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2024年3月

2024年3月20日 (水)

本「高熱隧道」③ 志合谷宿舎泡雪崩事故

   

今日は令和6年3月20日。

  

今朝早く、愛知県東三河地方に暴風警報が出ました。

外を見たら、無風。

でも昨日の天気予報でも、

今日はすごい風が吹くと言っていました。

まさかの暴風警報ですが、気をつけたいですね。

今日は自宅の庭にレンガを並べて花壇を作ったり、

防草シートを敷く予定でしたが、明日に延期。

明日は木曜日なので、私は休みです。

  

昨日は脱線してしまいましたが、

「高熱隧道」(吉村昭著/新潮文庫)を読んで、

印象に残った文章を引用していきます。

  

技師と人夫。そこには、監督する者と従属する者という関係以外に、

根本的に異なった世界に住む者の違和感がひそんでいる。それは、一

言にしていえば、技師は生命の危険にさらされることは少いが、人夫

は、より多く傷つき死ぬということである。と言うより、人夫たちに

は、死が前提となっているとさえ言ってよい。或る工事がはじまる時、

その予算案の中の雑費という項目には弔慰金に該当するものが必ず組

みこまれている。死はあらかじめ予定されている事柄であり、しかも、

それはより多く人夫の死に対して支払われる含みをもっているのであ

る。

(97p)

  

死者が出ることが前提になっているのが怖い。

この黒三ダムでも、その後の黒四ダムでも、

たくさんの犠牲者が出ました。

黒三ダムの場合、多くの朝鮮人が命を落としています。

  

  

藤平は、焦躁感にかられながら事務所にこもって、深夜まで本店に送

るその年一年間の工事報告書の作成を急いでいた。その末尾にしるさ

れた人命の損失は、顚落(てんらく)事故、火薬事故、熱湯噴出事故、

落石事故等合計三十一名で、二年四カ月前の着工以来の死者は、総計

八十五名に達していた。

(118p)

  

この時点で、85名なのです。この後、黒三ダムの関係者は、

未曾有の事故に襲われるので、この数ではすみませんでした。

その事故については、上の記述の後、118p最後から4行目から

書かれています。

  

正月休みも間近に迫った十二月二十七日の深夜、佐川組第ニ校区志合

谷(しあいだに)で大事故が発生した。

(118p)

  

「見て下さい、ないんです」

藤平たちは、伊与田の指さす方向に眼を向けた。

「なにがないんだ」

根津が、反射的に叫んだ。

「宿舎です。 宿舎がないんです」

伊与田の声は、甲高くふるえていた。

短い叫びが、根津たちの口から一斉にもれた。

藤平は、ハンマーで背中をどやしつけられたような激しい衝撃を感じ

ながら眼をこらした。志合谷宿舎は、坑口の近くに高々とそびえ立っ

ていたはずだ。荒々しいコンクリートの肌をむき出しにして、いかつ

い姿で立っていたのだ。が、雪のちらつく夜空の淡い明るみをすかし

て見上げても、鉄筋五階建ての角ばった建物の影は見えず、遠く切り

立った渓谷の岩壁の輪郭が黒々と迫っているだけであった。

根津も口がきけないのか、眼を大きくみひらいて藤平の顔を見つめて

いる。

信じがたいことが起ったのだ。 宿舎が消えたというのは、いったい

どういうことなのか。藤平は、自分の体がはげしくふるえ出してい

るのを意識していた。

(121p)

  

雪崩が、頑丈な宿舎の3・4階を、600m吹き飛ばした事故でした。

  

この事故については、動画でも勉強ができます。


YouTube: 宿舎が空中を600m飛行し大岩壁に激突!雪崩の1000倍ヤバイ『泡雪崩』を知っていますか?1938年 黒部志合谷の宿舎を襲った泡雪崩について徹底解説!【ゆっくり解説】

飛ばされた宿舎は、75mの尾根を飛び越えて、

大岩壁に激突。その途中に、瓦礫などが落ちていなかったので、

宿舎は、形を保ったまま飛んでいったと考えられています。

上の映像の写真です。

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奥鐘山は「おくがねやま」と読むようです。

  

「どうでした、警察では」

藤平は、根津の青ざめた顔を不安そうに見つめた。

「芳しくない空気だ。工事中止だと息まいていやがる。犠牲者があま

り多く出るので、強硬なんだ。中央の本省でどう言おうと、絶対に工

事は中止させると言っていたよ」

根津がうつろな表情で言った。

藤平は、根津の眼に光るものを見た。たしかに警察側の判断は当然す

ぎるほど当然だろう。今度の事故で行方不明になった者はおそらく一

人の例外もなく絶望的だろうし、その数を加えると工事着手以来佐川

組関係だけでも人夫・ボッカの死者は百七十名に達している。宇奈月

の町の者が口にしているように、黒部渓谷は、まだ人間の知識や能力

ではおよびもつかない為体(えたい)の知れぬ強大な力をもつ大自然

なのだろうか。強引に工事をすすめてきてはみたが、人間の生命は、

その力の前にあっけなく次々とすりつぶされてゆく。

しかし根津にしてみれば、自然に屈することは堪えがたい屈辱にちが

いない。作業員の死が山積しても、かれは、その死骸を踏んまえて隧

道を貫通させるために全力を傾ける人間なのだ。

(136〜137p)


  

泡雪崩という暴風のような雪崩による事故。

警察は当然、工事を中止させようとします。

でも、工事は継続されました。その理由は、上の動画にあります。

良かったら見てください。
  

  

2024年3月19日 (火)

群馬の森 朝鮮人慰霊碑撤去について

   

今日は令和6年3月19日。

  

前記事の続き。

  

ダイナマイトについて調べていて、

群馬の森が、日本のダイナマイトの歴史にとって

大事な場所だとわかりました。

その群馬の森が、最近のニュースで話題になっていました。

群馬の森に、2004年に建てられた朝鮮人追悼碑撤去のニュースです。

戦時下に、日本人の若者が戦地に送られ、

労働力不足を補うために、朝鮮人を日本に連れてきて働かせました。

過酷な労働で、命を落とす人もたくさんいたそうです。

群馬県も例外ではなく、たくさんの朝鮮人が犠牲になりました。

その記憶を残そうと、群馬の森に追悼碑が建てられました。

  

産経新聞 <主張>朝鮮人追悼碑 政治利用で撤去は当然だ

撤去は当然だという産経新聞の記事を引用します。

  

一方、同会(追悼碑を守る会の前身)が当初作成した碑文原案には

「強制連行」の用語が使われ、日本批判が目立つような内容だった。

そこで県が修正を求め、「政治的行事を行わない」ことを条件に設

置を許可した経緯がある。

この設置条件は県立公園の中立性を保つため、極めて重い約束事で

あった。

  

そんな条件での追悼碑建立でしたが、その条件が破られたと書いています。

  

ところが16~24年の追悼式で政府批判が繰り返されていたこと

が確認され、県は(平成)26年、10年ごとに行われる設置許可

の更新を認めなかった。

同会は県の措置を違法として提訴し、1審前橋地裁は同会の主張を

認めたが、2審東京高裁は「追悼式で『強制連行』という文言を含

む政治的発言があり、碑は中立的な性格を失った」として同会の請

求を棄却した。令和4年の最高裁でも同会の上告が棄却され、県勝

訴の判決が確定している。

  

この言い分をどう思いますか。

場所は公共性の高い公園だったのがネックかと思います。

しかし、県知事は、設置場所の移動を提案したとも聞きました。

その提案は受け入れられませんでした。

県知事には、歴史を変えようという考えはなかったのだと思います。

   

ここで気になるのは、この追悼碑を撤去するように動いていた

市民団体があるということです。

その人たちの考え方は問題があります。

日本人は、朝鮮人を強制連行していないんだ、

日本は朝鮮人には悪いことをしていない、

どちらかというと朝鮮のインフラ整備のために、

日本のお金を使って実行したんだという主張です。

あったことは認め、反省し、追悼し、

でもこれからは、新しい歴史を作っていこうという考え方ではなく、

そんな黒い歴史はなかったんだという考え方です。

自虐史観のように、過去の歴史を

ずっと引きずるのは良くないことです。

日本が朝鮮でやった良かったこと、悪かったことを確認し、

それを歴史に残すべきだと思うのです。

   

前記事で紹介した動画を再び掲載します。


YouTube: 「群馬の森」朝鮮人追悼碑が撤去に 「記憶 反省 友好」の思いはどこへ【報道特集】

この中で、山本一太知事は、次のように言っています。

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知事の考え方は、あくまでも条件違反だからであって、

朝鮮人追悼の気持ちは否定していないのです。

  

この報道特集に対して、5つの偏向があると

さささのささやんは言っています。


YouTube: 【報道特集 偏向5回】TBSに中立性は無いようだ【匿名TV記者 炎上】マスコミと呼ぶ人はまともじゃない


この動画の前半です。

最初に見た時には、なるほどと賛成しましたが、

あらためて「報道特集」を見て、

撤去を求める人たちの市民団体(番組では右翼団体と表現)の人たちの

いでたち、そして発せられる言葉は、異様でした。

繰り返しますが、私はこの人たちを問題にしたい。

    

この動画が、私には比較的納得します。


YouTube: 「『群馬の森 朝鮮人追悼碑』撤去について」【古谷経衡】2024年2月5日(月)大竹まこと 古谷経衡 阿佐ヶ谷姉妹 砂山圭大郎【大竹紳士交遊録】【大竹まことゴールデンラジオ】


古谷経衡さんの意見です。

撤去を求める市民団体は、強制連行はなかった、

過酷な労働はなく、賃金も支払っていた、

日本は悪くないという、歴史を改竄する人たちであり、

その圧力に、群馬県が忖度したのではないかという説です。

  

自虐史観はGHQが仕掛けたことという説が

最近の私の頭に入ってくるようになりました。

でも自虐史観をひっくり返して、

日本人は悪いことはなかったんだというのは

行き過ぎではないでしょうか。

過去は過去。

世代も変わったので、過去のことは学んでおいて、

未来の時と場合に活かせばいいのです。

慰安婦像が象徴する、日本はひどい国であり、

朝鮮人にずっと負い目を感じるように仕向けるものは、

もういい加減、撤去でいいと思います。







  

  

本「高熱隧道」② ダイナマイトは水の存在は支障にならない

   

今日は令和6年3月19日。

  

ずっとやっていなかったことをやります。

ここでも道草 本「高熱隧道」① 犠牲者が出た日電歩道(2024年2月11日投稿)

「高熱隧道」(吉村昭著/新潮文庫)を読んで、

印象に残った文章を引用していく続きです。

今から頑張ります。

    

それにくらべると、ダイナマイトは、水中爆発なども可能なように水の

存在も全く支障とはならない。ただ導火線が濡れると点火しないのが難

点ではあるが、これも鬢(びん)つけ油をぬることで解決されている結

局、発破火薬も、従来通りダイナマイトを使う以外には考えられないこ

とが確認された。

(81〜82p)

  

隧道は高熱であるため、ダイナマイトの自然発火による

爆発が恐れられました。

高熱であるために、人夫の体に、川の水をポンプアップして

浴びせ続ける作戦をしました。

当然、ダイナマイトは濡れるのですが、

ダイナマイトは水の存在が支障にならないんですね。

ダイナマイトの原料は、ニトログリセリン。

わずかな衝撃でも爆発するニトログリセリンを、

ダイナマイトにしたのはノーベルでしたよね。

  

Wikipedia ダイナマイト

ここで少し調べました。

明治になって、日本にはダイナマイトを作る技術がなく、

貴重な外貨を使って、外国から購入して、

琵琶湖疏水の工事などに使ったそうです。

琵琶湖疏水はたくさん調べ、現地にも行ったので懐かしい。

日露戦争でも、輸入したダイナマイトを大量に使いました。

必要に迫られ、日本でもダイナマイトが作られました。

1906年(明治39年)東京砲兵工廠岩鼻火薬製造所でのことでした。

群馬県岩鼻村に製造所はありました。

現在の群馬県高崎市岩鼻町であり、製造所の跡地は「群馬の森」

と呼ばれる県立公園です。

ここに石碑があるそうです。

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上州まったり紀行

  

  

群馬の森といえば、最近騒がれました。

朝鮮人労働者追悼碑の代執行による撤去です。

1月29日に行われました。

話はどんどん脱線していきますが、

2月10日にTBS「報道特集」で、

この撤去について取り扱われました。

YouTubeでその番組を見ることが、今はできます。


YouTube: 「群馬の森」朝鮮人追悼碑が撤去に 「記憶 反省 友好」の思いはどこへ【報道特集】

  

う〜ん、やっぱりこのことは次の記事に書きます。

まだ長くなるので。  

2024年3月18日 (月)

3月18日 勤務校のモモも開花していました

   

今日は令和6年3月18日。

 

前記事の続き。

  

アーモンドの開花に喜び、写真を撮っていましたが、

ふと、隣の隣の隣の木に目が行きました。

そこにはモモがありました。

そこにモモがあることをすっかり忘れていました。

アーモンドに集中していました。

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あれれ、モモも開花していることに気がつきました。

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アーモンドの開花数より、明らかに多かったです。

アーモンドに負けず劣らずのきれいな花でした。

さっそく、タブレットに接眼レンズをつけて、

開花したての花に迫りました。

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モモもいい花です。

 

キアゲハ、アーモンドの花、モモの花。

今日1日で、こんなに見ることができました。

今日は予感通り、いい日になりました。




  

 

3月18日 勤務校のアーモンドが開花

   

今日は令和6年3月18日。

  

今日は朝から越冬蛹から羽化したキアゲハを目撃して、

なかなかいい日になる予感がしました。

それは的中しました。

ずっと観察を続けていた勤務校のアーモンドの花が咲きました。

残念ながら、子どもたちと札をつけた冬芽は

開花まで至っていませんが、

同じ木で、あちこちで開花していました。

特に土曜日(3月16日)の暖かさが良かったのでしょう。

日曜日の催花雨(さいかう)も良かったと思いたいです。

開花したアーモンドの花の写真です。

  

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ちなみに私が札をつけた冬芽の写真。

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この木には、「アーモンド」という名前の札がありません。

昨年はウメだと思って収穫したら、

どうも形が違うようだと思って調べたら、

アーモンドだとわかった経緯があります。

ここでも道草 梅雨の晴れ間/ウメじゃなかった!(2023年6月13日投稿)

失敗からわかったアーモンドの木。

開花を見るところまできました。

こういう勉強が面白い。

  

  

今日はいい日になる予感があったと書きましたが、

アーモンドの開花を見たことも嬉しいことでしたが、

さらにプラスがありました。

次の記事で書きます。

通算9200本目の投稿/庭で越冬蛹から羽化したキアゲハ目撃

   

今日は令和6年3月18日。

  

今朝、奥さんが「キアゲハがいるよ」と教えてくれました。

縁側から外に出るために置いてあるつっかけの上とのこと。

それはいいと思って、スマホと接眼レンズを持って、

現場に向かいました。

確かにキアゲハです。

新鮮な姿なので、越冬蛹から羽化したばかりなのでしょう。

昨日までの暖かさに誘われての羽化と思われます。

不幸なことに、今日は風もあって寒い。

2月下旬の寒さとのこと。

キアゲハはスリッパの上で、じっと寒さと風に耐えていました。

羽化したばかりなのか、飛び立ちません。

これは撮影のチャンスです。

  

写真を並べます。

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動画にも挑戦してみました。

寒風に耐えるキアゲハになっています。

ハネを開くまで撮影しようと思ったら、

2分30秒くらいかかってしまいました。

風でバランスを失って、ハネを開いた感じです。


YouTube: 令和6年3月18日朝 越冬蛹から羽化したばかりと思われるキアゲハ

  

こうなると、勤務校の廊下で観察している

キアゲハとアオスジアゲハの越冬蛹もそろそろかな。

我が家でキアゲハが羽化したことを教えて、

子どもたちに注目させたいです。

  

   

この投稿が通算9200本目の投稿。

9100本目が1月31日だったので、

1ヶ月半余りでの100本。

いいペースです。

もうじき春休みなので、さらに加速するかな。

書き留めたいことはたくさんあります。

END ALS創設者ヒロさん、お元気でした

   

今日は令和6年3月18日。

  

前記事の続き。

  

ALSという残酷な病気を、

しっかり認識したのは10年前だと思います。

ヒロさんという方を知りました。

ここでも道草 “ヒロ”難病ALSとの闘い1/ALSのグロイとこ(2014年8月9日投稿)

ヒロさんは、本名は藤田正裕さん。

1979年生まれ。

ということは、今年45歳になられるのかな。

2010年11月に難病指定されます。ALSです。

ヒロさんは動きます。

2012年に一般社団法人END ALSを創設します。

その法人のミッションを、END ALS HPから転載します。

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上記のように、法人のミッションは2つ。

①治療法の確立

②患者の生活向上の支援

どちらもとても大切なことだと思います。

ヒロさんは、頑張る人なんだと認識しました。

  

当時、活動に賛同して、

衝動的にEND ALSのTシャツを買いました。黒でした。

だいぶ着たので、ヨレヨレになり、処分してしまいました。

月日が流れたことを感じます。

  

ALSが注目されたのは、2014年夏に始まった

アイスバケツチャレンジ。

バケツに入った冷たい水を頭から被り、

ALSへの募金を行う活動。

私がALS、ヒロさんを知った直後にこの活動があり、

ヒロさんも、水を被っている映像を見ました。

ALSという病気があることを、多くの人たちが知った

活動だったと思います。

  

その後、ヒロさんが、モデルになって、

絵を描く企画などをテレビで見ましたが、

最近は、ヒロさんのお顔を見ていませんでした。

  

今回の安楽死のニュースで、ALS患者が出てきたことで、

最新のヒロさん情報を得たいなと思いました。

 

昨年のヒロさんを、ここで見ることができました。

ALTERNA ALS発症から13年、「1日も早い治療法確立を」

昨年の6月の記事です。

ヒロさん、お元気でした。

何よりです。

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ALS患者をモデルにして、絵を描くことで、

残酷なALSを知らしめるものだったのですね。

  

最後に、この動画。

END ASLチャンネルの動画です。

ALSの基本がわかります。


YouTube: ALSってなに?【ALS YouTuber ヒロ】

TBS報道特集「安楽死」/安楽死に反対するALS男性患者

   

今日は令和6年3月18日。

  

前記事の続き。

16日放映のTBS「報道特集」で、安楽死のことが扱われました。

ALSを発症してしまった女性が、医師に安楽死を依頼。

医師は薬物によってその命を奪いました。

先日、京都地裁で医師に対して、懲役18年の判決が出ました。

日本では安楽死は認められていません。

  

前記事では、スイスで安楽死した日本人女性のことを書きました。

昨晩書いたその記事に、今朝、加筆しました。

女性が安楽死について語っていることを書き加えました。

安楽死の日本での合法化を望み、自ら安楽死した人の考えとして、

書き残しておきたいと思ったからです。

  

安楽死の合法化に反対する側として、

発言をしているのは、ALS患者の岡部宏生さん。66歳。

18年前にALSを発症。

岡部さんの意見は、私には刺さりました。

前記事と同じくYahoo!ニュースから引用します。

  

18年前の48歳の時にALSを発症した岡部さん。将来を悲観し、何度

も自殺することを考えたという。

岡部宏生さん(66)

「ここのベランダから飛び降りようと具体的に実行しようとしたので

すが、柵を乗り越えられるほどの筋力が残っていなかった」

病気の進行とともに、自力での呼吸ができなくなるALS患者。

このため、人工呼吸器をつけて生きるか、つけずに死を迎えるかの選

択を迫られるが、7割の患者が呼吸器をつけずに亡くなるという。

当初、岡部さんも呼吸器をつけずに死ぬことを考えていた。 だが、

「障害に縁がない人にも生きることについて考える機会を提供したい」

との思いから生きる道を選び、障害者の現状を訴えてきた。

日本で安楽死が認められることに危機感を抱いている。  

岡部宏生さん(66)

「私も4割の時間は、死にたいと思うくらい辛いです。そんな時に『死

なせてあげよう』と言われたら、間違いなく『なら死なせて』と言って

しまうでしょう」

「安楽死が本当に必要な人以外に、どんどん広がってしまうことが恐ろ

しいです。だから安楽死に強く反対です」

介助士による24時間体制での介護が必要な岡部さん。介護していた妻が

うつ病になった時には、自身を責めることもあったという。

岡部宏生さん(66)

「こんなに介護が大変ならば、自分の家族の介護負担をなくすために安

楽死しよう、という人が必ず出てくると思います」

  

「死なせてあげようか」との誘いになってしまうのが安楽死。

納得するところです。

そしてもう一点。

周りに迷惑をかけるから、負担をかけるから、

死んだ方がいいと考えてしまう人が出てくるのは必至です。

これはおかしい。

これは社会が助ける仕組みを作らなくてはならないと思います。

私も、父親の介護はとても大変でした。

しかし、施設で面倒を見てくれたことで、

負担はなくなりました。

福祉が充実すれば、周りに負担をかけるから死を選ぶ人は

減ると思います。いや0にだってできると思います。

こういうことに政治はお金を使うべきだと思うのです。

  

岡部さんは「日本一外出するALS患者」と呼ばれている。

悩む他の患者たちの元をたずね、月の半分以上は外出している。

その岡部さんから生きる力をもらったのが、同じALSを患う佐藤

裕美さんだ。

「安楽死を認めるべきだ」との声が上がる度に、脅威をおぼえ、

生きづらさを感じていたという。

佐藤裕美さん

「安楽に死ねる制度があるのに、あえて使わなかったのだから、

『使わなかったあなたは苦労して生きることを受け入れなさいよ』

と思われてしまいそう」

しかし、岡部さんに「生きているだけで価値がある」と励まされ、

自身も前に出てその活動を手伝うようになった。

  

佐藤さんが心配する安楽死を選ぶべきなんて思う人はいないと

信じたいです。

  

パーキンソン病、ALSも残酷な病気だと思います。

特に、以前勉強したALSは精神的にダメージが大きな病気です。

だんだん体が動かなくなってくるのですが、

脳は正常なのです。

最後は目も開けられなくなり、外部に発信できず、

闇の中に生きることになるALS。

 

ALSについて、もう1本記事を書きます。  

2024年3月17日 (日)

TBS報道特集「安楽死」/スイスで安楽死をした日本人女性

   

今日は令和6年3月17日。

  

昨日のTBS局の番組「報道特集」で、

安楽死が取り上げられました。

安楽死が取り上げられたきっかけは、

ALS患者の女性の依頼を受けて、

医者が薬物を投与して殺害した裁判の判決が出たことです。

医師は、18年の懲役を言い渡されました。

  

番組では、安楽死に賛成で、自ら外国のスイスで安楽死をした

日本人女性のことを紹介していました。

日本では安楽死が認められていないので、

外国での安楽死を望んだのです。

彼女は若い時から海外に出て、

積極的な活動をされていたようです。

しかし、50代でパーキンソン病を発症。

婚約をしていたフランス人男性とは婚約破談。

その後、両親を看取り、1人で生きていくのが

難しいということで、安楽死を選択しました。

  

パーキンソン病の苦しみがわかっていないので、

簡単なことは言えませんが、

1人で生きていくのがたいへんなら、

福祉に頼ればいいのにと思ってしまいます。

他の人たちの助けを借りて生きていくべきであり、

まだそのような仕組みができていないなら、

福祉の充実を進めるべきだと思います。

  

ただその女性は安楽死を実行します。

64歳でした。

  

安楽死の直前に、記者が女性に安楽死について聞いています。

Yahoo!ニュース 「安楽死」を考える スイスで最期を迎えた日本人 生きる道を選んだ難病患者【報道特集】

このサイトから引用します。女性の名前は迎田良子さん。

  

迎田良子さん(64)

「安楽死に関して討論してほしいと思う。日本でもいつか、安楽死が

合法化されることを願っています」

パーキンソン病は手足が震え、徐々に体が動かなくなるなどの難病だ。

ただ、それ自体で死に至る病ではない。

迎田良子さん(64)

Q.安楽死が仮に認められていなかったら?

「辛くて身体が痛みが続きますから、だんだん動けなくなってくるの

で、首を吊って死んだかもしれない」

(中略)

迎田良子さん(64)

「不快さ、体の痛みを代わってくれるわけではないので、進行性の難

病なので、私はもう安楽死を選びますね」 

(中略)

迎田良子さん(64)

「私って用意周到なのよ。ああいう家庭に育ったから。人に甘えると

いうのが下手くそなのかもね」

準備が進む中、あらためて安楽死を思いとどまることができないか尋

ねた。

迎田良子さん(64)

Q.今すぐに死が迫っているわけではないですよね。まだまだ生きられ

ると思うんです 「生きられるけど、何が嫌なのかというと、痛みなん

じゃないですか。痛みと不快感」

  

迎田さんの生い立ちは、両親と兄の4人家族。

両親は不仲で、母親が自宅に連れ込んだ交際相手に、暴力を振るわれ

るなどしたため、迎田さんは小学生の頃から、早く家を出て自立する

ことを夢見ていたそうです。

そして希望通りに、海外に出て活躍しました。

親に頼ることができなかったのは、甘える体験不足かもしれませんね。

福祉の力を借りて、生き延びる手を選べない理由かもしれません。

  

迎田良子さん(64)

Q.難病を抱えた人は福祉も少ないから「自分は本当は生きたいけど、

安楽死した方がいいのかな」と思ってしまう人が出ると思うがどうで

すか?

「難病だから誰でも(安楽死をして)いいというものではないですよ

ね。病気になったから嫌だ、安楽死だというのではない」

「基本は生きることですから。でもそれがやむを得ないときに安楽死

があるってことだから。そこのジャッジをね、しっかりしないと」

  

迎田さんは、難病の痛みを安楽死の理由にしていましたが、

じゃあ、他の人も安楽死の道を選ぶべきとは言っていません。

安楽死はどのような時に許されるのか。

迎田さんも明確な答えを持っているわけではなさそうです。

そうでしょうね。

安楽死について考える時に、迎田さんの発言は大事と思い、

ここに記録しておきました。

  

  

安楽死に反対する側として、ALS患者が声をあげていました。

次の記事で。

  

  

昨日の「報道特集」ですが、

安楽死に関する部分はYouTubeで早くも見ることができました。

関心のある方は、見てみてください。


YouTube: 「安楽死」を考える スイスで最期を迎えた日本人 生きる道を選んだ難病患者【報道特集】

サクラの冬芽がほころび始めました/催花雨

   

今日は令和6年3月17日。

  

金土日(15〜17日)の3日間は暖かかったです。

町内会のお花見が行われる予定の会場のサクラの冬芽。

3月3日から定点観察して、写真を撮影してきました。

なかなか変化が見られませんでしたが、

この3日間は変化が見られました。

  

15日(金)

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16日(土)

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そして今日、17日(日)

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今日は午後から雨が降ってきました。

柔らかい雨でした。

「催花雨(さいかう)」という言葉を知りました。

意味は「桜をはじめいろいろな花の開花を催(もよお)す雨」です。

催すというと、人を集めて行事を行うような意味しか浮かびませんが、

「催促」で使われているように、

「せき立てる」意味もありました。

今日の雨は催花雨でしたね。

  

定点観察している冬芽ですが、

3つの冬芽があります。

真ん中だけ形がとがっています。

両側は丸っぽい形です。

どう違うのか。

これは体験があります。

  

2008年4月に入ってからの、

当時の勤務校の校庭で撮ったサクラの写真です。

16年前です。

今年と同じようなことをやっています。

写真を並べます。

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両側の花の真ん中に、とがった冬芽があるでしょ。

それが変化してきますよ。

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16年前の体験が教えてくれます。

中央のとがった冬芽は葉っぱが仕込まれています。

両側の丸っこい冬芽には花が仕込まれているのです。



16年前と同じように、花が可憐に咲いて、

その後に中央から新緑の葉っぱが出てくるのが、

今回も見られますように。

  

サクラの冬芽の写真は、

町内会の電子掲示板で毎日公開しています。

どれくらいの方が見ていてくれているのでしょう。

どれくらいの方が関心を持ってくれているのでしょう。

  

  

動画でも、花になる冬芽、葉っぱになる冬芽の

解説をしてくれている動画があります。

参考までに見てみてください。


YouTube: 小学4年 理科 さくらの冬芽が開く様子 Flowering of winter buds of cherry blossoms







  

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