« 20250412天子ヶ岳・長者ヶ岳登山② キクザキイチゲ/スプリング・エフェメラル | メイン | 20250412天子ヶ岳・長者ヶ岳登山④ 山での花見/クロモジ »

2025年4月13日 (日)

20250412天子ヶ岳・長者ヶ岳登山③ 登山前にお花見/富士宮市興徳寺/狩宿の下馬桜

     

今日は令和7年4月13日。

  

前記事の続きです。

昨日の登山のことを記事にしています。

   

登山の前に、花見をしました。

いつも計画を立ててくれているKさんが調べてくれた花見です。

2ケ所行きました。

1ケ所目は、静岡県富士宮市の興徳寺。

ここの枝垂れ桜が有名なのだそうです。

そこで撮った写真。

Img_0697

Img_0699

Img_0698

部分をアップします。

Img_0698_2

これが枝垂れ桜かなと思いました。

4月12日。すでに遅かったようです。

でも朝の新鮮な富士山を見ることができました。  

  

富士宮市観光ガイド「興徳寺」

ここには次のような記述がありました。

  

鎌倉時代の1289年に、塚本源吾が馬見塚の霧ヶ峰に寺を建立して

寄進。それを受け日興が「蓮華山光徳寺」として開いたのがその始ま

り。

慶長年間に、現在地へ移転。1654年に現在の墓地あたりに本堂を

建立するも、江戸末期の1859年3月に災害により消失。さらに翌

年5月には、山崩れにより庫裏(くり)も全壊し、同年復興を願い「

興徳寺」へと改称する。

その後1879年に、近くに建つ三澤寺より1654年建立の「七面

堂」を購入して本堂を再建。以後、増改築を経て現在に至る。

    

「興徳寺」の名称にはそんな歴史があるのですね。

興徳寺がたいへんだったのは、上記の説明にある江戸時代だけでなく、

2004年〜2005年に不幸の連鎖があったと「富士宮市観光ガイ

ド」には書いてありました。何があったのだろう?

これはネットで調べた限りでは、不明でした。

  

いつか桜が盛んな時に来たいですね。

そして2004年〜2005年の不幸の連鎖を知りたいです。

  

  

もう1ケ所は、同じく富士宮市の狩宿(かりやど)の下馬(げば)桜。

こちらはどうにか間に合った。

Img_0700

Img_0701

源頼朝由来のサクラ。

日本最古の山桜。

昔はもっと巨大だったというのは、写真で紹介されていました。

Img_0717_2

Img_0718_2

それでは、昨日の下馬桜の写真です。

Img_0719

Img_0704

Img_0716

角度を変えて、富士山をバックに撮ってみました。

Img_0708

  

下馬桜は「五大桜」の一つでした。

とびきり有名な桜でした。

下調べをしてくれたKさんに感謝です。

Img_0720

Img_0721

五大桜のうち、根尾谷淡墨桜は行っているな。

夏休みだったから、桜の花は見ていませんね。

ここでも道草 本巣市で塩焼きを食べ、淡墨桜を見る(2019年7月27日投稿)

  

下馬桜があるのは、井出家という名主さんのお宅。

源頼朝は、巻狩りに来た時に、この井出家で宿泊されたと言われています。

Img_0702

「井出家高麗門及び長屋」の説明が書いてある立札。

その建物も撮影しました。

Img_0706

Img_0710

Img_0712

Img_0714

Img_0715

Img_0713

ヰセキ(イセキ)初の耕運機。

ヰセキのHPを見ると、いつできたかわかります。

昭和14年(1939年)のようです。

「ロータリ式1号R型」という機種でした。

90年前に作られた、これがその実物です。

  


  



  

  



  

コメント

コメントを投稿