2019年3月21日 (木)

最後の授業で見せたのは「タイムスクープハンター」

今日は3月21日。

  

歴史の教科書の室町時代のページに次のように

書いてありました。

 

15世紀は地球規模での寒冷期に当たり、

日本でも何度もききんが起こりました。

これに対して村の結び付きが強まり、

ききんに強い農作物や新たな品種の栽培が進むなど、

農業などで新しい技術が広く取り入れられるようになりました。

(82p/「新編新しい社会 歴史」東京書籍) 

  

この文章は興味をもちます。

なぜ15世紀は地球規模で寒冷期になったのか?

15世紀の寒冷期の世界はどうだったのだろう?

この時に開発された農作物はどのようなものがあるだろうか?

などなど・・・。

  

そして思い浮かんだのは番組「タイムスクープハンター」です。

確か室町時代の飢饉についてドラマ化したものがあったぞ。

探しました。

ありました。

2010年3月30日に放映された

シーズン2 第1話 室町飢饉救援隊」です。

録画したDVDがあったので、どんな内容だったか思い出そうと、

さっそく見ようとしました。

しかし、見ることができませんでした。

 

このDVDは、当時録画しそこなって、

誰かに頼んでダビングしてもらったものだと思い出しました。

録画形式が特殊なのか、

我が家のテレビやパソコンでは再生が無理でした。

参った!

ネットで内容を調べました。

なかなかいいぞ。

参考:テレビ番組 時事ネタなど書いていきます。はい。

参考: ライダーと戦隊はやめられない!

生徒に見せたいと思いました。

どうする?

  

こうなったら、市販DVDを注文することにしよう。

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値段は6000円。高い!

全部で10話。

1話600円。

中には私が録画したものもあるけど、仕方なし。

注文しました。

  

珍しく、今回は届くのに時間がかかりました。

そのため見せるタイミングを失いましたが、

1年社会科最後の授業で、見せました。

1年間、それはそれはたくさんの映像を見せてきました。

ほぼ毎時間、何らかの映像を見せてきました。

そのラストが、この番組でした。

 

どの時代にもたくさんの人間が生きていました。

日々、一生懸命生きていました。

今の私たちと同じように。

でも教科書にその人たちの名前ややったことは載っていません。

 

きっとこんな人たちがいたはずだと、人物を創作し、

名前をつけて登場させ、生き生きと描く「タイムスクープハンター」

いい番組でした。

2015年1月の回を最後に、新作が制作されなくなりました。

もう4年が経ちます。残念なことです。

室町飢饉救援隊」については、後で書くことにして、

今回は、1年間の授業を終えて、生徒から届いたメッセージを

2つ載せておきたい。

全員のメッセージが届いて、どれも励みになりました。

  

先生は、速音読をしたり、くじ引きで指名したり、

テレビを使った授業や、プリントでの授業など

独特で楽しい授業をしてくださいました。

男子)

  

1つ1つを丁寧に教えてくださって、わかりやすかったです。

(女子) 

 

独特だった思ってくれたのは、うれしいです。

試行錯誤の上の授業です。

冒険もあります。

自然と独特になっていくと思います。

  

丁寧もうれしい言葉です。

理解してもらおうと、教材研究をしてきましたから。

  

最後にこんなメッセージをもらうと、報われます。

また頑張ろうと思うことができます。

ここに書き留めて、また機会があったら見たいです。

  

  

さあ今日は部活動で練習試合。

朝飯食べて出勤です。

2019年3月19日 (火)

「にっぽん!歴史鑑定 幻の東京オリンピックと嘉納治五郎」その3/1964年東京オリンピック開催につながった

今日は3月19日。

  

腰痛で休んでいて復活した昨日は、

やっぱり疲れました。

晩は、早々に寝てしまいました。

  

今晩は少しは道草できそうです。

  

17日の記事の続きで、2018年10月8日放映の

にっぽん!歴史鑑定 幻の東京オリンピックと嘉納治五郎」の

聞き書きをしていきます。

  

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ナレーター:戦争によって、東京オリンピックの夢は

  露(つゆ)と消えました。

  しかし、嘉納治五郎の意志は、しっかりと受け継がれていたのです。

  戦後、日本は再び東京オリンピック招致を目指すことになります。

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  この時、招致活動に尽力した一人が、元外交官の

  平沢和重(かずしげ)。

  実は、平沢は氷川丸の船上で嘉納が東京オリンピックの思いを

  熱く語ったあの青年だったのです。

  外務省の仕事での移動中、偶然乗り合わせた嘉納の思いを聞き、

  その死を看取った平沢は、

  これを遺言と受け取ったのかもしれません。

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  嘉納の死から21年。第18回オリンピック招致活動の

  メンバーとなった平沢は、西ドイツ、ミュンヘンでのIOC総会で、

  最終演説を任されました。

  会議の流れが、アメリカのデトロイト開催に傾く中、

  平沢は、小学6年生の国語の教科書を提示。

  そこには、嘉納たちの努力で、日本国民に身近なものに

  なっていたオリンピックのことが書かれてたのです。

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平沢:オリンピックは、今、日本の全ての学校で教えられており、

  子どもたちは東京でオリンピックが開催されることを

  心待ちにしています。

ナレーター:そしてこう叫ぶのです。

平沢:東京オリンピックの開催は、あの嘉納治五郎が

  待ち望んでいたことでもあります。

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ナレーター:この演説がIOC委員たちの心をうち、

  1964年の東京オリンピック開催が正式に決まりました。

  オリンピックで平和を、嘉納の思いとともに。

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田辺誠一:そしてこの東京オリンピックで、

  嘉納治五郎が作りあげた柔道がオリンピックの正式種目として、

  初めて登場しました。

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1940年の東京オリンピックの開催はならなかったのですが、

でも1964年の開催に影響を残したのですね。

平沢和重さんの演説の中に嘉納治五郎登場。

IOC委員にとって、嘉納治五郎は20年が経っても、

重要人物だったのでしょう。

実現した1964年の東京オリンピックで、

柔道が正式種目になるなんて、いい話じゃないですか。

  

この番組を見たことで、嘉納治五郎さんの姿が見えてきました。

大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」での

役所広司さん演じる嘉納治五郎にも注目です。 

  

         

これで「にっぽん!歴史鑑定 幻の東京オリンピックと嘉納治五郎」の

聞き書きは終了。

  

2019年3月17日 (日)

明日は再出発の日/生活のBGM・今晩のドラマ

今日は3月17日。

  

腰痛は完治していませんが、まあ動けます。

休養十分!

明日から再出発です。

 

生活のBGMもスザンヌ・ヴェガのアルバムから、

HYにしました。

(2月19日からスザンヌ・ヴェガでしたね)

STORY~HY BEST~」です。

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全30曲のうち、最初の10曲をしばらくは

聴きこもうと思います。

セルフカバーなので、以前聴いた曲と比べて聴いてます。

お気に入りの曲の一つ「旅立ち」も少々抑え気味でした。

まあそれもいいです。HYは文句ないです。

これはオリジナルです↓

 

今晩の大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」は楽しみです。

いよいよ1912年のオリンピックストックホルム大会開幕です。

元気がもらえる大河ドラマです。

ドラマの中を漂う痛快な雰囲気がいいんだよなあ。

月曜日からの元気がもらえます。

  

 

晩の9時からも興味深い番組があります。


YouTube: 【西村京太郎トラベルミステリー第70作スペシャル 十津川警部VS鉄道捜査官・花村乃里子】予告動画

Photo

う~ん、両方見てしまうと3時間。

明日の準備もあるので、ちょっと難しいか?

4月18日からはドラマ「科捜研の女」がスタート。

何と!1年間放映されるとのこと。

沢口靖子、すごいです。  

「10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!」その2/保護者の皆さんに望むこと

今日は3月17日。

  

前投稿に続いて

 「10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!

(ニキリンコ、藤家寛子他著/花風社) から引用。

いい文章だったので、たっぷり引用します。

  

ニキ·リンコが保護者の皆様に望むこと

ニキリンコ:自閉っ子のまわりの大人は、自分のお楽しみも

  追求してほしいです。それは大人の役目ですよ。

  大人が幸せそうにしていないと、子どもは大人になるのが

  怖くなっちゃいます。私たちの脳みそは情報の集め方が偏ってるし、

  中には私みたいに、ただでさえ心配ごとをこさえやすい

  タイプの子もいる。だからこそお父様お母様は幸せな顔を

  見せてほしい。ときには子ども預けて映画見に行ったり、

  お取り寄せしたお菓子を、子どもにはちょっとしか分けずに

  おいしそうに食べたり。そういう姿を見せてほしいですね。

  私は不器用で、家庭科の手芸がつらかったんです。でも母が昔、

  頒布(はんぷ)会で手芸キットを買ってたことを知っていた。

  「頒布会の支払いが~」って言ってるのも聞いた記憶があるおかげで、

  「ママはお金を払ってまでやりたかったんだ」と思うことができた。

  私にはつらいけど、趣味でやる人もいる以上、

  「罰でやらされているわけじゃない」とわかったんです。

  あ、これは趣味なんだ!とわかるかわからないかで全然違う。

  自分は体育が苦手でも、わざわざ誘い合って

  スポーツをやりに行っている大人がいるのを見聞きすると、

  「体育は罰じゃない」ってわかるんです。

浅見:周囲の大人が、まず幸せな大人になるのが、

  自閉っ子支援の第1歩というところですかね。

ニキリンコ:ただ楽しむだけじゃなく、しつこく実況中継まで

  した方がいいです。自分の興味に気を取られてるときは、

  ごそっと見のがすから効き目が出ない。現状はつらくても、

  幸せになろうとしてることを実況中継。試行錯誤を実況中継。

  うまく行って楽しいときも実況中継。

  鈍い子ども、よそ見してる子どもにも、

  「お母さんは幸せなんだ」ってわかるように。

  幸せ\不幸せは固定じゃなくて、山あり谷ありなんだってわかるように。

浅見:そうか。それは大事なことですね。

(302~303p)

 

  

藤家さんが当事者の皆さんへのメッセージとして

次のようなことを言っていました。

  

私が発達障害を抱えていても、社会に溶け込めたのは、

 

何のおかげだろうと考えた時一番強みだったのは、

 

マナーをきちんと習得していたことだと思うんです。

 

うちは、お行儀に厳しくて(ちょっと行き過ぎだったと思いますが)

 

マナーをしっかりと叩き込まれました。

 

こう言うと、すごく難しいこと知っているように

 

勘違いされてしまうのですが、些細なことです。

 

あるべき時に、あるべき行動を取れるかどうか、そういうことが、

 

社会に出た時に、とても大切になってきます。

 

別に、社交界で通用するようなマナーをに身につけろと

 

言っているわけではありません。最低限ののルールでいいんです。

 

挨拶はきちんとするとか、目上の人には敬語を使うとか。(中略)

 

仕事する能力とか,要領のよさとかは、いざ働き出せば身につくものです。

  

(304~305p)

  

やはりマナーは大事ですね。

説得力があります。

  

  

以上で「10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!」からの

引用を終了。

「10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!」その1/フラッシュバックを克服する方法

 

今日は3月17日。  

  

この記事の中で、ニキリンコさんの本を、

図書館で予約したことを書きました。

ここでも道草 20190223報告その3/キミヤーズ塾 数列や循環小数を教えるのは自己中だから(2019年3月3日投稿)

予約したのは、「自閉っ子、こういう風にできてます!」(花風社)

でしたが、このシリーズ、何冊かあるため、

思った本ではないのがやってきました。

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10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!」(花風社)

このシリーズの最新刊かな?

2014年発刊の本です。

読みました。

  

いくつか引用します。

このシリーズは、自閉症スペクトラムと診断されている

翻訳家のニキ・リンコさんと、アスペルガー障害の二次障害としての

解離性障害から立ち直った作家、販売員の藤家寛子さん、

それに進行役としてこの本の出版社社長の浅見淳子さんの、

女性3人の対談の形で進んでいきます。

  

ニキリンコ:だから「知的な障害の非常に重い方の方が

  不平不満を持たずに就労継続できる」という話はよく聞きますけど、

  その人たちももしかしたら、余力がないから気がつかないという

  可能性もあるんじゃないかな。不満がないなら支援の手を離しても

  いいと思うかもしれませんが、本人が不満も表明せず、

  ご機嫌だからと言って、周囲から見て改善の必要な点がないとは

  限らない、と思いました。重度の人は就労が続くというのを、

  決まり文句にしては危ない。中身を見ずに持ち上げたり、

  不満そうだからと下げたりしてはだめです。

浅見:「困らな感」の問題ですね。本来は困るべきところで、

  きちんと困るこができない、という問題。

(58p)  

思い当たることあり。こういう視点を持ちたいと思って読みました。

  

  

ニキリンコ:お習字は子どもの習い事だと思っていたので、

  教頭先生か誰かがどっかの書道展に入選したと聞いたときは、

  大人のくせに子どもの習い事をする人がいることに

  びっくりしました。

  お習字って大人がしていいの?って。

浅見:そうですね。たしかにお習字習いに行っても大人は

  いませんしね。「見えないものは、ない」認知特性を持った人

  としては当然の疑問なんですよね。

(130~131p)

 

「見えないものは、ない」

こんな認知特性を持った子に出会う可能性あり。

覚えておき、対応したいです。

  

  

浅見:いいところを伸ばす、っていうのは療育の中で

  たびたび言及されますが、私はこの10年で、

  それだけじゃないなあ、と思うようになりました。

  「長所を伸ばす」ことも生きる力に使えますが、

  「短所を利用する」こともできると考えるようになりました。

  それは『発達障害は治りますか?』という本を作って、

  「強みは弱みの裏にある」と教えていただき、

  そしてお二方(ニキリンコ、藤家)をはじめとする方たちを見て、

  それを実感する機会に恵まれたからかもしれません。

(165p)

  

藤家さんは、逃げるために「他の誰かになる」解離性障害を

発症しました。でも立ち直る時には、この手法で、

「なりたい自分」を作って目指していました。

ケチで堅物だという欠点を、地道な努力ができる能力として、

販売員として頑張っています。

ニキリンコさんは、いろいろなことをスルーできない脳の

持ち主。考えすぎるところがあります。

でもこれを武器にして、論理的に苦難を克服してきました。

浅見さんはこのようなことを言っていると思います。

  

  

地元で嫌な思いをした体験のある藤家さん。

そこで働くことはフラッシュバックをして大変ではないかと

聞かれます。

藤家さんはこう答えていました。

  

藤家:高校の先生方は、私のことを覚えていて、

  よく声をかけてくださいます。きっと、記憶にあるのは、

  ひどく病弱だった私だと思います。

  だけど、定型の人って、記憶力はそんなによくないから

  病弱だった私の記憶もおぼろげで、担架で何回運ばれたとか、

  救急車で搬送されたこととか、

  そこまで忠実に覚えていないと思うんです。

  だから、こっちから、「こんなに元気になりました!」って

  言葉をかけるようにしています。そうしたら、

  「おう。頑張って働けよ!」という会話になって、

  そこで終わりです。

  何も怖いことはありません。

(209p)

  

さらにこうも言っています。

  

藤家:私はいつも、フラッシュバックを起こす時、

  16~17歳に戻っていた気がします。だけど、そういうのは、

  脳の中で起こっているだけ。思い切って目を開けたら、

  ちゃんと34歳の景色が広がっている。

  生きているのは、「今」なんだと気づけば、

  たとえ地元であっても、怖いものはないと分かるのです。

  だから、今も働き続けることができています。

(210p)

  

フラッシュバックへの対応の新しい視点だと思いました。

定型の人たちの記憶力の悪さを利用するのが

いいなと思いました。

  

  

浅見:私が読者の皆様にお伝えしたいことは、

  社会が荒波じゃないっていうことですね。

  少なくとも、荒波だけではありません。

  癒す力は、社会にもあります。(中略)

ニキリンコ:ていうか、小さい頃に教えられていたのが

  極端に厳しい社会だったんですよね。

  実際に社会に出てみたら、言われていたほどつらくなかった。

  (中略)

  大人って、えてしてしつけの中で「そんなことでは社会に出て

  通用しないぞ」っていうのを強調するんですよね。(中略)

  目先のしつけとか学級運営のためにエア社会やエア会社を

  持ってくるんですよね、しつけのツールとして。

  そして社会や会社が脅しのツールにされると社会や会社が

  迷惑です。

(288~289p)

  

思いこんでしまう発達障害の子どもに決めつけて言うことは

良くないことだという意味だと思います。

ニキさんは情報収集が大事だと言います。

大変な会社もあれば、そうでない会社もあるという

決めつけない認知が、将来にとっては大事なのです。

例として、ブラック企業のことが挙げられていました。 

  

「どうせほぼ全部がブラック企業」と誤解すると、

いろんな弊害があります。

1 怖くてすくんじゃう・・・就職活動できません。

2 「ブラック企業でも勤まるくらい強靭な自分になってやる」と

  思って、見当違いな所を鍛えに走る・・・やはり就職活動する

  暇がありません。

3 本当にブラック企業に入っちゃったときに、「よそもそうだ」

  と思って逃げられなくなる。

4 せっかくブラックほどじゃない会社で働けているのに、

  繁忙期や非常事態に当たったときに「ブラックだ!」と

  濡れ衣を着せちゃう。

5 「ブラックじゃない会社で働けている自分だけが得をして

  申し訳ない」と落ち込む人もいる。

(295~296p)  

 

認知の偏りで、こうまで思ってしまうんだと思いました。

障害を持つ子どもたちを担任していたなら、

決めつけるのは怖いと思いました。

教師も気をつけるし、障害を持った人たちは、

雑談ができる友だちが必要になってきます。

雑談によって、世間を知り、認知の偏りを防いでくれる可能性が

出てくるのです。

人と触れ合うことは、その意味でも重要なのです。

  

浅見:そうやって雑談友だちの存在が情報量を増やし、

  世の中が怖くなくなるんですね。(中略)

ニキリンコ:たとえばバーゲンで買いすぎるとするでしょう。

  雑談友だちが多ければ、漏れ聞くだけでも、

  みんながやるんだとわかるんです。つまり、

  バーゲンで買い過ぎってとんでもない罪ではないと

  わかるんです。買いすぎてきて家で叱られるだけでは

  それを学ばないんですよ。よくある失敗の一つで、

  舞い上がるとついやってしまいがちなことだって

  学ばないんです。

(301p) 

 

  

勉強になります。

こういうことまで気をつけたいです。

もう少し引用したいです。

 

つづく

「にっぽん!歴史鑑定 幻の東京オリンピックと嘉納治五郎」その2/嘉納治五郎船上で死す

今日は3月17日。

  

前日の記事の続きで、2018年10月8日放映の

にっぽん!歴史鑑定 幻の東京オリンピックと嘉納治五郎」より。

  

オリンピックの東京誘致はIOC総会で決定しましたが、

まだまだ開催までは簡単ではありませんでした。

  

聞き書きします。

  

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ナレーター:嘉納治五郎たちの努力により、1940年(昭和15年)の

  東京オリンピック開催が決まったものの、

  メインスタジアムの建設がいっこうに進みませんでした。

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  当初は月島にあった埋め立て地に建設しようとしていたのですが、

  強風の影響を受けてしまうからと、断念。

  その後、代々木、千駄ヶ谷、神宮外苑、品川などが候補になるも、

  土地の買収問題などでうまく行きませんでした。

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  組織委員会発足から半年以上が経っても、メインスタジアムの場所すら

  決まらないという由々しき事態。

  追い打ちをかけたのが、戦争でした。 

  日中戦争が勃発、戦争の長期化によって資金や物資が不足し、

  開催準備はますます遅れていったのです。

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  海外からも大きな非難を浴びます。

  戦争をやっている国のオリンピックには出られないと、

  開催地の変更や参加のボイコットを表明する国が現れたのです。

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  IOCもこの問題を指摘。

  昭和13年3月、エジプトのカイロで開催されるIOC総会で、

  東京オリンピック開催の是非が問われることになりました。

  嘉納はカイロに向かいます。

  この時、79歳。

  3月10日。カイロでのIOC総会が始まりました。

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  日本に対し、厳しい意見があがる中、嘉納は再び訴えるのです。

嘉納:オリンピックの開催は、政治的な影響を受けるべきではない。

  よって、日本で開催しない理由はないのです。

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ナレーター:スポーツは政治や戦争などに影響されない独立した

  存在であり続けるべきだと主張。東京開催は承認されます。

真田久:日本の政治的状況はともかく、嘉納治五郎というですね、

  IOC委員の人柄、また彼のこれまでの功績をですね、

  非常に高く評価されていた、ということがあります。

  特に彼はですね、日本においても近代スポーツを普及させて、

  スポーツを通した人間の育成に尽力した非常に優秀な

  教育者として評価をされていました。

  そういうことがですね、最終的には嘉納治五郎に対する

  プレゼントだったんだとIOC委員長は述べておりますが、

  そのために東京での開催が決議されたと言っても、

  過言ではないと思います。

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ナレーター:スポーツで世界に平和を。

  スポーツ教育にその生涯をささげてきた嘉納がいたからこその、

  結果でした。

  嘉納は、カイロからラジオを通し、日本国民に対して

  こう語りかけます。

嘉納:さまざまな逆風の中で、第12回オリンピックは、

  東京での開催が認められました。

  スポーツの力を最大限に生かして、相手を敬い、感謝し、

  助け合う心を育み、他国と共に栄えある

  平和な世界をつくる大会にしましょう。

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ナレーター:その翌月(昭和13年/1938年4月)、

  長い間懸念されていた東京オリンピックメインスタジアムが、

  駒沢に建設されることが決まります。  

  それは、世界最大級のメインスタジアムの他に、

  水泳場と球技場、さらには選手村が併設されるといった、

  一大スポーツセンターでした。

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  嘉納はというと引き続き奔走していました。

  東京オリンピック成功をめざし、ヨーロッパ各国とアメリカの

  IOC委員に協力を取り付けるためです。

  それを終え、嘉納はようやくカナダのバンクーバーから

  氷川丸で帰国することに。

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  その船上で嘉納は一人の日本人青年と出会い意気投合。

  東京でオリンピックが開かれる意義や、

  オリンピックを通じて平和な世界をつくることの大切さを

  熱く語りました。

嘉納:東京でようやくオリンピックを開ける。

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ナレーター:希望に胸を高ならせていた嘉納でしたが、

  船上で肺炎にかかり、そのままこの世を去ってしまったのです。

  悲願だった東京オリンピックを見ることなく。

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  そして嘉納の死に合わせるかのように、

  東京オリンピック開催の雲行きが再び怪しくなってきました。

  国家総動員法が施行されたことで、

  軍部はオリンピックの競技施設は建設中止と主張。

  その理由は、オリンピックのための物資や労働力を

  戦争に使うべきだというのです。

  さらに6月には、日中戦争の長期化を重く見たIOCが、

  再び開催を辞退するよう迫ります。

  嘉納亡き後、開催中止流れの止められる者は誰もおらず、

  7月15日、日本政府はついに東京オリンピック開催中止を

  決めました。

  嘉納が尽力したアジア初の東京オリンピックの実現は、

  戦争によって幻となったのです。

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嘉納治五郎の人生だけでも十分大河ドラマだと思いました。

  

メインスタジアムが駒沢と決まり、

山下勝選手は駒沢競技場に夜な夜な現れるということですね。

ここでも道草 山下勝選手のドラマを見ました(2014年8月2日投稿)

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ここでも道草 山下勝選手のドラマを見ました2(2014年8月2日投稿)

  

  

まだつづく。

2019年3月16日 (土)

腰痛と日めくり/ジプリの由来 鳴き声と音読み

今日は3月16日。

  

今回の腰痛は重症です。

3月13日は午後休み、14日・15日と休んでしまいました。

今日は午前中の部活動を休みました。

この土日でしっかり休んで、18日からは頑張りたいです。

平成30年度のラストスパートです。 

いい終わり方をして、平成30年度にけじめをつけ、

新しい年度を迎えたいです。

  

 

  

日めくり「雑学王」(TRY-X)より。

  

スタジオジプリの「ジブリ」は本来、「ギブリ」だった?

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こうなると、どんな飛行機なのか見たくなります。

ここで見ることができました↓

Keyのミリタリーなページ  カプローニ Ca309ギブリ爆撃/偵察機

 

「犬」の音読みが「ケン」になったワケは?

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鳴き方が音読みになったというのは楽しい。

  

鶏の鳴き方については、次のサイトが参考になりました。

山田ガーデンファーム 鶏の鳴き声は世界各国で違う?

ここでは各国の鶏の鳴き方が紹介されていました。

少し引用します。

 

中華人民共和国(中国語)⇒コーコーケー

アメリカ(英語)⇒クックアドゥールドゥ  

フランス(フランス語)⇒コックェリコ  

インド(ヒンドスターニ語)⇒クックローロー 

  

中国語もケーケーケーと鳴くのではなく、

コーコーケーと鳴いた最後の「ケー」から

鶏の音読みができたのですね。

  

  

晩は腰痛が治まります。

明朝どうなるか?

「にっぽん!歴史鑑定 幻の東京オリンピックと嘉納治五郎」その1/開催地決定までの道のり

今日は3月16日。

前投稿で嘉納治五郎に関する番組を見たと書きました。

その番組とは、2018年10月8日放映の

にっぽん!歴史鑑定 幻の東京オリンピックと嘉納治五郎」です。

1940年開催予定の東京オリンピック誘致に

嘉納治五郎らがいかに苦労したかがわかりました。

1940年のオリンピック東京大会に関しては、

かつて、この記事を書きました。

ここでも道草 山下勝選手のドラマを見ました(2014年8月2日投稿)

このドラマは「幻の祝祭 ~1940東京オリンピック物語~」でした。

このドラマでは、オリンピックに出場予定だった山下勝選手が、

オリンピックの中止によって出場できず、戦死した話でした。

東京誘致の苦労はあまり語られていませんでした。

しかし、「にっぽん!歴史鑑定」で、見えてきました。

  

番組全てをここに書き留めることは難しいので、

ここぞと思うところを書き留めていきます。

1940年のオリンピック候補地は東京以外にたくさんありました。

その中で最大のライバルはイタリアのローマでした。

嘉納治五郎は、当時のイタリアムッソリーニ首相に人を派遣し、

説得する策をとりました。

”あの”ムッソリーニ首相は、説得を受け入れ、ローマは辞退します。

でもこのムッソリーニ首相への直談判は、

オリンピックに政治を持ち込んだとして、

IOC(国際オリンピック協会)の会長ラツールは快く思いませんでした。

嘉納治五郎は、今度はラツール会長に会い、説得し納得してもらいます。

アジアで初めてのオリンピックを開きたいという熱意が伝わりました。

次にライバルとして登場した候補地はイギリスのロンドンでしたが、

ラツール会長の助言もあって、ロンドンも事態。

候補地は絞られて、東京とヘルシンキ(フィンランド)の2つになりました。

  

ここから聞き書きです。

  

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ナレーター:どちらにするかは、ドイツのベルリンで開かれるIOC総会で、

  決定することに。

  そして、運命の日。嘉納は満を持してベルリン総会に臨みました。

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  ところが、ここにきても尚、日本が遠いという理由で、

  反対を表明するIOC委員たちがいたのです。

  そこで嘉納は、こう訴えました。

嘉納:近代オリンピックの意義は、

  古代オリンピックがギリシャに限っていたのに対し、

  世界のオリンピックにすることにあります。

  欧米だけのオリンピックではない  

  東洋でも行うことで初めてオリンピックが

  世界的な文化になるのです。

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真田久(筑波大学体育系教授):ヨーロッパの人々は、

  東京まで非常に遠いというけれども、

  日本はストックホルム大会以来、毎回、ヨーロッパ、

  アメリカまでやってきているので、

  一度くらい来たっていいのじゃないかと、

  そうすることでオリンピックは世界の文化になる。

  IOCが東京での開催を望まないということは、

  オリンピックが本当の意味で世界の文化になることを

  望まないということになるので、

  IOCが間違っているということを、

  嘉納は訴えたかったということだと思います。

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ナレーター:さらに嘉納は、委員たちにこう宣言します。

嘉納:日本で開かれないのなら、東京で別の国際大会を開催する。

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ナレーター:一か八か、覚悟の言葉でした。

  翌日の投票結果は・・・・・

  36対27で、東京が見事勝利。

  日本初のオリンピック開催が決定した瞬間でした。

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田辺:一夜明けた8月1日朝刊各紙が一面で、開催決定を報じました。

  見出しには、「東京 遂に勝てり」の文字が。

  そして各地で音楽会など祝賀の催しが開かれて、

  日本中にオリンピックブームが湧き起こったのです。

  開催を記念する様々な商品も発売されました。

  電車の記念乗車券や湯飲み、五輪のマークがデザインされた年賀状、

  それにレコード針のケース。

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  いやあ、時代を感じますね。  

  

実際には行われず、歴史から消えていってしまいそうな

1940年のオリンピック東京大会。

1964年のオリンピック東京大会は目立ちますが、

その向こうにある1940年の大会は

存在が見えていませんでした。

2014年放映の「幻の祝祭 ~1940東京オリンピック物語~」と、

今回の「にっぽん!歴史鑑定 幻の東京オリンピックと嘉納治五郎」で、

私には十分存在感が感じられるようになってきました。  

当たり前ですが、当時の人たちにとっては大事件だったと思います。

 

つづく

「いだてん」次回はストックホルム大会/オリンピックの歴史を少々

今日は3月16日。

  

次回の大河ドラマ「いだてん 第11回 百年の孤独」は

ついにオリンピックストックホルム大会のことをやります。

注目です。

これを機会に近代オリンピックの歴史を調べてみました。

参考:公益財団法人 日本オリンピック協会

 

第1回 アテネ大会(ギリシャ) <1896年4月6日~15日>

第2回 パリ大会(フランス) <1900年5月20日~10月28日>

第3回 セントルイス大会(アメリカ) <1904年7月1日~11月23日>

第4回 ロンドン大会(イギリス) <1908年4月27日~10月31日>

第5回 ストックホルム大会(スウェーデン) <1912年5月5日~7月27日>

第6回 ベルリン大会(ドイツ) <1916年> 中止

第7回 アントワープ大会(ベルギー) <1920年4月20日~9月12日>

第8回 パリ大会(フランス) <1924年5月5日~7月27日>

第9回 アムステルダム大会(オランダ) <1928年5月17日~8月12日>

第10回 ロサンゼルス大会(アメリカ) <1932年7月30日~8月14日>

第11回 ベルリン大会(ドイツ) <1936年8月1日~16日>

第12回 東京大会(日本) <1940年> 中止

第13回 ロンドン大会(イギリス) <1944年> 中止

第14回 ロンドン大会(イギリス) <1948年7月29日~8月14日>

第15回 ヘルシンキ大会(フィンランド) <1952年7月19日~8月3日>

第16回 メルボルン大会(オーストラリア)<1956年11月22日~12月8日>

※馬術競技のみストックホルム(スウェーデン)で6月10日~17日に開催

第17回 ローマ大会(イタリア) <1960年8月25日~9月11日>

第18回 東京大会 <1964年10月10日~24日>

・ 

第32回 東京大会 <2020年7月24日~8月9日>

  

日本人初のオリンピック出場となったストックホルム大会は、

第5回であって、こうやって並べたら、まだまだオリンピック黎明期。

日本人は早くから参加したんだなあと思います。

金栗四三さんはストックホルム大会では、

マラソンを走っている最中に日射病で倒れます。

暑さ40度の過酷なレースだったようで、

同じマラソンで出場していたポルトガルの選手も倒れ、

翌日死亡しています。

Wikipedia フランシスコ・ラザロ

大河ドラマの中で、四三さんが心を通わせていたラザロ選手には、

そのような運命が待っていることを、今回調べて知りました。

  

第6回のベルリン大会が中止になったのは、第1次世界大戦の勃発のため。

金栗四三さんが最も脂が乗った時なので、残念。

  

最近、嘉納治五郎さんに関する番組を見ました。

今回の大河ドラマでも大事な役ですが、

柔道を創り出し、日本最初のIOC(国際オリンピック委員会)委員になり、

1940年のオリンピック東京誘致に中心になった人物。

金栗四三さんといい、嘉納治五郎さんといい、

こんな面白い人物が、日本の近代史にいたのですね。

嘉納さんについては、柔道の創始者だとは知っていましたが、

「オリンピックの父」としての面は、今回知りました。

この2人を扱っただけでも、十分大河ドラマだと思いました。

いいところに目をつけたんだ、NHK。

  

近いうちに嘉納治五郎さんのことを書きたい。

2019年3月14日 (木)

六波羅蜜寺再訪

今日は3月14日。  

  

今回の記事は次の記事の続きです。

ここでも道草 20190223報告 キミヤーズ塾終了後に閉門後の六波羅蜜寺へ(2019年3月9日投稿)

2月23日に、すでに閉門後の六波羅蜜寺に行き、

ぜひ、今度は開門時に行きたいと思いました。

それが思ったより早く実現しました。

3月8日に、大阪に出張という滅多にないことがあったからです。

大阪で用事を済ませた後に、明るいうちに京都に寄れる、

六波羅蜜寺に行けると連想し、実行しました。

  

3月8日。

今回は午後3時45分に頃に六波羅蜜寺にたどり着けました。

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2月23日は暗くて見えなかった柵外の説明板もよく読めるし、

写真にもバッチリ写りました。

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柵外から見た六波羅探題跡の石標です。

今回は中から見ることができました。

今回は開いている門から境内に入りました。

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この後、思う存分石標の写真を撮りました。

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そして本殿の裏手にある宝物館へ。

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そこで見てきました。

平清盛坐像(鎌倉時代/重要文化財)

空也上人立像(鎌倉時代/重要文化財)

本物をしっかり見てきました。

 

それ以外に、この宝物殿の中には貴重なものがありました。

筆頭は運慶・湛慶坐像(鎌倉時代/重要文化財)

ここで出会えるなんて思いませんでした。

E052a1bab270df9489d63f125df65e9d 霜恋路日記

  

そして運慶の作と言われる地蔵菩薩坐像(鎌倉時代/重要文化財)

平安時代の定朝の作の地蔵菩薩立像(平安時代/重要文化財)

 

閻魔大王像(鎌倉時代/重要文化財)は迫力がありました。

 

意外だったのは井伊直政坐像

直虎に関係深い井伊直政にここで出会えたのにもビックリ。

なぜここにあるかは、次のサイトが参考になります。

彦根歴史研究の部屋 井伊直政の菩提所 その3 京都・六波羅蜜寺

 

 

いろいろ見て満腹状態になって、六波羅蜜寺を後にしました。

ちょうど近くの小学校が終わった時間で、

寺の前の道は小学生の声でにぎやかでした。

2月23日の暗く静かな道とは大違いでした。

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2月23日は自動車で六波羅蜜寺に出向きました。

3月8日は最寄駅から徒歩で出向きました。

この2回の体験で思ったのは、

大通りから少し街中に入ると、道路が狭いということです。

このことをまたの機会に書いてみたいです。

 

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