« 2010年3月 | メイン | 2010年5月 »

2010年4月

2010年4月20日 (火)

「つかぬこと」の反対語

再び木曜日10時から放映中の「ニホンGO!]から。

4月1日放映で、「つかぬこと」の反対語が質問されました。

   

「つかぬこと」については、以前ブログに書きました。

※参考http://mitikusa.typepad.jp/blog/2009/01/post-ba6b.html

2009年1月の記事です。

意味は

①それまでの話とは関係のないこと。

②だしぬけのこと。

でした。

    

それでは反対語は何だろう?

浮かびませんでした。

ゲスト解答者のカンニング竹山さんが正解を言っていました。

     

「つきましては」!

    

そうか、「つきましては」か。

意味を調べると・・・

「ついては」の丁寧な言い方。

それですから。したがいましては。
    

「ついては」の丁寧語なんだ。

「ついては」も、私の中ではあまり使わない言葉ですねえ。

    

    

    

明日はブログ開設3周年記念日。

3年前にこうやって始まりました。2007年4月21日。

http://mitikusa.typepad.jp/blog/2007/04/post_c7ce.html

2010年4月19日 (月)

「私語(しご)」「私語く(ささやく)」

空凛(ソラリン)さんのメルマガ「言葉拾い」はお気に入り。

3月28日に届いたメルマガは、ぜひ私のブログで引用しようと思っていました。

扱った言葉は「私語

引用します。

     

■  私語(しご) ■


ひそかに話すこと。ひそひそ話。ささやき。


私は「私語」を間違って理解したまま使い続けていました。

私用-公用、 私事-公事、 私的-公的

このような対比のように、

仕事の話ではなく、個人的なおしゃべりの意味で使っていました。

ですから大きな声で話していても、

「私語は慎みなさい」だと思っていました。

ほんとにびっくりな気づきでした。

「私語」は

「ささめ」「さざめ」「ささめき」「ささめごと」「ささめきごと」

とも読みます。

このこともまったく知りませんでした。

「ささめき」と読んでいたら間違いようがなかったのに。

でも今、若者に「ささめきごとはおやめなさい」

なんて言ってもポカンとされるかも。(後略)

    

     

私の持っていたイメージも、大きな声でも「私語」でした。

授業に関係ない話は「私語」でした。

でも「私語」は小さな声なのですね。

授業の話でも、小さな声だと「私語」?

後半に出てきた「ささめ」「ささめき」等が気になります。

「私語」と書いて、「ささめ」「ささめき」等と読むんだ。

もう私の中で、これらの言葉は「私語」ではなくて、「死語」です。

     

「ささやき」「ささやく」ならわかります。

漢字を調べました。

「ささやく」は「囁く」「私語く」と書きます。

予感はしましたが、「私語」が出てきました。

「口」に「耳」が3つの「囁く」は成り立ちが知りたい字です。


2010年4月18日 (日)

2頭目のアオスジアゲハも羽化した

16日の朝、もう一つのアオスジアゲハの蛹が、

中の色が透けて群青色になっていました。

そろそろ羽化するからと、廊下から教室に飼育箱を運び、観察することにしました。

羽化する瞬間を見てみたいと思ったからです。

しかし・・・・・・

夢中で図工の指導をしていたら、

「先生、チョウが出ている」という声。

なんと、すでにチョウは蛹から出ていました。

ものの※15分間のこと。

    

いっそ、ずっと観察してたら、羽化が目撃できたのに。残念。

それでは、羽化間もないアオスジアゲハと蛹の写真を載せます。

Rimg0021    

    

    

    

     

    

帰りの会にアオスジアゲハは逃がしました。

昨年9月に蛹になったアオスジアゲハは、2頭とも無事羽化して飛び立ちました。

めでたし、めでたし。

    

     

     

※「ものの」=(意味)数を表す語の上に付けて、

それがほんのわずかであることを表す。たかだか。せいぜい。

2010年4月17日 (土)

ニールセン「不滅」を聴いてみたい

最近、「のだめカンタービレ」について書いていませんでしたが、

21巻目まで読み進みました。

その中で気になった曲は、

17巻に出てきたニールセンの「交響曲第4番 ”不滅”」です。

    

Rimg0212     

    

    

     

     

Rimg0210    

    

    

    

    

     

      

     

Rimg0211    

    

    

    

    

     

    

   

社会科教師としては、第一次世界大戦時に作られたという点に関心を持ちました。

はたしてどんな曲なのだろう?

調べてみました。

次のブログの説明が印象に残りました。

   

※「あれぐろ・こん・ぶりお」http://d.hatena.ne.jp/takashi1982/20060515

引用・・・・

欧の小国、デンマークの作曲家、カール・ニールセンの代表作とも言うべき

交響曲第4番「不滅」は多くの人命が失われた第一次世界大戦の最中に発表された。

西洋音楽史的にみると、第一次世界大戦の時期になると

大作曲家とよばれるヒトの多くは鬼籍に入るか、作品を書かなくなる。

ちょうど、当時隆盛を誇るかに見えた「西洋文明」が目の前で

音を立てて崩壊していくかに見える、

それが第一次世界大戦を経験したヨーロッパ人に共通した感覚だったのだろう。

そうした時代の雰囲気を象徴するのがシュペングラーの『西欧の没落』だったわけで、

ヨーロッパ全域が戦場となり、歴史上初の総力戦となったこの戦争のすさまじさを物語る。

   

あー、ちなみに、総力戦(total war)っていうのは戦争遂行のために、

政治・経済・文化等、あらゆるものを根こそぎ動員する戦争の事。

近代以前の戦争は分かりやすく言えば、関ヶ原の合戦みたく、

戦闘行為をするヒト(日本だと武士身分)と何にもしないヒト(それ以外の農工商人)が分かれていた。

しかも、武士は農工商人に協力を求めたりは出来なかった。

今やってる、NHK大河ドラマ功名が辻」をみてるとイメージしやすいのでは?

それに対して近代以降はその国の持てる力全てを戦争に捧げるものだから、

戦争は直接その国民の生死に関わるという戦争の認識を大きく変えたということになる。

   

そんな総力戦下の第一次世界大戦に戦争の脅威に曝され(小国デンマークドイツに侵攻されてしまう)ながら、

ニールセンは人間の意志の強さや人間の可能性、

また、音楽の持つメッセージ性などを合わせて「不滅」という曲を作った。

したがって非常に象徴的な音楽だと思う。

これが、戦意高揚の曲だったら、今ではその価値はなくなってしまうだろうが、

先に挙げた要素は人間が生きている限り持っている「人間の強さ」のようなもので、

曲自体に生命力があるのだろう。

     

ああ、聴きたくなりました。

このCDはどうだろう?

Wavemusic_49880051589010      

指揮者:ヘルベルト・ブロムシュテット

ニールセン「交響曲第4番「不滅」・第5番

ユニバーサルミュージック

品番:POCL-5190

   

     

映画「のだめカンタービレ 最終楽章 前編」公開に合わせて、

今晩9時から放映される「のだめカンタービレ 最終楽章 特別編」は

どんな内容なのだろう。

映画「のだめカンタービレ 最終楽章 前編」の「1812年」の演奏シーンもやるのかな。

マンガ本を読んでみて、「1812年」が出てきませんでした。

映画なので、派手な?曲として「1812年」が選ばれたのでしょうか。

2010年4月16日 (金)

吉野ヶ里遺跡は、やっと残った

(前投稿のつづき)

2002年放映の「プロジェクトX 挑戦者たち 王が眠る神秘の遺跡 ~父と息子・執念の吉野ヶ里~」を見ると、

吉野ヶ里遺跡にとって、1989年の2月~3月は、一日一日が重要な日だったんだと思います。

   

吉野ヶ里遺跡には、遺跡取り壊しのためのブルドーザーがたくさん集まってきました。   

遺跡保存を目指す七田忠昭さんは、

奈良国立文化研究所の佐原真さんに連絡をとります。

考古学の権威の人に吉野ヶ里遺跡を見てもらって、

貴重な遺跡だと認定してもらいたかったわけです。

佐原真さんが来たのが1989年(平成元年)2月22日。

佐原さんの視察で、吉野ヶ里遺跡が素晴らしい弥生時代に遺跡であることがわかりました。

       

2月23日。朝日新聞の一面に吉野ヶ里遺跡の記事が飾りました。

        

3月2日。墳丘墓の発掘が行われました。

発掘で価値あるものが出てきたら遺跡は保存。出てこないなら取り壊し。

そんな大事な発掘が行われた日。

結果、墳丘墓から甕棺(かめかん)が出てきて、

その中に管玉(くだたま)、有柄銅剣(ゆうへんどうけん)がありました。

世紀の大発見でした。

     

3月7日。佐賀県は吉野ヶ里遺跡保存を決定します。

    

社会科の教科書に当たり前のように載っている吉野ヶ里遺跡ですが、

その発掘保存のためには、

七田親子の努力があったことを知りました。

佐賀県は遠い。

でも一度行ってみたいと思わせてくれた番組でした。

この番組、購入もできます。

プロジェクトX 挑戦者たち 第4期 Vol.5 王が眠る神秘の遺跡 ― 父と息子・執念の吉野ヶ里 [DVD]

プロジェクトX 挑戦者たち 第4期 Vol.5 王が眠る神秘の遺跡 ― 父と息子・執念の吉野ヶ里 [DVD]

NHKエンタープライズ 2002-07-26
売り上げランキング : 28870
おすすめ平均

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

2010年4月15日 (木)

吉野ヶ里遺跡の映像を見る

我が家には、録画したけど、見ないでずっとしまってあるビデオ・DVDがたくさんあります。

その中の一つを見ました。

2002年録画。

NHK「プロジェクトX 挑戦者たち 王が眠る神秘の遺跡

~父と息子・執念の吉野ヶ里~」です。

    

   

勉強になった。

吉野ヶ里遺跡発掘にはこんなドラマがあったのですね。

番組紹介の文を載せます。

    

平成元年2月。佐賀県の小さな丘から発見された弥生時代の遺跡が、

日本中の注目を集めた。

吉野ヶ里、九州で高い文化の存在を示す巨大遺跡である。

毎年50万人が訪れる。

古代史ブームを巻き起こした。

その陰には地元に住む親子のドラマがあった。

   

昭和35年、高校で歴史の教師をしていた七田忠志(47歳)は、

土器片が見つかる町はずれの「吉野ヶ里の丘」に興味を示し、

息子・忠昭を連れて通い、「吉野ヶ里は燦然たる文化が眠る。重要な場所だ。」

そう確信した忠志は、大胆な論文を発表。

しかし、地方の一教師に耳を傾ける者はいなかった

「吉野ヶ里を発掘したい」

その夢はかなわないまま、世を去った。

   

そして、昭和61年、吉野ヶ里に工業団地の建設計画が持ち上がる。

それに先立つ発掘調査チームのリーダーは、

県の文化課に勤めていた息子の忠昭だった。

父の夢をつなごうと、発掘を続けた

すると間もなく、巨大な集落跡が出現、

日本有数の弥生遺跡であることが明らかになる。

しかし、工業団地を造成するブルドーザーが乗りこみ、

遺跡の運命は風前の灯火となった。

忠昭はわずかな望みをかけ最後の発掘に挑む。

そこには日本の歴史を書きかえる世紀の発見が待っていた・・・。

   

故郷の誇りを取り戻そうと、必死に大地と格闘した親子と、

それを支え続けた人々の情熱の物語を描く。

     

  

平成元年(1989年)2月23日。

朝日新聞が吉野ヶ里遺跡のことを1面に載せて発表しました。

吉野ヶ里遺跡が有名になったきっかけです。

どんな記事だったのか気になりました。

次のサイトで見ることができました。

 http://yoshinogari.net/index.php?%E5%90%89%E9%87%8E%E3%83%B6%E9%87%8C%E9%81%BA%E8%B7%A1

     

その前日の2月22日ことが、番組では詳しく扱われていました。

(次の投稿で)      

2010年4月14日 (水)

今日「山が笑っている」と思った

今日、教室から外を見て、

「お、山が笑っている」と思いました。

Rimg00071_2

   

    

    

    

4月14日。例年より少し早いかな。

もう少したった方がもっと濃い緑と新緑のコントラストが出て、

鮮やかになるかもしれません。

でも今日、「山が笑っている」と感じたことを大事にしたいと思います。

今日が、平成22年の「山が笑った日」に認定です。

参考までに平成17年以後の「山が笑った日」一覧。

  

平成17年 4月21日

平成18年 4月21日

平成19年 特定できず

平成20年 4月19日

平成21年 4月10日

平成22年 4月14日   

  

「山が笑う」の語源については、昨年のブログが詳しいです。

http://mitikusa.typepad.jp/blog/2009/04/post-bf5b.html

    

    

今日は風強し。

生まれたてのチョウにはちょっと過酷かなとは思いつつ、

昨日羽化したアオスジアゲハを、

6年3組の教室から逃がしました。

2010年4月13日 (火)

アオスジアゲハの羽化/キクモモ花盛り

ついに誕生、アオスジアゲハ。

Rimg0006

  

   

   

 

昨晩、蛹に透けて群青色が見られました。

今日の昼には、全体が群青色になっていました。

そして、午後3時に見た時には羽化していました。

すごいことですよ。

9月のはじめに蛹になってから、7か月以上蛹でした。

そしてちゃんと成虫が出てきたのですから。

さなぎの間、どんなことを考えていたのだろう。

   

ちゃんとタイミング良く、外のクスノキは新しい葉っぱがたくさん。

アオスジアゲハは、そんな葉っぱに卵を産みつけるのでしょう。

うまくできている自然界です。

     

ああ、待った甲斐がありました。

   

校庭のキクモモが花盛り。

登校指導の後に撮影。

Rimg00021 Rimg0003_4

1600本目の投稿・・・「坦々」「担々」調査のつづき/「できっこないをやらなくちゃ」

1600本目の投稿。まだつづく。

   

「坦々」「担々」調査のつづき。

※前回http://mitikusa.typepad.jp/blog/2010/04/post-604a.html

       

その後、同僚の先生が、行ったお店で見てきてくれました。

「坦々」に1票。

そして、先日行った中華料理屋ではこうでした。

Rimg0182_2    

    

    

    

「担々」に1票。

通算、「坦々」に2票。「担々」に1票。

地道に調査をすすめます。

    

     

この頃よく聴くCDが、「できっこないをやらなくちゃ」(サンボマスター)

    

印象に残る歌詞があります。

    

何も実らなかったなんて悲しい言葉だよ

心を少しでも不安にさせちゃだめさ 

灯りをともそう♪

     

やはり自分じゃだめかなんて無駄な言葉だよ

心を少しでも不安にさせちゃだめさ

灯りをともそう♪

    

    

落ちこんで行く人の心の動きを的確に言って、

やさしく諭(さと)してくれます。

メロディーもやさしいんだよなあ。

日産セレナのCMに使われている「励まし」の部分もいいけど、

この「諭し」の部分も好きです。

      

      

今日も朝一番にこの曲を聴いて動き始めました。

今日もいい日にするぞ。

     

2010年4月12日 (月)

翅の色が透けて見える?羽化が近し。

たまに動いたとしても、本当に羽化するのか半信半疑だった、

アオスジアゲハの蛹。

今晩変化がありました。

緑色の蛹の中、群青色が透けて見えるようになってきました。

翅の色でしょうか?

Rimg0233_3 Rimg0236

   

   

   

    

ついに成虫のチョウの体ができつつあると思います。

羽化が現実味をおびてきました。

茶色の蛹も、気持ち群青色が透けているようにも思えます。

     

喜んで、教室前の廊下から職員室に持ち込んで、

他の先生方に見せました。

写真ではわかりにくいかもしれません。

10日の投稿の写真と比較すると、わかるかな。

http://mitikusa.typepad.jp/blog/2010/04/post-f5d2.html

    

昨年9月に蛹になって、そして今4月。

どんなチョウが生まれるのでしょうか。

最近の写真

  • Img_5425
  • Img_5811
  • Img_5810
  • Img_5809
  • Img_5807
  • Img_5806
  • Img_5805
  • Img_5804
  • Img_5803
  • Img_5802
  • Img_5801
  • Img_5800

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉