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2025年4月

2025年4月15日 (火)

今日の退任式で、子どもたちに宿題を出そうと思います

   

今日は令和7年4月15日。

  

今日は前勤務校での退任式があります。

退任式で、2〜6年生の前でお話をしなくてはなりません。

どんなお話をしようか。

再雇用の身なので、順番ではラストになるでしょう。

聞く側の子どもたちにとっては、

「これで最後だ」とホッとしたところでの登場。

2年間の在校中に、担当した子どもは30人。

卒業した子どもが4人いるので、

在校生の中に26人いることになります。

2年〜6年の全ての学年にいます。

在校生の中に、担当した子どもがいるのはありがたい。

小6や中3を担任した後だと、担当した子どもがいない状況。

何を話すのか難しくなります。

  

実が昨日の晩に、いいことを思いついています。

今まで退任式で話してきたこととは、全く違う内容。

先日、山に行った時の出来事がきっかけです。

参考:ここでも道草 シャクトリムシが糸を登っていくシーンを目撃(2025年4月13日投稿)

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在校生に宿題を出すという内容です。

ちょっと準備が必要ですが、こんな内容です。

  

糸にぶら下がったシャクトリムシの模型を作っておいて

子どもたちに見せます。

「こんなの見たことがある人?」と聞きます。

何人かいるでしょう。でもあまり多くないと思います。

「これは、葉っぱや枝にいたシャクトリムシが、

他の生き物に襲われそうになった時に、

葉っぱや枝から落ちて、逃げた様子です。

とっさに糸を口から出して、ぶら下がります。

地面まで落ちちゃうと、蟻にやられてしまうので、

地面まで落ちないように、ぶら下がっているんです」

  

「この後、どうすると思いますか」

 

「シャクトリムシは、また上まで戻るんです」

「どうやって戻ると思いますか」

  

「先生も今まで、上に戻っていくシャクトリムシを

見たことがありませんでした」

「聞くところによると、上に戻っていくやり方は、

シャクトリムシの種類によっていろいろあるようです」

「この前の土曜日に、山登りに行って、

先生は、初めて、上に登っていくシャクトリムシを見ることができました」

「びっくりする登り方でした」

  

ここで模型によってその登り方を教えます。

  

「皆さんに宿題です」

「暖かくなって、虫が動き出しています」

「もしかしたら、糸にぶら下がったシャクトリムシを見るかもしれません」

「もし見る機会があったら、その登り方を観察してください」

「虫によって登り方は違うそうなので、見つけたシャクトリムシが

どうやって登るか観察するのが宿題です」

「その宿題が達成できたら、担任の先生に連絡して、

様子を伝えてください」

「そして、担任の先生、申し訳ありませんが、

スズキ公務のメッセージ機能を使って、平尾小学校の私まで、

その子の報告をお伝えください。」

「もしかしたら、ご褒美を届けるかもしれません」

  

こんな宿題を出しておいて、次のように言います。

「この2年間、◯◯◯小学校では、こんなように面白い勉強を

やらせてもらってきました」「いい2年間でした」

「一緒に勉強ができた2年間は、大切な思い出となっています。

ありがとうございました」

「新しい学校でも、面白い授業をたくさんやりたいと思って、

現在準備中です。」

「皆さんも面白いことをたくさんしてくださいね」

「そのためにも、先生からの宿題に挑戦してください」

「以上で、あいさつを終わります。  

ありがとうございました」

  

   

こんな展開はどうでしょう。

この2年間を彷彿させるような内容であるし、

現在の自分らしさを出すことができます。

他の先生と被る話ではきっとないと思うので、

新鮮な気持ちで、子どもたちは話が聞けるだろうし、

次の学校がどこなのかも、話の中で言うことができます。

模型という具体物があり、つかみはOKです。

言う内容の方向性は決まっているので、

話すことを暗記したり、メモを読むことなく、

授業の時のように、リラックスして話ができる可能性高し。

我ながら、いいことが思い浮かんだと思います。

問題は、今から模型が間に合うかどうかです。

  

現在、朝の5時45分。

退任式は午後2時から。

  

さあ、思いついたことを実現できるかどうか。

  

  

2025年4月14日 (月)

拡散:佐藤正久議員の質問に抗議文 日航123便墜落

 

今日は令和7年4月14日。

  

日航123便墜落真相を明らかにする会のメルマガで

次の文章が届きました。

拡散希望とのことでしたので、私のブログでも紹介します。

  

4月10日の参議院外交防衛委員会で、参議院議員も佐藤正久氏が

質問に立ちました。

青山透子さんの著書について、強く否定する発言をしました。

憶測によって書かれた本である言い切りました。

そんな青山さんの本が推薦図書になって、学校の図書館にあるのは

おかしいとも発言しました。

この佐藤議員の質問と政府側の発言は、動画で発信されています。

まずはそちらを見てから、青山透子さんの文章を

読んでいただきたいです。


YouTube: 【佐藤正久】ついに国会で元自衛隊幹部が重い口を開きました…【日航123便墜落事故 青山透子 森永卓郎】

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以下、青山透子さんの文章です。


自民党佐藤正久国会議員権限濫用による表現の自由、言論への弾圧へ

の抗議

今から40年前の1985年8月12日、私の仲間である客室乗務員

たちが殉職した。先輩たちのレクイエムを書く決心をした私は、日航

123便の乗客で墜落死した吉備雅男氏の妻、吉備素子氏と出会い、

多くの疑問を持つ遺族がいることを知り、日本航空にいた人としての

役割を深く考えた。そして、乗客を救うべく最後の最後までアナウン

スをし続けた先輩たちの無念を果たすことを御巣鷹の尾根に誓った。

調べていくと、なんと墜落現場の子どもたちや上野村村長自らが「自

分たちの村に落ちた」と NHK に電話をしていたことや、警察官が当

時の体験談を綴った冊子から、墜落現場がいち早くわかっていたとい

う事実に直面して驚愕した。

当時の運輸大臣の山下徳夫氏や防衛庁長官の加藤紘一氏によるオフレ

コの話を元に、群馬県上野村の当時の黒澤丈夫村長の証言、遺族の吉

備素子氏が夫のバラバラの遺体を探し求めて遺体安置所で4ヶ月間に

見た炭となった遺体状況、群馬県検死医師による証言、墜落現場の当

時の状況を書き残した子どもたち235名の目撃情報作文集、中曽根

康弘氏の回顧録「当時は自衛隊と米軍が連絡を取り合っていた」と書

かれた本、検死医師から提供された凄惨な遺体写真、上野村民提供の

墜落現場に落ちていた飛行機の残骸の科学的調査から、さらに多くの

疑問が出てきたのである。ちなみに、中曽根康弘氏の死去に伴い、要

職時代に書き残した日記を国立の公的機関に遺贈する予定だったが、

息子の中曽根弘文参議院議員が止めたと伺った。なぜ、中曽根康弘元

首相は、自分の選挙区である墜落現場の隣町でゴルフと水泳をして、

墜落直後に520人の犠牲者へのお参りもしていなかったのか。なぜ

日記の遺贈を息子が止めたのか。日記に何が書いてあったか、という

ことである。

さて、上記の事実をもとに書いた拙著に対し、自衛隊出身の佐藤正久

参議院議員が自衛隊関連組織を代表するがごとく、 「これはフェイク

ニュースだ、こんな本が文科省関連の推薦図書とは何事か」と国会の

委員会で言い張った。同じく自衛隊出身の防衛大臣が答弁をした。

この佐藤氏の発言は、国会議員が本来は国民のために守るべき「表現

の自由」を自ら弾圧し、一作家の表現の自由という重要な権利を著し

く侵害するものである。まるで出版を差し止める勢いであり、明らか

な言論の弾圧である。

これについて、国会議員による国民への弾圧だと多くの読者から怒り

の声が届いている。私としても、これは断じて許すことは出来ない。

そもそも問題なのは、当時の運輸省事故調査委員会が、相模湾に沈ん

だままの機体残骸を放置して、いくら遺族の要請があっても今日に至

るまで、まったく引き上げてこなかったことに責任がある。事故調査

報告書の付録で、異常外力着力点を指摘しながら、これを機体残骸で

確認をすることを避けている。どこの国に機体残骸を放置したままで

事故調査報告書を書く委員がいるのか。最近では、自衛隊のヘリが墜

落した際にはいち早く多額のお金をかけて海底捜査をしておきながら、

520人が犠牲となった民間機の残骸をいつまでも放置している国な

ど、どこにもない。世界最大の単独機事故の残骸放置など、もっての

外である。

さらに、吉備素子氏が情報開示裁判で争った通り、 「生のボイスレ

コーダー、フライトレコーダー等を開示しなかった」ことも発端であ

る。40年も経ってボイスレコーダー等を開示できないという理由は

一切ない。日本航空は過去、インドの法廷でも日本航空は自らボイス

レコーダー等を公開している。日航123便以外の墜落事故について

も、機長組合やパイロット組合には再発防止のためにボイスレコーダ

ーを聞かせてきた。それをなぜ、日航123便だけを聞かせなかった

のか。今まで日本航空は、理由にならない理由を並べて言い訳してき

たが、これらはすべて吉備素子氏の法廷で論破され、一切日本航空側

は反論してこなかった。

さらに、運輸省事故調査委員会が書いた報告書には、警察、自衛隊、

一般市民等から寄せられた多数の目撃情報が一切書かれていない。

そのうえ、高浜雅己元海上自衛隊出身の機長の発言には、多くの空白

があって疑問である。 「オールエンジン」も、「オレンジ」と聞こえ

ることや、警察の冊子に現役自衛官も見たと投稿した航空自衛隊ファ

ントム戦闘機2機は、なんと墜落前の18時40分に目撃されている。

それでなぜ、墜落現場が発見できないのか。

佐藤正久国会議員の答弁は、これらの重大な点を一切無視し、単なる

自衛隊感傷論にもっていこうとしている。この発言は、表現の自由を

著しく侵害した証拠でもある。本来ならば、国会議員として、国民全

体の利益のために、公共交通機関として日航123便のボイスレコー

ダー、フライトレコーダー等の生データの公開を率先して求めるべき

立場である。なぜそれに言及せず、私個人の作品のみを封じ込めよう

とするのか。また、日航123便の最高責任者である高浜雅己機長の

発言も含め、文字で公表しているボイスレコーダー等には、事故発生

直後の3分12秒の空白がある。この間のカンパニーラジオ(日本航

空社内用)の記録も消されている。ここを隠したままの事故調査報告

書なのであって、後部圧力隔壁説を断定できるはずもなく、いまだに

推定にとどまるのは当たり前である。アメリカのスペースシャトル事

故のボイスレコーダーもフライトレコーダーも生データがすべて公開

されている。

それでなぜ、40年も前に起きた日航123便のボイスレコーダーや

フライトレコーダーの生データだけが公開できないのだろうか。

私の本は、子どもたちの200人以上の作文をまとめたものであり、

実名での目撃情報と証言、当時の要職にあった人へのインタビュー

や元自衛官等の心の声をまとめたものである。それをなぜ、日航1

23便について突然、しかも今、まるで参議院選挙の前の見せしめ

のような質疑をしたのか。

私と遺族の吉備素子氏が訴えていることはただ一つ、「ボイスレコ

ーダーとフライトレコーダーの生データを公開せよ」である。

子どもたちの作文を、子どもたちの未来のために見せて何が悪いのか。

この検閲に匹敵する佐藤正久氏の発言の撤回を求める。

   

佐藤氏の質問、政府側の答弁、共に、いまさら

何を言っているのかと思います。

青山透子さんや森永卓郎さんの著書によって、

123便墜落には、何か重大な裏があるということは、

だいぶ周知されてきていると思うのです。

それなのにこんな質疑を見せられると、

犠牲になった多くの人たちの無念さが感じられます。

命を落としてしまった人たちのためにも、

その事故をリアルに見てきた人たちの世代が、

つまり自分たちが、真実を見出す活動をすべきだとあらためて思いました。

    

2025年4月13日 (日)

20250412天子ヶ岳・長者ヶ岳登山⑦ 単独行動で天子ケ岳-長者ケ岳往復 

    

今日は令和7年4月12日。

  

前記事の続きで、4月12日の登山のことを記事にします。

  

よくわかりませんでした。

私以外の3人は、昔登ったことがあるのですが、

どうも覚えている頂上とは違うようでした。

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こんな看板があったところでも違和感。

もう少し歩いてみました。

そしたら、あったんですね。

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ここは違和感がなく、昔の頂上の雰囲気と一致したようです。

  

ここで皆さんと相談。

同行者の3人は、この天子ケ岳がゴールで、復路を戻ることにしました。

私は・・・長者ケ岳まで往復して、天子ケ岳からは復路を戻り、

少しでも皆さんに追いつくこともやっていいですかと提案。

皆さんからOKをもらいました。

  

天子ケ岳と長者ケ岳の往復を頑張りました。

往復55分間。

コースタイムが1時間40分なので、

かなり頑張りました。

6月に、昨年に引き続き富士山を登るので、

そのトレーニングを兼ねて、負荷を体にかけました。

その往復で撮った写真です。

  

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ああいい道でした。

  

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尾根上に県境がありました。

静岡県と山梨県の県境です。

  

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田貫湖も見えて気持ちのいい場所です。

富士山はだいぶ隠れてしまいました。

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以上が長者ケ岳の頂上です。

Kさんが言うには、私も長者ケ岳には、

一緒に来たんじゃなかったけなあと言われました。

どうだったか?

もう忘れています。

頂上からの景色を見ると思い出すかなと思いましたが、

思い出せませんでした。

  

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向こうにトンネルが見えるぞ・・・・これが中身です↓

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動画で撮ればよかったのですが。この木漏れ日が、

ゆらゆら動いているんですよね。

風邪で幹が揺れ、枝が動いていたのでしょう。

  

戻ってきました。13時20分。

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ちょうど5時間、山の中にいました。

お待たせしたのは10分ほどだったとのこと。

寝坊で遅刻しておいて、単独行動。

申し訳ないなあと思いましたが、

「歩きたい」気持ちに素直に動きました。

いきなりの限界歩きだったので、太ももが痙攣気味になりました。

少し安静にしていました。

花見をし、富士山を見ながら登り甲斐のある山に登り、

天子ケ岳ー長者ケ岳間では、精一杯歩きました。

そして植物も昆虫もいいものを見ることができました。

計画を立ててくれたKさんに感謝。

遅刻を許してくれ、単独行動もOKしてくれた同行者の皆さんに

改めて感謝。

  

以上で記事は完成です。

お読みいただきありがとうございます。  

20250412天子ヶ岳・長者ヶ岳登山⑥ シャクトリムシが糸を登っていくシーンを目撃

   

今日は令和7年4月13日。

  

前記事に引き続き、昨日の登山のことを記事にします。

  

天子ケ岳頂上付近でいいものを発見。

木の枝から落下して、糸にぶら下がっているシャクトリムシを

発見したのです。

千載(せんざい)一遇の出来事。

シャクトリムシが危険から逃れるために、

糸を使って落下することは以前勉強しました。

ここでも道草 20240503 愛知県民の森④ ぶら下がっていたヒョウモンエダシャク(2024年5月16日投稿)

  

気になっていたのは、ぶら下がったシャクトリムシが、

どうやって登るのか気になっていました。

それが見られるチャンスだと思ったのです。

見ましたよ。

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YouTube: 2025年4月12日 糸を這い上るシャクトリムシ

シャクトリムシは、私の予想外の登り方をしました。

まず頭部が糸を咥えて、あるいは胸部の足で挟んで固定する。

そしたら、お尻の部分をぐっと持ち上げて、

頭部より上の糸を尾部にある足で挟んで固定する。

そしたら、今度は頭部をぐっと持ち上げて、

お尻よりも上部の糸を咥えるか、挟んで固定する。

その繰り返しだったのです。

そして実際に、目の前で、その繰り返しで、

シャクトリムシは、上に登っていきました。

  

シャクトリムシは、この作業をどんどんやらなければ、

新たなる危険な目に遭うようです。

ある観察者が、目撃したのですが、登っていくシャクトリムシが、

さっと消えたので、どうしたのかと思ったら、

ハチがシャクトリムシを掴んで、持っていってしまったそうです。

参考:明日も自然観察 シャクトリムシの事情

  

ChatGPTにシャクトリムシの糸の登り方を聞いてみました。

  

興味があれば、どの種類のシャクトリムシかでも行動パターンが微妙

に違ってくるので、特定の種についても掘り下げられますよ。

  

つまりシャクトリムシによって、登り方は違うのです。

動画を探してみました。

いろいろありました。


YouTube: 歩く尺取り虫・糸をよじ登る尺取り虫(キシタエダシャクの幼虫)

最後に少し登るシーンがあります。

このシャクトリムシは、胸部の足で糸を手繰り寄せているように

見えます。

  


YouTube: 天に昇る尺取り虫


これも胸部の足で糸をたぐり寄せながら登っているように見えます。

けっこう速い。

  


YouTube: シャクトリムシ鉛直糸の尺取り登り  Inchworm climbs the threadⅡ


これは従来のシャクトリムシの動きを、

鉛直の糸上でやっているのにビックリ。

  

う〜ん、どうも私が見た登り方は、

スピード面で遅いように思えます。

  

このシャクトリムシの成虫がなんであるかがわかると、

より登り方の詳しいことがわかるかもしれません。

 

今度勤務する学校は、自然が豊かなので、

シャクトリムシはたくさんいるんじゃないかな。

先ほどは千載一遇の出来事と書きましたが、

その気になったら、何度でも見られるかもしれません。

どう登るか、そのシャクトリムシの成虫は何かまで、

詳しく調べ、過不足なく撮ったり映したりできたらいいなと思います。


  

20250412天子ヶ岳・長者ヶ岳登山⑤ キブシ バイケイソウ 読めない案内板 クスサンの蛹室 

今日は令和7年4月13日。

  

前記事に引き続き、4月12日の登山の記事を書いています。

  

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何を撮影したの?と言われそうです。

またマクロレンズを持っていかなかったので、

撮影が難しかったです。

若木があるのですが、トゲが生えているのです。。

  

この植物はなんだろう?

  

調べましたがわかりません。

どなたかご存知の方は教えてください。

  

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なかなかの急登でした。

  

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振り返ると富士山。

今日もなかなかよかった。

  

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これはなんだろう?

  

調べたら、トリカブト、アメリカフウロなどが可能性があるようです。

  

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これはわかります。キブシです。

富士山を背景にして撮影しました。

  

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これはツツジかな。

紫の花が咲きそう。

  

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天子ケ岳の頂上近く。

バイケイソウがたくさん芽吹いていました。

  

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この案内板、読めないよう。

この案内板が読めた頃の写真がないか、ネットで探しました。

ありましたよ。

静岡こまくさ会 2013年3月17日

12年前は読めました。写真を転載します。

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案内板、直してください。  

  

  

朽木に座ったら、地面に落ちているものに気がつきました。

拾って、朽木の上に置きました。

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これは以前、ネットで見たことがあったぞ。

調べたら、クスサンという蛾の蛹室のようです。

中には蛹があるようでした。

重みもあったので、まだ蛹からは羽化していないようでした。

山に来ると、普段の生活では見られないものが、

いろいろ見られます。それも山の楽しみ。

  

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天子ケ岳の頂上手前のところで撮影。

富士見岩というのがあるようですが、Hさんが見に行ったら、

木が伸びてしまい、視界を遮っているそうです。

  

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ヒノキの下に祠(ほこら)がありました。

昼ごはんは、この祠近くで食べました。

  

続く
    

20250412天子ヶ岳・長者ヶ岳登山④ 山での花見/クロモジ

    

今日は令和7年4月13日。

  

前記事の続きで、4月12日の登山のことを記事にしています。

  

今回のコースを地図で示します。

YAMAPの地図を転載して利用します。

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地図右下のところに駐車。そこから天子ケ岳、長者ケ岳に登り、

往路を戻りました。

写真を並べていきます。

  

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これが駐車した場所。

ここに来るまでは、フォレスターの力が発揮できるような道でした。

轍がへこんだ石がゴロゴロしている道でした。

こんな道を上っていくために、スバルのフォレスターを選んだよなあ。

もう17年くらい前のこと。

  

出発は午前8時20分です。

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ここをあがっていきます。

  

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あちこちで桜が開花していました。

登山しながらの桜の花見。

貴重なことだけに、贅沢感があります。

  

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すごい樹形でしょ。これも桜です。

見上げると、こんな感じ。  

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まだ緑に支配される前の登山道です。

今の季節らしい登山道の景色です。

  

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クロモジです。

山崎造園

このサイトに、クロモジの花が開花した写真がありました。

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いいなあ、この景色。

開花前だったけど、花の蕾が見られてよかった。

これも貴重な体験です。

実はすでに花は見ています。

ここでも道草 2012年4月中旬の明神山(2012年4月30日投稿)

ここでも道草 3月21日 古宮城址に行ってきました(2016年3月31日投稿)

9年ぶりのクロモジ。

花の蕾を見たのは初でした。

やったね。

   

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続く。  

  













  

20250412天子ヶ岳・長者ヶ岳登山③ 登山前にお花見/富士宮市興徳寺/狩宿の下馬桜

     

今日は令和7年4月13日。

  

前記事の続きです。

昨日の登山のことを記事にしています。

   

登山の前に、花見をしました。

いつも計画を立ててくれているKさんが調べてくれた花見です。

2ケ所行きました。

1ケ所目は、静岡県富士宮市の興徳寺。

ここの枝垂れ桜が有名なのだそうです。

そこで撮った写真。

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部分をアップします。

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これが枝垂れ桜かなと思いました。

4月12日。すでに遅かったようです。

でも朝の新鮮な富士山を見ることができました。  

  

富士宮市観光ガイド「興徳寺」

ここには次のような記述がありました。

  

鎌倉時代の1289年に、塚本源吾が馬見塚の霧ヶ峰に寺を建立して

寄進。それを受け日興が「蓮華山光徳寺」として開いたのがその始ま

り。

慶長年間に、現在地へ移転。1654年に現在の墓地あたりに本堂を

建立するも、江戸末期の1859年3月に災害により消失。さらに翌

年5月には、山崩れにより庫裏(くり)も全壊し、同年復興を願い「

興徳寺」へと改称する。

その後1879年に、近くに建つ三澤寺より1654年建立の「七面

堂」を購入して本堂を再建。以後、増改築を経て現在に至る。

    

「興徳寺」の名称にはそんな歴史があるのですね。

興徳寺がたいへんだったのは、上記の説明にある江戸時代だけでなく、

2004年〜2005年に不幸の連鎖があったと「富士宮市観光ガイ

ド」には書いてありました。何があったのだろう?

これはネットで調べた限りでは、不明でした。

  

いつか桜が盛んな時に来たいですね。

そして2004年〜2005年の不幸の連鎖を知りたいです。

  

  

もう1ケ所は、同じく富士宮市の狩宿(かりやど)の下馬(げば)桜。

こちらはどうにか間に合った。

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源頼朝由来のサクラ。

日本最古の山桜。

昔はもっと巨大だったというのは、写真で紹介されていました。

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それでは、昨日の下馬桜の写真です。

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角度を変えて、富士山をバックに撮ってみました。

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下馬桜は「五大桜」の一つでした。

とびきり有名な桜でした。

下調べをしてくれたKさんに感謝です。

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五大桜のうち、根尾谷淡墨桜は行っているな。

夏休みだったから、桜の花は見ていませんね。

ここでも道草 本巣市で塩焼きを食べ、淡墨桜を見る(2019年7月27日投稿)

  

下馬桜があるのは、井出家という名主さんのお宅。

源頼朝は、巻狩りに来た時に、この井出家で宿泊されたと言われています。

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「井出家高麗門及び長屋」の説明が書いてある立札。

その建物も撮影しました。

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ヰセキ(イセキ)初の耕運機。

ヰセキのHPを見ると、いつできたかわかります。

昭和14年(1939年)のようです。

「ロータリ式1号R型」という機種でした。

90年前に作られた、これがその実物です。

  


  



  

  



  

20250412天子ヶ岳・長者ヶ岳登山② キクザキイチゲ/スプリング・エフェメラル

    

今日は令和7年4月13日。

  

前記事に引き続き、昨日の登山のことを記事にします。

できたら今日中に書き終えたい。

  

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この花の名前は「キクザキイチゲ」

少しこの花について詳しく書きたい。

Wikipedia キクザキイチゲ

このサイトの文章を引用していきます。

  

キクザキイチゲ(菊咲一華 中略)は、キンポウゲ科イチリンソウ属

の多年草。キクザキイチリンソウ(菊咲一輪草)とも呼ばれ。  

  

「イチゲ」がつく草花に山で出合ったことはあります。

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「ハクサンイチゲ」

ここでも道草(2009年8月6日投稿)

  

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「ヒメイチゲ」

ここでも道草(2024年6月23日投稿)

  

「イチゲ」=「一華」だったのですね。

「ゲ」から「華」は連想できませんでした。

一つの花が目立つからでしょう。

さらにWikipediaから引用します。   

北海道、本州の近畿地方以北に分布し、落葉広葉樹林の林床などに生

育する。高さ10-30 cm。花期は3-5月で、白色~紫色の花弁状の萼

片を持つ花を一輪つける。花弁はない。キクに似た花を一輪つけるこ

とからこの名がついた。

春先に花を咲かせ、落葉広葉樹林の若葉が広がる頃には地上部は枯れ

てなくなり、その後は翌春まで地中の地下茎で過ごすスプリング・エ

フェメラルの一種。

  

「スプリング・エフェメラル」

初めて聞く言葉です。

これもWikipediaから引用。

  

スプリング・エフェメラル(Spring ephemeral)は、春先に花をつ

け、夏まで葉をつけると、あとは地下で過ごす一連の草花の総称。

春植物(はるしょくぶつ)ともいう。直訳すると「春のはかないもの」

「春の短い命」というような意味で、「春の妖精」とも呼ばれる

(中略)

カタクリのように、春先に花を咲かせ、夏までの間に光合成を行って

地下の栄養貯蔵器官や種子に栄養素を蓄え、その後は春まで地中の地

下茎や球根の姿で過ごす、という生活史を持つ植物が、落葉樹林の林

床にはいくつもあり、そのためそのような森林の林床は、春先にとて

もにぎやかになる。このような一群の植物をスプリング・エフェメラ

ルという。

スプリング・エフェメラルと呼ばれる植物は、いずれも小柄な草本で

あり、地下に根茎や球根を持っているほか、花が大きく、華やかな色

彩を持つものが多い。小柄であることは、まだまだ寒い時期であり、

高く伸びては寒気に耐え難いこととともに、花に多くを割いた結果と

も考えられる。また、地下に根茎や球根を持つのは、気温も低く、光

も強くない春先に素早く成長し、まず花をつけるために必要である。

  

確かに今回のキクザキイチゲも花が目立ちました。

比較して葉っぱは小さかったです。

まずは花を目立たせたかったんですね。

その目立つ花から、「イチゲ」が生まれたのでしょう。

  

山梨県など複数の都道府県で、レッドリストの絶滅危惧I類や絶滅危

惧II類などの指定を受けている。

  

貴重な花だったのですね。

  

  

2025年4月12日 (土)

20250412天子ヶ岳・長者ヶ岳登山① 寝坊/花の名前がわかる

   

今日は令和7年4月12日撮影。

  

昨晩は前任校の歓送迎会に参加。

今朝は登山に行くために、午前4時15分に家を

出発する予定だったため、歓送迎会で飲むのは控えようと

少しは思っていました。

でもつがれると、飲んじゃうんですね。

でもでも、いろいろな方とお話をしていて、

結果的に飲むことも、食べることも十分にできずに、

転勤者は、前任校に在籍している先生たちが作るアーチをくぐって、

会場から外に出ることになりました。

「二次会」という話も出ていましたが、

「すみません、明日、山なので」の一言で、

「そうだったね」「気をつけてね」「寝坊しないでね」と言っていただき、

会場を後にして帰りました。

  

今朝、失敗しました。

目覚ましを止めて、つい2度寝。

起きたのは午前4時35分!

この時刻、すぐに信じられず。

もう集合時刻に間に合わず。

メンバーのSさんに電話。

寝坊したこと、集合時刻に20分ほど遅れることを伝えて、

昨晩準備しておいた荷物を持って、出発しました。

思った通り、20分遅れで集合場所へ。

メンバーのHさん、Kさん、Sさんは、

集合場所の駐車場で、Kさんの作ったコーヒーを飲んで、

お菓子を食べて待っていてくれました。

このコーヒー、お菓子は、いつも目的地に向かう途中のサービスエリアで

飲食しているもの。その時間を前倒ししてくれていました。

「あれ、早いじゃん」

そう言われました。

ありがたいですね。

こういう一言で救われます。

  

登山をして記事化したいものがいくつかありますが、

明日までに、今日の登山のことを記事にしたいです。

最新の登山を記事にして、時間があったら、過去の登山を記事にしていく。

この作戦でいきます。

  

今日は天子ケ岳(静岡県富士宮市)、長者ケ岳(山梨県南部町)に

登りました。

今回、最もよく見かけた花の写真。

Img_0745

Img_0749

Img_0750

Img_0751

この花が何であるかは、4人で結論が出ませんでした。

「今晩、調べます」と私は言いました。

それを実行しました。

その結果、次の草花に同定しました。

「キクザキイチゲ」です。

 

詳しくは明日の記事です。

今晩は花の名前を紹介しました。

  

続く



  

  

  

2025年4月11日 (金)

毎日やっている運動2/5 片足立ち  3/5 両足ジャンプ

  

今日は令和7年4月11日。

  

前記事で、毎日やっている運動は4種目と書きました。

違いました。5種目でした。

したがって、タイトルの分数の分母も「5」に直しました。

  

なぜ、何のためにこの運動をしているのか忘れてしまうので、

ブログに記録しておこうと始めたシリーズです。

 

今回は片足立ち。


YouTube: 【ウォーキングは危険】1万歩歩くよりスゴイ片足立ち!おばあちゃんになってもできる超簡単トレーニング

う〜ん、この動画については記事に書いた記憶があるのですが、

遡っても見つかりません。

検索しても出てきません。

気のせいかな。

でも大事なので、もしかしたら2回目かもしれませんが、

記事を書いていきます。

  

「1万歩歩くよりスゴイ片足立ち」は、

おっと思わせるタイトルです。

この動画を見ると、歩くというのは、

片足立ちの連続だと教えてくれます。

片足立ちができなければ、歩けない、

だから片足立ちを練習するというわけです。

 

片足立ちをするためには、バランスが大事です。

倒れないようにするためには、脳が神経を使ってどのように

命令するのかを体に覚え込ませなくてはなりません。

そのために、毎日片足立ちをして、脳に慣れさせる、

高齢者の場合は、脳に思い出させるのです。

そして命令を受けても、筋肉が弱っていては、

うまくできないので、10秒間片足立ちで頑張ります。

さらに、バランス力と筋力アップのために、

左足の片足立ちで、10回右手を床につけます。

すんだら逆足、逆手で行います。

手をつける運動は、1ヶ月に1回通っている整体の

整体師さんのアドバイスです。  

  

  

私に施術してくれている整体師さんは、

足を大事にしています。

足が丈夫なら、健康を維持できると考えています。

その整体師さんに言われてやっているのが、

両足ジャンプ、1分間。

140回やると、ほぼ1分間なので、回数を数えてやっています。

足の筋肉をつけることを自分の体重を使って、

鍛える方法です。実にシンプルな運動です。

脱力して、真上に向かって跳ぶことで、

全身が正しい姿勢になっていくという効果も期待できます。

実は、腰痛で辛い時も、両足ジャンプをして、

姿勢を改善することで、腰痛が癒えると考えてです。

正しい姿勢で両足ジャンプをすると、

実際、腰痛が多少なりとも和らぎます。

  

続く