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2020年8月

2020年8月12日 (水)

生活のBGM/6月25日~現在

  

今日は令和2年8月12日。

  

生活のBGMの話。

  

6月25日~7月31日の生活のBGMはこのアルバム。

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存在理由~Raison d'être~」(ださまさし)

  

このジャケットは「存在理由」の漢字4字を

デザイン化したものなんですね。

   

「奇跡の人」の歌詞の一部

 

♪ じいちゃんばあちゃんになったら

  介護し合おうな

  笑いの絶えない暮らしが  

  出来たらいいな  ♪

 

奥さんが「笑いが絶えないなんて、できる?」

と言ってきました。

「お互いにそれなりにボケてしまって、ほらそこに置いてあるよ、

 何わけのわからないことやっているの?

 相変わらずそんなことしてるの?といった具合に

 ”苦”笑いの絶えない生活なら可能かもよ」

と言いました。

   

「残したい花について」の歌詞の一部。

  

♪ 何を残そうかな 今日を生きた記念に

  下手だけど精一杯 頑張ったんだから

  悔しかったらことや 傷ついたことや

    そんなものは残さない 忘れることにしよう

  明日は明日の 私が生まれ

  今日とは違う 私を生きる

  良いことだけ残そう 嫌なことは置いていこう

  下手だけど精一杯 生きているんだから ♪

 

これは1番です。

1日を大切に、前向きに生きようというシンプルさがいいです。

岩崎宏美が歌う動画を見ることができます。

IBF182 残したい花について② 岩崎宏美 (2018)

  

  

このアルバムに入っていなかったけど、気になる新曲。


YouTube: さだまさし「緊急事態宣言」

4月27日にアップされていました。

これも今を表現する曲ですね。

  

     

8月1日~ の生活のBGMはこのアルバム。

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「盗作」(ヨルシカ)

  

ヨルシカはすっかりはまっていますね。

この新しいアルバムを聴き始めた時は、

胸の辺りが尋常ではありませんでした。

曲調がやっぱりヨルシカなんですね。

「これ、これ、これ」

期待通りの曲たちでした。

とっても曲の構成が上手です。

  

「夜行」は、最初は小さい声で歌い出し、

途中から突然ボリュームを上げて歌います。

ビックリさせられましたが、好きな曲になりました。

試しに聴いてみてください。


YouTube: ヨルシカ - 夜行 (OFFICIAL VIDEO)

  

  

今月いっぱいはこのアルバムかな。

  

  

  

2020年8月11日 (火)

「五重塔」③/パッションは若者も年輩者も必要

  

今日は令和2年8月11日。

  

 「齋藤孝の音読破4 五重塔 幸田露伴・作」

(小学館)からもう少し引用します。

  

「解説」で齋藤孝さんが次のように書いていました。

  

 今の若者は、働く気持ちに火がつかない人が多いようですが、働

く意欲を呼び起こす鍵は「ミッション・パッション・ハイテンショ

ン」の三つだと私は思います。

(261p)

  

十兵衛は、この3つがあったというわけです。

五重塔を立てるという使命(ミッション)をいただきました。

使命を与えられた十兵衛は情熱(パッション)を燃やします。

そして大変な傷を負っても、

仕事に向かうのはまさにハイテンションです。

  

映画「谷中暮色」のシーンの中で、かおりが加藤勝ひろさんに

どうやったら、五重塔の炎上の映像が手に入るのか

聞く場面がありました。

加藤さんは、かおりさんに「熱意を見せなさい」と言っていました。

その時の、英語の字幕に目がいきました。

Rimg2274

Show me your passion.

 

「パッション」でした!

  

ここでもパッションにお目にかかりました。

  

齋藤孝さんも、加藤勝ひろさんも、

若者にパッションを求めるところで共通しました。 

それは若者だけではないと思います。

退職が迫ってくると、

あんまり情熱・熱意(パッション)を示すと、

浮いちゃうかなと思う気配も感じますが、

まあ構わずやっていこう。

映画「谷中暮色」を見ました

   

今日は令和2年8月11日。

   

映画「谷中暮色(やなかぼしょく)」(2009年)

を見る機会を得ました。

Epson401 ☝ パンフレットの表紙の写真です。

  

天王寺の五重塔のことを知ったのは、

2018年12月でした。

ここでも道草 昭和32年7月 東京都天王寺五重塔炎上(2018年12月15日投稿)

昭和32年7月に五重塔が炎上する写真は、

強く印象に残りました。

そして炎上している五重塔を8mm撮影した映像が発見され、

それを取り入れた映画「谷中暮色」のことを知りました。

ここでも道草 「警官の血」より/刑事柴田三郎 「谷中暮色」が見たい(2018年12月30日投稿)

  

映画の中で、五重塔は炎上していました。

実際に撮られた映像と、

現在の谷中で炎上するCG映像が交錯しました。

これが見たかったと思いながら見ました。

写真であれ、映像であれ、五重塔が炎上するシーンは、

心を揺さぶられるものでした。

何か創作したいと思うものだと思います。

実際に小説が書かれ、映画が作られ、

私はささやかにブログに書いています。

  

  

映画で、五重塔再建の動きがあることを知りました。

炎上してから63年。

映画の中にも、五重塔の思い出を語る谷中の人たちが

登場しました。

五重塔がそこにあるのは当たり前の風景になっていたそうです。

そんな人たちが存命なうちに再建されるといいなと思います。

再建されることで、昔が今になる体験ができるからです。

忘れていたものが次々に浮かんで、

長く生きてきたことを感じることができると思います。

  

  

佐々木譲の「警察官の血」を読み、

実際に出かけていって谷中を歩き、

幸田露伴の「五重塔」を読み、

そして映画「谷中暮色」に行きつきました。

 

貴重な体験でした。

これで「再建」なんてことになったら、

自分史上スペシャルな体験になるでしょう。  

どうなるかな?

 

 

「五重塔」② 「莞爾」と書いて「にこり」と読む

  

今日は令和2年8月11日。

  

前記事に引き続き、

「齋藤孝の音読破4 五重塔 幸田露伴・作」

(小学館)のことを書きます。

  

もう2p載せたいところがありました。

Epson400   

右から7行目の最後に注目してください。

「莞爾」と書いて「にこり」と読ませています。

これに驚きました。

  

「莞爾」と見て思い出すのは、「石原莞爾」です。

満州事変の首謀者の1人とされる陸軍軍人です。

そんな勇ましい人の名前「莞爾」の読みが「にこり」!

 

漢字の意味を調べましょう。

 

「莞」=にっこり笑うさま

「爾」=他の語の下について状態を表す

  

なるほど。

「莞爾」は「にっこり笑っている状態」だったのです。

  

生まれた時はやっぱり「莞爾」だったのでしょうね。

歴史で知る「石原莞爾」とのギャップに驚きました。

200pxkanji_ishiwara2 Wikipedia

「五重塔」を音読破/名を残したいと思う十兵衛に共感

  

今日は令和2年8月11日。

  

ほぼ1年前、私は東京にいて、谷中(やなか)にある

天王寺五重塔跡を見に行っています。

ここでも道草 20190809報告2 夜の駐在所・五重塔跡(2019年8月11日投稿)

ここでも道草 20190810報告1 再び天王寺五重塔跡と天王寺駐在所(2019年8月11日投稿)

  

  

そのタイミングを意識して、昨晩から次の本を読みだし、

今日の朝、読破しました。

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「齋藤孝の音読破4 五重塔 幸田露伴・作」

(小学館)

  

今回の読書は趣が違いました。

それは、齋藤孝さんの次の文章に拠ります。

  

 今回の幸田露伴作『五重塔』は、音読破シリーズの中でも会心の

一冊です。

 なぜなら、このような日本語を書ける人は、現代の日本には一人

もいませんし、今後も一切出ないからです。それくらい貴重な日本

語の宝庫なのです。

 ところが、この日本語の宝の山というべき作品を、みんな今まで

意外に素通りしてしまっています。

 近代の日本語というのは、実は幸田露伴を頂点にして出来上がっ

ていると私は思っています。日本語の基本は、「大和言葉(やまと

ことば)」と「漢語(かんご)」の二本柱ですが、幸田露伴はその

両方を重ね合わせて絶妙に駆使しているのです。

 本文を読んでもらえればわかりますが、難しい漢字が左側にあっ

て、右側の読みで大和言葉を表しています。

 たとえば、「悄然」と書いて「しょんぼり」と読んでいます。

「しょんぼり」という言葉は、漢字が先にあって出てきた言葉では

ありません。それに「悄然」という漢字をあてると、「悄然」とい

う漢字の字面(じづら)から来る印象と、「しょんぼり」という感

情の両方が伝わってきます。つまり漢語文化と大和言葉文化の重ね

技の快感を味わうことができるわけです。

 古文ではないのですが、現在の日本語とは違う硬質の日本語。ダ

イヤモンドのような堅さをもち、きらめくような輝きのある日本語

です。

 こういう日本語は黙読で追っているだけでは本当の良さは味わえ

ません。音読しないとだめなのです。声に出して読んでいると、難

しい言葉の意味もどんどん入ってきます。

 そういう意味で、音読破することの価値がもっとも発揮される作

品です。

(4~5p) 

  

このアドバイスに従って、今回は音読をしました。

家族には不思議がられました。

でも読破した時には、達成感がありました。

  

この本は、図書館に返してしまいます。

この本独特の字面を4pだけコピーして

ここに載せておきます。

  

大工の棟梁源太の下で働く大工の十兵衛。

技量はあるけど仕事が丁寧で襲いことから「のっそり」と

馬鹿にされてきた十兵衛が、五重塔の建設を自分がやりたいと、

寺の主である上人様に訴えるシーンです。

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これはという仕事をして、名を残したい。

この気持ちはわかるなあ。

「羨ましい」が何度も出てきますが、

人間味があっていいなと思います。

  

私も教師をやって30年余。

まだまだやりたいことはあるし、

やるからには注目されたいと思います。

  

そして十兵衛がそうだったように、

職人気質(しょくにんかたぎ)を大事にしたいと思います。

名を残したいだけが突っ走ってはダメなのです。

その職業に対して一生懸命であることが本物なのです。

   

   

音読を続けていると、だんだん慣れてきて、

リズムよく読めるようになってきました。

解説で齋藤孝さんは次のように書いています。

  

 幸田露伴の文章は、言葉のリズムがとても良くて、音の響きも洗

練されています。自分でも音読をするので、音として良くないもの

は書かないのです。

 また俳句が好きなので、俳句の「五・七・五」のテンポを非常に

うまく取り込んでいます。

(265p)

  

  

なるほどです。

  

   

1年前のことを思い出しながら読みました。

盆休みの贅沢です。

2020年8月 9日 (日)

「脳と創造性」/創造性は、一部の天才の専売特許ではない

   

今日は令和2年8月9日。

  

この本は難しかったので、途中で放棄しました。

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「脳と創造性 『この私』というクオリアへ」

(茂木健一郎著/PHP)

  

それでも印象に残った言葉を引用します。

 

 創造性は天才の特権ではない

 創造性が大切だということは「お題目」として誰でも認めるだろ

う。その一方で、大抵の人は、創造的であるとは、一握りの天才に

のみ許されることだ、と考えているのではないだろうか?天才とま

でいかなくても、才能に恵まれなければ、創造的であることはでき

ないと思っているのではないか。

(20p)

  

 自分の中には創造の能力と呼べるような代物はない、と思いこん

いる人が多いかもしれない。近代の学校教育は、生きていく上で役

に立つ知恵を身につける場所であると同時に、事実上の社会階層を

形成するプロセスになっていた。勉強は、自らが学ぶ喜びのプロセ

スである以上に、他人と競争し、良い学校に入るという、選抜のプ

ロセスでもあった。その際「公平性」や「考える力」を標榜しはす

るが、その実、独創性とは無縁な、標準化された「テスト」が、選

抜の基準として使われてきた。

 創造性の本質には、他者とのコミュニケーションが深く関わって

いる。コミュニケーションのスキルを磨くことなく、ペーパーテス

トで他人と競争することばかり奨励してきた従来の学校教育が、創

造性を育むという視点から遠いものであったことは当然のことであ

る。「独創性は個人にしか宿らない」と断言したアインシュタイン

においてさえ、妻や友人たちの議論を積み重ねることが、その創造

のプロセスに不可欠だったのだ。(中略)

 他人との絶えざる競争の中、自信を失い、自分には創造性どころ

か、そもそも能力はないのだ、と思いこんでいる人たちも多いので

はないか。そのような思いこみを捨てることからしか、自分の中に

眠る創造性を解放するプロセスは始まらない。後に見るように、生

み出されたものが傑作であろうがなかろうが、天才的であろうがど

うだろうが、そんなことは生きる現場においては二次的な意味しか

持たないのである。人々が、それぞれの生きる現場において、自ら

が置かれた文脈を引き受けて様々な工夫をこらす時、そこで生み出

されたものは必ずや生において切実な意味を持つし、価値を持つ。

それが他人から傑作として評価されるかどうかは、いわば「宝くじ

に当たるかどうか」のような、半ば偶然によって左右されることで

ある。

(22~23p)

  

人間はその気になれば創造的なことができる。

それには他の人とのコミュニケーションが必要。

それぞれの立場で、一生懸命どうにかしようと

考えて行ってきたことは、創造的に価値あること。

  

  

 血気盛んな青年の頃は、お互いの価値観をぶつけて、自分の価値

観を否定されるとムキになって反論したりした。お気に入りの作家

やアーティストが否定されると、自分自身が否定されたように腹が

立った。

「あいつは天才だ」

「天才なものか、単に器用なだけさ」

「何をいう、そんなことを言うお前には、あいつの才能がわからな

いだけだろう」

 そんな青臭い議論をした覚えがある人は多いだろう。人間は、お

互いの小さな差が気になって仕方がない存在なのである。

 しかし、天才も秀才も凡才も、人間を離れて自然全体から見れば、

所詮は「人間」という一つの種の中におけるどんぐりの背比べであ

る。新しいものをつくり出す素晴らしい能力を持った脳という臓器

の「性能のスぺクトル」の中の、ほんの小さな差にすぎない。

(34~35p)

     

この視点はいいなと思います。

人間に生まれただけで、もうすごいことなんだ。

  

 

 創造性は、一部の天才の専売特許ではない。新しいものを生み出

す能力は、私たち一人一人の中にある。

 まずはそのことに気がつくことから、創造性の脱神話化が始まり、

情報技術の発達によりデジタル情報があふれるようになった時代に

ふさわしい人間の潜在能力の発揮のスタイルの模索が始まるのであ

る。

(35~36p)

  

  

人間には創造する能力がある。

気兼ねなく、自信をもって創造しよう。

  

  

このお盆休みに、

生徒たちに「〇〇時代」を視覚的に教えるアイデアを

考えたいと思っています。

「平安時代」はいつ頃で、どんなことがあったか。

「室町時代」はいつ頃で、「江戸時代」はいつ頃で・・・

教室の後ろに年表は掲示してあります。

その年表をどうにかして活かしたい。

2020年8月 8日 (土)

戦争に関連する「声」2つ

   

今日は令和2年8月8日。

  

前記事に引き続き今日の朝日新聞朝刊より。

 

「声」の欄より。

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「入市被爆者」

「入市」を何と読むかネットで調べました。

「にゅうし」でいいようです。

放射線の恐さは、長く続くということだと思います。

戦後45年が過ぎた時の発病。

放射線はそのようなことを起こす可能性があると思います。

生徒には、原爆の恐さは「熱」「爆風」「放射線」と教えました。

その中で、「放射線」は被爆時にはよくても、

時限爆弾のように、間をあけて体を蝕みます。

「放射線」についてはもっと伝えたい。

この番組を見て、特にそう思うようになりました。☟

「アナザーストーリーズ 東海村臨界事故」① 放射線によって染色体が破壊された(2020年5月5日投稿)

     

もう一つ「声」の欄より。

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昭和20年の8月15日未明に空襲を受けた地区は2か所。

この記事にあるように小田原。

そしてもう一つは秋田県の土崎(つちざき)。

それぞれの場所で、多くの人が亡くなっています。

※参考:ここでも道草 昭和20年6月19日~10月15日の出来事(2011年6月25日投稿)

  

こんな「声」もあったと、記録に残したくなりました。

読んだ本が、新聞の書評欄に載っていた!

今日は令和2年8月8日。

  

今日の朝日新聞朝刊の書評より。

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なんと!先日読んだ

「避けられた戦争 1920年代・日本の選択」

(油井大三郎著/ちくま新書)のことが書いてありました。

ここでも道草 「避けられた戦争」① 1918年~1933年の年表(2020年8月2日投稿)

  

圧倒的に読書量が少なかった時期ならば、

新聞の書評欄に載っている本は、

ほぼ全部が読んでいない本でした。

  

それが読んだ本が載っていた!

ちょっとうれしかったです。

この本、お薦めですよ。

  

  

2020年8月 6日 (木)

「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」シリーズを見た

   

今日は令和2年8月6日。

  

9年前の2011年に放映された5番組を見ました。

「NHKスペシャル」のシリーズです。

太平洋戦争開戦から70年の節目に放映されました。

「日本人はなぜ戦争へ向かったのか ① 外交敗戦 孤立への道」

「日本人はなぜ戦争へ向かったのか ② 巨大組織”陸軍”暴走メカニズム」

「日本人はなぜ戦争へ向かったのか ③ ”熱狂”はこうして作られた」

「日本人はなぜ戦争へ向かったのか ④ 開戦・リーダーたちの迷走」

「日本人はなぜ戦争へ向かったのか ⑤ 戦中編 果てしなき戦線拡大の悲劇 」

  

  

この5番組は録画はしてありましたが、

見るからには気合がいるなと思って、つい敬遠していました。

はや9年。

  

今回、「大人のための昭和史」

(半藤一利、出口治明他著/文芸春秋)を

読んだのがきっかけで、関連で、

「避けられた戦争 1920年代・日本の選択」

(油井大三郎著/ちくま新書)を読破。

一時的に知識が蓄えられたのをきっかけにして、

夏休みでいつもより時間があったので、

9年経って、初めて見ました。

  

  

多角的に日本が戦争を始めてしまった流れが、

とてもよくわかりました。

開戦は仕方がなかったとはいえないなと思いました。

避けられた戦争だったと思いました。

この場面でこうすべきだった、

というタイミングはたくさんありました。

 

過去のこの苦い体験を覚えておいて、

同じような状況になった時に、

どの道を選択するのかを誤らないように

しなくてはいけないと思いました。

先の戦争では、このようにして道を誤った。

だから次は誤ってはいけないのです。

  

歴史を勉強する理由が、

とても明確な内容だと思います。

人命に関わることなのですから。

  

  

中学生に教えたい歴史ですが、

どうやって教えたらいいのか。

今までも日中戦争、太平洋戦争を教えてきましたが、

戦争がまねく悲惨さを伝えることが多かったです。

戦争開始までの歴史、戦争が拡大してしまった歴史は、

この番組のような具体的なことを教えたことはありません。

知らなかったからです

知ったからには、教えたい。

お薦めの番組です。

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明日は地元豊川海軍工廠が空襲を受けて75年になる日です。

空襲の生存者らでつくる「八七会」は

慰霊の思いを込めて毎月、豊川稲荷の裏手にある供養塔の

清掃などを担ってきたましたが、

空襲から75年となる8月7日に活動を終えるそうです。

会員が高齢化し継続が困難になったためで、

塔の管理は豊川稲荷が引き継ぐそうです。

 

  

戦争の風化は、確実に進んでいます。

その中で、9年前の放映であっても、

説得力のあったこのシリーズは、

風化を少しでも食い止める映像だと思いました。

2020年8月 5日 (水)

「ボクはやっと認知症のことがわかった」③ 生きていれば「耐える」ことは尽きない

  

今日は令和2年8月5日。

  

前記事に引き続き、

「ボクはやっと認知症のことがわかった」

(長谷川和夫著・猪熊律子著/KADOKAWA)より。

  

  

 ボクがつくった絵本『だいじょうぶだよーーぼくのおばあちゃん

ーー」(ぱーそん書房)は、2018年10月に無事完成し、出版

されました。(中略)

 認知症の人は「怖い人」ではなく、みんなと同じ世界に住んでい

て、一緒に楽しく暮らしていきたいと思っているんだよーー。子供

たちにはそれを心で感じてほしい。子供だけでなく、大人にも読ん

でもらって、認知症に対する理解を広げてもらえたらと願っていま

す。

(156~157p)

  

学校で認知症のことを教える。

以前はそんなことを考えたこともありませんでした。

思えば、教室で父親のことを話したことがあります。

それって、あまり意図はなかったけど、

認知症のことを話していました。

介護保険制度のことを「公民」で教えるのかな。

最近は中3を教えていないので、不明です。

この制度を教えることになったら、

私の今の体験は生きますね。

  

  

 音楽も好きです。大好きなのはベートーヴェンのピアノソナタ

『悲愴』の第二楽章。家内は音大のピアノ科を出ているから、とき

どき弾いてもらいます。美しい曲です。ボクが死んだときは、これ

を弾いてくれと家内に頼んであります。

(180p)

  

私もいい曲を聴いた時には、この曲を自分の葬式に流してほしいと

連想します。

長谷川さんの場合は、よりリアルです。

奥さんのピアノ演奏が流れるのですね。贅沢な演出だと思います。

  

もし私が急に死んだら、どの曲がいいだろう?

ケツメイシの「手紙~あれから」がいいかな。

ここでも道草 生活のBGM この10年を肯定してくれる「手紙~あれから」(2017年2月5日投稿)

どうぞお願いします。

  

 

 ある講演会で招かれたとき、「認知症になると何もわからなくな

るから、死は怖くなくなるのですか。認知症でないときよりも、む

しろ楽なのでしょうか」と尋ねられました。ボクが自分のことを認

知症だと思いはじめていたころのことでした。ボクはこんなふうに

答えました。

「正直、わかりません。でも、重い認知症になっても、自分がされ

たら嫌なことや、自分の存在が消滅してしまうのは恐ろしいという

気持ちは残るのではないかと思います」

 耳から聞くことは死ぬ間際までわかっているらしい、とよくいわ

れます。だから、死が間近な人のそばで下手なことはいわないほう

がよい、と。母親が死ぬ間際に娘が駆けつけて、大丈夫?A子よ、

わかるなら手をぎゅっと握ってみて、といったら、母親が手を握っ

たというエピソードを聞いたことがあります。目で見えることはわ

からなくなっても声は聞くことはできるし、いっていることもわか

る。認知症の人も、恐らくそのなのではないかと思います。

(184~185p)

  

思い出します。

意識不明になった伯母の傍らで、息子のいとこと話した体験を。

ここで話していることは、聞こえているのかもしれないね。

そう言いながら話していました。

聞こえていたかもしれません。

伯母はそのまま亡くなってしまったので、

確かめることはできませんでしたが。

  

  

 やはりいちばんの望みは、認知症についての正しい知識をみなさ

んにももっていただくことです。何もわからないと決めつけて置き

去りにしないで。本人抜きに物事を決めつけないで。時間がかかる

ことを理解して、暮らしの支えになってほしい。

(186p)

  

「日本人に伝えたい遺言」という章で書かれた文章。

この本の一番言いたいことはここにあると感じました。  

  

  

 生きるということは、やはりたいへんです。ときどき疲れて、も

ういいよ、もう十分だよ、ボク自身もいいたくなります。歩けない、

歯が抜ける、思ったこともうまく伝えられないなど、たくさん不都

合なことが起きますが、やはり、これじゃいかんと耐えて、自分を

奮い立たせていまを生きる。それこそが、長生きしている者の姿で

はないかと思います。

(188p)

  

長生きするとはこういうことなんですね。

引退すれば楽になるわけではなく、

「耐える」ネタは尽きないのでしょう。

覚悟しなくては。

  

   

「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯(ただ)一つにて在らん、

もし死なば、多くの果(み)を結ぶべし」は新約聖書「ヨハネ伝」

第12章24節の言葉。

一粒の麦はそのままでは一粒だが、地に落ち、死んで芽を出せば

やがて多くの実がなるというキリストの教えから、人々の幸せの

ために進んで犠牲になる人を指す。

(194p)

  

長谷川さんが好きな文章だそうです。

思い出すのは、さだまさしさんの曲「ひと粒の麦~Moment~」

ここでも道草 記事「さだまさしさん 中村哲医師を悼む」(2020年6月8日投稿)

中村哲さんは、本当に「一粒の麦」になる人だと思います。

(さだまさしさんは、聖書の言葉を意識したのですね)

  

   

ラスト引用。

  

 いま、心がけているのは、明日やれることは今日手をつけるとい

うことです。

 たとえば、本を書きたいなと思ったら、せめてその一文のような

ものを、一行でも二行でもいいから、今日書いてみる。とにかく手

をつける。全部はとても無理だから、少しだけでいい。そうすると、

未来に足を伸ばしたことになります。何もしないでとどまっている

よりも、未来に希望がもてるし、楽しみも増えます。何よりも、自

分自身が安心できます。

 少し足を伸ばした未来は、やがて「いま」になります。いまがい

ちばん大切です。過去に起きてしまったことや、過去に自分がやっ

たことは変えられないし、どうしようもない。じつは過去というも

のは、ほんとうはないのです。過去とは、いま。なぜなら、昔のこ

とを思い出したり、話したりしているのはいまなのだから。

「いま」という時間を大切に生きる。繰り返しになりますが、生き

ているうちが花です。そう思いながら、社会や人さまのお役に立て

ることを、自分ができる範囲でやっていきたい。そして最後は、

1回きりの死を上手に受け入れて、旅立っていきたいと思っていま

す。

(204~205p)

  

大先輩の言葉は、しっくり入ってきます。

  

「未来に足を伸ばす」はいいですね。

私がブログを書くのも、そうかもしれません。

誰かが読んでくれるのを想像してうっています。

   

「過去とは、いま」

これもブログが思い出されます。

過去の記事を読むと、その時のことが思い出されます。

「いま」と繋がります。

長谷川さんの考えでは「いま」となります。

ブログのおかげで、書き始めた2007年4月21日以降は

「いま」ですね。

  

  

以上で引用を終了。

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