「五重塔」を音読破/名を残したいと思う十兵衛に共感
今日は令和2年8月11日。
ほぼ1年前、私は東京にいて、谷中(やなか)にある
天王寺五重塔跡を見に行っています。
※ここでも道草 20190809報告2 夜の駐在所・五重塔跡(2019年8月11日投稿)
※ここでも道草 20190810報告1 再び天王寺五重塔跡と天王寺駐在所(2019年8月11日投稿)
そのタイミングを意識して、昨晩から次の本を読みだし、
今日の朝、読破しました。
「齋藤孝の音読破4 五重塔 幸田露伴・作」
(小学館)
今回の読書は趣が違いました。
それは、齋藤孝さんの次の文章に拠ります。
今回の幸田露伴作『五重塔』は、音読破シリーズの中でも会心の
一冊です。
なぜなら、このような日本語を書ける人は、現代の日本には一人
もいませんし、今後も一切出ないからです。それくらい貴重な日本
語の宝庫なのです。
ところが、この日本語の宝の山というべき作品を、みんな今まで
意外に素通りしてしまっています。
近代の日本語というのは、実は幸田露伴を頂点にして出来上がっ
ていると私は思っています。日本語の基本は、「大和言葉(やまと
ことば)」と「漢語(かんご)」の二本柱ですが、幸田露伴はその
両方を重ね合わせて絶妙に駆使しているのです。
本文を読んでもらえればわかりますが、難しい漢字が左側にあっ
て、右側の読みで大和言葉を表しています。
たとえば、「悄然」と書いて「しょんぼり」と読んでいます。
「しょんぼり」という言葉は、漢字が先にあって出てきた言葉では
ありません。それに「悄然」という漢字をあてると、「悄然」とい
う漢字の字面(じづら)から来る印象と、「しょんぼり」という感
情の両方が伝わってきます。つまり漢語文化と大和言葉文化の重ね
技の快感を味わうことができるわけです。
古文ではないのですが、現在の日本語とは違う硬質の日本語。ダ
イヤモンドのような堅さをもち、きらめくような輝きのある日本語
です。
こういう日本語は黙読で追っているだけでは本当の良さは味わえ
ません。音読しないとだめなのです。声に出して読んでいると、難
しい言葉の意味もどんどん入ってきます。
そういう意味で、音読破することの価値がもっとも発揮される作
品です。
(4~5p)
このアドバイスに従って、今回は音読をしました。
家族には不思議がられました。
でも読破した時には、達成感がありました。
この本は、図書館に返してしまいます。
この本独特の字面を4pだけコピーして
ここに載せておきます。
大工の棟梁源太の下で働く大工の十兵衛。
技量はあるけど仕事が丁寧で襲いことから「のっそり」と
馬鹿にされてきた十兵衛が、五重塔の建設を自分がやりたいと、
寺の主である上人様に訴えるシーンです。
これはという仕事をして、名を残したい。
この気持ちはわかるなあ。
「羨ましい」が何度も出てきますが、
人間味があっていいなと思います。
私も教師をやって30年余。
まだまだやりたいことはあるし、
やるからには注目されたいと思います。
そして十兵衛がそうだったように、
職人気質(しょくにんかたぎ)を大事にしたいと思います。
名を残したいだけが突っ走ってはダメなのです。
その職業に対して一生懸命であることが本物なのです。
音読を続けていると、だんだん慣れてきて、
リズムよく読めるようになってきました。
解説で齋藤孝さんは次のように書いています。
幸田露伴の文章は、言葉のリズムがとても良くて、音の響きも洗
練されています。自分でも音読をするので、音として良くないもの
は書かないのです。
また俳句が好きなので、俳句の「五・七・五」のテンポを非常に
うまく取り込んでいます。
(265p)
なるほどです。
1年前のことを思い出しながら読みました。
盆休みの贅沢です。
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