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2025年4月

2025年4月21日 (月)

堆肥の中から立派なカブトムシの幼虫が出てきた

   

今日は令和7年4月21日。

  

現在の小学校に転勤した日に、

校内を歩いて堆肥があることを知って、

ワクワクしました。

堆肥がある学校って、いつ以来でしょう。

  

堆肥の中に、カブトムシの幼虫がたくさんいるよと、

用務員さんに教えてもらいました。

前任校の時から、カブトムシの幼虫は3匹飼っていましたが、

堆肥の中の幼虫はどのくらいに成長しているのだろうと

興味を持ちました。

堆肥の中のカブトムシの幼虫探し。

18日(金)に実行しました。

  

長靴はいて堆肥の上に立ち、スコップでほじくりました。

葉っぱの積もった堆肥からはなかなか発見できませんでした。

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でも、ヤギの糞をためた堆肥は、すぐに結果が出ました。

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2匹の幼虫がすぐに見つかりました。

これがなかなか大きい。

栄養がたっぷりな場所なのでしょう。

私が飼っていた幼虫は貧弱に見えました。

今まで飼ってきた幼虫がかわいそうに見えてきました。

そこで、飼っていた3匹をこの堆肥に逃し、

堆肥に住んでいた立派な2匹の幼虫を飼育箱に入れました。

これがその2匹です。

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これが巣箱です。

  

  

明日から、いよいよ・・・やっと通級指導教室が始まります。

待ってましたです。

最初はどんな授業をしようか。

昨年開発したネタは、全て使えるわけで、迷います。

昨年同様、カブトの幼虫との対面からスタートしよう。

ここには堆肥がある。勤務校の特徴です。

そんな勤務校の魅力を教えつつ、カブトの幼虫と対面させたい。

これがいずれ蛹になり、成虫になる過程を、

子どもたちに見せたいです。

もし、やってみたいのなら、後日堆肥で幼虫探しをするのもいい。

こうやって面白い体験をさせたい。

  

知的好奇心をくすぐり、学校が面白いことを感じさせ、

子どもたちの積極性を高めたいです。

さあ、これから1年間の通級指導教室、どうなるかな。

きっといい1年間になるように思えます。

ドラマで平賀源内が獄中死し、翌日に山口崇さんの死を知る

   

今日は令和7年4月21日。

  

今日から読み始めたのが、この本。

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「平賀源内 『非常人』の生涯」(新戸雅章著/平凡社)

  

何で読みたくなったかというと、

今年の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」を見て、

初めて平賀源内が、人を殺めて牢獄で死ぬという、

とんでもない末路をたどっていたと知ったからです。

平賀源内に何があったのか、知りたくなったのです。

昨晩放映の「べらぼう」第16話で、平賀源内の死が描かれました。

  

今日になってびっくりしたのが、

俳優の山口崇さんが亡くなっていたというニュース。

この記事をそっくり転載しちゃいます。

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実は平賀源内を初めて知ったのは、

ドラマ時代劇「天下御免」でした。

1971年10月から1年間、46話のドラマ。

当時10歳だったけど、楽しんでみたよなあ。

山口崇さんが演じた飄々とした平賀源内が、

50年以上経った今も、私の平賀源内のイメージです。

三谷幸喜さんは私と同じ1961年生まれ。

10歳で「天下御免」を見ていた同世代です。

三谷幸喜さんが影響を受けたように、程度は違うけど、

私も影響を受けました。

なので、「べらぼう」での平賀源内の死はショックでした。

  

  

朝の連続テレビ小説「あんぱん」が4月からスタート。

アンパンマンの生みの親、やなせたかしさんが、

幼い時にお父さんを亡くされ、お母さんに捨てられるという実話が、

立て続けて放映されました。

さらに、調べてみたら、

優秀だった弟は戦死しています。

乗っていた船が潜水艦の魚雷で爆破され、

海の藻屑となっています。

そんな過酷な家族にまつわる体験をしたことを知って、

こちらも本を読みたくなり、すでに読み終わっています。

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「慟哭の海峡」(門田隆将著/角川文庫)

  

またこの本についてはブログで書きます。

  

テレビドラマを見ることで、勉強が始まった2つのことです。

  

足助の「びっくりや」で五平餅・ロールキャベツ等食べる

   

今日は令和7年4月21日。

  

2007年4月21日がブログを始めた日。

18歳の誕生日です。

9844本の記事。

年平均546本ペース。

こんなにハイペースなんだとびっくり。

でもまだまだ書き足りない。

それだけ身のまわりには面白いことがあります。

このブログのおかげで、私の面白いことを見つける感覚は

きっと向上していると感じます。

死ぬまでこの感覚は保ち続けたいです。

  

  

さて、今回は豊田市の足助のお話。

  

昨日、奥さんのお父さんのお見舞いで、

足助に行きました。

奥さんと近所の叔父さんと行きました。

お昼ご飯の候補のお店が足助にありました。

「びっくりや」です。

  

4月16日のCBCテレビで、「びっくりや」が

紹介されていました。

Locipo 豊田・足助町の食べなきゃ損するグルメ『びっくりやのきなこの五平餅』をいただきます!【愛されフード】

ここで、今は映像を見ることができます。

その映像の写真を載せます。

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東山動物園に来ていた家族が、地元の足助の「びっくりや」に

行くことを、お勧めしてくれました。

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きなこの五平餅は、おはぎのイメージ。

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このお米が、このお店の特徴。

叔父さんには、このお米はお気に召さなかったようでした。

叔父さんのお勧めは、設楽町清崎の八雲苑。

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きなこは特注。

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味噌の中には刻みネギがたっぷり。

ネギの水分だけで作っているために、

ネギ味噌は粘着性があります。

味噌の中に五平餅を漬けるのではなく、

ご飯の上に塗りたくるやり方でした。
  

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醤油には生姜がたっぷり。

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将棋七冠の藤井さんも中学生の時に来たとのこと。

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創業50年。

35年目にきなこの五平餅が誕生。

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このお品書きは、15年の歴史を感じます。

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おでんも50年の歴史。

ロールキャベツがでかい。

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この番組を見ました。

その4日後なので、お店は行列ができてたり、

駐車場がいっぱいではと心配しましたが、

大丈夫でした。駐車場は20台OKなので、

余裕がありました。

午後1時半で、少し昼過ぎだったのも良かったかも。

  

私が撮った写真。

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私が食べたのが味噌。

「五平餅といえば、やっぱり味噌だろう」と

叔父さんに言われて決めました。

奥さんはきなこでした。

味噌を塗るやり方なので、側面はご飯が見られる五平餅。

太いネギは苦手で食べられませんが、

刻みネギなので、美味しく食べられました。

お腹も減っていたので、もりもり食べました。

  

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実際にロールキャベツも食べてみました。

レポーターさんが言っていたように、

キャベツの層が厚く、なかなか肉までたどりつけませんでした。

これも美味しく食べ、ゆで卵も2個。

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ロールキャベツが430円!

けっこう高い。食べてから気がつきました。

フランクフルトも食べましたが、

これも390円。

今回の食事は、叔父さんが支払ってくれて、恐縮しました。

とにかく私が一番食べました。

  

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外見はこんな建物です。

  

こんなふうに、テレビで紹介されたところへ、

実際に行って確かめるのは面白いです。












 

 




  

 

2025年4月19日 (土)

山の藤は厄介者のようです

   

今日は令和7年4月19日。

  

奥さんの父親が生死をさまよっています。

今朝早く、入院している病院から、

血圧が低下していると連絡あり。

いよいよその時が来たかと、覚悟しました。

奥さんと近所の叔父さんを乗せて、

実家に出向き、待機しました。

幸いにも血圧がまた上がり、安定したとのこと。

ほっとして、帰宅しました。

明日は奥さんと叔父さんを病院に送るため、

また出かけます。

しばらくは、お父さんの容態に対応する生活になりそうです。

   

実家は設楽町なので、山道を走りました。

その山道で見かけたのが、藤(フジ)。

※今回は「藤」でいきます。

家の庭で見かける藤棚の藤ではなく、山の斜面に生える藤です。

前記事にも書きましたが、今年は藤の花見を頑張っています。

でも今日の山の斜面の藤は予想外でした。

儲けたと思って、運転する車から花見をしました。

  

ただ山の藤には賛否両論あるようです。

森と水の郷あきた 樹木シリーズ34 フジ  

ここには次のように書いてありました。

 

迷惑な厄介者・・・フジは、他の木に絡みつくので、幹に余りコストを

かける必要がない。他の木を踏み台にして、素早く生長し、最高の場

所である樹冠を占領してしまう。こうして宿主の光を奪い、さらに幹

を締め付ける。だから宿主にとっては迷惑千万な植物である。林業家

は、スギなどの植林木に巻き付くフジは大敵で、つる切り作業は重要

な仕事の一つである。

  

植林された場所での藤は厄介者だったのです。

そんな面もある藤なんですね。

  

明日も山の中を自動車で走ります。

明日はコースが違うので、

また新しい藤を見ることができるかな。

時間に余裕があったら、撮影もしたいです。

  

2025年4月17日 (木)

今年は藤(フジ)の花見ができました

    

今日は令和7年4月17日。

  

近所の話。

  

昨年、後悔したこと。

フジ(藤)の花を見損なったこと。

気がついた時には、ピークを過ぎていて、

衰退の色がにじみ出た花しか見ることができませんでした。

  

今年はちゃんと見たいと思いました。

近所のどこに行けばフジを見ることができるか。

その気になると、あちこちにフジ棚があることに

気がつきました。

その中でロックオンしたのが、

ある公園のフジ棚。

 

3月29日の撮影。

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これがフジの蕾なのかな、と撮影時に思いました。

  

4月10日の撮影。

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開花近し。

  

 

そして今日(4月17日)。

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満開です。

今年は新鮮なフジの花を見ることができました。

  

このフジは、他のフジに比べて早く開花したようです。

フジの花見はこれからが本番。

皆さんもぜひフジの花見をしましょう。

  

1年後も必ず見られると保証されている人は、

誰もいません。

センダンの葉痕は楽しい

   

今日は令和7年4月17日。

  

近所の話。

  

近くのグラウンドにセンダンの木があります。

センダンの葉痕はなかなかいい。

2月23日撮影です。

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なんかお猿さんの顔みたいでしょ。

  

4月14日に見に行ったら、さらに面白い顔になっていました。

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遠目に見て、変化に気がつきますか?

ではアップ写真を並べます。

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リーゼントみたいでしょ。

いやいや角(つの)かな。

  

  

今日の撮影。

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幹や枝の先っぽの方が、元気よく発芽しています。

  

冬に殺風景だったセンダン。

センダンは生命力が強そうな木です。

夏に向けて、大きく変化しそうです。

観察が楽しみな木です。






  

アレチヌスビトハギとの闘い4年目が始まった

今日は令和7年4月17日。

  

近所の話。

  

アレチヌスビトハギがついに登場しました。

地元の公園に大量に生えて、ひっつき虫で迷惑をかけてきた

アレチヌスビトハギ。

私が町内会長を務めた令和4年に知って、闘いが始まりました。

今年が4年目。

暖かくなってきたので、そろそろ芽吹くと思っていました。

昨日、公園に行ってチェックしたところ、

芽吹いていたところを発見しました。

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この3本を発見。

ずっと闘ってきたので、見間違えません。

アレチヌスビトハギの芽吹きです。

さっそく処分しましたが、

これからあちこちに登場すると思います。

作戦は昨年と同じです。

とにかく毎週通って、根元からハサミでちょん切る!

まだ幼いうちに切ることで、光合成をさせず、

光合成をさせないことで、地下茎の養分の枯渇させたいです。

その結果がアレチヌスビトハギの撲滅です。

  

さあ今年はどうなる?

2025年4月16日 (水)

2025年「山が笑った日」雨が降った翌日に体育館から撮影

   

今日は令和7年4月16日。

  

転勤した新勤務校の新任式が、

先週の4月9日(水)にありました。

その時に初めて体育館に行きましたが、

体育館から見える東側の景色が良かった。

手前が運動場。運動場の向こうは、

運動場を取り囲むたくさんの木々が、

そこだけまばらになっていて、

そのさらに向こうに見える山がよく見えました。

その山の新緑がきれいで、ついつい見とれてしまいました。

  

その時に思いました。

今年の例年の「山が笑った」写真は、ここで撮ろうと。

雨上がりがいいので、調べたら13日(日)はしっかり雨。

撮影日を14日に決めて、実際に撮影しました。

  

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山がこんなに近い学校。

再雇用で働けるあと2年はこの学校で終えたいですね。

新任も、奥三河の山が近い小学校でした。

こういう環境に、私は晴れやかな気持ちになります。

  

と、いうことで、令和7年の「山が笑った」日は、

4月14日でした。 

昨年の記事はこれでした。

ここでも道草 4月10日午後のお花見③ 2024年山が笑った日(2024年4月11日投稿)

 

今までの記録一覧。

 

平成17年 4月21日 ・・・2005年

平成18年 4月21日

平成19年 特定できず

平成20年 4月19日

平成21年 4月10日

平成22年 4月14日

平成23年 4月18日

平成24年 4月16日

平成25年 4月 8日

平成26年 4月10日

平成27年 4月11日

平成28年 4月 8日

平成29年 4月18日 

平成30年 4月 8日

平成31年 4月26日

令和 2年 4月 7日

令和 3年 4月 6日

令和 4年  4月 9日

令和 5年  4月 2日

令和 6年 4月10日 

令和 7年 4月14日

  

これが21回目の記録。

温暖化とか気候変動を言われますが、

この21年間。「山が笑った日」はあまり変わりません。

2025年4月15日 (火)

退任式で、多対1の授業を実行/使った模型の写真掲載

   

今日は令和7年4月15日。

  

退任式、無事にすみました。

ここでも道草 今日の退任式で、子どもたちに宿題を出そうと思います(2025年4月15日朝投稿)

ここに書いたことを実行しました。

  

木とシャクトリムシを作らねければなりません。

午前中、勤務校の通級指導教室で、まずは木を作り始めました。

廃材の鉄棒や、古い鉄のハンガー、針金を利用して、

作り始めましたが、ここで「待てよ」と思いました。

こんな材料を使って木を作らなくても、

自然豊かな勤務校の周りには、ちょうどいい木があるのでは

ないかと思いついたのです。

すぐに行動。外に出て、森の中に入っていきました。

10分で見つけました。

いろいろな材料を組み合わせて作る人工物の木よりも、

はるかに簡単に、本物の木を手に入れることができました。

  

シャクトリムシの大きさは、木のサイズに合わせて作りました。

芯には、ハンガーの太い針金。

それに新聞を巻き、外側にフェルトを巻きました。

接着は全部ボンド。

頭部はフェルトを多めに巻いて、それらしくしました。

丸いシールを貼って、体の模様を適当に作り、

偽物の目、眼状紋(がんじょうもん)も付けました。

こんなシャクトリムシは絶対存在しないものができました。

  

以上、言葉で説明してもイメージが浮かばないと思うので、

ここで写真を載せます。

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シャクトリムシが枝に乗った状態。

重りの話を忘れていました。

倉庫で探したら、線路のレール型の重りを発見。

十分な重さ。

何とかなるものです。

 

次はシャクトリムシが落ちた状態。

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退任式では、この模型をステージの演台の上に乗せて

授業のようなあいさつをしました。

令和6年度は、1年間通級指導で、1対1の授業でしたが、

今日は、多対1の授業でした。

  

宿題は、もし糸にぶら下がったシャクトリムシを見たら、

どうやって上に登るのかを観察すること。

観察したことは担任の先生に伝えてくださいと言いました。

そして先生方には、お手数ですが、自分に連絡してくださいと

図々しくお願いしました。

どうなるかな。

  

糸でぶら下がったシャクトリムシを見るのが、

極めて稀なことですが、1年を除く全校児童ですからね。

これだけの目があったら、誰か見ることでしょう。

楽しみです。

20240606富士山登山① 富士宮市で腹ごしらえ「ばんから」 

    

今日は令和7年4月15日。

  

昨年の6月6日に、Nさんと富士山を登りました。

その時の記録を書きたいです。

かつて写真だけで記事にしました。

ここでも道草 富士山登山/まずは授業で使う写真一覧(2024年6月7日投稿)

今回は本格的に記事にしていきたいです。やっとです。

今年の6月には、再びNさんから富士山登山を誘われています。

その前には記事にしたいと思っていました。

今日から実行です。

   

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いきなりラーメンの写真です。

登ったのは昨年6月6日。

地元を出発したのは、前日の6月5日の午後5時。

Nさんの車で、Nさんの運転で、富士山に向かいました。

夕食は富士宮市の「ばんから富士宮店」でした。

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※Googleアースより。

  

最近あまりラーメンを食べたいという欲求がなく、

ほとんど食べない毎日でしたが、

この日のラーメンは美味しそうだったので食べる気になり、

写真も撮りました。

豚骨がよかったです。

食後に「お楽しみ券」をもらいました。

その「お楽しみ券」は有効期限がなかったので、

いつか使える日が来ると思って、財布に入れたままでした。

その写真を撮影。

今朝の撮影です。

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Nさんの「お楽しみ券」をもらったので、

私は2枚持っています。

今年も同じ店に行ったのなら、1年越しで使えるし、

あるいはまだ使わずに、5枚を目指すのもいいかなと思います。

6月の富士山登山は、恒例行事になる予感がします。

この「ばんから富士宮店」も恒例になるかな。

  

「ばんから」の意味について。

「バンカラ」という言葉はありました。

まずは近畿大学HP 「バンカラの意味をご存知ですか?」から引用。

「バ ン カ ラ と い え ば 近 大 だ 」 と よ く言 わ れ ま す 。

「 バ ン カ ラ 」 と は 、 風 采 や 言 動 が 勇 ま し い こ と で 、

明 治 時 代 に 欧 米 化 を 礼 賛 し 、 ハ イ カ ラ ー ( 高 襟 ) の

シ ャ ツ をつ け た エ リ ー ト 官 吏 な ど を 比 喩 す る「 ハ イ

カ ラ 」 と い う 言 葉 に 対 す る 反 骨 精 神 か ら 生 ま れ た

造 語 で す 。

夏 目 漱 石 や 永 井 荷 風 も 小 説 の 中 で 「 蜜 殻 」「 蛮 カ ラ 」

な ど と 漢 字 ま じ り で 表 現 し 、「 ハ イ カ ラ 」 と 相 対 す

る 意 味 で 使 い ま し た 。

素 朴 、 剛 健 、 無 骨 、 勇 猛 な ど 、 力 強 い イ メ ー ジを 持

つ こ の 「 バ ン カ ラ 」 と い う 言 葉 が 、「 反 骨 の 政 治 家 」

と 呼 ば れ た 世 耕 弘 一 が 創 設 し た 、 近 畿 大 学 の イ メ ー

ジ と し て 結 び つ け ら れ た の も 理 解 で き ま す 。

世耕弘一さんは、衆議院議員世耕弘成さんの祖父。

「ハイカラ」に対する言葉で「バンカラ」が生まれたのですね。

さらにweblio辞書より引用します。

  

典型的な様式としては弊衣破帽(へいいはぼう)がある。これは、着

古し擦り切れた学生服(=弊衣)・マント・学帽(=破帽)・高下駄、

腰に提げた手拭い、長髪(=散切り頭に対するアンチテーゼ)などを

特徴とするスタイルで、第一高等学校を中心とした旧制高等学校の生

徒が流行の発端である。粗末な衣装によって「表面の姿形に惑わされ

ず真理を追究」という姿勢を表現したものとされている。また、ハイ

カラのアンチテーゼとしてのバンカラは武士道にも通じ、「単に外見

の容姿のみに留まらず、同時に内面の精神的なものも含めた行動様式

全般」とも理解されていた。故に、粗末な身なりと裏腹に、本人達は

非常に物静かな学究の徒だった。つまり学究活動に全力を注ぐため外

見に無頓着な体裁と、それを正当化するための動機が複合した文化で

あると言え、単に粗末粗野なだけの恰好、粗暴な様子をバンカラと呼

ぶわけではなく、この点では外見が類似していたかつてのヤンキーな

どの不良少年とは異なる。この姿勢は旧制中学校にも広まり、戦後に

高校へ移行した後にも伝統としている学校もある。

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※写真は「Wikipedia」より

「拓殖大学のバンカラ学生(1949年)」

  

  

なるほどです。しかし、この「バンカラ」の意味で、

ラーメン屋は営業しているとは思いません。

「ばんから」の「から」は「辛い」が連想されます。

ラーメン屋なので、何か味に関係ある意味ではと

予想しました。

真偽はどうか?

調べました。  

   

  

なんと「ハイカラ」を意識した、

元の意味に由来していました。

株式会社 花研HP

この会社が「ばんから」を営んでいるところです。

一部引用します。

  

「ラーメンで世の中を元気にする」をコンセプトに掲げ、1997年に

創業。

シグネチャーブランドである「東京豚骨拉麺ばんから」の“ばんから

(蛮カラ)”とは”ハイカラ”と反対の意味を指しており、お客様に一本

気で筋の通った味を食して頂きたい、その様な想いからこの名前を

付け、ラーメンという職人事業に胸を張って取り組んでいます。  

そうか「バンカラ」を意識した「ばんから」だったのかあ。

私の予想は外れました。

    

食後に、富士宮ルートの入り口を目指し、無事に到着。

駐車場にテントを張って寝ました。

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Nさんのシルエットが写っています。  

もう少し接近して写真撮影。

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翌朝は早いので、すぐに寝ました。

確か午後10時過ぎ。

翌朝は4時起床、4時半出発予定。