くじけない後醍醐天皇その1/天皇が通過した所縁の場所
今日は2月28日。
今年の2月の最終日。
どんな1日になるかな。
書いている途中のものもあるけど、
今朝は後醍醐天皇のことを書こう。
2011年2月2日放映の
「歴史秘話ヒストリア 折れない、負けない、くじけない
~風雲!後醍醐天皇がゆく~」を授業で使いました。
8年前の番組がとても有効でした。
この番組のことを書き留めておきたいです。
まずは、この番組のタイトルがすごい。
「折れない、負けない、くじけない」
この視点で番組では後醍醐天皇を扱っていました。
確かにそうだったんだと思って見ました。
特に吉野に移ってからの後醍醐天皇については
あまり知らなかったので、この番組で学びました。
詳細は後日。
話は、鎌倉幕府打倒をめざして後醍醐天皇は旗揚げしましたが、
失敗し、隠岐の国に流されるシーン。
聞き書きします。
ナレーター:元弘2年、後醍醐天皇は、幕府によって、
京都の幽閉先から、日本海の島、隠岐の国へ流されることと
なりました。
京都から隠岐へは、300kmあまり。
主に中国地方の陸路を通り、
山陰の港から船で隠岐に渡ります。
岡山県北部、大井野の山間(やまあい)の道に現れた
小さな神社。
後醍醐天皇宮(ぐう)です。
すぐ近くには、後醍醐天皇所縁(ゆかり)の石が残っています。
その名は、「ご飯石(ごはんいし)」
地元・大井野の方:これはここでね、後醍醐天皇さんが
隠岐に流される途中で、ご飯を食べたと言われているんですけど。
あれが箸の跡。
昔っから、これが「ご飯石」だと言うとったけれど。
ナレーター:他にも、天皇が使ったお椀やお皿の跡もあるというのですが、
わかりますか?
さらに道を進んで、鳥取県江府町御机(こうふちょうみづくえ)。
この御机という地名も、後醍醐天皇と深い関係があります。
地元・御机のみなさん:昔、ここを通られた後醍醐天皇が、
机を3つ並べてね、その上でご休憩※されたとか、
という話を聞いちょるわけですが。
(※正確に聞き取れず。予想)
それで、「三机(さんつくえ)」と名をつけられて、
それを「御机」と。
ナレーター:他にも中国地方には後醍醐天皇所縁の場所や地名が
こんなに。
地元の人々にとって京都におわすはずの天皇を
突然目の当たりにした驚きと喜びが、
こうした数々の伝説となったのでしょうか。
たった1回通過したことが、地元では事件をなり
言い伝えが残ったのでしょう。
他の言い伝えについても調べたいですね。
700年前のことが、いまだに残っていることが
とても面白いです。
以上です。今朝はここまで。
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