました。

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いいシーンでした。

日本橋の上を見て、レールがあることに気がつきました。

「いだてん」を見て初めて知りました。

調べたら、日本橋の上を市電が走っていました。

日本橋はもともと木製の橋でしたが、

明治44年に石の橋として生まれ変わりました。

したがって、「いだてん」の日本橋は、できたての橋です。

どんな市電が走っていたのだろうと、調べました。

太平洋戦争前の写真はありました。

絵葉書倶楽部 鉄道切符類考ブログ版 東京戦前絵葉書 日本橋附近の東京市電

119395201519816330987  

でも「いだてん」の中で、市電がちゃんと映っていました。

3回ほど見たら気がつきました。

  

生徒に「市電に気づいた?」と聞いたら、

1人が気がついていました。すごい。

ここです↓

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ね、映っていたでしょ。

この市電を確認して15分間の授業は終了。

人力車がどんなものか、

100年前の交通機関の様子はどうか、

街並みの様子はどうか、

などを紹介できたと思います。

何より生徒たちが大河ドラマ「いだてん

~東京オリムピック噺~」を見てくれたらと思います。

見続けたら、きっといい勉強ができます。

授業なんて、きっかけです。

  

  

「いだてん」の1話を作るのに、

6000万円がかかると聞きました。

きっと映像の隅々まで完成度の高いものだと思います。

それなのに、録画もせず1回しか見ないなんて

相当もったいない。

制作している人たちの努力や工夫に気がつかないで

終わってしまう可能性が高いと思います。

今年は「いだてん」で何か発見して、授業を創り出したい。

「いだてん 第6話」平沢和重が紹介した国語の教科書の話

今日は3月23日。

  

腰痛ではあるけど、

まだ今年度の事務処理を終えていないけど、

とにかく昨日で最後の授業を終えて、

修了式がすんで、とにかく1年頑張り終えた日でした。

最も気楽な休みである春休みにたどり着きました。

来週の平日は管理当番やら部活動で全出勤ですが、

土日は休めます。ホッとする日々です。

  

修了式の日、15分間だけ社会科の授業をしました。

その時に見せた映像が、

大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」の第6話でした。

2019年2月10日放映です。

その15分間の授業については後で書くことにして、

その第6話を見直していて気がついたことを書きます。

  

金栗四三がオリンピックストックホルム大会の出場を決心して、

予選大会の会場であった羽田を訪れ、

再びそのコースを走るシーンがありました。

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最初に見た時には、印象に残りませんでしたが、

今回、そのシーンのバックに、

小学生たちが国語の教科書を読む声が

流れていることに気がつきました。

 

先日書いたことが思い出されました。

ここでも道草 「にっぽん!歴史鑑定 幻の東京オリンピックと嘉納治五郎」その3/1964年東京オリンピック開催につながった(2019年3月19日投稿)

昭和34年(1959年)のIOC総会での

平沢和重さんの最終演説の内容が思い浮かびました。

 

再引用します。

  

ナレーター:メンバーとなった平沢は、西ドイツ、

  ミュンヘンでのIOC総会で、最終演説を任されました。

  会議の流れが、アメリカのデトロイト開催に傾く中、

  平沢は、小学6年生の国語の教科書を提示。

  そこには、嘉納たちの努力で、日本国民に身近なものに

  なっていたオリンピックのことが書かれてたのです。

平沢:オリンピックは、今、日本の全ての学校で教えられており、

  子どもたちは東京でオリンピックが開催されることを

  心待ちにしています。

  

聞き書き元の番組「にっぽん!歴史鑑定 

幻の東京オリンピックと嘉納治五郎」では、

その教科書の文章が紹介されていませんでした。

どんな文章なのだろうと興味にはもっていました。

第6話を見て、その小学生たちが読んでいた文章こそ、

その教科書の文章ではないかと思いました。

調べました。

参考にしたサイトです。

国立国会図書館 レファレンス協同データベース 

日刊スポーツ 2020年東京五輪カウントダウン始めます

この2つのサイトから、次のことがわかりました。

・「小学校国語6年下」(学校図書/昭和31年検定)に掲載された

 大島鎌吉作の「五輪の旗」という作品。

・書き出しは「オリンピック、オリンピック。そう聞いただけでも、

 わたしたちの心はおどります」

  

判明しました。

「いだてん」で流れていた音読は、この「五輪の旗」でした。

「いだてん」の聞き書きをしてみます。

  

Rimg1812

オリンピック、オリンピック。

そう聞いただけでも、わたしたちの心はおどります。

全世界から、スポーツの選手がそれぞれの国旗をかざして

集まるのです。すべての選手が、同じ規則にしたがい、

同じ条件のもとに力を競うのです。

遠く離れた国の人々が、勝利を争いながら、仲良く親しみ合うのです。 

オリンピックこそが、まことに世界最大の平和の祭典ということが

言えるでしょう。

(細字は自信のない箇所 特にラストは全然自信なし)

Rimg1813

Rimg1816

2つの番組が関連しあって、平沢和重がIOC総会で紹介した

教科書の文章がわかりました。

こういうのが楽しい。

次はその教科書を探し出して、実物を見てみたいです。

難しいことだとは思いますが、気長にいきましょう。

将来の楽しみです。

  

  

大河ドラマ1話製作するのに、

6000万円がかかると聞きました。

たった1回見ただけでは惜しい。

きっと見逃している貴重なものが

映像の中にはきっとあると思います。

15分間の最後の授業も、それを利用しました。

  

  

次の投稿で書きます。

「室町飢饉救援隊」関連本を読むことで授業での見せ方も進歩するはず

今日は3月23日。

  

昨日は修了式があった日。

腰痛が再発した日。

先日、学校を休んだ時ぐらいの痛みが、

昼過ぎにビリッビリッと走りました。

何がいかんかったのか?

今朝早く、高齢の父親の介護が必要なハプニングがあり、

格闘しました。

そして、修了式で1時間ほど立っていました。

それがいかんかったのか?

なかなか治らない腰痛。

午後は早退して、家で静養。

せっかく部活のない土日ですが、

もちろん山にも行けそうにありません。

昨晩は勤務校の反省会。そちらもキャンセル。

なんてこった。のこり3年間、大丈夫か?私の体。

  

  

前投稿の続きで、2010年3月30日に放映された

タイムスクープハンター 室町飢饉救援隊」の写真を

使いながら、調べたことを書き留めておきたいです。

  

飢えた避難民が押し寄せる京都ですが、

公家の家にはたくさんのお米があり、

さまざまな食材があり、饗宴が行われていました。

Rimg1827

そんな絵が残されていて、ドラマで再現していました。↑

  

聞き書きします。

松田新右衛門らは、公家の知り合いの家に行って、

お米を分けてもらおうと出向きます。

 

沢嶋ナレ:だがそこで驚愕の光景を目の当たりにすることになる。  

  茶碗に山盛りに盛られたご飯。

  山海の珍味がずらりと料理の数々。

  食べきれない食事に、吐いては食べ、食べては吐くという

  異様な光景。

  都の特権階級の一部では、飢饉をよそに、

  贅をつくした宴を繰り広げていた。

「異様な光景」は絵に残されていました。

Rimg1828

Rimg1828a  

衝撃的な絵ですが、本当にこんなことが行われたのでしょうか?

この絵についてもう少し知りたい。

「静嘉堂文庫美術館」を調べました。

美術館があるの東京都世田谷区。

静嘉堂文庫美術館HPからの引用。

  

静嘉堂は、岩﨑彌之助(1851~1908 彌太郎の弟、

三菱第二代社長)と岩﨑小彌太(1879~1945 

三菱第四代社長)の父子二代によって設立され、

国宝7点、重要文化財84点を含む、

およそ20万冊の古典籍(漢籍12万冊・和書8万冊)と

6,500点の東洋古美術品を収蔵しています。

静嘉堂の名称は中国の古典『詩経』の大雅、

既酔編の「籩豆静嘉」(へんとうせいか)の句から採った

彌之助の堂号で、祖先の霊前への供物が美しく整うとの意味です。

明治期の西欧文化偏重の世相の中で、

軽視されがちであった東洋固有の文化財を愛惜し、

その散亡を怖れた岩﨑彌之助により明治20年(1887)頃から

本格的に収集が開始され、さらに小彌太によって拡充されました。

彌之助の収集が絵画、彫刻、書跡、漆芸、茶道具、刀剣など

広い分野にわたるのに対して、

小彌太は、特に中国陶磁を系統的に集めている点が

特色となっています。

  

なるほどです。

収集された絵の中に、あの吐いている絵があるわけです。

ただHPにその絵は紹介されていませんでした。

前々記事で書いた本「大飢饉、室町社会を襲う!

清水克行著/吉川弘文館)に期待したいです。

  

  

ラストシーンの聞き書きをします。

公家から寄付してもらったお米を、

避難民たちに施しをしている場所に

ある村から1人逃げてきた村民。

あまりに村の飢饉が厳しいので、

他の者たちを置きざりにしてきたが、

やはりお米を村に届けたいと願い出たのです。

松田新右衛門は、その村民を信じて、米を届けることに

しました。その後ろ姿が、ラストシーンです。 

Rimg1829

沢嶋ナレ:このおよそ40年後の寛正年間、

  巨大な飢饉が西日本を襲った。

  その時、飢えた人々を救ったのは、

  民間の僧と庶民によるカンパだった。

  その全てを歴史の記録は残しているわけではない。

  だが、一人一人の小さな徳が、

  失うはずだった多くの命を救ったことは事実である。

テロップ:その後の調査によると、

  村で三人の生存者が確認された。

  彼らは後の大飢饉も生きのび、

  子孫を残すことができたという。

沢嶋:以上で、コードナンバー135726。

  アウトします。  

 

室町時代の前半に存在した有徳思想が学べた番組でした。

この番組がきっかけで知った本「大飢饉、室町社会を襲う!

を読んで、よりこの映像について詳しくなりたい。

そしたら、授業での見せ方も進歩すると思います。

 

 

2019年3月21日 (木)

「室町飢饉救援隊」でわかってきた「有徳思想」「公家と貴族の違い」

 

今日は3月21日。

  

前投稿の続きで、2010年3月30日に放映された

タイムスクープハンター 室町飢饉救援隊」の写真を

使いながら、調べたことを書き留めておきたいです。

  

Rimg1825

有徳(うとく)思想

番組の中でこの思想が出てきます。

関係するところを聞き書きします。

 

飢えた人たちを救援するために、

幕府から派遣された役人たちに、

沢嶋雄一は一緒に行動をともにして取材していました。

ちゃんと役人たちには名前があります。

松田新右衛門(リーダー)

梶原藤三郎(部下)

室戸左近(部下)

倉田彦次郎(部下)

これでよりリアルな話となります。

  

  

京都の五条河原で炊き出しをしようとしましたが、

幕府からのお米が移送中に略奪されてしまい、

飢えた人たちに施すお米がなくなってしまいました。

困った役人たち。

聞き書きします。

(沢嶋雄一はナレーター役も兼ねる。その場合は沢嶋ナレとする)

  

沢嶋ナレ:リーダーの新右衛門は決断する。

新右衛門:わしが自ら用立てる。(自分のお金で米を購入する)

部下たち:それは・・、それは済みませんぞ。(それはよくない)

沢嶋:米をまかなうとおっしゃっていましたが、ご自分のお金で

  米を買うということですか?

新右衛門:左様。わしのできる範ちゅうでの徳を施さねばならぬからな。

沢嶋:と言っても、新右衛門さんも楽ではないのですよね。

新右衛門:持てる者が徳を施す。それだけのことではないか。

沢嶋ナレ:持てる者が徳を施す。富を持つものが徳を施す。

  これを「有徳思想」という。

  室町時代、富を持つものは、

  その富を社会に還元しなければならない、

  という考えが重視されていた。  

  幕府が飢饉救済に乗り出したのも、

  そういった有徳思想が背景にあった。

  新右衛門にとってもその有徳の思いは同じであった。

  自分の富に見合った徳を施す、当然の義務と考えていたのだ。

  

  

この番組で初めて知った有徳思想。

「ゆうとく」と読みたいところですが「うとく」です。

自分の富に見合った徳を施す。

 

でも有徳思想を知り、徳の意味することがわかると、

徳政一揆の名称が理解できました。次に書いていきます。

  

徳の施しを実行しない者たちに、

政府が徳を施すように促す政策を徳政と言います。

簡単に言うと、債権、債務破棄の政策です。(鎌倉・室町時代)

債権、債務破棄の命令をする法を徳政令と言います。

そして、酒屋,土倉などの金融業者の勢力が増大、

その高利に苦しんだ畿内とその周辺地帯の地侍、

農民らが武力蜂起して幕府に徳政令の発布を強要しました。

これを徳政一揆と言いました。 参考:コトバンク 徳政

  

徳政一揆の「徳」は、有徳思想の「徳」でした。

  

  

もう一つ、あいまいに使っていた言葉を

この番組で確かめました。

Rimg1826  

新右衛門たちは、お米を公家に分けてほしいと頼みに行きます。

「公家」?「公家と貴族の違い」?

番組では、「公家=朝廷に使える貴族 役人」となっています。

Wikipediaより引用します。

  

公家(くげ)とは、日本において朝廷に仕える貴族・上級官人の総称。

天皇に近侍し、または御所に出仕していた、

主に、三位以上の位階を世襲する家。

公家の称の由来として、元来は天皇または朝廷を指し、

「こうけ」「おおやけ」と読んだ。

鎌倉時代以降、源氏・平氏・藤原氏などの貴族の内で、

武力で天皇に奉仕する幕府を武家(軍事貴族、武家貴族)と

称するようになると、それに対比して、儀式と文治をもって

天皇に奉仕する宮廷貴族一般を公家(公家貴族)と呼ぶようになった。

  

 

そうかあ、「公家」の対義語が「武家」であり、

ともに天皇に奉仕する(朝廷に仕える)者たちの意味なのですね。

公家はわかったけど、貴族との違いは?

  

次の説明に頼ります。

Yahoo!知恵袋

引用します。

  

ほとんど同じ類の人間を指す場合が多いのですが

いくつかの違いがあります。

貴族の本来の意味は

その血統から社会的な特権を与えられた人、

一族のことを指します。

日本における貴族は古代における豪族を起源とし

その後、律令制度が導入されてからは

位階における五位以上を持つ人、その一族を貴族と呼び

なかでも三位以上が上流貴族とされていました。

(後略)(isb********さん)

 

 

2つの資料の説明によると、

朝廷に仕えることでは公家も貴族も同じですが、

武士化していない貴族の中で三位以上が公家なのかなと思えます。

いかがでしょう?

さらに貴族は武家(武士化した貴族)も含みますが、

公家はもちろん含みません。

これで違いが見えてきました。

  

  

つづく

「室町飢饉救援隊」に出てきた飢饉の絵が見たい

 

今日は3月21日。

  

前投稿の続きで、2010年3月30日に放映された

タイムスクープハンター 室町飢饉救援隊」の写真を

使いながら、調べたことを書き留めておきたいです。

  

Rimg1823

タイムスクープハンターの沢嶋雄一が向かったのは、

1421年3月30日。さらに時刻は10時21分

室町幕府の将軍は、4代目足利義持

2年後の1423年に5代目足利義量になっています。

元号は、足利義満が太政大臣になった1394年に始まった

「応永」が続いていて、1421年は応永28年

 

場所は京都。  

Rimg1830

京都に限らず、西日本は飢饉に襲われていました。

京都に行けば食べられるといううわさで、

避難民が多く京都に押し寄せていました。

そんな京都の行き倒れの人たちを映していました。↑

ここで1枚の絵が画面に映りました。

Rimg1824

Rimg1824a  

飢饉の様子を表す絵と思います。

しかし、今一つ不鮮明でよくわかりません。

しっかり見てみたいと思いました。

  

大本山本圀寺(ほんこくじ)」がまずどこにあるか知りたいです。

調べました。

Wikipediaによると京都府山科にありました。

「本圀寺 飢饉 絵」とうって検索しましたが、

この飢饉の絵は出てきません。残念。

次に「飢饉の絵 室町時代」で検索しましたが、

う~ん見つからず。

  

でも収穫がありました。

こんな本が出版されていました。

81lmoizuf3lamazon

大飢饉、室町社会を襲う!」(清水克行著/吉川弘文館) 

です。著者の清水克行さん、私のブログでも2回ほど登場した方です。

※ここでも道草 根拠のない過剰な報酬・けなしがカリスマを生む(2015年12月12日投稿)

ここでも道草 BS歴史館最終回/戦前は足利尊氏は逆賊だった(2019年3月4日投稿)

室町時代が得意の人と思っていいのかな。

BS歴史館に出演した時の写真です。↓

Rimg1705_2

 

この本は応永27年の大飢饉について書いてあるそうです。

※参考:Internet Zone::WordPressでBlog生活 『大飢饉、室町社会を襲う!』

いいじゃないですか。

この本に上の飢饉の絵が載っている可能性あり。

さらに調べていくと、この回の「タイムスクープハンター」の

時代考証担当は何と!清水克行さん。

本の出版年を調べたら、2008年。

「室町飢饉救援隊」が放映されたのが2010年。

そうかこの本をベースにして、「室町飢饉救援隊」は

作られた可能性が高まってきました。

俄然、読みたくなりました。

地元図書館にあったので、さっそく予約しました。

 

  

番組に出た飢饉の絵を見つけたいと動いたおかげで、

いい本に出会いました。

 

ただ番組を見るだけにとどまらず、

調べることを広げていくと、そこはまた楽しい世界。

実体験しつつあります。

  

  

「室町飢饉救援隊」については、また次の投稿で。

 

  

 

 

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