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2019年2月28日 (木)

くじけない後醍醐天皇その1/天皇が通過した所縁の場所

今日は2月28日。

  

今年の2月の最終日。

どんな1日になるかな。

  

書いている途中のものもあるけど、

今朝は後醍醐天皇のことを書こう。

  

2011年2月2日放映の

歴史秘話ヒストリア 折れない、負けない、くじけない

~風雲!後醍醐天皇がゆく~」を授業で使いました。

8年前の番組がとても有効でした。

この番組のことを書き留めておきたいです。

  

まずは、この番組のタイトルがすごい。

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折れない、負けない、くじけない

この視点で番組では後醍醐天皇を扱っていました。

確かにそうだったんだと思って見ました。

特に吉野に移ってからの後醍醐天皇については

あまり知らなかったので、この番組で学びました。

詳細は後日。

  

話は、鎌倉幕府打倒をめざして後醍醐天皇は旗揚げしましたが、

失敗し、隠岐の国に流されるシーン。

聞き書きします。

  

ナレーター:元弘2年、後醍醐天皇は、幕府によって、

  京都の幽閉先から、日本海の島、隠岐の国へ流されることと

  なりました。

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  京都から隠岐へは、300kmあまり。

  主に中国地方の陸路を通り、

  山陰の港から船で隠岐に渡ります。

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  岡山県北部、大井野の山間(やまあい)の道に現れた

  小さな神社。

  後醍醐天皇宮(ぐう)です。

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  すぐ近くには、後醍醐天皇所縁(ゆかり)の石が残っています。

  その名は、「ご飯石(ごはんいし)」

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地元・大井野の方:これはここでね、後醍醐天皇さんが

  隠岐に流される途中で、ご飯を食べたと言われているんですけど。

  あれが箸の跡。

  昔っから、これが「ご飯石」だと言うとったけれど。

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ナレーター:他にも、天皇が使ったお椀やお皿の跡もあるというのですが、

  わかりますか?

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  さらに道を進んで、鳥取県江府町御机(こうふちょうみづくえ)。

  この御机という地名も、後醍醐天皇と深い関係があります。

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地元・御机のみなさん:昔、ここを通られた後醍醐天皇が、

  机を3つ並べてね、その上でご休憩※されたとか、

  という話を聞いちょるわけですが。

  (※正確に聞き取れず。予想)

  それで、「三机(さんつくえ)」と名をつけられて、

  それを「御机」と。

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ナレーター:他にも中国地方には後醍醐天皇所縁の場所や地名が

  こんなに。

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  地元の人々にとって京都におわすはずの天皇を

  突然目の当たりにした驚きと喜びが、

  こうした数々の伝説となったのでしょうか。

  

  

たった1回通過したことが、地元では事件をなり

言い伝えが残ったのでしょう。

他の言い伝えについても調べたいですね。

700年前のことが、いまだに残っていることが

とても面白いです。

  

以上です。今朝はここまで。

   

  

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