「にっぽん!歴史鑑定 幻の東京オリンピックと嘉納治五郎」その3/1964年東京オリンピック開催につながった
今日は3月19日。
腰痛で休んでいて復活した昨日は、
やっぱり疲れました。
晩は、早々に寝てしまいました。
今晩は少しは道草できそうです。
17日の記事の続きで、2018年10月8日放映の
「にっぽん!歴史鑑定 幻の東京オリンピックと嘉納治五郎」の
聞き書きをしていきます。
ナレーター:戦争によって、東京オリンピックの夢は
露(つゆ)と消えました。
しかし、嘉納治五郎の意志は、しっかりと受け継がれていたのです。
戦後、日本は再び東京オリンピック招致を目指すことになります。
この時、招致活動に尽力した一人が、元外交官の
平沢和重(かずしげ)。
実は、平沢は氷川丸の船上で嘉納が東京オリンピックの思いを
熱く語ったあの青年だったのです。
外務省の仕事での移動中、偶然乗り合わせた嘉納の思いを聞き、
その死を看取った平沢は、
これを遺言と受け取ったのかもしれません。
嘉納の死から21年。第18回オリンピック招致活動の
メンバーとなった平沢は、西ドイツ、ミュンヘンでのIOC総会で、
最終演説を任されました。
会議の流れが、アメリカのデトロイト開催に傾く中、
平沢は、小学6年生の国語の教科書を提示。
そこには、嘉納たちの努力で、日本国民に身近なものに
なっていたオリンピックのことが書かれてたのです。
平沢:オリンピックは、今、日本の全ての学校で教えられており、
子どもたちは東京でオリンピックが開催されることを
心待ちにしています。
ナレーター:そしてこう叫ぶのです。
平沢:東京オリンピックの開催は、あの嘉納治五郎が
待ち望んでいたことでもあります。
ナレーター:この演説がIOC委員たちの心をうち、
1964年の東京オリンピック開催が正式に決まりました。
オリンピックで平和を、嘉納の思いとともに。
田辺誠一:そしてこの東京オリンピックで、
嘉納治五郎が作りあげた柔道がオリンピックの正式種目として、
初めて登場しました。
1940年の東京オリンピックの開催はならなかったのですが、
でも1964年の開催に影響を残したのですね。
平沢和重さんの演説の中に嘉納治五郎登場。
IOC委員にとって、嘉納治五郎は20年が経っても、
重要人物だったのでしょう。
実現した1964年の東京オリンピックで、
柔道が正式種目になるなんて、いい話じゃないですか。
この番組を見たことで、嘉納治五郎さんの姿が見えてきました。
大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」での
役所広司さん演じる嘉納治五郎にも注目です。
これで「にっぽん!歴史鑑定 幻の東京オリンピックと嘉納治五郎」の
聞き書きは終了。
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