群馬の森 朝鮮人慰霊碑撤去について
今日は令和6年3月19日。
前記事の続き。
ダイナマイトについて調べていて、
群馬の森が、日本のダイナマイトの歴史にとって
大事な場所だとわかりました。
その群馬の森が、最近のニュースで話題になっていました。
群馬の森に、2004年に建てられた朝鮮人追悼碑撤去のニュースです。
戦時下に、日本人の若者が戦地に送られ、
労働力不足を補うために、朝鮮人を日本に連れてきて働かせました。
過酷な労働で、命を落とす人もたくさんいたそうです。
群馬県も例外ではなく、たくさんの朝鮮人が犠牲になりました。
その記憶を残そうと、群馬の森に追悼碑が建てられました。
撤去は当然だという産経新聞の記事を引用します。
一方、同会(追悼碑を守る会の前身)が当初作成した碑文原案には
「強制連行」の用語が使われ、日本批判が目立つような内容だった。
そこで県が修正を求め、「政治的行事を行わない」ことを条件に設
置を許可した経緯がある。
この設置条件は県立公園の中立性を保つため、極めて重い約束事で
あった。
そんな条件での追悼碑建立でしたが、その条件が破られたと書いています。
ところが16~24年の追悼式で政府批判が繰り返されていたこと
が確認され、県は(平成)26年、10年ごとに行われる設置許可
の更新を認めなかった。
同会は県の措置を違法として提訴し、1審前橋地裁は同会の主張を
認めたが、2審東京高裁は「追悼式で『強制連行』という文言を含
む政治的発言があり、碑は中立的な性格を失った」として同会の請
求を棄却した。令和4年の最高裁でも同会の上告が棄却され、県勝
訴の判決が確定している。
この言い分をどう思いますか。
場所は公共性の高い公園だったのがネックかと思います。
しかし、県知事は、設置場所の移動を提案したとも聞きました。
その提案は受け入れられませんでした。
県知事には、歴史を変えようという考えはなかったのだと思います。
ここで気になるのは、この追悼碑を撤去するように動いていた
市民団体があるということです。
その人たちの考え方は問題があります。
日本人は、朝鮮人を強制連行していないんだ、
日本は朝鮮人には悪いことをしていない、
どちらかというと朝鮮のインフラ整備のために、
日本のお金を使って実行したんだという主張です。
あったことは認め、反省し、追悼し、
でもこれからは、新しい歴史を作っていこうという考え方ではなく、
そんな黒い歴史はなかったんだという考え方です。
自虐史観のように、過去の歴史を
ずっと引きずるのは良くないことです。
日本が朝鮮でやった良かったこと、悪かったことを確認し、
それを歴史に残すべきだと思うのです。
前記事で紹介した動画を再び掲載します。
YouTube: 「群馬の森」朝鮮人追悼碑が撤去に 「記憶 反省 友好」の思いはどこへ【報道特集】
この中で、山本一太知事は、次のように言っています。
知事の考え方は、あくまでも条件違反だからであって、
朝鮮人追悼の気持ちは否定していないのです。
この報道特集に対して、5つの偏向があると
さささのささやんは言っています。
YouTube: 【報道特集 偏向5回】TBSに中立性は無いようだ【匿名TV記者 炎上】マスコミと呼ぶ人はまともじゃない
この動画の前半です。
最初に見た時には、なるほどと賛成しましたが、
あらためて「報道特集」を見て、
撤去を求める人たちの市民団体(番組では右翼団体と表現)の人たちの
いでたち、そして発せられる言葉は、異様でした。
繰り返しますが、私はこの人たちを問題にしたい。
この動画が、私には比較的納得します。
YouTube: 「『群馬の森 朝鮮人追悼碑』撤去について」【古谷経衡】2024年2月5日(月)大竹まこと 古谷経衡 阿佐ヶ谷姉妹 砂山圭大郎【大竹紳士交遊録】【大竹まことゴールデンラジオ】
古谷経衡さんの意見です。
撤去を求める市民団体は、強制連行はなかった、
過酷な労働はなく、賃金も支払っていた、
日本は悪くないという、歴史を改竄する人たちであり、
その圧力に、群馬県が忖度したのではないかという説です。
自虐史観はGHQが仕掛けたことという説が
最近の私の頭に入ってくるようになりました。
でも自虐史観をひっくり返して、
日本人は悪いことはなかったんだというのは
行き過ぎではないでしょうか。
過去は過去。
世代も変わったので、過去のことは学んでおいて、
未来の時と場合に活かせばいいのです。
慰安婦像が象徴する、日本はひどい国であり、
朝鮮人にずっと負い目を感じるように仕向けるものは、
もういい加減、撤去でいいと思います。
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